青いリンゴの唄 (1)





    一、人喰いの論理


 昭和二十一年…、戦争が終わって2度目の秋であった。

焼け野原にボツボツとバラックが建ちはじめていたが、敗戦の傷跡は

東京の街にまだ色濃く残っていた。

都心部では、チリチリパーマの洋パンと進駐軍の兵隊がはばを利かせて

いたが、場末の盛り場は、文字どうり無法地帯である。

闇市の雑踏に『リンゴの唄』が流れ、廃墟になった焼けビルの陰で、両足を失った

白衣の戦傷兵がアコーディオンを弾いていたりする。街には戦災孤児が溢れ、

復員帽をかぶった髭面の男はすべて闇屋だった。

夜になると、時おり、どこからともなく女の悲鳴が聞こえる。殺しもあったし、

強姦や人身売買が公然と行われていた。

掏りやかっぱらいなど、犯罪のうちに入っていない。第一、取り締まる警察官が

いないのである。戦争で男を奪われた女たちが、売春婦になるほか生きる道が

なかった時代…。

戦後日本の復興は、闇市と売春婦からその第一歩を踏み出したと言って良い。

 十月の終り…。

 真っ暗な瓦礫の山に、霧のような秋の雨が舞う夜であった。

屋上に直撃弾を受けて一発で崩壊したビルの二階で、前島源次郎は、

猫が鼠をいたぶるように新しい獲物を追いつめていた。

天井から壁にかけて、無残に剥がれ落ちたコンクリートの倉庫部屋…。

鉄枠だけになった窓の外から、時おり雨が吹き込んで、壁に地図の模様を

描き出している。

どこから電気を引いてきたのか、部屋の隅に裸電球が一つ、

ぼんやりとぶら下がっていた。

「いやぁッ、帰してよゥ」

 まだ幼い、おかっぱの少女である。

腕を伸ばすと少女はあわてて身を避けようとした。膨らみきっていない乳房を

プルプルと震わせながら逃げまどう。その度に灰色の大きな影が右に左に揺れた。

「バカやろう、そんな恰好でどこに行くつもりだ。外は雨だぜ」

捕まえるのは、何の雑作もないことであった。押さえつけて、ボロ切れのように

なったブラウスを剥ぎにかかる。

「ひいっ…」

 ビリビリッと音がして袖が千切れた。

「帰してえッ」

「そんなに帰りたければ、裸で帰んな」

 ドンと背中を突くと、少女は扉の近くまでつんのめっていった。

ドアを開けようとするところを、二の腕を掴んで振り回すように

部屋の真ん中に引き戻す。

「お母ちゃん…ッ」

「あきらめろ、呼んだって誰も来ねえよ」

捕らえては放し、そのたびにスカートをむしられ上着を引き裂かれて、

少女はほとんど丸裸になっていた。

「この野郎。いい加減に覚悟を決めたらどうだ」

鬼ごっこにも飽きてきたのか、いきなり突き飛ばすと、少女は粗いコンクリートの

壁に思い切り背中をぶつけた。

「ぎゃっ」

「ほら気をつけろ。怪我をするぜ」

それでも、壁づたいに必死に逃れようとする。それを楽しむように、少女が扉に

たどりつくまで、男は残酷に見守っていた。

ようやく扉に手がとどいた。ドアを開けて外にとび出そうとしたとき、

首根っこを鷲掴みにしてぐいと後ろに引いた。

 少女はバランスを失って、他愛なく尻餅をついた。

「ギャァァッ」

 床に散乱したコンクリートの塊りが、ムキ出しの尻に突き刺さる。

「それみろ、おとなしくしねえからだ」

ヨロヨロと立ち上がろうとしたところを軍靴で蹴ると、危うく階段から

転げ落ちそうになって、錆びた手すりにしがみつく。

「タッ、助けてェ…ッ」

「でけえ声出すんじゃねえ!」

拳骨で手荒く頬を殴る。身体が斜めになって、少女はクタクタと

階段のおどり場に崩れ落ちた。

「どうだ、まだ逃げられるか?」

「くうっ」

 うつろな眼をあけて、少女はかすかに首を振った。

 もう、脚に力が入らないのである。

ビルの内部には、あちこちに得体の知れない人間が住みついていたが、

助けを求める声を聞いても誰ひとり出てくる者はなかった。

グッタリした女を横抱きにして、源次郎は筵を敷いた部屋の隅に戻った。

筵の上にほうり出すと、丸くなった身体を見下ろしながらゆっくりとマッチを擦った。

南方の戦線で運よく捕虜になって復員してきたのがほんの三ケ月ほど前…。

 家があったあたりは一面の焼け野原で、妻の幸枝もひとり娘の香代の姿も、

行き先を知らせる棒杭さえ立っていなかった。

誰に聞いても、生きている二人を見たものはなかった。戦争が、家族と財産の

すべてを奪い去っていた。茫然として、あてもなく盛り場をさまよったあげく、

このビルに住みついてひと月になる。

あの凄惨な戦場から、自分は生きて帰ってきたのに、安全であるべき妻や娘は

骨も残さず消えてしまった。

「くそ…」

街には埃りにまみれた男と原色の派手な女が交錯していた。

そこには戦争に負けようとあたりが焼け野原になろうと、何がなんでも生きて

行かなければならない女たちの哀しくもしたたかな営みがあった。

「これからは、女で稼ぐ時代だ!」

これが後に人喰い源次郎と呼ばれて、戦後三〇年の間に千人を超える女を

売春婦に仕立て上げた男の出発点であった。

 事実、敗戦後まっ先に立ち直ったのが闇市と売春街である。

源次郎は、盛り場でさらった女を、強制的にもぐりの淫売宿に売り飛ばす

ことから仕事をはじめた。

当時、女を売ると上玉なら三千円以上になった。客の値段がショートで二百円、

泊りが五百円といった時代である。

 一ケ月足らずの間に、源次郎はすでに三人の女を餌食にしていた。

原爆の広島から奇跡的に逃れてきた十九才の女子挺身隊員、乳呑み児を抱えた

二十八才の戦争未亡人、米兵に犯された二十二才の大学生…。

 それぞれが、背中いっぱいに不幸という名の荷物を背負っていた。

売り飛ばす女は徹底的に傷めつけ、男の怖さを叩き込むというのが

源次郎のやり方である。

女たちは嫌応なしに犯され、納得させられて、泥沼に突き落とされて行った。

てめえたち、生きているだけまだ良いじゃねえか…。女の始末がつくと、

源次郎はいつもそう思った。

少女は昼間上野の闇市で見つけたのだが、これまでの女と違ってまだ子供である。

戦災孤児らしいことはひと眼でわかった。

 よほど飢えていたのか、闇市で銀シャリの握り飯を与えると貪るように食べた。

「父ちゃんは、まだ復員してねえのか」

「戦死したんだって…」

「母ちゃんも死んじゃったのかい」

 眼を伏せて、握り飯を頬張ったままうなずく。

「お前、いくつなんだ?」

「十六…」

「もう一人前じゃねえか。可愛い顔してよ、いつまでも浮浪児なんかやってる

ことはねえだろう」

「私なんか、駄目よ」

 少女は、はにかんだように笑った。

「吉原の裏に焼け残った家があるんだ。そこで働けば、めしだって楽に食えるぜ」

「でも、怖いもん…」

「おめえ、まだ男を知らねえのかよ」

「………」

「ビクビクするこたあねえ。ヤリ方は教えてやるから一緒に来な」

怯えたように少女は身を縮めた。栄養失調で痩せてはいたが、顔立ちが良くて、

子供でもこれなら高価く売れる。

 名前を聞くと、篠原万里子と言った。

尻込みするのを引き摺るように連れてきたのだったが、夜になって幼い太腿に

手をかけると、万里子は必死にそれを拒もうとした。

「いや、いやっ」

「いいことを教えてやるんだ。おとなしくしてろ」

強引にスカートをまくると、赤黒い染みのついたズロースを穿いていた。

始末しきれなかった生理の汚れである。

「みろ、ちゃんと女になってるじゃねえか」

「やだッ。恥ずかしいからよして…」

嫌がるのを無理に脱がせて鼻先に突きつける。何日も洗っていないようで、

ツンと小便臭い淫臭が漂ってきた。

「おめえ、風呂に入っていねえのかよ」

「いやぁ…、帰してェッ」

 そのとき、万里子が突然逃げ出そうとしたのだった。

「待て、この野郎」

 とっさに上着を掴むと、パラパラッと服のボタンが飛んだ。

 あとは、狼と兎の鬼ごっこである。

「誰か…ッ」

「騒ぐな。そんな恰好を人に見られても良いのかよ」

 ズロースを脱がされているので、万里子は一瞬立ちすくんだ。

「いまさら帰れるわけがねえだろう。言うとうりにしねえと酷いめにあうぜ」

後ろから抱きすくめると、万里子は前のめりになって、這うように男から

逃れようともがく。

「助けて、お願いッ」

あわてて捩じ伏せる必要もなかった。捕まえては放し、その度に万里子は

すこしづつ裸にされていった。

「ひぇぇぇっ」

「ほらっ、転ぶんじゃねえぞ」

 わざと手を離して、源次郎は面白そうに言った。

「そのくらい元気がありゃあ上等だ。逃げられるったけ逃げてみろ」

相手が抵抗する気力を失って倒れるまで追いまわす。こんな遊びを、

源次郎は現地の女を犯すときよくやったことがある。

狂気の戦場を離れて一年にならない男の血の中には、凶暴な獣性が

まだたっぷりと残されているのだった。

  1. 二、炎と氷雨

「安心しろ。殺しやしねえよ」

 源次郎は、ぷうっと洋モクの煙をコンクリートの天井に吹き上げながら言った。

グッタリと筵に蹲った少女を見下ろして、ふと香代が生きていれば

今年十三才だなぁ、と思った。

 靴の先で身体をつついて仰向けにすると、手足が恐怖で縮こまっている。

「いいか、もう騒ぐんじゃねえぞ」

おかっぱの髪を掴んで引き起こすと、殴られたとき鼻血を出したのか、

頬から顎にかけて血がこびりついていた。

「お前が暴れるからこういうことになるんだ。これからは言うことを聞けよ」

 丸くなったまま、万里子は二・三度頷くような仕草を見せた。

「わかったら勘弁してやる。こんど騒いだら本当にシメるぜ」

源次郎は、焼け跡で拾った針金を万里子の首に巻いた。それから生理で

汚れたズロースを無理やり口の中に押し込む。

「うぐゥ…」

「来い、身体を洗ってやる」

針金を引きずりながら万里子は部屋の外に出た。噛んでいるズロースが

唾液を吸って口からはみ出していたが、もう声を上げる気力はなかった。

廃墟のビルの中は気味悪いほど真っ暗だった。先刻しがみついた階段を手すりに

沿ってひと足づつ降りて行く。

「転ぶなよ、落ちると死ぬぞ」

 うしろから、源次郎が声をかけた。

「壁にぶつかったら、右だ」

言われるとうりに歩いて行くと、ビルの裏に出た。相変わらず、霧のような

雨が振り続いている。

雨にも明るさがあるのだろうか、外に出ると、ボンヤリとあたりの輪郭が

見えるようになった。屋根の低いバラックが遠く近く、影のように並んでいる。

なかには灯が洩れているところもあった。助けを呼べば声は届くだろうが、

おそらく誰も出てこないであろう。

バラックのひとつひとつが孤立した別の世界なのである。

瓦礫の山は一歩進むごとに足下がグラグラと揺れた。おぼつかない足取りで

越えて行くと、玉になった雨の雫が幾筋も素肌を滑り落ちた。少しでも風が

吹くと、全身が総毛立つほど冷たい。

「とまれ」

 近くに、雨と違った水の流れる音が聞こえた。

「ここで顔を洗え」

焼け跡に残った水道の蛇口からジョボジョボと水がこぼれている。

源次郎は引きづってきた針金の端を蛇口に繋いで、口からズロースを取った。

「サ、寒いョ」

 裸身を雨に打たれて、万里子はガチガチと歯を鳴らしている。

「我慢しろ。明日になったら着るものを買ってやる」

 万里子は、震えながら壊れた蛇口の前にしやがんだ。

「ササ、寒い…」

掌に水をうけて顔の血を洗い落とそうとするのだが、指先が震えて思うように

動かないのである。蛇口の栓は、どちらにまわしてもジョボジョボと同じ分量の

水しか落ちてこなかった。

「よし、少しこすってやろう」

ズロースを濡らして、源次郎は丸くなった万里子の背中を馬を洗うように

ゴシゴシとこすりまわした。

「ア、痛…ッ」

「冷水摩擦は健康のもとだ。いちいち文句を言うんじゃねえ」

 擦り傷をズロースのタワシでこすられると生皮を剥がれるように痛い。

「つうッ」

 男の手が首筋から乳房に伸びて、柔らかい膨らみを揉むように洗う。

「ほら、もっと股をひらけ」

 ズロースをしぼって、太腿に水をかけながら源次郎が言った。

「風呂に入っていねえから、さっき臭かったぜ」

「あっ、自分でしますッ」

 万里子はあわてて自分から脚を拡げた。

先刻から、冷えと緊張と、水を使ったことで下腹が張り裂けそうになっている。

この上男の力で圧されたら破裂してしまいそうなのである。

氷のような水を掌に溜めて、ビシャビシャと割れ目を叩く。奥歯で震えを噛んで、

万里子は何回もそれを繰り返した。

「大事な道具だぞ。奥までキレイにしろよ」

「ハハ、ハイ」

これから犯されるところを男の眼の前で洗う気持ちは、気が遠くなるほど

惨めだった。内側に指を入れると、びらびらもクリトリスも冷たくて

何の感覚もなかった。

それよりも尿意がもう我慢できないところまできている。訴えようとして

顔を上げたとき、いきなり首に巻いた針金を引かれた。

「よし、立て!」

 危うくまた尻餅をつきそうになって、下腹に力が入った。

「あ、あ…」

思いがけなく熱い奔流が粘膜を掻き分けて噴き出してきた。あわてて掌で抑さえよう

としたのだが、もう止まらなかった。

 ジョッ、ジョォッ…。

身体の中にまだこんなぬくもりが残っていたのかと不思議なくらい…。

万里子は股ぐらに手を突っ込んだまま、蹲って掌に当るあたたかい感触を

味わっていた。

「何だ。しょんべんか?」

 万里子が急に動かなくなったので、源次郎が覗き込みながら言った。

「きたねえな。ここで米をとぐ奴もいるんだぜ」

「ゴ、ごめんなさい…」

 温かい小便は、外に出るとたちまちただの水になってしまった。

ちようど、マッチ売りの少女が擦ったマッチの火が消えるように、やがて

それも出なくなった。

 膀胱が楽になると、また激しい震えがぶり返してきた。

「手を洗わせて…」

「早くしろ、こっちまで寒くなってきた」

「はい…」

針金の先端を持って、帰りは男が先にたった。逃がさないためと言うより、

瓦礫の上は同じ所を歩かないと危険なのである。

 ようやくビルの二階に戻ると、万里子は唇が紫色になっていた。

「待ってろ、今あったかくしてやる」

部屋の中にコンクリートの塊りを積んで、かまど兼用の暖炉が出来ている。

廃材はいくらでもあるので、薪に不自由することはなかった。

 火の近くに筵を敷いて、源次郎は首の針金を外した。

「そこに座れ」

言われるままに万里子は火のそばに寄った。ずっと裸にされているせいか、

それほど恥ずかしい気持ちはなかった


<つづく><もどる>