青いリンゴの唄 (3)




    五、廃墟を去る

 背中のミミズ腫れも日ごとに薄くなってゆく。それは、万里子が売られる日が

少しづつ近づいてくることでもあった。

 逃げ出そうと思えば何時でも逃げることは出来たが、どこに行っても

すぐに捕まって連れ戻されそうな気がする。そのあとの仕置きのほうが、

よほど恐ろしかった。

 今日こそは宣告されるのではないかと思うと、毎日が不安だっが、何故か

源次郎のほうには一向にそんな気配はなかった。

「おい、引っ越しだぞ」

 それから一週間ばかりたって、源次郎が外から帰ってくるなり言った。

「いい家があった。すぐに支度しろ」

 引っ越しと言われても別に家財道具があるわけではなかった。年には

不似合いな花模様のワンピースを着て、男がリュックサックを背負えば終りである。

「こんなところに何時までもグズグズしちゃいられねえからな」

 源次郎が、焚き火の跡を蹴とばしながら言った。

「どこに行くの?」

「いいから、ついて来い」

 とうとう売られるんだ…。万里子は、無性に悲しくなった。

「何をメソメソしてんだ」

「だって…、私、まだ自信ないもん」

「何だ、売り飛ばされると思ってるのか」

 源次郎は、笑いながら言った。

「そうじゃねえ、家を借りたんだ」

「えっ…?」

「商売を始めるんだ。お前だって、よその店で働くよりは良いだろう」

「どこにも行かないで良いの?」

「自分でやったほうがずっと率が良い。その代わり一生懸命に稼ぐんだぞ」

「あっ、はい…」

 久し振りに廃墟のビルを出ると、空が抜けるほど高く澄みわたっていた。

青い空を見上げて、万里子は急に胸が広くなったような気がした。

 闇市に出ると、相変わらず雑多な人の流れが行き交っていた。万里子が、

ついこの間まであてもなく彷徨っていた盛り場である。

 いつもと同じ『リンゴの歌』が、狭い道路に溢れて沸きかえっていた。

  赤いリンゴに唇よせて

    黙ってみている青い空

「おめえは、青いリンゴだな」

 大股に歩きながら源次郎が言った。

「どうして?」

「まだガキだからよ、売りとばすには勿体ねえ。ずっと俺の側にいろ」

「うん…」

 万里子は意味もなく笑った。物凄く怖い人だが、裏を返せば、源次郎は

頼りになるたった一人の庇護者なのである。

  リンゴは何にも言わないけれど

    リンゴの気持ちはよくわかる

 その時、急に源次郎の顔色が変わって立ち止まった。

 いま、進駐軍の若い兵隊の腕にぶら下がってスレ違っていった、派手な

ネッカチーフのパンパンガール…。

 あれは、妻の幸枝ではなかったか…?

 反射的に後を追おうとして、源次郎はすぐ足を止めた。

 まさか、そんな筈はない…!

 自分に言い聞かせて、源次郎は再び大股に歩きはじめた。

 男の足に遅れまいとして、万里子は人混みにぶつかりながら後をついて行った。

 しばらく歩くと、そこだけが奇跡のように焼け残った一角があった。

 戦争の末期に強制疎開で立ち退きになったところだが、三月十日の空襲で

周囲が焼けてしまったので、まるで立ち枯れたような古いしもた家が

軒を並べている。

 どういうつてを頼ったのか、源次郎はその一軒を借りたのである。

「お前は二階の掃除をしろ」

「はい」

 家の中は案外大きくて、二階に襖仕切りの六帖が三つ、階下には応接間と

お勝手に風呂場までついている。壊れかけた七輪や、底が凹んだ鍋や

食器が、逃げ出していった住人の気持を象徴するかのように散乱していた。

「これから客を取る部屋になるんだ。キレイにしておけよ」

 バケツに水を汲んで二階にあがる。タタミは埃をかぶって乾ききっていた。

万里子は何回もバケツの水をかえて、丹念にタタミや廊下を拭いた。

源次郎も手伝って、ようやく一段落したのは、夜の九時をまわった頃である。

 疲れ果てて座敷にへたり込んだとき、玄関で人の声がした。

「おっ、来たか」

 源次郎が降りていって、一緒にあがってきたのは40がらみの

兵隊シャツの男である。

「入れ、やっと今かたずいたところだ」

「は、失礼します」

 その後にもう一人、女がついているのを見て、万里子はあわてて座りなおした。

「少尉殿、おめでとうございます」

 男は、意外に礼儀正しかった。

「どうだ、こんなところで商売になるかな」

「吉原も近いし…、ここなら申し分ありません。間違いなく当たりますよ」

 それから、廊下に座っている女を振り返って声をかけた。

「こっちへ来い」

 這うように部屋に入ってきた女は、虚ろな眼でタタミを見つめたまま、

顔に表情がなかった。

「こいつはほんのお祝いで…。遠慮なく使ってやって下さい」

 女の顎を掴んでぐいと上に向けると、男はブラウスのホックを外した。

軟らかそうに膨らんだ胸の盛り上がったところに、青黒い痣が

幾つもついている。

「22才です。まあ、逃げ出すことはないと思いますが、今夜は繋いで

おいたほうが良いかも知れません」

「おい、金はねえぞ」

「馬鹿言われちゃ困ります。どっちみち女が足りないんですから、

黙って受けとって下さい」

「そうか、悪いな…」

「少尉殿に助けて貰わなかったら、自分はまだあの島にいるんで…。

これくらいのことじゃお礼になりません」

「平さん、少尉殿はやめろよ。俺だってもうただの淫売屋じゃねえか」

「はあ、では自分もただのポン引きになりますか…」

 年は上だが、軍隊では源次郎の部下であったらしい。平さんと呼ばれた

兵隊シャツの男はタバコに火をつけながら笑った。

 それから、笑っているわりには怖いような視線を万里子にむけた。

「お姐さんは、幾つだね?」

「アノ…」

「16才だ。まだガキだよ」

「ほう、そいつァ良い」

 男は眼を丸くして、洋服の中まで透かすように万里子を見据えた。

「どうりで若いと思った。この子なら客は飛びつきますぜ。流石は少尉殿、

ではなかった前島さんだ。眼のつけ所が違うね」

 万里子は、全身が竦む思いで二人の話を聞いていた。

「それじゃ明日また…、良い客を運んで来ますから任せといてください」

 南の島で女を犯しあった仲間なのだろう。それからしばらくの間、

戦場の思い出話に花を咲かせて、ポン引きは女をおいて帰っていった。

「寝よう、蒲団を敷きな」

「はい」

 うまいことに押し入れの中に運び切れなかった夜具が積んであった。

これは思いがけない贈り物だが、引っ張り出してみると湿ってカビ臭く

なっていた。

「そこで良い。こいつを一人にしておくわけにゃいかねえからな」

 仕方なく、万里子は蹲っている女の足もとに蒲団を敷いた。

「何か紐をさがして来い」

 台所から荷造りに使った残りらしい麻縄の束を持ってくると、源次郎は

女の首を縛って柱にくくりつけた。万里子が針金で括られたのと同じである。

 あの時は、催眠術にかかったように万里子は家畜に近い気持ちになった。

「可哀相だが、今夜はこれで辛抱しろ」

 よほど酷く痛めつけられてきたのか、女は全く抵抗しなかった。

 繋がれた女の惨めな姿を見るのが恐ろしくて、万里子は横になると

固く眼をつぶった。あわただしかった一日の疲れで、頭の中がすぐに

朦朧となった。

 意識が遠のきそうになったとき、男の体重がドサリとかぶさってきた。

いきなり足を持ち上げられて、あっと眼をひらく。まだズロースを許されて

いないので、ワンピースの下は丸裸かである。

 男が割り込むと、毛の薄い肉のあわせ目がパックリと口をあけた。

 ウッ…、と万里子は息を詰めた。



     六、開店前夜


 だが、もう痛いことはなかった。

 抜き差しされると、穴の周りで微かに卑猥な音がする。

「ふむ、少しは濡れるようになったな」

 穴の中で、太い肉の塊りが休みなく動き続ける。ときどき、痺れるような

感覚が衝きあげてきて、万里子は眉をひそめた。

「ハァ…ッ」

 万里子は、かすかな吐息をついた。

「てめえ、気分出してんのか?」

 源次郎が、グン…と奥を突いた。

「ウゥンッ」

 腰のまわりが熱くなって、万里子は衝動的に男にしがみつこうとした。

「待ってろ、せっかくの預かりものだ。こいつを先に片付けてからにしよう」

 急に下半身が軽くなった。手から風船が飛んでしまったような感じで、

こんな気持ちは今までになかったことだ。

「おいお前、何ていう名前だ?」

 源次郎は、身体の向きを変えた。

「………」

「返事をしろ、この野郎!」

 グシャッと、女がどこかを殴られたような音が聞こえた。ギョッとして

万里子は我に返った。

 すぐ横で、両手で乳房を抱えた女が身体をよじっていた。万里子より

色が白い、胸の豊かな女だった。

「カ、和美…、です」

「いいか、聞かれたらすぐに返事をしろ!」

「ヒィィッ」

 今度は、手ひどく頬を張った。

「てめえ、本気で働く気があるのかよ」

「は、はい…」

「逃げやがったら承知ねえぞ」

 スカートが捲れ、ブラウスが肩までズレて乳房が両方とも飛び出している。

存分に威嚇しておいて、源次郎は蒲団に胡座をかいた。

「どうして、身売りなんかする気になったんだ」

 和美はうつむいて全身を固くしていた。崩れそうになる気持ちを

必死に耐えている様子が哀れだった。

「男にでも捨てられたのかい」
「いえ、学徒出陣で…」

「ほう、彼氏は特攻隊か?」

「はい…」

「そうか、そいつは気の毒だったな」

 源次郎は、吐き捨てるように言った。

「あきらめろ。どっちみち、お前の運が悪かったんだ」

「………」

「覚悟さえ決めりゃ、男はこれから幾らでも抱けるさ。それが死んでった

奴への供養ってもんだ」

 ヒーッと咽喉を鳴らして、和美が顔を覆った。耐えていた悲しみが

いっぺんに噴き出したように肩を震わせている。

「泣いたって仕様がねえだろう。ボロ屑になっても生きていたほうが勝ちよ」

 胸を締めつけられる思いで、万里子は打ちのめされた女を凝視していた。

「俺はそう簡単にゃ殺されねえぞ。無駄に死んでたまるか!」

 嗚咽したあとの筋肉がまだヒクヒクと痙攣している。いきなり太腿に

腕を伸ばすと、和美はビクッと身体を縮めた。

「来い、道具を調べてやる」

「あ、あっ」

 足首を掴んで引き寄せると、太腿がつけ根までムキ出しになった。

倒れまいとして和美はとっさに後ろ手で身体を支えた。

「この野郎、ズロースなんか穿いてちゃ商売にならねえだろうがっ」

 源次郎が、柔らかな内腿をビシッと平手で打った。

「も、申しわけありません」

「おい、こいつのズロースを脱がしてやれ」

 万里子はオロオロと立ち上がった。そばに寄ると、ほの暗い電灯の下で

内腿にクッキリと掌の跡がついていた。

 肌の色が白いぶんだけ、胸や太腿のあちこちに青黒い痣が痛々しい。

ポン引きにむごい私刑を受けてきた名残りである。

 初めての夜のことを思い出して、万里子は手がふるえた。

「すいません…」

 ズロースに指をかけると、和美はそっと腰を浮かした。

 万里子はなるべく顔を見ないようにして、爪先からズロースを抜いた。

「股をひろげてみな」

 黙って、和美は自分から膝を曲げた。ためらえば虐待は2倍になって返ってくる。

 自分のより広い範囲に生えた陰毛と、なまなましい肉の断裂を見ると、

万里子はあわてて眼をそらした。

「わりと毛深いほうだな」

 乱暴に毛を掻き分けて、源次郎が捩じ込むように指を二本入れた。

「もうちょっと、こっちに来い」

 指を曲げて恥骨の内側にひっかけると、容赦なく手前に引いた。

「ううっ…」

 首を繋がれているので、後ろ手のままのけ反って、和美は腰を突き出した

恰好になった。

 真正面から秘部を晒して、じっと指の動きに耐えている。

「まあ、道具は悪くねえな」

 柱から伸びた麻縄が首に食い込んで痛々しい。ひろげた脚のつけ根から

湿って粘り気の強い音が聞こえた。

「けっこう、でけえおサネじゃねえか。こりやぁインランの相だぜ」

 ぐりぐりと手首を動かしながら、源次郎は面白そうに言った。それから

指を突っ込んだまま、片手で万里子を抱いた。

「あっ、イヤ…」

「お前も明日から客を取るんだ。記念に可愛がってやろう」

 横抱きにされると、先刻のヌメリが思いがけないほど滲み出していた。

丸くて固いものが何の抵抗もなく滑り込んできた。

 ウッと胸をそらして、顔を横に向ける。

 眼の前に、白くて柔らかそうな女の下腹があった。男の指が動くたびに

小刻みに波うっている。

 万里子は、男の肩越しに和美を見上げた。二人がまともに視線を合わせたのは、

これが始めてである。

「お前たち、これからは姉妹同然だ。仲好くやらなけりゃ駄目だぞ」

 和美の股間を弄びながら、源次郎は無造作に腰を揺すった。

「あうっ…」

 恥ずかしいとか、見られたくないといった感情を超えて、お互いに酷いめに

合わされているほうが気が楽であった。

 男の下敷きになって、万里子はハッハッと荒い息を吐いた。

 ときどき眉をひそめて、和美は焦点のない視線でそれを見つめている。

 突き上げられるたびに身体中に痺れが広がってくる。

「もっと力を入れて穴を締めろ!」

 ビクンと腹筋が跳ねて、その途端、身体の奥から火のような熱い塊りが

急激に盛り上がってきた。

「あっ、あっ…」

 万里子は、夢中で源次郎にしがみつこうとした。

 穴のまわりから、何かがどっと噴き出してきて、もう止まらなかった。

柘榴の実がはじけるような感覚が何回もあった。

 万里子は、自分でも何を言っているのかわからない叫び声を上げた。

 おかっぱの頭が激しく揺れる。脚が突っ張って、そしてガックリと

全身の力が抜けた。

「イキやがった…」

 万里子には、源次郎が言った言葉の意味がまだわからなかった。

 今のは、いったい何だったのか…。

 魂が抜けたように、呆然と天井を見上げている。

「案外ダラシがねえな」

 立ち上がって、源次郎は赤く濡れ光りしたやつを和美に向けた。

「待たせたな。あとはお前が始末しろ」

 和美は、反射的に足をひろげた。

「この野郎、誰がハメてやると言った!」

 いきなり突き飛ばされて、起き上がろうとすると、今度は胸を蹴られて

仰向けにひっくり返った。どうして足蹴にされたのかわからないが、

和美は夢中で両手をついた。

「許してくださいッ」

 だが、いくら謝っても所詮は逃げ道のない蟻地獄だった。

「てめえ、もう俺の女だと思ってるのか」

「いえ。そ、そんな…」

「淫売のくせに、馴々しい態度をとるなっ」

 頭を踏みつけられて、和美は思う存分カビ臭いタタミの匂いを嗅いでいる。

「やめてよゥッ」

 万里子が泣きながら足に縋りついた。

「この人、何にも悪いことしてないじゃないよゥ。可哀相じゃないよゥ…」

「お前は黙ってろ!」 源次郎は、長い髪の毛を鷲掴みにしてぐいと女の顔を捩じった。

喰いしばった前歯をこじあけて男根を深々と奥に突き刺す。

「ぐぇぇ…」

 和美は身をよじった。

「私がするからッ。ねぇもうやめて…」

 ヌルヌルした生臭い味は、自分のほうが良く知っている。万里子は

懸命に年上の女を庇おうとした。

「ゲフッ…」

 咽喉が鳴って、和美の唇の端から濁ったヨダレのようなものが糸を引いて落ちた。

「女の道具はおまんこだけじゃねえんだ。よく覚えておけ」

「わ、わかり…、ました」

 髪の毛を離すと、和美はズルズルとその場に崩れ落ちた。

「お姉ちゃん…ッ」

 万里子がその上から折り重なるようにとりすがった。

「だいじょぶ、もう大丈夫だから…。あ、ありがとう」

 眼の前で女が抱き合っている。それを見下ろしている源次郎の脳裏に、

ふと昼間会った幸枝に似た女の顔が浮かんだ。だがあいつは香代を

連れていなかった。

 そんな筈はない…。

「てめえ達、早く眠っておかねえと明日からキツイぞ」

 源次郎は、一人ごとのように言った。

 翌日…。

 街にはいつもの通り『リンゴの歌』が氾濫していた。

 ポン引きの平吉が最初の客を案内してきたのは午後6時…、

黄昏の明るさがまだ少し残っている頃であった。

「若いお姐さん、御指名ですぜ」

 緊張して身体が震えた。

「お前が先だ…、失敗るんじゃねえぞ」

「ハイ…」

 今日は夕方から、万里子は新しいズロースを穿かされている。

 それは、引き返すことの出来ない娼婦への道であった。




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