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(2)







   二、娼婦の貞操

「くッ、くうッ…」

「スキもんが、よう濡らしとるわ」

 大造が嘲るように言った。

 決して快感があったわけではないが、先刻からいたぶられていたので、

思いがけなく内部にヌメリが滲み出している。

「お願いッ」

 両手を壁で支えて、梨江は哀願した。

「あ、あの子には何も言わないで…」

「わかってる、香代には眼をかけてやるから安心せい」

 腰骨を押さえて前後に揺すりながら、下腹部がビタビタと尻を叩く。

「いいか、これからは自分が女郎だって言うことを忘れるな!」

 大造も気がせくのか、残酷なリズムが次第に早くなった。

「もっと穴を締めろ。そんなんじゃ男はイカねえぞ」

「ウゥムッ」

 思わず声を上げそうになったとき、股の間から、突然ズルッと

錘りのようなものが抜けた。

「ほれっ、口をあけろ…!」

 髪の毛を鷲掴みにされて、梨江は顔をねじった。とたんに、唇と歯ぐきを

こじあけて、ナマ温かい肉の塊りが割り込んできた。

「うっぷ、げぇッ」

 咽喉の奥に、ドロドロしたナメクヂの味がする液体が溢れ出して、梨江は

激しく噎せかえった。

「馬鹿、吐き出すんじゃねえ」

 粗い毛を容赦なく顔と唇にこすりつける。

「今から孕ませるわけにゃいかねえんだ。ぜんぶ嚥んでしまえ…」

「ぐふぐふッ、おえぇ…ッ」

 指で残った精液をしごき出すと、大造は、ふんどしで濡れた男根を

拭きながら顎をしゃくった。

「早く行け。遅れると疑われるぞ」

 背中を突き飛ばされるように、梨江は外に出た。犯された哀しみも怒りも、

涙を流している余裕もなかった。

 ムカムカと嘔吐がこみあげてくる。唇の端を手の甲でこすりながら、

梨江は小走りに棟違いの工場の物置に行った。

「香代…」

 片隅の扉を開けると、油臭く真っ黒に汚れた三帖ほどの板の間に、

使い古した工具の箱が積み重ねてある。

 その横で、香代が木箱を机の代わりにして宿題をやっていた。

「お母さんちょっと出かけてくるから…。お留守番しているのよ」

 母親の異様な服装を見て、香代は眼を丸くしている。いったい

何事なんだろうと、たちまち不安そうな顔になった。

「どこに行くの?」

「買い出し…」

「香代も一緒に行く」

「駄目、遠い所だから。何かおいしいものを買ってくるから、おとなしく待っていて」

 食べ物と聞かされると、香代は正直に納得したようであった。黙ってはいるが、

空腹に苛まれている子供の気持を考えると、梨江はもう後には引けないと思った。

「そ、それから…。今夜は少し遅くなると思うけど、そうしたら一人で寝るのよ」

 香代は、また心細い顔つきになった。

 そのとき玄関の戸が開いて、勝子が出てくる声がきこえた。

もう詳しい説明をしている暇はなかった。

「おばさんと一緒に行くの?」

「いいから先に寝ておいで、わかったね」

 自分のほうが、子供にすがりついて泣きたいのである。その気持を

振り払って、梨江は乱暴に言い捨てたまま扉を閉めた。

「さァ、今日も忙しいんだからね。しっかりやっておくれよ」

 如何にも水商売といった感じの、襟を抜いた和服姿になっている。

 青砥の駅から電車に乗ると、乗客の視線が一斉にこちらを向いている

ような気がした。勝子は平然としているのだが、梨江はじっと俯いて

身体を小さくしているよりほかになかった。口の中にまだナメクヂの生臭い味が

残っている。

 上野で降りて、かなり長いあいだ歩く。このあたり、闇市やカストリ酒場で

戦後の復興がいちばん早かった地域である。

 店先に妖しげなネオン、というより赤や青の色つき蛍光灯を点けた店が

並んでいた。そんな通りをいくつか曲がると、薄暗い路地の奥にその家はあった。

昼間見れば何の変哲もないしもた家である。

「おはいり…」

 勝手口からついて行くと、台所の床の上で若い女が鍋に箸を突っ込んで

すいとんを食べていた。

「あやめは、どうしたんだい?」

 女は黙って目線を天井に向けた。

「もう客がついてるのかい。今夜は早かったね」

 満足そうに頷いて、勝子は後ろに立っている梨江を招いた。

「お前たちも忙しいだろうから、今日から一人、お仲間に入れさせてもらいますよ」

 チラッと梨江を見て、相変わらず鍋からすいとんを食べている。

何と挨拶したら良いかわからなくて、梨江は黙って頭を下げた。

「年増だからね。客はあまりつかないと思うけど、宜しく頼むわよ」

 そのとき、勝手口から50才がらみの復員服の男が顔を出した。

「へい、お客さんですぜ。玄関にまわしておきました」

「ダリヤ、行っておいで」

 若い女は鍋をそのままにして、箸を放り出すと玄関に出ていった。

笑い声と一緒に足音が二階に上がっていったまま戻ってこない。

 あやめとダリヤ…、何て安っぽい名前なんだろう。そんなことが頭のどこかを

よぎったりしたが、実際には何から何まで、梨江にとっては緊張と怯えの

連続であった。

 勝子はポン引きらしい復員服の男と、勝手口で昨日の配当の精算を

やっていた。当時、泊りが千二百円、ショートで五百円くらいが相場で、

分け前は店が五割、ポン引きが二割、女の取り分は三割というのが普通である。

 激しいインフレで値段はどんどん上がっていったが、長い間、この比率は

変わらなかった。

「ところで、こっちのお姐さんは…?」

 精算を終ると、ポン引きは新しい商品の値踏みをするような視線を

梨江に向けた。

「今日から店に出すんだけどね、まだ馴れてないから、どんなもんかねえ」

「べっぴんじゃねえの。そんなにスレていねえし…、年は幾つだね」

「まあ、二十八・九っていうことにしておいておくれ」

「それじゃ、戦争未亡人で今夜がお股開きっていうところでどうです?」

「任せますよ。あんた口が上手いから、良いように引いて頂戴」

「わかりました。年増はね、未亡人て言うのが一番利き目があるんで…。

良い客を入れてあげるから姐さんも頑張んなさいよ」

 お世辞笑いを残してポン引きが消えると、勝子は思い出したように言った。

「あそうだ、これから名前は牡丹っていうことにするからね。間違っても

あたしの身内だなんて口に出すんじゃないよ」

「はい…」

 天井がギシギシと軋む。バラックより少しましといった感じの柱の細い家で、

二階の動きがそのまま伝わってくるのだった。

「仕様がないねえ。あの子ったら、自分のほうが先に夢中になっちまうんだから…」

 舌打ちして、勝子は天井を見上げた。

「あんたも、あのくらいになってごらんよ。その気になれば、毎日男が変わるのも

楽しいもんだよ」

 それから客の扱い方やこの社会のしきたりなど、ああだこうだと聞かされたが、

気もそぞろでほとんど頭に入っていない。

 おもてのガラス格子が開いたのは、それからまもなくのことであった。

「牡丹ちゃァん、お客様お上がりですよ」

 玄関で、勝子の甲高いよそ行きの声が聞こえた。

「いいかい、しくじるんじゃないよ…」

 階段の下で、勝子が厳しい顔で言った。

「はい」

 部屋は三つしかなかった。狭い廊下をはさんでベニヤの板戸が

向かい合っている。言われた部屋の前に立って、梨江は気持を整えるように

大きく息を吸った。なかに入れば、これまでの自分とは永遠に訣別である。

だが34才という年齢が、ためらわずにそれを決断させた。

 思い切って引き戸をあけると、ランニングシャツを着た中年の闇屋風の男が

敷布の上でタバコを吸っていた。

「いらっしゃいませ」

「ああ」

 背中を向けたまま、無愛想な返事である。梨江はなるべく男を見ないように

して両手をついた。勝子が出したぬるいお茶をすすりながら、男は眼の横で

梨江を観察している。

「あんたかね。戦争未亡人というのは…」

「はい」

「いくつだ?」

「二十…。あの、二十八才です」

 年令を6ツもごまかしているのが恥ずかしくて、顔が上がらなかった。

「今日が初めてだっていうのは、嘘じゃねえだろうな」

「はい」

 梨江は、うつむいてタオルをしぼりながら言った。枕もとに消毒水を入れた

洗面器が置いてある。

「あの、おしぼりを…」

 タバコを灰皿に捨てると、男は黙って仰向けになった。

 性病確認の意味もあって、これで拭いてからコンドームをかぶせて

くれるのが、当時どこの売春宿でもやっていたサービスである。

 梨江は教えられたとうり、先端を指でつまんで裏側まで丁寧に拭いた。

もう50才に近い年だが、たくましくて手の中でかなり大きな肉の塊りが

二・三度跳ねた。

 おぼつかない手つきだったが、コンドームをかぶせるのも何とか上手くできた。

「よろしくお願いします…」

 頭を下げてから、梨江は立ち上がって電灯のスイッチをひねろうとした。

「そのままで良い」

 男が、眼をつぶったまま言った。

「明るい方がよく見えるじゃねえか。恥ずかしがることはねえだろう」

「はい」

 仕方なく、後ろ向きになって花模様のワンピースを脱ぐ。

「早くしろ、時間が短けえんだ」

 意外に強い力で蒲団に引き倒されたが、覚悟を決めているせいか、大造に

犯されたときのような拒絶感はなかった。

「ほう、毛がないのかい?」

 男はすぐに気がついて上半身を起こした。

「どうしたんだ。ツルツルじゃねえか」

 明るい電灯の下で、腹の白さが恥丘の上まで続いている。その先に

縦の線がくっきりと露出していた。

「誰が剃ったんだ。それとも、死んだ亭主の趣味だったのかよ」

「じ、自分で、このほうが良いと思って…」

「嘘をつけ」

 剃りあとの柔らかいところをピタピタと叩きながら、男は品物を扱うように言った。

「ポン引きが初ものだって言うから買ったんだぜ。お前、このぶんじゃ

相当ヤッているな」

「チ、違うんです…」

「ちぇっ、いまさら違うと言われたって金を払っちゃったものは仕様がねえ」

 舌打ちしてコンドームに唾をなすりつけると、ランニングシヤツを脱いだ。

「どりゃ、騙されついでにちょっくら遊ばせて貰おうかい」

 乱暴に脚をかつぎ上げると、鉈で割ったような肉の断裂がナマナマしく

口をあけた。

「あうぅッ」

 ズシリと体重を梨江の上に乗せて、ひと息に腰を落とす。

情けもテクニックもない挿入であった。

「この身体で、亭主とはどんな恰好でヤッてたんだ。えぇっ?」

 ムクムクと腰を動かしながら男が言った。

「黙ってないで、正直に言ってみな」

「ふ、ふつうに…」

「その味が忘れられなくて淫売になったのかよ。そんなに男が欲しいのか?」

「いえ、そんな…」

「亭主はお国の為に戦死したっていうのに、女房がこれじゃ死んでも

浮かばれねえな」

 心臓を逆撫でするような言葉を平気で口に出す男だった。

「お前は金になる男なら誰でも良いわけだ。なあ、そうだろう?」

 執拗に責め続けながら、梨江が顔を歪めてもがく様子を楽しんでいる。

「いい年して、こんな商売やって羞ずかしいとは思わねえのかよ」

「許して、もう…」

「罰が当たると思わねえのか、死んだ亭主に済まないという気持ちに

ならねえのかっ」

「ぐぇ…ッ」

 いきなり奥を突かれてのけぞる。梨江は無意識に腰を引こうとした。

「逃げるんじゃねえ!」

 引き戻されて、敷布の端を掴んだままズルズルと横向きになった。

「淫売のくせにこんなに濡らしやがって、恥さらしが…」

 気持とは反対に、穴のまわりがグチャグチャと異様な音をたてている。

「は、離してくださいッ」

 片足を男の肩に乗せて、梨江は身をよじった。

「そうはいかねえよ。まだハメたばっかりじゃねえか」

 男が腕を伸ばして容赦なく乳房を掴む。

「お前、子供を産んでるな?」

「ああッ、つう…ッ」

 大造に犯されたときには感じなかった鈍痛と、圧し潰されるような

圧迫感があった。

「うむ、そのわりには良い身体しとる。どうだ、わしの玩具にならんか。

金はタップリとあるぞ」

「困りますッ。やめて…」

「いい暮らしをさせてやるぜ。えっ、どうなんだよ」

「も、もうッ。言わないで…」

 全身を揺すられると、奥のほうから何か熱い塊りのようなものが

膨らんでくる。これ以上大きくなると外に噴き出してしまいそうな感じだった。

 いけないッ、イッてしまう…。

 何年も忘れていた感覚である。梨江は呻きながら、なぜか身震いする

ような恐怖を感じた。

「ほう、気分出しとんのか。ちょっと顔を見せてみい」

 ぐいと男が首をねじった。

「そんな恨めしそうな顔をしないで、遠慮なくイッてみせたらどうだ」

「クッ、くう…ッ」

「淫売はイクのが商売だろうがっ」

 男が滅茶々々に腰を突いた。 耐えようもなく、内臓が痺れるような

感覚が盛り上がってくる。

「ダッ、駄目…ェ」

 だが、もう少しで堰が切れそうになったとき、直前で男が低い呻き声を上げた。

 膨脹した肉の塊りがドクッと脈を打った。続いて一定のリズムで微かな脈動が

伝わってくる。梨江は固く奥歯を噛んで、一緒にのめり込みそうになる

衝動に耐えた。

 時間にすれば30分と少し…。中年の男はさすがに肩で息をしている。

「ふうっ…」

 暫くして、男は夢から醒めたように起き上がった。

「御苦労さん…」

 コンドームを引き剥がして、両腕で顔を覆っている梨江の腹の上に捨てた。

 梨江は、あわてて素肌にワンピースを着ると男の足もとで両手をついた。

「お、お粗末でした」

「馬鹿な奴だ。せっかくわしの女にしてやると言っているのに…」

 ズボンのベルトを締めながら、男は蔑むようにそれを見おろしている。

「毛まで剃られやがって、もっと自分を大切にしたらどうだ」

 また意味のないお説教だが、射精した後の男は、もうすっかり褪めていた。

「いいか、こんな店は早くやめなけりやあかんぜ」

「はい」

 部屋を出るとき、男は振り返って吐き捨てるように言った。

「ケッ、淫売は人間のクズや…」

 いくら罵倒されても、梨江はもうそれほど動揺しなかった。





<つづく><もどる>