白 衣 の 戦 士





不思議なもので、どんなに嫌なことがあっても、辛くても

二日酔いでフラフラでも、一度白衣を着ると、気持ちがシャンとして

背筋が伸び、元気になれる。

よく「白衣の天使」というけれど、本人からすると「白衣の戦士」という気分だった。

何と闘う?患者さんの命を預かる緊張感と・・・時に逃げ出したくなるほどの緊迫感と・・・

わたしの場合は、男性患者さんの視線と欲求かな。

わたしがいた病棟は慢性疾患の内科病棟で、長期入院の患者さんが多かった。

男女の比率は、男性8割、女性2割。年齢は男女とも中高齢者がほとんど。

病棟とは、普通の生活では考えられない環境だと思う。

他人同士が、パジャマ姿でいっしょに生活しているのだから。男女ともだよ。

異常ともいえる環境ではないだろうか。

白い限られた空間にずっと拘束されている男性患者の視線が、パジャマ姿の女性患者に

向けられたとて、なんの不思議があろうか。

ましてや、若くハツラツと働く看護婦に、欲情するのも無理ないこと。

とはいえ、それを受け入れるわけにもいかず、のらりくらりとかわしながら、日々の

仕事をこなして

いかなくてはならない。



先輩看護婦の中には、「Aさんがお尻をさわった。」とカンファレンスに問題提起しては

騒ぐ人がいた。いいじゃないの、そのくらい・・・っとわたしは思うけれど。

わたしもよくお尻を触られた。

「みあさん、いいお尻してるね。彼氏喜ぶでしょ」なんて言われると

「ありがとう。自慢のお尻なの」と笑顔で答える。だいたい、これでおしまいになる。

でも、おしまいにならない患者さんもいる。



夜勤のとき、巡視に周るとある患者さん様子が変だった。息をしていないみたい。

すぐ駆け寄って顔を寄せて、呼吸を確かめようとした途端、

手が伸びてきて、強引にキスをされてしまった。それも舌を絡めた熱いキス。

同室の患者さんに気づかれては困るので、騒ぐこともできずしばらくそのままつき

あった。

上手なキスなんだもの。

「ありがとう。みあさんなら、きっと怒らないって思ったんだ。」

唇を離した彼の顔はすごく優しい顔をしていた。

わたしは、額に手をおき、髪を優しく撫でながら、もう一度軽くキスをして

「おやすみなさい」とベッドを離れた。

60歳代の彼は肺がんの末期で、まもなく亡くなった。



夜中の病棟のトイレは色んなことがある。

夜中、患者さんの尿を流しにトイレに行くと、洋式トイレのドアの隙間から

「みあさん、みあさん」とわたしを手招きする患者さんがいた。

「どうしたんですか?」と聞きながら戸を開け中に入ると、70歳代の男性患者さんが

つらそうな顔をして便座に座っていた。

「出そうで、出ないんだ。悪いけれどほじってくれんかねぇ」

お尻を覗くと、確かに肛門のところで便が挟まったまま止まってしまってる。

これでは苦しいだろう。早速、摘便を始めた。

手袋をした手で挟まっている便を取り除き、まだまだ奥にたまっている固い便を

ゆっくりと呼吸にあわせてほじくり出していくのだ。

顔を患者さんのお尻のそばに持っていっているわたしのお尻は、

位置的に患者さんの顔の前になっていた。目の前においしそうな桃があって

手を出したくなるのは無理ないこと。

患者さんの手が白衣の裾から入り、ストッキングの上からお尻を撫でまわしていた。

年老いた患者さんに怒る気分にはなれず、それより彼自身のお尻を楽にしてあげたくて、

わたしは黙って摘便を続けた。15分くらいかけてやっと終わったとき

患者さんは、お腹がすっきりしたせいか、お尻を触ることができたせいか

いい笑顔をして「ありがとう、ありがとう」と部屋ヘ戻っていった。

翌日、彼の老妻が「夜中に大変な思いをさせてしまったわねぇ」と

そっとわたしの白衣のポケットにお菓子の箱を入れてくれた。お金なら断ることを

わかっているから、あえてお菓子をくれた奥さんの気持ちに感謝しながら

昨夜の話を彼はどこまで奥さんに話したのかなっとふと思ったりした。







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