続 羽根をなくした妖精 �Y
            







               (51)

 造りはいささかいかがわしい樫の木の宿屋だったけれど、宿屋の主人は

いたって人の善さそうな中年のニングルだった。

「そう、確かに来たよ。かれこれ一月ほど前だったかねえ・・・」

 ようやく手がかりらしい手がかりを見つけ、トモロ一行はひとまず胸を撫で

下ろした。

 ムラサキが身を乗り出し、

「赤い首輪をつけた羽根のない妖精だったんですね」

「そう、柄の悪い玉出し屋のゴブリン鬼に連れられてね」

「どこに行くとか言っていませんでしたか?」

「聞いてないね」

「ここを出て、どちらに向かいました?」

「さあ、早々とドアを閉めちまったもんで、見てねえなあ」

「それで・・・」

 矢継ぎ早に質問しようとするムラサキを、トモロが押しとどめた。

「そんなに、食ってかかるように聞いては、失礼ってもんだよ」

「いやいや、構いませんって。何やら、訳有りのようですからな・・・」

 宿屋の主人は冷静で、しかも、ありがたいことに一月前の事を実に良く

憶えていた。しかし、残念だったのは、覚えていたことが、何の手がかりにも

ならなかったこと・・・

「そうでしたか・・・」

「あまりお役に立てなかったみたいだな・・・」

「いいえ!いいえ! そんなことありません。大変助かりましたよ」

 宿屋の主人は、申し訳なさそうに、

「これからどちらに行きなさる?」

 お礼の意をこめて、深々と頭を下げ、トモロは、

「西の岩山の北の麓を目指そうと思います。荒れ地の中にある泉の妖精に、

会うために」

「その妖精に、何か心当たりでも?」

「いいえ、ただ・・・一角獣の角の話を聞ければと思いまして・・・」

 暇乞いをしようと全員頭を下げたところに、

「一角獣の角?」

 主人の何気ない言葉に、トモロ一行は氷ついた。トモロが、急く心を

自らをたしなめるようにゆっくりとした口調で・・・

「ヴィジョンが持っているという一角獣の角の秘密を知りたくて・・・」

「?」

 宿屋の主人は、目を丸くしながらも、

「一角獣の角を持っている?」

「はい!紫陽花館で手に入れたと・・・」

 宿屋の主人は腕を組んでしまった。

「それは変だ・・・」

「どういう意味ですか?」

「一角獣とは、架空の生き物じゃなかったのかい?」

「さああ」

 トモロ、ムラサキ、トールにファットは、互いに顔を見合わせた。珍しい

生き物ながら、一角獣とは確かに棲息していて、その生き物の角は、壊れた

心を治す劇薬であると、誰もが疑わず信じていたことだった。

「子供の頃、わがままを言ったり、駄々をこねたりすると、大人から言われた

ものさ、一角獣が来るよってね」

「どういう意味ですか?」

「一角獣の角は、特別な妖力を持っていて、人の心を変えてしまう・・・」

「薬じゃなかったんですか?」

「わしの知っている一角獣はね・・・」

「詳しくお話ねがえませんか?」

「くわしくっていっても、昔話が一つ残っているだけだが・・・」

「ぜひお願いします」

「長話になりそうだ・・・立ち話もなんだから・・・」

 主人は、宿屋の中に一行を招き入れた。



 昔々、とある森に、双子の妖精がおりました。男の妖精の名はオクシー、

女の妖精の名はミクシーと、呼ばれておりました。

 男の妖精オクシーは、それはそれは手の付けられぬ乱暴者で、誰一人近づく

者すらおりませんでした。ほんの小さいときから、だれかれ構わず、喧嘩を

ふっかけては、とことん叩きのめしてしまう。腕力が強いうえに、怖いもの

知らずだから、誰も敵わなかったのです。みんなで力を合わせ、懲らしめ、

諭そうとしたこともありましたが、オクシーの乱暴は激しくなることは

あっても、治ることはけっしてありませんでした。

 そして、女の妖精ミクシー。これが、オクシーに輪をかけてひどかったので

あります。自分では何もしないのですが、オクシーを焚き付けて乱暴狼藉を

はたらかせるのです。わざと人目のつくところで処女を強姦する。怯え、身も

心も傷つき、痛がり、苦しみ、恥ずかしさに身悶える・・・そんな様子を、

嬉々として眺めていたのであります。初めは、それでも、そんな程度で

ありました。

 やがて、ミクシーの考えつく残虐性は、次第に激しさを増していきました。

暴れ猪の尻尾に裸のまま縛り付ける・・・爪の中に指先から針を突き刺す

・・・限界まで締め付けた革の拘束衣のまま雨晒しにする・・・次々と考え

出す残酷な見せ物に、ミクシーは酔いしれました。嫌がり、助けを求め、

嘆き、悲しみ、絶望に打ちひしがれる・・・そんな様子に、ますます、

ミクシーは興奮していったのでした。

 そんなある日、ミクシーはオクシーに、明日が婚礼の日という花嫁を強奪

するよう命じました。オクシーは、今までにない残虐行為を予感して身震い

いたしました。

 オクシーは、かっさらってきた泣きわめく花嫁を身動きできないように

拘束すると、刃物を使わずに頭髪を全て手でむしり取ってしまいました。

頭から血を流す裸の花嫁は、なんと、膣内にイトミミズを詰め込まれ、

そして、花婿に送り届けられたのであります。その時の花嫁は、よだれを

垂らして笑っていたそうであります・・・

 その有様を見かねた神様が、とうとう一角獣を使わされました。

『苦しみ、痛がり、恥ずかしがる姿を、眺めることがそんなに好きなら、

お前の心を、苦しみ、痛がり、恥ずかしがることを望む心に変えてやろう』

 一角獣の角の妖力によって、ミクシーは、心を変えられました。

 ミクシーは、苦しみ、痛み、恥ずかしがることを望み、オクシーは、それを

叶えてやる・・・残忍な行為は、双子の妖精の中で自己完結し、ようやく、

その妖精の森には、平和な生活がもどったのでありました。



「これが、一角獣の昔話です」





               (52)


 背の高い木々は見られない。白っぽい岩肌の所々に、地を這うような

灌木や、苔状の緑がまばらに見られるだけ。うっそうとした樹海を渡って来る

風が、海原の孤島のような岩山を駆け上がってくる。日差しを遮るものは何も

ないが、風がとても心地よかった。大きな麻袋を背負ったゴブリン鬼は、

ごつごつとした大きな岩を縫うようにして山を登っていた。そこここに見える

緑から、虫の音が聞こえてくる。山の上は秋の気配に溢れていた。

「おれ達の先祖だという者もいる」

 ゴブリン鬼は、麻袋の中の妖精に話しかけた。

「以前は、外へでて生活したこともあったそうだが、今じゃ、光の射し

込まない穴蔵から出てくることはねえ」

 麻袋の中のヴィジョンは、ゴブリン鬼の話を聞き流し、夜毎夢の中に出て

くる声の主に思いを巡らせていた。死ぬことは怖いことじゃない、そう

語りかけてくるのだが、ヴィジョンはますます恐怖に心を閉ざしてゆくばかり

だった。

「これから行こうとするところは、この山の中、地の底だ」

 ゴブリンは、返事のない麻袋を気にする風もなく話し続けている。

いつになく饒舌だ。

「闇の妖精と呼ばれ、地の底の住人とも呼ばれている。おれ達には暗くて

なんにも見えない闇の世界だが、奴らにはぼんやり位には見えるらしい。

キンキンという甲高い声で話をする・・・」

『甲高い声?』ヴィジョンの意識に、その言葉だけが飛び込んできて、

引っかかった。

「いたっておとなしい妖精だ。お前の好きな、乱暴な責めはないだろうが、

以前に連れてきたフェアリーの言葉を借りれば、夢の中のような、見たことの

ないきれいな風景の中を浮遊するような快感だったそうだ。どうだ、

楽しみだろう?! さあ、着いた」

 ゴブリンの言う着いたとは、地の底への入り口に着いたというだけの意味。

ヴィジョンは麻袋から出され、麻袋についている縄で、片手を縛られた。

それは、もちろん逃げないようにではなく、迷子にならないためにである。

大きな岩の底、わずかな隙間を這うようにして入り、そこから、岩肌の迷路の

ような通路を、右に左に曲がりながら、かなりの時間を降り続けた。明かりの

全くない洞窟を、手探りだけで、しかし、ゴブリン鬼はあたかも先が見える

ように器用に降り続けた。太陽の傾き具合を知ることができないので、

大まかではあるが、半日ほどこうして降り続けたかもしれない。

 下り坂であった洞窟がなだらかになったとき、見えない闇の向こうから、

何人かの甲高い声が聞こえた。

「久しぶりだな」

 ゴブリンは、見えはしないが、声のする方に向き直り、

「しばらくやっかいになりたいんだが、いいだろうか・・・」

「構わないが、今回の連れは?」

「フェアリーが一人だ」

「前回と同じ報酬で、一ヵ月。それでいいか?」

「ありがたい」

 ヴィジョンは、闇の妖精の声を耳にして、冷や汗が吹き出してきた。闇の

妖精の甲高い声は、夜毎夢に出てくる声によく似ていたから・・・夜毎、

死の恐怖にうなされて見ていた夢が、まるで正夢になったかのよう・・・ 



 柔らかな敷物の敷かれたかなり広い部屋だった。扉を開けて入れられた

はずなのに、壁を一回り手探りしたときは、扉らしきものは何もなかった。

全てが乾いた岩肌だった。

 生き物の気配は全くないのに、突如として音もなく、闇の妖精が身近に

現れ、着替えや食事、入浴から排泄の世話まで一切をしてくれた。

 色こそ分からないが、ネル地のゆったりした丈の長いシャツを、洗濯された

と思われる新しいものに繰り返し着替えさせられた。ヴィジョンはただ立って

いるだけで、袖に腕を通すことからボタンをかけることまで、闇の妖精がして

くれた。食事も同様に、ヴィジョンがすることは噛んで呑み込むことだけ

だった。嫌いな食べ物はなく、食事の量もいつも程良かった。排泄も、同様に

ヴィジョンが催すと闇の妖精が現れ、手を引いて便器に座らせてくれた。

しかし、排泄だけは上手くいかずに、おむつと浣腸のお世話になった。だが、

それとて、教えるわけでもないのに、おむつが汚れたままなどということは

なく、ヴィジョンは絶えず清潔なおむつでいられたのだった。

 まるで心を読まれているとしか思われない、完璧な飼育のようだった。





               (53)


「おかしら、こんなに手間取ってたら、見つけだせねえぜ」

「ヴィジョンの足取りはつかめても、そこにたどり着くときは、とっくに、

どっかへ行っちまってる」

「真っ直ぐ歩いてくれば、ほんのひと月のところを、倍のふた月も掛かって

いちゃ、追い駆けっこにもなんねえ」

「この柳の下で、赤い首輪を付けたフェアリーが鞭打たれていたっていう

のも、ひと月以上も前のことらしいですぜ」

「夏のお化けだって、秋には引っ越ししてらあ」

「蛙だって冬眠だ」

「がたがたがたがたうるさいねえ!まったく!分かってるよ、そんなこと!」

 トール、ファットに限らず、トモロだってムラサキだって焦っていた。

 ムラサキがトモロを優しく見つめた。紫陽花館でヴィジョンを救えなかった

ことを気に病んでいるトモロを気遣いながら、

「これからは、真っ直ぐ、ニンフの居るという泉を、目指しませんか?」

 トモロは、目を閉じてうなだれた。懸命に失意と戦っている。

「手遅れにならないといいがと思って、ヴィジョンを探すことを優先させて

きたが、仕方がないね・・・」

 壊れた心を治す薬だとばかり思っていた一角獣の角が、扱い方を間違えると

取り返しのつかないことになると聞かされ、急いで、紫陽花館に飛び込んだ

トモロ。しかし、紫陽花館のマスターの口から手遅れだと聞かされた。

ヴィジョンは間違いなく一角獣の角を手に入れている。いや、一角獣の角と

共にいる。しかも、玉出し屋のゴブリンと旅をしている。つまり、生きている

ということ。変わった様子もないと聞く。まだ、取り返しのつかないことには

なっていないということ。

 ムラサキは、トモロの思いが痛い程良く分かっていた。ヴィジョンを

見つけだし、一角獣の角が何であれ、その危険性を封印してしまうことが

先決であることは分かっている。ヴィジョンを連れて、泉のニンフを訪ねる

のが、ヴィジョンを救う一番の近道であることも分かっている。

「一角獣の角が何であるかが分かれば、スミレ様を捜し出す手掛かりが、

見つかるかも知れませんし・・・」

 みずみずしい深い緑をたたえていた木々や草花も、陰りを見せ始めて、

それらを渡ってくる風も、さらっと乾いた感じがした。

「なんとかなる!明日を信じませんか?! さあ!」

 ムラサキが、一人ゆっくりと歩き始めた。自分の口癖を真似されて、

トモロは苦笑いした。自分の気持ちを高めるかのように、トールとファットに

声を掛けた。

「ボーっとしてないで!行くよ!」

 



               (54)



 一月という約束の期限が過ぎ、ゴブリン鬼が迎えにやってきた。

「お願いがあるのだが、聞いてもらえるだろうか?」

 闇の妖精からヴィジョンを手渡され、いきなり声をかけられた。

「長年お世話になってきたんだから、断れねえでしょう・・・」

「よかった、実は、この子を、枇杷池の大椿まで連れていって欲しいのだ」

「連れて行くのはいいが、こいつは俺のものだ」

「だから、ただでとは言っていない」

「こいつを買い取ってくれるってことか?」

「まあ、そういうことだ」

「買い取っておいて、手放すとは何てことだ。枇杷池で何があるんだ」

「そこまでお前に話す必要はないだろう」

「それもそうだ、いいだろう」

 取引は済んだ。闇の妖精、そして、ヴィジョンからも安堵の溜息が

聞こえてきた。しかし、ゴブリン鬼の口元に現れた笑みは、どうやら二人には

見えなかったようだった。



 光溢れる地上に出たゴブリンは、大きな伸びをひとつして、

「どうだったんだ?!」

ヴィジョンの顔をのぞき込んだ。怪訝そうに見つめ返すだけのヴィジョンに、

「買い取ってくれて、どうやらお前の望みまで聞いてくれたようだな。

随分と気に入られたもんだ。全くたいした玉だよ、お前は」

 程良い大きさの岩に腰を下ろし、立膝の姿勢をとるヴィジョンを

正面に見据えた。

「それで、どんなことをされたんだ?!どんなことをやらされたんだ?!」

「分かりません・・・」

「なに!!?」

 うつむこうとするヴィジョンのあごをつまみ上げ、顔をのぞき込んだ鬼の

顔は真っ赤だった。臭い息を鼻から勢いよく吐き出し、

「わからねえことはねえだろう!」

「身の回りの世話をしてもらい、わたしは腕枕をしていただいて、添い寝を

するだけだったのです」

「添い寝だけ?」

「はい、わたしはいつもすぐに眠ってしまいましたから、それから何をされた

のかは知りませんが、光りあふれる林やお花畑を転げ回ったり、舞うように

飛び回ったり、泉で泳いだり、それは、気持ちのよい夢を見続けました」

「毎晩、夢を?」

「たぶん・・・」

「それだかけか?」

「たぶん・・・」

「痛くて目が覚めるとか、痺れるような快感で目が覚めるとか・・・」

「ありませんでした」

「目覚めた後、打撲、擦り傷、火傷・・・」

「ありませんでした」

「なんて奴らなんだ・・・高い金を払って添い寝をしてもらう?ばぶばぶばぶ

・・・赤ん坊じゃねえか、まるで・・・」

 紅葉とまではいかないが、眼下に広がる木々のうねりは、初秋のそれとは

明らかに違って見えた。深い緑の陰に豊穣の色を宿している。

 無粋なゴブリンには、説明しても解ってもらえないだろうと黙っていたが、

ヴィジョンは解っていた。

『お金を払ってまで、闇の妖精が得たいと思っていたのは、光だったんだと

思う。闇になれてしまった身体は、日の光を浴びることはできない。しかし、

遠い遠い原始の記憶の中に、陽光を求める、光に憧れる思いが残っていたの

だと思う。どうやってその思いを満足させたかは解らないけど、わたしの記憶

やわたしの空想の中に、つまり、そんな光溢れる光景の中に彼らは入り込んだ

のだと思う・・・しかも、わたしの夢の中に出てくる声と、とても楽しげに

話し合いながら・・・』

「そんなこた、どうでもいいか・・・金はたんまりもらったし・・・行くぞ!

連れていくだけは連れていってやる。雪の降る頃までには着くだろう。何が

あるか興味があるからな。そのお、琵琶池の椿の木まではな、へっへっへっへ

・・・」





               (55)



 驚くほど大きなオアシスだった。それが、岩山から見下ろしたときに見え

なかったのは、魔法による蜃気楼のようなカムフラージュによって、オアシス

全体が守られていたからだろう。

「岩山の尾根を越えたときには、本当に目が眩む思いだったねえ」

「はい、泉と言うからには、そこは緑に覆われているはずなのに、見渡す

限りの荒れ地には、枯れた色の木が本当に申し訳程度に生えているだけ」

「遠い昔に来たときは、もう少し緑があったと思ったんだが・・・」

 トモロとムラサキが、滴るような緑の下を歩きながら泉を探している。

ファットが、そんな二人の前を行ったり来たり・・・

「何してんだい! 邪魔だよ、私たちの歩く前をちょろちょろして!」

 ムラサキが、ファットの表情を読んで・・・

「でも、さすがですね、ファットさんのお陰で、真っ直ぐここにたどり

着けたわけですから」

「たまたま、食いしん坊が役に立っただけじゃないかい」

「おかしら、そりゃないですぜ」

「ここを目指して飛んでるミツバチを見つけたのは俺だぜ!」

 トールが割り込んできた。

「たいしたもんだよ、おまえ達は!」

 トモロは、トールとファットの髪の毛を乱暴にかき乱した。

「子供じゃないんだから、頭を撫でられたって・・・しかも、痛ってえ!」

「静かにしな! たぶんここだよ」

 苔むした洞窟から、さらさらと水が流れ出していた。洞窟の奥から、機を

織る音が聞こえてくる。

「機を織るニンフ?」

と、ファット。トールが小声で

「空中を飛び交う人々の情念、熱い想い、怒り、悲しみ、そんなもんを糸に

染め上げ、機を織る」

「だからなんでも知っている?」

「そう、悠久の昔からずっと機を織り続けている」

「ずっと?」

「反物が一反織り上がるまで・・・」

「じゃあ、とっくに終わってるじゃない?」

「初めに織り上げたところは、色あせいつの間にか白い糸に戻っている」

「永遠に終わらない?」

「そう、それが、ここのニンフの仕事」

「しっ、静かに! 入るよ、失礼の無いようにね!」

 大きな体を窮屈そうに屈め、なんとか洞窟の中に入ったトモロが、会釈の

姿勢で、機を織る老婆のニンフに声を掛けようとした。

「挨拶はいらないよ、こう見えても忙しいんでね。あんた達が来ることも、

あんた達が何を知りたいのかも、分かっている。楽な姿勢で構わないから、

その辺に腰を下ろしな」

 四人はさほど広くない洞窟の、岩棚のようなところに腰掛けた。老婆は、

機を織る手を休めることなく、ゆっくりとした口調で語り始めた。

「いいかい、この世とは別の世界に、精霊がいる。別の世界といっても、遠い

遠いどこかという意味ではない。我々が、見たり聞いたりする世界が、この

世だとすれば、精霊が見たり聞いたりする世界があって、それが精霊の世と

言う訳だ。死後の世界だという者もいるが、それは間違いだ。

「さて、その精霊が、この世に現れることがある。その理由は分からない。

迷いこんだとも、罰として送り込まれたとも、試練として入りこんだとも

言われているが、なにせ、そうそう、精霊と話をできるものではない。よくは

分からない。

「精霊を見た者は・・・それはおる。紫色をした光だったと聞く。ただ、

それも、ごく希に違いない。よほどのことがない限り、精霊は光のままでは

いられないからだ。精霊がこの世にいられる為には、この世の誰かに

宿らなければならないのだ。

「宿られた者は、精霊に影響される」

「一角獣の角!」

 トールとファットが声を上げた。

「黙って聞きなされ。精霊に宿られた者は、精霊に影響され、時には人が

変わったように思われる。そう、それで、一角獣の角と呼ばれることがあった

のじゃ。姿の見えない精霊に、一角獣の角の妖力を見たのじゃろう・・・

「ところで、ヴィジョンじゃが、間違いなく、精霊に宿られておる。しかし、

壊れた心を治したいのはリアル。リアルに宿ったのなら、リアルが死ぬまで

壊れた心を精霊が補完し、あるいは治すこともできたかもしれない。しかし、

宿ったのがヴィジョンではのう・・・どうしたものか・・・」

「どうしたものかって・・・」

 トールとファットが身を乗り出した。

「精霊は、精霊の宿りし主の輝ける魂を以て、精霊の世に帰る・・・」

「どういうことだい!」

 トールとファットをたしなめて、トモロが、

「ヴィジョンが死なないと、精霊はヴィジョンから離れない、しかも、精霊は

精霊の世界に戻ってしまう。リアルは相変わらずリアルのままって言うこと

らしい」

「ヴィジョンは無駄死にってわけかい!?」

「そうと決まった訳じゃないさ、話を急ぐもんじゃないって・・・とりあえず

明日を信じようじゃないかい」

 四人は、機を織り続けるニンフに深々と頭を下げた。

「ヴィジョンは南の森の琵琶池を目指しているらしい。そして、リアルも

何やら大きな力によって琵琶池へ吸い寄せられている。奴らの心を読むことは

できないが、どうやら、奴ら、闇の妖精たちの仕業らしい。闇の妖精かい?

地底に住む妖精たちさ。経緯は知らないが、光を絶ち、精霊に近づこうと

我が身を地底に封印した妖精たちだよ。あんた達に役立ちそうな話は、これで

全てだ」

「ありがとうございました」

「急ぎましょう、遅くても、雪の降り出す前に・・・」





               (56)  



「やってもいいがな、金を払え!」

 大きな椿の幹に縛り付けられたゴブリン鬼が、赤い顔をさらに赤くさせ、

大声で叫んでいる。投げ出した足をばたつかせて、よほど悔しかったようだ。

自分の腰くらいしかない背丈の妖精に、あっけなく倒され、無様にも縛り付け

られたことが、情けなく、腹立たしかったのだろう。

「そいつは俺のものだ! 俺の金蔓だ! 金を払え! 前払いだ!」

 リアルは、そんなゴブリンに一瞥を投げかけただけで、ヴィジョンの手を

引いて歩き出した。

「こらー、待てー、泥棒! 人さらい!」

 

 突然の出来事に、初め、ヴィジョンはただただ驚くだけだった。いきなり、

何かにつまずいたように前のめりに倒れ込んだゴブリンが、体を起こそうと

片膝を付いたとき、突き飛ばされたように横倒しになった。今度は、注意深く

しかも素早く飛び起きたが、身構えるよりも早く、アゴを突き上げるような

一撃がゴブリンを襲った。よろめくように後ずさりして、尻餅を付いたのが

大椿の根元。後頭部を椿の幹に打ちつけ、一瞬、目の前の光景が真っ白に

なったが、そんなゴブリンが、気を取り直して立ち上がろうとしたときは、

既に、自分の上半身は、乱暴な縛り方ながらしっかり椿の幹に固定されていた

のであった。



 リアルに手を引かれ、ヴィジョンは満ち足りた表情であった。リアルの心に

ヴィジョンを助けようなどという思いは微塵もなかったに違いない。しかし、

獲物を奪うという衝動が、結果としてヴィジョンを喜ばした。一方、

ヴィジョンは、こうして、リアルと二人きりになれたことが嬉しかった。

まさしく、正夢だった。地底の闇の中で見た夢・・・何ていう偶然、何ていう

巡り合わせだろう・・・いや、もしかすると、いや、多分そうだ・・・

一角獣の角と闇の妖精との会話・・・



「戻ってこーい! このロープを解け! ただじゃすまさねえぞ!」

遠くに聞こえるゴブリン鬼の声が、小さくなって聞こえなくなるところにまで

やって来た。枯れ草に埋もれるように越冬する草が地面に張り付いている、

そんな日溜まりの窪地にヴィジョンは突き倒された。

 無表情なリアルは、身動き一つしないヴィジョンの体に覆い被さった。

しばらく、リアルはヴィジョンの瞳の奥を覗き込んでいた、貪るような冷たい

眼差しで。ヴィジョンは、そんなリアルの瞳に吸い込まれそうな思いに包まれ

ながら、ゆっくりと足を開き、そして、膝を立てた。

 風が止んだ。

 やわらかな冬の日射しが、微かな薄日となり、それも消え去った。

 夕暮れまでにはまだまだ間があろうというのに、薄暮のような薄闇に、

森全体が覆われた。

 高くそびえる木々の枝先から、溢れこぼれるように、ひとひら、そして、

もうひとひら・・・ふたひら・・・やがて、止めどなく、小さく右に左に

揺れながら、粉雪が舞い降りてきた。

 熱く燃えるヴィジョンの肌に舞い降りる淡雪は、幻影のように、次から

次へとはかなく消えてゆく。

 ゆっくりと、大きく上下に揺れ動くリアルの頭越しに、舞い降りてくる雪を

じっと見つめ続けるヴィジョンは、裸の木の枝をすり抜け、灰色の空に吸い

込まれてゆくような不思議な感覚を楽しんでいた。

 リアルの腰の動きが心持ち速まった時、リアルの両手が、ヴィジョンの

赤い首輪を隠すように覆った。しばらく、十本の指が、うなじや耳元、頬や

あごに遊んでいたが、二本の親指が首輪をかいくぐりヴィジョンの喉元に

静止した。残りの指は、ヴィジョンの首を左右から挟むように添えられた。

ヴィジョンはそんなリアルの二の腕を、支えるようにつかんだ。

 ヴィジョンが微笑んでいる。

 リアルは腰の動きを徐々に早めながら、二本の親指に、少しずつ少しずつ、

自分の体重をかけていった。ヴィジョンはまだ微笑んでいる。

 全ての音を包み込んで、賑やかに激しく細雪が降り続け、森の底が白く輝き

始めた。薄日すら射さない森の中が、いくらか明るくなった。

 リアルの腰の動きが再び緩やかに戻った。リアルの頭、肩、背中から、

湯気が立ちのぼっている・・・

 ヴィジョンは微笑みながら、目を閉じた。・・・覚悟はいいね! それじゃ

いくよ!・・・そんな甲高い声が聞こえたような気がした。リアルの二本の

親指が、ヴィジョンの喉を突き抜かんばかりに食い込んでいった。何かを

言おうと、ヴィジョンの口がわずかに開いた・・・その時、ヴィジョンの頭が

力無く横を向き、両腕も崩れるように投げ出された。

 いきなり、雪が止んだ・・・

 ヴィジョンの体から滲み出るように紫色の光が現れ、それは、今度は、

リアルの体に吸い込まれるように消えていった。そして、我を忘れたように、

呆然と立ち上がったリアルの体から、再び紫色の光が滲み出し、灰色に煙る

空間に散れるように、それは、ゆっくりと消えていった。

 また、緩やかに流れる西風に乗って、風花の舞が始まった・・・




               (57)



 冷たくなったヴィジョンに降り積もる雪は、もう消えてゆくことはない。

うっすらと徐々に雪に埋もれゆく、最後の化粧・・・花嫁の化粧直し・・・

血の気が失せてどんどん白くなってゆくヴィジョンの身体に、白い粉雪が

白粉のように降り積もってゆく・・・

『俺は何でここに居るんだ・・・紫陽花館とかいうところの地下牢で、俺は

死んだはず・・・ここは、死後の世界か?・・・』

 ヴィジョンを見下ろしたリアルは、

『死んでいるのか?・・・俺が殺した?・・・何で?・・・こいつは?・・・

ヴィジョン?・・・女だけど、ヴィジョンにそっくりだ・・・』

 息を切らせたムラサキが、ヴィジョンに駆け寄り、跪くと大声で泣き出し、

ヴィジョンの手を取った。右手、左手と自分の手の中に収め、しばらく、

暖めるかのように握りしめている。

「スミレ様!!!!!」

「・・・・・・・・・」

 驚くリアルに、トモロが寄り添うように近づき、厚手のコートを掛けて

あげた。

「驚かせてごめんよ。・・・そうかい。そういうことだったんだ・・・

一角獣の角も粋なことをしてくれたもんだ・・・寄り道をしてくれた訳だ、

手みやげをもってねえ・・・なるほどねえ・・・」

 トモロの目から大粒の涙がこぼれ落ちている。トールもファットも大声を

上げて泣き崩れていた。

「悪いねえ、ごめんよ、ひとりごとさ・・・でも、よかったねえ・・・」

 何が起こったのか、さっぱり理解できないリアルに、

「おまえさんは、リアルだろ?」

「はい」

「そこに横になってるヴィジョンが、おまえさんを救ってくれたのさ」

「ヴィジョン?」

「そう、男から女に変わっちまったがね・・・」

 ムラサキは、握りしめていたヴィジョンの手を胸のうえにやさしく組み

直してあげた。

「良かったですね、スミレ様・・・リアル様の心を直してさしあげられて、

本当に良かったですね。ご立派でしたよ」

 憚ることなく大声で泣き続けるトールとファットの肩を、トモロは

たくましく両腕で抱き締めた。トモロの涙も止まらない・・・

「泣くんじゃないよ! みっともない! ご覧、ヴィジョンの顔、笑ってる

ようじゃないか」

 リアルはゆっくりと跪き、ヴィジョンの顔に降りかかる雪を払ってあげた。

「ヴィジョン・・・死んでしまった・・・私が、もしかして、私が・・・」

 リアルに、悲しそうな目で見つめられたトモロは、

「いや! ヴィジョンは・・・生きている・・・あんたの心にもどってきた、

他人の痛みや苦しみを自分のことのように理解できる心、自分を信じ明日を

信じることのできる心、それは、ヴィジョンのものなんだよ」

 やさしい声で、

「ヴィジョンは、あんたの心の中でしっかり生きてるよ・・・」

 やさしい眼差しでムラサキも、リアルを見つめて微笑み、うなづいた。

 涙に潤む五人の瞳が見つめる中、ヴィジョンの身体は、徐々に色を失い、

形を失い、溶けるようにゆっくりと消えていった。そして、ヴィジョンの

消えてしまった後に、赤い首輪だけが、真っ白な雪の上に残された。

 梢を震わせる北風が、頭上高くすすり泣いている。

 トモロが、跪いたままのリアルの肩を叩いた。

「後でゆっくりと、今までのヴィジョンの話を、聞かせてあげるよ・・・

羽根をなくした妖精の話をね・・・さあ、そろそろ、帰ろうか・・・」




               (おわり) 






(愛読者サロン)