「 苦 痛 屋 」


                             篠原歩美




          第一場


 鉄製階段を下りてくるゆっくりとした靴音が遠くに聞こえ、次に、鍵を

開ける音、ドアノブを回す音、微かに蝶番の軋む音、扉が閉まる音、鍵を

かける音と、続く。

 幕が開く。

 ピンスポットが、がっしりとした一人の男と、痩せこけた一人の女を狙い、

やがて、ゆっくりと、舞台全体が明るくなる。

「いらっしゃいませ」

 揉み手をしながら、きっちり三十度の会釈。濃いグレーのスーツ姿。

「ここは何処ですか?」

 黒いロングドレスを着て、二足の黒いハイヒールを左手にぶら下げ、辺りを

見回す。舞台の中央に、木製の事務机があるだけ。

「初めてでしたね」

「はい」

「えー、ここはですね、単なるここです」

「それじゃ説明になっていません」

「東経132度78分、北緯36度26分・・・」

「ふざけないで下さい!」

「ふざけてはいません。要はどこでもいいんです。人里離れた山荘でも、

都会のど真ん中のビルでも・・・正直に言えば、若葉台37の6・・・」

「それはご丁寧にありがとうございます、帰らせていただきます」

 女は男の横を通り抜け、上手の袖に消えるが、すぐに戻ってくる。

「鍵がかかっていて、ドアが開きません」

「はい」

「わたしはここから出て、家に帰りたいのです」

「そう言われましても・・・」

「出来ないのですか?」

「そういう台本になっておりますから・・・」

「もう一度お伺いいたします。ここは何処ですか?あなたは誰ですか?」

「ここはとりあえず調教部屋ということにしますか。と、なりますとわたしは

そうですねえ、さしあたり苦痛屋ということで・・・」

 女は呆れ顔で、ロングドレスの裾をたくし上げ、崩れるようにあぐら座りに

舞台の床に座り込む。

「まあ、設定と致しましては、ご主人の借金の形としてやくざに連れて

こられた・・・」

「結婚はしていません」

「それは、失礼いたしました、設定は何でもよろしいんで・・・まあ、暴漢に

恥ずかしい写真を撮られ、それを近所、会社にばらまくぞと脅されて」

「写真など撮られた覚えはありません!」

「撮られてなくても、設定ですから、まあ、どこぞの素人作家が使うような

陳腐な設定で、恥ずかしいのですが・・・」

「それで、わたしは囚われの身というわけ? いわゆる、奴隷・・・」

「一応、そう考えていただければ・・・」

「だから、ここは調教部屋・・・」

「はい、設定として・・・」

「生意気なわたしに、従順を教え込もうと・・・」

「いえいえ、滅相もない、教え込もうなど・・・」

「そうゆう台本なんでしょ?」

「まあ、それはそうですが、命令し、それに服従するという、一方的、強制的

では、ドラマになりません。つまり、どちらかというと、初めに、問答無用の

命令ありきではないんです。お互いが、お互いの心の叫びに耳を傾ける。

最初から、完璧な服従は求めません。小さな服従から始め、お互いの心の

叫びを聞きながら、その服従を深めてゆく。」

「これはドラマなの?」

「SとMを結びつけるための方便としてのドラマ」

「まあいいわ、それで、あなたは、調教師じゃないの?」

「呼び名なんて何でもいいんです。なんなら訓練士でも構わないんです」

「それじゃ何故・・・」

「何故、苦痛屋かって、おっしゃりたい?」

「どうでもいいことですけどね」

「苦痛を商品として、お客様にお届けする。しかも、押し売りじゃなく、

お客様にあった、お客様の求めるモノよりちょっとだけ大きい苦痛を、提供

する」

 訳が分からないといったように、うつむいて首を振る女。そんなあぐら

座りの女のそばに、男が歩み寄る。

「二三、お聞きしてよろしいでしょうか」

 女が男を見上げる。

「フィットネスクラブなどで、筋力トレーニングをしているとしますよね、

もう苦しくて止めたい、と思いながら、その苦しみを心のどこかで、楽しむ

ってことはありませんか?」

「ないわよ、苦しみを楽しむ事が目的じゃないでしょ?」

「それはそうです、健康のため、シェイプアップのため・・・でもね、

この苦しみを、もう少し我慢しようという時に、苦しみの限界に向き合った

時に、頑張っている自分が愛おしく思えたり、そして、苦しみから解放された

時に、よくやったって褒められているような喜び・・・」

「変わった方ですのね」

 女はまたうつむいた。

「長い間正座をしていて、足が痺れてしまった。足を投げ出して、そっと

しておけばいいものを、ついつい指でつついてしまう」

 いきなり女が、大声で笑い出す。

「あるわ、やったことがある!何度も何度もつついたわ」

「よかった、糸口が見えてきました。スタンガンやナイフで脅すのは、私の

趣味に合わないもので。いやあ、よかった。」

 ゆっくりと立ち上がる女。

「そうねえ、わたしは女優。ある時、偶然、SM官能小説を目にし、引き

込まれるように読み進む結果、Mに興味を覚えることになる」

「いいですね」

「苦痛を自ら求めるなんて信じられない、と思いながら、Mへの興味は

強まるばかり」

「そうそう」

「それなら、芸の幅が広まるかも知れないと、Mを体験して見る事に」

 男が、満面の笑みで拍手をする。

「すばらしい!それで行きましょう!」




 舞台 暗転。






         

          第二場

                      


 鉄製階段を下りてくるゆっくりとした靴音が遠くに聞こえ、次ぎに、鍵を

開ける音、ドアノブを回す音、微かに蝶番の軋む音、扉が閉まる音、鍵を

かける音と、続く。

 ピンスポットが、がっしりとした一人の男と、痩せこけた一人の女を狙い、

やがて、ゆっくりと、舞台全体が明るくなる。

「いらっしゃいませ」

 揉み手をしながら、きっちり三十度の会釈。濃いグレーのスーツ姿。

「ここは何処ですか?」

 黒いロングドレスを着て、二足の黒いハイヒールを左手にぶら下げ、辺りを

見回す。舞台の中央に、木製の事務机があるだけ。

「ここはいわゆる、調教部屋。申し遅れました。わたしは苦痛屋です」

「御免なさい、私は、ラブホテルのような部屋をイメージしていましたので」

「いえいえ、至極ごもっともなことで。ただし、何もないからかえって

膨らんでゆくイメージというものもございまして・・・レンガの壁に囲まれた

古城の地下牢、取り壊しを待つ無人のビルの地下、何でもよろしい訳で、

とりあえず、大きな部屋の中に鉄製の檻に囲まれた十二帖ほどの空間、それが

ここです。」

「はい」

「革製の手枷、足枷、猿轡に鞭も壁に掛かってございます」

「はい」

「まあ、使う段となれば、きっちり本物を用意いたしますから、ご安心を」

「分かりました」

「では、始めましょうか」

「よろしくお願いします」

 女は深々と頭を下げる。

「まず、立ったままで、オナニーをしていただきましょう」

「え?」

「聞こえているのに、聞き返すとは、遠回りの反抗です。認めません」

 立ちつくす女。女の周りをゆっくりと歩く男。

「返事は大事です。命令を確認するだけでなく、命令に服従するという

可愛いあなたが、返事をすることで、新しく生まれてきますから」

「解りました」

 ためらいとの戦い、羞恥との戦いを表すように、ゆっくりゆっくり

スカートの中に手を入れる。肩を丸めてうつむき、きつく目をつむり、

口をきつく引き結び、その演技は、役者を小さく小さく見せることで、

逆に注目を集めるかのよう。

 スカートの中は見えない。スカートに潜り込ませたその指は、ショーツの

上から確実に花芯を捉えていたのか、さらにショーツの中に侵入していたか、

あるいは、ただただ股間に浮遊しているだけだったか・・・

「荒い息づかいだけでなく、淫らな言葉が欲しいですね」

「気持ちいいです、感じています」

「どこがです?」

「・・・・」

「大きな声でお願いします」

「解りました、以後、気をつけます。クリトリスです」

「それとですね、会話によって、自分の立場を少しずつ貶める工夫が欲しい

ですねえ。理解できますか?」

「はい、命じられるままに、淫らな欲望に浸り、恥ずかしいことをお見せ

致します」

「結構です。どうですか、濡れてきましたか?」

「はい」

「では、音を聞かせて下さい」

「・・・・」

「子猫がミルクを舐めるような」

「はい、やってみます。指を二本三本とヴァギナに出し入れいたします」

「なかなかいい素質を持っているようですね。言われるままに、他人の前で

オナニーをして、淫らな音を立てている。いい音です」

「はい、わたしは淫乱です。もっと近づいて、淫らな音をよく聞いて下さい」

 男が女の股間に耳を近づけると、女の腕の動きが激しくなった。

「ん・んん・うぅ・・・」

 女の足下が心許ない。

「恥ずかしい・・・」

「はい、たいへん淫らな姿です」

「あっ、あっ、うっ、んんっ」

 男は、後ろ手に手を組んで、ゆっくりを舞台を歩き回る。

「あなた一人が、性的快楽に浸っているのは不公平ですね」

「んんっ、あっ、ううっ、んっ・・・」

「返事がありませんね」

 男が女の肩に手を置く。

「貴方だけが、楽しそうですね」

「申し訳ございません。気持ちよくて、我を忘れておりました。わたし

ばかりがいい思いをして、何か償わせて下さい」

「はい、そうですね。では、罰を与えましょう。裸になりなさい」

「ありがとうございます。はしたないわたしの身体をご覧になって下さい」

 ぎこちなく、細かく手を震わせながら、羞恥のボルテージを少しずつ

高め、酔うように、舞を舞うように・・・

「黒いドレスの下は、黒い下着でしたか。それは、目立たないための配慮、

それとも、殿方を挑発する企みですか」

「たぶん、両方です。言葉では伝えにくい淫乱の性を、下着やしぐさで、

殿方に分かってもらうのです」

 話しながらも、ゆっくりとした女の手の動きは止まらない。

「白い肌に、うっすらと赤みが帯びてくる・・・きれいです」

「褒めていただき、ありがとうございます。どうぞご覧下さい」

「脱ぎ捨てられたストッキング、パンティー、ブラジャーと、なんとも、

卑猥ですね」

「申し訳ありません、いま、すぐに片付けます」

 裸になった女は、ひざまずき、ドレス、下着と丁寧にたたみ始める。

「今、たたんだドレスに挟んで隠したパンティーを取り出しなさい」

「それは」

 たたみ終え、正座して胸と股間を手で隠している女の頬を、男が平手打ち

した。女の顔が険しくなり、一瞬の間が空く。

「お許し下さい。口答えをするところでした」

「良く気付いてくれました」

 女は、ドレスの中からショーツをとりだした。出来るものならば許して

もらえないだろうかという懇願する思いが、ひしひしと伝わるような動作

でショーツを手にする。

「両手でそれを広げなさい」

「はい」

「それを説明しなさい」

「ショーツです」

「それは分かっています、どんなパンティーかを詳しく説明しなさい」

「今までわたしが履いていたショーツです」

「それで」

「それでと言われましても」

 怪訝そうに見上げた女の頬に、男が平手打ちした。男は律儀そうな顔で、

ほんの僅か口許に笑みが浮かんでいる。女はうつむいて、

「先ほどいたしました時のものが・・・」

 男の手が動きかけた、

「先ほどオナニーをしましたときにシミを付けてしまいました。」

 両手で広げ持ったショーツを、女はうつむいたまま裏返しにする。

「この布が二重になったところに、このような、はしたない大きなシミが

付いています」

 男は、満足げにうなずき、

「それを食べなさい」

「ん、はい?!」

「飲み下せとは言わないから安心しなさい、頬張って、淫らな味を

かみしめるのです」

「分かりました、以後、口答えはもとより、返事すらいらないと

言うことですね」

「そのとおりです、これからは甘える犬のように鼻を鳴らすことです」

 女は自分のショーツをうつむいたまま口の中に押し込んだ。

 

 舞台 暗転







          第三場

                      
「そこの机に腹這いになりなさい」

 男は、舞台中央にある大きな木製事務机を指さす。

「ふんぐっ」

 自分のショーツを口の中に含んだ女は、舞台中央に立った。

「机の角に腰を押しつけるようにして屈み、机を抱くように腹這いに

なりなさい」

 男は、机の引き出しからロープを取り出し、手際よく、女の両手両足を

机の四本の足に縛りつける。

「なかなかいい姿だ。舞台上手側に席を取られたお客様には、苦痛に歪む

美しい顔をご覧いただけるでしょう。上手くいきますれば、そこに恍惚の

色を読みとることもできるかもしれません。舞台下手側に席を取られた

お客様には、みるみる赤く晴れ上がる痛々しいお尻をご覧いただけること

でしょう」

 男は、机の引き出しから、プラスチック製の幅広の三十�p物差しを

取り出し、女に見せる。目を丸くする女。

「んん、むんぐむん・・・」

「これが、苦痛屋自慢のお薦め品でして」

 女の後ろに回った男は、女のお尻を物差しで叩く。

「いい音ですな」

 女は、必死の形相で、口の中のショーツを吐き出す。

「痛いです」

「はい、痛いように叩きましたから」

 男は、女の前に回り、腰を屈めて女の顔を覗き込む。

「これは聞いていません」 

「はい」

 男は、また女の後ろに回り、物差しを女のお尻の帯状に赤くなった所に

そっと当てる。

「何をするんですか?!」

 前回と同じ所に、男は物差しを振り下ろす。

「痛い!止めて下さい!」

 女は、男を捉えようと振り向くが、真後ろの男を見ることは出来ない。

「こんなこと、台本に書いてありませんでした」

 開いた女の足の太股の内側を、男は物差しで狙う。

「ぎゃ〜っ!!!痛〜い!!!」

「いかがですか」

「ふざけないでよ、今すぐ止めて。わたし、こんな事止めます。ロープを

解いて下さい」

 男は、反対側の太股を狙う。

「山田君もうやめて。冗談はこれくらいにしましょう」

「冗談じゃありません。それに私は山田君じゃなく苦痛屋です」

「何言ってんの?!」

 女のお尻に物差しが当たる。

「今すぐ止めなさい。本当に怒るわよ」

 ぴしっと言う鋭い音が、舞台に響き渡る。

「痛いっ!!止めてって!!監督!どうなってんですか!止めさせて下さい。

わたしこのお芝居止めますから!話が違います、監督!」

 女が暴れ、机ががたがたと音を立てる。

「何してるのよ、早くロープを解きなさいよ!」

 全体が赤く染まり始めた女のお尻に、物差しの打擲が続く。

「やめろ!こら!山田!今、お前が何をしてるか分かってるのか!」

「胸の奥がじーんとしてきませんか」

「ふざけんじゃねえよ!こら!山田!こっちに来い!」

 物差しの打擲は、お尻から腰、脇腹、背中と自在に移動する。

「ただじゃすまねえぞ、この野郎!!」

 男は引き出しから、卵形バイブレーターを取り出す。女の視線がそれを

捉える。

「そんな!止めて!お願い!そんなことまでしないで、ね、こんな事もう

やめましょう、ね、ね!」

「口を開けて待っていますよ」

「お願いだから触らないで、駄目、やだ、嫌だ〜、そんなの入れないで!

お願い止めて、お願いだから、駄目だって!痛い!痛いっ!!」

「痛くはないはずですね、すうっと入っていきましたから」

「山田君、止めよう、こんな事、止めよう、ね! ああっ! スイッチを

切って、頼む、お願いだから、こらあ〜、止めろ〜」

 リモコン電池ボックスを床に置き、男は再び、物差しによる鞭打ちをする。

「そうやって身悶えている姿は、次の苦しみを待ちかまえているようですね」

「獣!変態!!畜生だ、お前は!」

「おやおや、涙で顔がぐちゃぐちゃだ、化粧が落ちて醜いこと」

「痛い!叩くな!!スイッチを止めろ!」

「これはこれは、雌鶏じゃないんだから卵は生まないで下さい」

「触るな!!こら!押し込むな!汚らわしい!こら〜止めろ!!」



 幕が降りる。

 女の叫び声の中、鍵を開ける音、ドアノブを回す音、微かに蝶番の軋む音、

扉が閉まる音、鍵をかける音が聞こえ、次ぎに、鉄製階段を昇ってゆく

ゆっくりとした靴音が、遠ざかってゆく。



 場内に照明。




          新たな第一場
                      

 鉄製階段を下りてくるゆっくりとした靴音が遠くに聞こえ、次に、鍵を

開ける音、ドアノブを回す音、微かに蝶番の軋む音、扉が閉まる音、鍵を

かける音と、続く。

 幕が開く。

 ピンスポットが、がっしりとした一人の男と、豊満な一人の女を狙い、

やがて、ゆっくりと、舞台全体が明るくなる。

「いらっしゃいませ」

 揉み手をしながら、きっちり三十度の会釈。濃いグレーのスーツ姿。

「ここは何処ですか?」

 黒いロングドレスを着て、黒いハイヒールを左手にぶら下げ、辺りを

見回す。舞台の中央に、木製の事務机があるだけ。

「初めてでしたね」

「はい」

「そうですか、初めてですか・・・」

 男の口許に、冷たい笑みの兆しが見てとれた・・・



           おわり




(愛読者サロン)