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    三十九、金 と 銀

 それ以来…。 美果はそのことばかり考え続けていた。

 麻耶は、やはり触れてはならないタブーだったのだ。

 あの謎のような美しさと、身についた才能を思えば、哲彦の愛人として

麻耶こそ相応しいと思う。

 不思議に嫉妬めいた気持ちはなかった。

 だが麻耶が哲彦のものになってしまえば、もう二度とあの激烈な鞭の洗礼を

浴びることはできないであろう。恐ろしいのは、そのあとの美果自身の

性欲である。襲ってくる被虐の発作にマゾの本能が耐えていけるのだろうか…。

 だからと言って、哲彦に代わる支配者を求めることなど考えられなかった。

 少しづつその日が近づいてくるにつれて、カラの鳥籠のようになった心の中に、

屈折した淫欲が次第に蓄積されていった。

 式の二日前、美果は美容院に行った。

 半年以上かかって、ようやく甦った黒髪が豊かなウェーヴを描いている。

鏡に写った顔を見て美果はうっすらと微笑を浮かべた。

 それは華麗だが、凄いほど猥褻に磨きぬかれた『銀の鈴』の顔であった。

 当日、式は午後三時から、新宿のホテルである。夫の茂之は勤務先の

香港から直接駆けつけてくるという。

 朝からシャワーを浴びて、美果は丁寧に陰毛を剃った。ツルリとした卵色の

肌に少女のようなワレメが切れ上がって、オーデコロンを擦りこむと微かに

薔薇の匂いがした。

 服装は、あのときの赤のチャイナドレス、緋色のパンティはエルにやってしまった

ので結局何も穿いて行かないことにした。そのほうが、かえっていつもの気持ちに

なれるのである。

 化粧の仕上げに一時間近くかけて、美果は何かを振り払うように立ち上がった。

 新宿のホテルに着くと、ロビーにいた外人がオゥ…と小さな声を上げた。

 不思議なオーラを感じるのか、眼を見張って半分腰を浮かしたまま、銀の鈴の

後ろ姿を見送っている。その視線を避けて、美果は隅のソファにそっと席をとった。

 披露宴まで、まだ多少の時間がある。

「ちょっと、あんた銀の鈴やないか…?」

 ハッとして顔を上げると、眼の前に松に鶴の留め袖を着た中年の女が立っていた。

「ア、アッ」

 ソファから滑り落ちるように、美果は思わずロビーの絨毯に膝をついた。

 はま子女王様…!

 今日の結婚式のために、大阪から来ていることは間違いなかった。

「あのときは子供みたいやったけど、キレイになりはって…。見違えたわ」

 相変わらず、人の良さそうな笑顔である。

「お、おくさま…」

 思いがけない再会に、美果は肩が震えた。

「ま、そこにお座り」

 その横で亭主の通称三吉が、好色そうな眼でチャイナドレスの腰のあたりを

ナメまわしている。

「あんたにも、話しておかなあかんかったんやけど…」

 ふと真顔になって、はま子はしんみりとした調子で言った。こうなると、

どこから見ても普通のおばさんである。

「哲彦が結婚したかて、恨まんどいてや…」

 平然と哲彦を呼び捨てにするのは、はま子だけなのである。はま子は、

そこでちょっと言葉を切った。

「これからも、あの二人をよろしくな」

「………」

 恐ろしい予感に、美果は凝然と女王様の顔を見つめた。

「あの、あの、奥様は…?」

「奥様やない、今日はお母さまや…」

 はま子は面白そうに言った。

「うちも無軌道な変態やったさかい。あの子は、うちが17才のときの子供ですねん」

「えぇぇッ」

 耳を疑うというより、心臓を鷲掴みにされるような衝撃であった。

 それではあの晩、呼吸もできないほど舐めさせられたクリトリスは、30年前に

哲彦をこの世に産んだ母親の性器そのものではなかったか。

 なぜ…!

 美果は、突然身震いするほどの異常な性欲を感じた。

「お互いに一族やさかい、変態なら誰が誰とつながっても同じことや」

 三吉が、横から口を挾んだ。

「そやけど銀の鈴もええおめこやったで…」

 あるいは、麻耶も同じ儀式を受けたことがあるのかもしれない。いや、哲彦と

はま子の間にも、もしかしたら…。

 それは単なる近親相姦といった概念を超えた、変態人としての肉の絆である。

はま子が新幹線のホームで見せた涙のわけを、美果はようやく理解する

ことができた。

「お母さま…!」

 不思議な思慕の情が、そのまま性欲に転換する。美果は全身ではま子に

にじり寄った。

「わかってくれたらそれでええがな。そろそろ時間やろ」

「は、は、はい…」

 クリトリスが激しくボッキしていた。痺れるような感覚を抑えて、美果は

よろめきながら立ち上がった。

 披露宴は、華やかな演出で進められていった。祝辞も紹介も型どおりで、

二人の真実の姿を知っているものはごく少数である。

 だが美果には、純白のウェディングドレスに包まれた麻耶の身体から、

凄まじい淫欲のプラズマが放射されていることがありありとわかった。

 先刻からボッキしたままのクリトリスの痺れが、ますます昂まってくる。

 キャンドルサービスのとき、チラリと視線が合った。しなやかな腕をのばして、

麻耶が燭台に灯をともす。澄んだ鳶色の瞳が宝石のように美しかった。

 そのとき、チロチロと微かに鈴の音が聞こえた。

 えッ…、美果は夢中で声をかけようとしたのだったが、麻耶は軽く目礼して

流れるように次のテーブルに移っていった。鈴の音もそれきり聞こえなくなった。

 披露宴が終ったのは午後六時…。

 二次会の会場では、茂之が香港から到着している頃であった。美果は、

三吉とはま子に同伴されて乙女座の店に行った。

 集まっているのは10人たらずで、披露宴には出席していなかった

連中である。その中にスパゲティ男の顔を見つけて、美果はそっと眼をそらした。

 茂之が後ろの席で、なに食わぬ様子でこちらを見つめている。美果は会釈して、

夫とは別のソファに一人で席をとった。

 哲彦と麻耶が乙女座に到着したのは、それから間もなくである。

 豪華な木彫りの扉を明けて純白のウェディングドレスが現れると、場内が

異様な雰囲気で静まりかえった。

 花嫁の細い首に無惨な鉄の輪が嵌められ、重そうな鎖が哲彦の手に

握られている。披露宴では優雅に見えたが、麻耶は酷く虐げられている様子で、

顔色がほとんど蒼白になっていた。

 哲彦が容赦なく鎖を引くと、よろめきながら、それでも気丈に足もとを

踏みしめて正面の低いステージに引きずられていった。

「凄いね、オーナーのプレイは初めて見るんですが…」

「プレイじゃないよ。こりゃ真ん物ですよ」

「結婚式のすぐ後でですか?」

「だから真ん物なんだよ。やっぱり普通じゃありませんな」

 後ろの席で、ヒソヒソと囁きあう声が聞こえる。

「みなさん、どうも…」

 哲彦が、普段と変わらない調子で言った。

「この女の花嫁衣裳をご披露します。まあ、これからも可愛がってやってください」

 それから、ちょっと手伝ってくれよ…、とはま子に声をかけた。

 留め袖の和服を着たはま子が、小走りにステージに上がって、立っているのが

やっとと言った感じの麻耶に何か話しかけながら、ひと息に背中のジッパーを

引いた。まるで人形の衣裳を剥ぐように、ウェディングドレスを脱がせにかかる。

 眼をつぶりたいような気持で、美果はこの光景を凝視していた。

 おおっ…、

 数少ない観客からどよめきが起こった。

 哲彦のいう花嫁衣裳…。純白のドレスの下で、麻耶はウエストを蜂の胴のように

締め上げられ、全身にぎっちりと菱縄を掛けられていた。太腿に幾重にも縄が

巻きついて、皮膚が紫色に変色している。この緊縛の状態で、麻耶は三時間の

披露宴に耐えていたのだ。

 股縄こそ掛けられていないが、その代わりまだ剃っていない陰毛の間に、

金色のピアスが垂れ下がっている。

 美果は、呆然として呼吸をとめた。

 以前、ここには細いチェーンが装着されていたのだが、いまピアスの先端に

ついているのは、まぎれもなく金色の鈴であった。

 はま子女王様が乳首の鈴を軽くはじくと、チロチロと澄んだ音がした。

キャンドルサービスのときに聞いたあの音である。

「こらえらいこっちゃ、金の鈴やがな」

 どこかで三吉の声が聞こえた。

 クリトリスが弾けそうに膨らんで、ドッドッと鳴っている。



    四〇、マゾ神に捧げる歌


 ついに、金の鈴と銀の鈴がそろった。

 変態という名の宿命の不思議さに圧倒されて、美果は気が遠くなるような

陶酔の中にいた。

 胴体を締め上げていた菱縄を解いて、手首をYの字にステージの梁に括りつけると、

哲彦が落ち着いた口調で言った。

「少しづつですが、記念にこいつの陰毛をさし上げます」

「ほう…!」

「縁起ものくらいにはなるかも知れない。良かったら持っていって下さい」

 恥も外聞もなく、男たちが椅子から腰を浮かした。

 首の鉄輪を外されていないので、麻耶は両腕を広げたまま、重みで

ガックリとうなだれている。その前に、たちまち小さな行列ができた。

「いや、光栄です」

 カミソリを受け取って、最初の男が麻耶の太腿を抱えた。

「あんまり沢山取らないでくださいよ。まだ多勢いるんですから…」

「わかってます」

 この連中にとっては又とないコレクションである。なかには指で陰裂を開いて

見るものがあったりして、かたち良く整っていた陰毛がみるみるうちに

削り取られていった。

 殉教者のような麻耶の肉体が、直接美果の感覚とつながっていた。剃ってきた

ばかりの陰毛が、身体の奥でもう一度なぞり取られるような気がする。

「もう宜しいですか…?」

 哲彦が、あらためて客席に声をかけた。

「ご希望があれば、どなたかひっぱたいて見ませんか」

 だが場内はシンとしていた。オーナーの前で、花嫁に鞭を当てるだけの

自信のあるものがいないのである。

「良いんですか、それでは…」

 苦笑して、哲彦が何か言いかけたときであった。

「待って…!」

 視線が一斉にこちらを向いた。美果は、ものに憑かれたように立ち上がった。

 人々の視線を浴びながら雲の上を歩くようにフロアを横切る。麻耶の足もとに

跪いて、美果は恋人を抱き締めるように縄目の痕がついた腰を抱いた。

「カミソリを貸してください。もっと綺麗にしてあげなければ…」

 男たちが乱暴に剃り取ったので、肌が血玉を吹いて、あちこちに無惨な

剃り残しがあった。血玉を舌で舐めとり、剃り残しを丁寧に始末してゆく。

その度に、金の鈴がチロチロと可憐に鳴った。

「美果サマ…」

 聞き取れないほどのかすれた声で、麻耶が言った。

「あ、ありがとうございます」

「麻耶さん…!」

 眼近かに見るピアスの奥で、クリトリスが微かに蠕動していた。

 イッている…!

 美果はわれを忘れて、初めて直接空気に触れたばかりの剃りあとに頬ずりした。

「うわァッ、なによう…ッ」

 そのとき、扉に近いレヂのあたりで、突然けたたましい叫び声があがった。

 それまで誰も気がつかなかったが、美事なプロポーションを持った茶髪の女が

扉を開けてステージに向かって駆け寄ってきた。

「アァッ、エル…!」

 立ち上がって身を避けるヒマもなかった。

「ママ酷いじゃないッ。うちを置き去りにしてェ…ッ」

 2メートル以上ありそうな革の一本鞭が、唸りを上げて二匹のメスに巻きつく。

「ギェェッ」

 素肌の麻耶がのけ反って、ガクッと首を落とした。

「エルちゃんッ」

 ビュンッ…、続いて、蛇のような鞭の先端が激しく乳房を叩いた。

赤いチャイナドレスが一瞬棒立ちになって、崩れるように麻耶の足もとにうずくまる。

 拍手したのは、ステージの横にいたはま子女王様ただ一人である。

「ママ、脱ぎなッ」

 夢を見るように、美果は帰ってきたエルを見上げた。

 エル…!

 僅かの間に、エルは別人のような変化を遂げていた。それは、満々と加虐の

性欲を漲らせた新しい女王様の顔であった。

 催眠術にかかったように、美果は腕を背中にまわして、ドレスのファスナーを

下ろそうとした。

「遅いッ」

 引き起こして麻耶の陰毛を剃ったカミソリを首筋に差し込むと、エルがサアッと

一直線に下に引いた。

「ヒェェェ…ッ」

 ものの見事に切り裂かれたドレスの下に、滑らかなメスの肢態が蠢いていた。

 パンティも穿いていない。乙女座の会員たちに初めて見せる銀の鈴の

全裸体である。

 ビュウッと、2メートルの一本鞭がS字の曲線を描いて空を舞った。

「ホラッ、もっと踊れッ」

 ステージから、つんのめるようにフロアの真ん中に追われる。客がいっせいに

椅子の位置をずらして場所をあけた。

「ウワ、ワッ…」

 背中に一発浴びてのけ反った途端、足もとに鞭が絡んで、美果は横ざまに

転倒した。

 盛り上がった乳房の上で鞭が弾んだ。斜めに胃袋を打ち据えられて、

海老のように跳ねる。無意識に脚が宙を蹴った。

 次の瞬間、驚くほど正確なタイミングで鞭の先端がクリトリスを直撃した。

「ウゥゥ…ムッ」

 脳天を衝き抜ける苦痛と快感に、白い股間を晒したままビリビリと痙攣する。

「キャッハハハ…」

 エルが、全身で歓びの声を上げた。

「ママ気持いい? 気持ち良いんでしょ」

 どこで覚えてきたのか、鮮やかなテクニックで頭上で一回転させると、

バシィ…ッ!

 縦の肉壁がザクッと鞭を噛んだ。

「ギャァァ…ッ」

「あんた、えらい子やな。そんなもんどこで習ったんや」

 はま子が、ほとほと感心した声で言った。

「たいしたことないわ」

 得意そうにポーズをつくって、エルは無邪気に笑った。

「香港のサーカスで、ライオン使いの名人に教わったんよ」

「おい女王様、ブラ下がっている花嫁の眼を覚ましてやれ」

 美果の髪の毛を掴んで引き起こしながら、哲彦が言った。

「マ、マ、麻耶さんッ」

 哲彦の怒張したものが、はっきりと自分のほうを向いているのを察して、

美果は必死で麻耶に手をさし伸べようとした。

「この人が麻耶…?」

 振り向きざま、エルが大きく鞭を振った。

「アゥゥ…ッ」

 モロに乳首に命中して、金の鈴がリンリンと鳴った。

 獰猛な力で、哲彦が容赦なく美果の股を拡げる。内腿のつけ根に、

鞭を噛まされたあとの肉ベラが真っ赤に腫れ上がって、無惨に露出した。

「許してくださいッ。麻、麻耶さんが…」

「見損なうな、あいつはマゾヒストだぜ」

 哲彦が、バシッと美果の頬を張った。

「麻耶がどんなに悦んでいるかわからねえのか…!」

「アァァッ、は、はい…ッ」

 これまで、望んで果たせなかった哲彦との結合が、麻耶の眼の前で実現する。

 虚飾の披露宴のあと、これが真実の変態族の挙式なのだ…、と美果は思った。

 腫れ上がった肉唇を圧しわけて、異質な性欲で怒張した筋肉の塊りが

侵入する。美果の全身がたとえようもない歓喜に震えた。

 麻耶の鳶色の眼が、虚ろにその全景を見詰めている。

「麻耶さんッ。イ、イキます…ッ」

 すべての生命力が燃焼して、美果は絶頂に駆け上がっていった。

「キャハハッ、気持ちいいッ」

 エルが茂之の顔に跨がってクリトリスを舐めさせていた。その後ろに二三人の

男が順番を待っている。エルの精力なら、全部の男を相手にしても

持ちこたえそうであった。

 三吉とはま子女王様が、遠い星の思い出を見つめるように、三匹の美獣が

のたうつ光景を眺めていた。

「い、いく…!」

 美果が快感のうねりに包まれたとき、手首を括られたまま、麻耶の身体が

大きく波を打った。卑猥なリズムで腰が前後に揺れる。

 その度に、ピアスの鈴がリンリンと淫らな曲を演奏した。

それはマゾのメスという名の生き物が婬楽の女神に捧げる性の賛美歌である。

「美、美果サマ…」

 鳶色の瞳が妖しい光を放って、灼けつくように美果を凝視していた。

「うれしい、わ、私イッているわ。銀の鈴と一緒に…」

 ドッと次の波涛が押し寄せてきて、快感のプラズマを満たしていった。

「いくいくぅッ、麻耶さん…ッ」

 意識の底で、リンリンと美しい鈴の音が鳴っている。 




               

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