淫乱 VS 変態

              



   一、ガリ版の時代

 敗戦でタブーだったセックスが一挙に解放され、女たちが、おそるおそる

禁断の木の実に手を伸ばしはじめた頃の話である。

 そのころは貸本屋が全盛で『猟奇』『赤と黒』『りべらる』といったいわゆる

カストリ雑誌が出回っていた。もちろん、SMなどという言葉はまだ登場して

いない。内容は単純な濡れ場の描写がほとんどである。

 四文字の卑語は当然まだ禁句で、たいていは「××××」、それが「おま××」

「おま×こ」となり、おまんこという活字が堂々と印刷されるようになったのは、

実に昭和60年代の終りからのことだ。

 滑稽といえば滑稽だが、そのために、肉壺とか肉棒、秘花、花芯などと

さまざまな別称が生まれた。これがどの程度の文学的な価値があるのか

判らないが、現在でもエライ先生がたはこうした表現法をお使いなさる。

 SMの匂いがする作品でも、大半がリンチや強姦もので、戦後ベストセラーの

第一号となった田村泰次郎の『肉体の門』もこの系列に入る。さすが、この言葉の

持つ巨大なイメージは現在に至るまで不滅である。

 こんなとき街で横行していたのが、ガリ版刷りの春本であった。たいていの

貸本屋がこっそりと裏で扱っていた。

「アア良い良い、いくいく…」

「フンフン、はァはァ」

 といった、いわゆるスーハー本で、今では市販の官能小説の方がはるかに

強烈で内容も充実しているので、完全に滅び去ってしまった。だがなかには

結構面白い、名のある先生の戲作ではないかと思われるようなものもあった。

その代表が、永井荷風作と伝えられる『四畳半襖の下張り』である。

 このあたりの考証は、いろいろな資料も発表されているのでさし控えるが、

SM関連の春本として、一つだけ御紹介しておくことにする。

 SMというより残虐小説と呼んだ方が良いかも知れないが、ストーリーといい、

責めの卓抜さといい群を抜いた作品があった。

 タイトルは『人面鬼』という。

 別荘に若い女を次々に引き込んでは犯し、責め殺してゆくのだが、両足を

椅子に縛って焼き鏝で灼いた股間に男根を挿入したり、奇怪な道具で乳首を

ねじ切ったり、ついには美女を二頭の馬に繋いで股裂きの極刑に処するところで

クライマックスを迎える。

 ガリ版印刷が普通のころ、人面鬼は上中下三巻の活字本になっていた。

今では幻の名作である。最近亡くなられた某有名作家の作品ではないかと

言った人がいるが、全く確証はない。

 もうひとつ『ラ・ロンド(輪舞)』というユニークな作品があった。

 一枚のハンカチーフが男から女へ、また次の男へと転々してゆくのだが、

マゾありサディズムありフェチありで、実に10組の異常な情事を遍歴して

持ち主に戻ってくる。筆力もたいしたものだが、美事な構成である。



    二、女王様第一号


 いよいよ『奇譚クラブ』が発刊されると、世の中のアブ・マニヤは狂喜した。

 何しろ戦後初めてのアブノーマル専門誌である。それまでモヤモヤしていた

変態性欲のイメージが鮮明になった。マゾとは何か、サドとは何か…、

さまざまなジャンルの原型が確立されていった。

 沼正三氏の「家畜人ヤプー」はいまやマゾヒストの聖典であり、羽村京子氏の

「A感覚の秘密」は衰えることをしらない浣腸ブームの原点である。

 その後『風俗奇譚』や『裏窓』が創刊されたが、最近の風俗雑誌に比べて

格段に権威があった。その意味で裏窓は作者を育て、奇譚クラブは読者を

育てたと言っても良い。

 紹介される情報は全国レベルで行きわたりマニヤの常識となった。いわば

アブノーマルセックスの教科書であり、貴重な情報源である。(私は当時すでに

変態クラブを経営していたが、もちろん一読者にすぎなかった。したがって

これから先の記述もあくまで個人的なものであることをお断りしておく)

 この奇譚クラブに、たしか見開き2ページほどの短い投稿記事がのった。

署名は、森山美歌とあった。

 そこには、三吉と安という二人の奴隷にかしずかれて、欲しいままに性の快楽を

むさぼる淫蕩な女の告白が赤裸々に綴られていた。

 しかも、お望みならあなたも奴隷に加えてあげようか…、これが大反響を

巻き起こさない筈がなかった。

 翌月からの読者欄は、美歌女王様への奴隷志願者からの通信で

埋めつくされることになった。編集部には、恐らくその数百倍の手紙が

殺到していた(と思う)。

 私は変態ですと言って名乗り出てくる女など考えられなかった時代である。

サドの女王は、小説の世界でのファンタジーだった。 私生活をさらけ出して、

女王様として誌上に登場したのは、森山美歌が第一号である。

 奇譚クラブでもS女王はそれまで幻想的なイラストで描かれていた。のちに

春日ルミが女王様モデルとしてグラビヤに登場したが、森山美歌の謎に満ちた

淫蕩な匂いには、到底及ぶべくもなかった。

 マゾ男たちは、みな涎を流して三吉と安の奴隷コンビに羨望の

まなざしを向けた。

 だが森山美歌は、僅か一・二篇の告白手記を発表しただけで、誌上から

消えてしまったのである。写真も住所も、その痕跡さえ残さなかった。

 しかし、ファンは彼らが実在の人物であることを疑わなかった。それだけの

強烈な存在感があった。噂から噂が頼りない情報をもとに語り伝えられていった。

 こうして、女王様森山美歌は、伝説の女になった。



    三、淫乱vs変態


 ここに、森山美歌と三吉にもう一人の女性を加えたプレイ写真がある。

 美歌はチャーミングな短髪で、もう一人はスラッと背が高くて痩せた

人妻風の女…。

 三吉は堂々たる恰幅の紳士なのだが、まるでアラビヤンナイトに出てくる

王様のような奇妙で滑稽なペインティングをしている。

 立ったまま後ろ手に縛られて、股間にアイロンをぶら下げたところに美歌が

しゃぶりついて、人妻風の女が眼の前でこれ見よがしに大股を拡げているポーズ。

 人妻に挿入した三吉がおどけた表情で美歌に叱られているポーズ。

 三吉を四ツ這いにして、二人の女が交代で舐めさせながら狂いまわって

いるポーズ。 美歌が両手で精液をしぼり出して、美味しそうに舐めとって

いるポーズ…。

 最近のSM写真とは全く傾向が違う。まるで二匹の猫が豚とじゃれ合って

いるような、一枚一枚から淫らな歓声が聞こえてくるような作品で、撮影者は

安氏である。

 グループのパトロンは、もちろん三吉氏だった。

ある上場会社のエリートサラリーマンで、彼と交流ができたのは、奇譚クラブから

名前が消えて暫く経ってからのことだ。

 まだ若造だったが、私が美歌を借りたいと言うと、どこをどう見込んだのか、

彼は快く承諾してくれた。あるいは、彼の関心はそのときすでに人妻の方を

向いていたのかもしれない。

 場所は、渋谷の小さな喫茶店…。

 約束の時間どおり、森山美歌は黒のスーツにビーズのハンドバックを

提げて現れた。

 プレイ中に捻挫したとかで、不自由そうに脚を引きずっている。

「バカだな、変な恰好するからだ」

「すいません、でも何とかやれますから…」

 マゾ男の憧憬の的になっていることなど、少しも意識していない。初対面から

人なつこく、すなおな可愛い女だった。

 向かい合って腰を下ろすと、私は頭から言った。

「お前、本当はマゾだろう」

「えっ、わかりますか…?」

 力のあるマゾの男に仕込まれた女は、所詮遊び道具である。

女王様といっても、その後ろには常に三吉の意思が働いていた。

 奇譚クラブに寄せた手記も、実は三吉氏が書いたものだと思うが、世の中が

インフレと住宅難に喘いでいた時代に、彼は独力で夢の世界を創りあげて

いた。それが、美歌女王様の魅力の根源でもあった。

 話を聞くと、美歌は若いくせに一度離婚を経験していた。三吉のパートナーと

なるためにはどうしようもなかったと言う。

「そんなに、おまんこが好きなのかい?」

「大好き…、もう病気なのね」

 美歌は、ちょっと哀しそうな顔になった。

「仕様がねえ、それも生まれつきだ」

 結局、私は美歌に門田奈子を組ませて男を与えてやることにした。

 門田奈子は、私に対しては徹底したマゾだが、美歌と同じようにSMどちらでも

いける両刀使いである。この世界では超インランの女王様としてひとかどの

スターだった。

 つまり、このコンビはある意味で夢の実現だったのである。

 性欲過剰型の奈子に比べて、三吉仕込みの美歌にはひと味違った

面白さがあった。自分の恥垢をとって平気で男に食べさせたり、責め言葉にも

たっぷりと芝居気がある。

 奇譚クラブという変態史上に稀有の足跡を残した雑誌の陰で、これは、今日まで

誰にも語られることのなかったエピソードのひとつである。





(完)