「 生   贄 」
 









          — 壱 —

 二つ目の大きな月が空高く上り、林の中もうっすらと仄かな明かりに包まれた。

風のない淀んだ空気は、霧雨に濡れた植物の匂いがした。茸の胞子が、この湿った

空気の中に拡散している・・・腐敗する土壌を包み込む微生物がうごめき・・・

「ああっ・・・んんっ・・・」

 艶かしいあえぎ声が、コロコロという夏の虫の鳴き声に紛れて聞こえてくる。

「いい! 感じる! もっともっと! あ、ああっ!」

 つるんとした木肌の幹に抱きついている女は、腰布を剥ぎ取られた白いお尻を

後ろに突き出していた。

「淫らな野獣だ!」

 薄闇にまぎれてしまいそうな浅黒い腕が、ほどけそうな薄衣の中の小さな乳房を

探っている。女の小さなしまったお尻を突き上げるように、たるんだ男の黒い

大きな尻が上下に揺れていた。

「いいか?! そんなにいいか?!」

「恥ずかしい・・・」

「だろうな・・・お前は巫女のくせに男に後ろから貫かれている」

「言わないで・・・うっ・・・」

「汚れのない身体で、神の御許に行くはずの巫女がよ・・・」

「許して・・・あっ・・・」

「許すも許さねえも、俺には関係ねえ・・・俺はお前に情けをかけただけだ」

 女の抱きついている木が、ゆさゆさと揺れ、風もないのに葉ずれの音を立てて

いる。

「お前は異形だからな。お前は醜いからな。誰にも相手にされなかった。テメエの

心の内にこもって、暗く押し黙っているのも薄気味悪い・・・」

 女は、「ああああっ・・・」というのどを潰したような声をあげてうなだれた。

「ちぇ! お前が相手じゃいきそうもねえや! 約束は果たしたからいいだろ?」

 髪を振り乱し、肩で息をする女とは対照的に、男は冷ややかなほどそっけない

そぶりで女から離れた。そして、男はありがとうという意味を伝えたかったの

だろうか・・・財布を振って、金貨の音を立て、無言のまま立ち去ってしまった。

 滑らかな木肌の幹にしなだれかかり、女は泣き崩れた。不快な倦怠感に押し

潰されながら、火照った身体は急速に冷えていった。

 一つ目の小さな月が西の山並みに隠れ、日々の営みは翌日に持ち越された。





          — 弐 —


 

 大きな平たい岩の上に、女は、長い両手両足を開き、仰向けに寝ていた。

 黄色い太陽は真上に輝き、神聖な岩盤に、ちろちろと木漏れ日を降らしていた。

雌を求める雄の虫の鳴き声が、けたたましくしつこく、風に乗ってやって来ては、

また去っていった。

 神官を勤める村の長老が、女の輝く細い裸体に、刃物を滑らせている。

 年に一度、村を守る神に感謝の意を伝える祭りの日。体毛を剃り落とした巫女を

神に捧げる日。頭髪は神がつかんで引きずりやすいように残されるが、その他の

体毛を剃り落とすことは、鳥類を調理する時に羽根をむしり取る行為と同じである

と言い伝えられていた。

『どうせ醜いこの体、惨めに衆目に晒されようと、恥ずかしくはない』

 そうは思っても、女の身体はこわばり、透き通るような白い肌がほのかに赤く

染まっていった。二千数百人の全村人が、長老の神聖な儀式を、いや、長老に

されるがままになっている、若い巫女の身体を見つめていた。女も男も、

子供も老人も、無言のまま凝視していた。

 岩盤の上の長老は、つぶやくように巫女に語りかけていた。

「心して聞け。そなたは、ここに集まりし村人全ての思いなのだ。悪魔をはらい、

村に恵みをもたらす神への畏敬なのだ。お前の態度や思いだけではない。その、

身体そのものも畏敬でなければならん。よいな」

 小さくあごを引き、厳しい目つきで、神官に意志の堅固なことを伝えた。つまり、

全ては神の御心のままに、身も心も投げ出す覚悟であると。自らすすんで巫女と

なり、神の御許に逝くと心に決めた女に、迷いはなかった。

 神官は、岩の上に運び上げられた瓶より柄杓で聖水を汲み上げ、立ち上がった

女の肩にゆっくりと注いだ。女の肌に吸い付くように聖水は流れた。毛の無い

脇の下に流れ、わき腹から臀部へ・・・乳房からへそ、無毛となった恥丘から

内太股へ・・・聖水は流れ落ちた、女の汚れをはらいながら・・・

 純白の衣をまとった女は、神官の手によって、後ろ手に縛り上げられた。

女は生贄として生まれ変わり、儀式は終了した。





          — 参 —



 五人の神官に付き添われ、生贄となった女と、太った羊が、神の国へと続く

緩やかな山道を登っている。

 女は振り返りこそしなかったが、生まれ育った豊かな谷間の村を心に思い

描いていた。

 父はいなかった。母は女を産み、己の命をわが子にそっくり譲ってしまった。

女は、五年ごとに変わる長老の家で育てられた。悪魔の子供と称される、その

異形な容姿のため、大人の中にも、あからさまな嫌悪の表情を女に向ける者が

あった。女には何の罪も無い。しかし、事故や災害を悪魔の子供のせいにする

村人を、表立ってたしなめる者もいなかった。

 川原での洗濯を終え、重い洗濯物を担いで坂道を登っている時のこと、女より

五歳は小さいであろう男の子に足をかけられ、転ばされた。怪我は無かったが、

洗濯物の洗い直しである。足をかけた男の子は泣きはらした赤い目で女を

睨んでいた。女は男の子の膝頭から血が流れているのを見て取った。つまり、

俺が転んで怪我をしたのはお前のせいだ!とでも言いたかったのだろう。

女は、わたしのせいで怪我をさせてしまって御免ねとでも言いそうな眼差しを

男の子に投げかけ、川原へと戻っていった。

 女は犬猫と同じように土間で食事をとる。主人に叱責された腹いせに、下女が

女の食器をわざと蹴飛ばすなどは、珍しいことではなかった。それでも、女は

土のついた食事をそのまま飲み下すのであった。生まれてこの方、そうしてきた

ように。それが女の生き方であるように。

 不器用な女は、仕事の手順が上手くのみ込めずに、よく殴られた。大事な物を

壊したり、汚したりして、よく殴られた。女の身体や心に残るそれらの痛みや

苦しみは、女にとって耐えられないものではなかった。何故なら、痛みや

苦しみに自分というものを感じ取ることが出来たから。

 女が耐えられなかったのは孤独であった。無視されることであった。そこには

自分すらも無く、漆黒の闇に飲み込まれて全てが消え去ってしまう恐怖だけが

残されるから。

 生贄の祭りは、唯一、神と生贄との交わりだが、他の祭りは、神を前にした

子孫繁栄を祝う男と女の交わりとなる。歌い、踊り、大地の恵みを食し、

酒に酔い、二番目の月が昇り、一番目の月が沈むまでの宵闇に、男は女を誘い、

女は男を魅了する。

 異形の女は、一年十五ヶ月ある中の七回の祭りの度、無視され孤独を味わい

続けた。野原、林間いたるところで男と女が睦み会う祭りの宵に、女は

いつもいつも、孤独の淵に佇むだけであった。

 だから、この世での最後の夜に、是が非でも男と女の交わりを経験したかった。

痛みや苦しみではない、自分を確かめられる皆が心地よいという感覚を求めて。

結果、女が確認できたものは、空しさでしかなかった。期待外れでしかなかった

けれど、それによって、この村への思いは断ち切ることができた。

 女は立ち止まり、一度だけ、振り返った。自分の持つ全財産をはたくことで

情けをかけてくれた、そんな男と交わった森を見下ろして、大きなため息を

漏らした。森のざわめきは、風の足跡・・・女のため息も風に流された・・・

 山間の日没は早いが、その分、空から照り返すやわらかい明かりは、今日を

いつまでも、名残り惜しむようだ。女の心にも、後ろ髪をひかれるようなものが、

あったかどうか・・・

 切通しを一つ通り、大きな岩を穿った洞門の前にたどり着いた。この、洞門の

向こうが神の国。神の許し無くして入ることの出来ない異界が、目の前にある。

洞門を境に結界が張られ、立ち入るだけで生気を抜かれたように死に至ると言い

伝えられてきた。

 道端の赤い木肌の樹木に、生贄と羊がつながれた。女は泣き叫ぶことも無く、

じっと洞門の向こうを見つめていた。

「そなた達と我らが村に幸あれ」そうつぶやくと、五人の神官はもと来た道を

汗を拭きながら、静々と戻っていった。





          — 四 —



 一つ目の小さな月が昇り、それを追いかけるように二つ目の大きな月が空に

架かり、新しい一日が始まった。

 女に恐怖心が無かったとはいえない。正体の知れない神と呼ばれるものに、

羊と同じように、一口で食べられてしまうのかもしれない・・・悪魔の子として

苦痛の限りを与えられて殺されるのかもしれない・・・でも、なぜか、女は、

満ち足りていた。神の手に架かり、苦しむも息絶えるも、孤独ではないから

だった、生まれ育った村の役に立つ、自分自身が神の意志となる・・・

 闇に沈む遠くの黒い森から、ばさっという草むらに物の落ちるような音が、

聞こえてきた。キーという悲鳴のような鳴き声の後、大きな翼をはためかす音が

森の中に消えていった。

 身じろぎせぬまま、夜明けを待っていた。二つ目の月が沈み、弱々とした

黄色い太陽が昇ると、女は眠れなかった目を、心を決めてゆっくりと閉じた。

 どのくらい待っただろうか。ゆるゆると昇り始めた黄色い太陽は、次第にその

輝きを増し、女のまぶたを刺激していた。太陽の中に居るような錯覚に捕らわれ、

命が蒸発してゆくような思いに浸っていた。かすかな足音が、そんな女を現実に

引き戻した。畏怖ではない。畏敬の念によって、女は、さらに目を硬く閉じ、

深くうなだれた。

 目の前に神がいる・・・息づかいを感じることが出来るほど近くに・・・

ゆっくりと、神と思しき存在が、縄を解き、女を自由にした。

 女は、そのままひれ伏し、あたかも地面と一体化した。縄を解かれはしたが、

身も心も神への奉げモノである女は、神の存在に拘束された。

「顔を上げなさい」

 暖かな神の声が頭上に響いた。女は目を閉じたままゆっくりと頭を上げ、

まぶしいものを見るように目を細めて、その輝くものを見ようとした。

 神々が囁きあう声が聞こえてきた。

「下界にも、われわれと同じような姿をしたものがいたとは・・・」

「去年までの醜い生贄はなんだったのだ?」

「どれもこれも、背丈低く、手足短く、色黒く、丸々と肥えていた・・・」

 女が見た神の姿とは、醜い・・・異形・・・色白くすらりとした長身の体躯に

長い手足・・・わたしと同じ悪魔?・・・

「何を驚いているのだ? 驚くのはこれからだ。ここは今までの世界とは

ちがう。それを一つ一つ覚えてもらう。命令に対する、不服従は許されない。

口答え、言い訳などはもちろん、私語も慎むこと。痛み、苦痛、恥辱は、罰では

なく褒美と心得よ。それから・・・」

 ・・・女はまさしく神の国に召され、神に隷属したのだった・・・





          — 伍 —



 五人の神官のうちのひとりが、昨日の神事の舞台となった神聖な岩盤の前を

偶然に通りかかった。丸々と太った身体を苦しそうに反らせ、毛深くて短い腕を

腰に当てた。岩の上に横たわる巫女の裸体を思い出しているようだった。

ほっそりと腰のくびれた体、長い手足、そしてなにより、透き通るような白い

肌・・・

 山の幸をかご一杯に背負い、短い足を下草にとられながら、林から出てきた

乙女は、神官を見つけると、黒々とした顔を笑みで満たし、会釈をして、通り

過ぎていった。

 すれ違いざまに、大きくたわわに揺れる乳房の形を盗み見した神官は、振り

返ると、たぷたぷと左右に波打つ豊満なお尻を、遠慮なくいつまでも見つめ

続けた。






(愛読者サロン)