*****「女性腋窩譚」*****






毎年、夏の候となると、女性の腋窩に関する戯文やマンガ等が

「夫婦なんとか」「○○実話」などという雑誌累に、よく掲載されます。

その殆ど全部が、例の黒々と生い繁った脇毛が、ある種の幻想を

伴って男性を刺激するというテーマで、又、事実電車の吊革などで

若い女性の腕の付根をチラチラ瞥視した経験は、大抵の男性なら

皆持っている事では、ないでしょうか。

これは、男性側の窃視性が女性側の露出性便乗して心の中で

彼女を裸体にむいて様々な幻想を描いて見る一種のはかない

サヂストの夢とでも申せましょう。

だから、百人が百人、感じ得る感覚であるから、これは何も

アブノーマルな境地とは、言い得ないかも知れません。

また流石の奇譚クラブにも、腋窩に対する偏執を記した告白、

或いは記事は、極すて稀か、殆ど皆無であったのではないかと思います。

しかし、私のように腋窩を対象としたサヂスティックな境地を求めて来た

者の告白を奇クを通じて、発表していただきたいと思うのは、やはり、

私の経験や方法に、多少なりとも賛同して下さる諸兄姉が、居られる

のではないかと思うからです。

吊革の覗視に対しても私は異常な昂奮を感じますが、この程度の事は、

誰にもある事で、強いてアブとは申されません。 しかし、私の場合、

現在の私の妻は、この事のために、結婚初夜以来、約三ヶ月の間

処女でいたという一事をもって、私の腋窩に対する偏執の一端を

御想像いただきたいと思うのです。

が、現在の妻は、私にとって、あまりにもノーマルでありすぎます。

私は再三、妻を、私と同じ境地に引き入れようと努力致しましたが、

遂に私は満足する事が出来ずに居ます。

私が、これから告白しようとする事は、主として前の妻、と言っても

私の学生時代、内縁関係で同棲していた好子という女性との事なのです。



私が、好子を知ったのは、彼女が十七歳私が「ことり座」という

素人の児童劇団を主宰していた頃の事でした。「劇団」などと称しても、

最年長の私が新制高校卒業早々で、他に座員七名というのですから、

今でいうティーンエイジャーの交際グループと言った様なものだったのです。

しかし私たちは、一ぱしの芸術家の卵を気取って、大いに演劇論や

芸術論を討論しておりました。もっとも今から考えてみれば、その日その日に

観た映画の評判程度でしたが…。

そうしたグループの中で、私が、何故好子の腋窩のみに心を奪われたかと

申しますと彼女が其後腋窩露出症のマゾヒストとしてぐんぐん成長して

行ったからに他ならないのですが、当時は、他の女学生達と比べて、

彼女が、非常に濃い脇毛を持っていたという単純な動機からでした。

それが、私がやがてN大学に入学し、新宿のアパートに下宿する様に

なると、続いて好子も上京して、浅草橋の近くの運送屋に事務員として

通勤しながら同棲するようになって初めて私達の本格的アブ・プレイが

始まったのです。それまでは、両親の眼もきびしく、お互い同士、未知の

世界のことでもあり、精神的な愛情といった面が強く、唯、私が好子の

腕を高く上げさせ、その腋窩に接吻するといった程度のものでありました。

それでも、若い私は、好子の腋臭を、むっと吸い込むだけで、たちまち

感覚の爆発の起こるのを、どうする事も出来ませんでした。

こうして、両親の眼をはなれ、無分別な若い身空で別天地に放置された

私達の毎日の生活は、幼い、しかし、真剣な悦びに充ちたアブ・プレイの

連続であったのです。だから、私達の場合は、誰に教えられる事もなく、

全く独自の技巧を発見していったと申しても、そう僭越な言い方では

あるまいと思います。

好子の腋臭は、決して特異なものではありませんが、ねっとりと、

すえた様な鼻にからみつく甘さがあって、この甘さだけは、其後私が

腋窩に手をさし入れた何十人かの女性の中にも、彼女に匹敵する者は

居りませんでした。

私達のプレイは、この腋臭を嗅ぐ事から始まったのですが、同棲してから

というものは、これが急速にサヂ対マゾの関係に発展して行ったのです。

私達のアパートは、四畳半の一間でしたので。私の発見(?)した縛りには

最も都合の好い広さでした。両手をそれぞれ別の二本の縄——私達は色彩と

幻想的な雰囲気を増すために、好子の下紐や、しごきを用いました——

を結び、部屋の隅に取り付けた金具に、くくりつけてぎゅっと張ると、

好子の身体は丁度大の字に伸びきって、思う存分、腋窩を拡げる事が

出来るのです。

縄の緊迫による苦痛が全然ありませんので、長時間そのままの姿態で

楽しむ事が出来る点が、第一に私の気に入りました。こうしたあまりにも

開放的なポーズをとると、好子の露出慾も十分満たされて、羞恥と、

満足感とに桃源郷をさまよう様な気持ちになるのです。

私は、好子の腋窩に頬をすりよせ、その素晴らしい腋臭いを胸一杯、

吸い込みます。頭髪のように雑物の臭いの混じらない純粋の女臭、

それは、どの様な高価な香水よりも強く私を魅了してしまうのです。

しかも不潔感は全然ありません。腋窩を、ぐいっと露出させて、そこに、

ぴったりと掌を押しつけた時の感覚、乳房のそれの様に、頼りない

柔らかみではなく、ぷっくりとふくよかな中にも、コリッとした手触りがあって、

私にとっては、何物にもかえ難い喜悦なのです。

私は、決して、好子を後手に、縛りませんでした。それは腋窩の美を

損なう事が、唯一の原因でありましたが、その代わり、両の手首のみの

吊し責めの様な、相当苦痛の伴うプレイも、ある程度まで行いました。

勿論吊し責めの場合は、足が十分畳の上についているのですが、

それでも足首を縛っておくと、重心の支えがつかず、一寸した拍子に、

非常な苦痛を与えるのです。

その事を好子はよく「腋の下がねじ切れそう——」と申すのです。

——以下五十三行略——



そして、大学生活の四年間を終ると、私はある事情から、遂に好子と

別れる事になりました。郷里へ引込むとすぐ、現在の妻と平凡な結婚を

強いられ、現在に至っています。しかし、私にとって、首筋、乳房、腕に

向かっての女性の最も複雑な線を内蔵している腋窩こそは、永遠に

憧れの的であり、女性の焦点なのであります。




*****「コレクション」(私のスクラップノートから)*****


私は、毎夜ひそかに、自分のコレクションブックを取り出して、眺めることが

日課のようになってしまった。

すると、過去三年にわたって、私があさり続けた数十人の女性たちの顔や肉体が、

それらのコレクションを通じて、さまざまな幻想となって浮かび上がってくる。

私は以前にも述べた様に、脇毛偏執という性癖を持っているが、本質的には、

立派(?)なサジストであると自認しているので、その幻想の中には、決まって

ある種のサジスティックな場面があらわれる。

勿論、数十人の女性の中には、単に脇毛を提供してくれたか、こちらから

何気ない風を装って抜きとったとか、とにかく、その場限りで終わってしまった

数の方が、遥かに多い。しかし、その中には、私にとって、一生忘れられない

想い出となった女性も、決して少なくはなかった。

その想い出、私の秘めたる履歴書を、告白し、貧しい体験ながらも、諸兄姉の

お仲間に入れていただきたいと思う。

そしてもし誰方か、御自身の脇毛を提供下さる方があれば、私にとって

この上もない幸福であるし、永く、私のスクラップ・ブックに記念させて

いただきたいと思う。

この意味でも「奇譚クラブ」は私にとって貴重な、唯一の雑誌なのである。



昭和二十四年、九月六日、野川徳子、十七才(仮名) これが私の

スクラップ・ブックに記録されている女性のうち、最も都市の若い少女である。

当時、数えの十七才だから、満十五才と十ヶ月、S市新制中学の三年生

であった。この他、満十七才の少女は数人記録されているが、十五才代は、

野川嬢唯一人で、これは私にとって、今後二度と得難い、貴重なコレクションの

ひとつなのである。

その数も、僅か二本———。

私は、その頃、Sという東海の中都市で小さな素人劇団を主宰していた。

小学生十三名、中学生六名、その他高校生や卒業早々の私達が数名

「小鳥座」と呼ぶ児童劇団を組織したのが、その年の三月、S市主催の

文化祭が行われるので、劇団コンクールに参加する事となって、稽古に

夢中になっていた。その日が、あと一週間後に迫り、今迄四時から七時までと

決まっていた稽古時間を、父兄の諒解を得て、三時から十時までに延長し、

私たちの張り切りかたといったらなかった。

十時までとは言っても、どうしても十時半、時には十一時を過ぎることもある。

九月六日は、いよいよコンクールの二日まえで、明日は準備と休養のため

一日休みと決めて。これが最後の仕上げであった。幸い日曜日なので

朝からぶっ続けに四回、五回と練習を重ねて行った。

演し物は「アラジンと不思議なランプ」。野川徳子は、その中で薄幸の

お姫様に扮していた。 ご承知の様にアラビアン・ナイトより取材した童話劇で、

なまけ者のアラジンが、魔法のランプを手に入れて生まれ変わり、悪魔に

さらわれたお姫さまを救って“良い子”になるという筋書きである。

私は、この中で、演出と魔法使いの悪魔を演じていた。

童話劇では、他の演劇と異なり、善悪、美醜が判然と別れている。

悪魔は、徹底的に“悪”を代表し、お姫さまはあくまでも“美しく可哀相

でなければならぬ。そこに、私の秘められた悦びがあった。そして、この劇の

クライマックスは、姫を手に入れて、我がものにしようとする悪魔と、そこに

のり込んで来たアラジンとが、不思議なランプをめぐって、大争闘を展開する、

という場面で、この場面を中心に何回となく練習が繰り返されたのは

勿論である。 私が、野川徳子を横抱きにして現れ、彼女が、悲鳴をあげて

逃げまどうのを、ぐいと腕をつかんで引き戻すと、ウフ、ウフ、ウフ、と

笑いながら、爪を逆立てて迫ってゆくシーンは、その次にくるアラジンの

出現にそなえて、出来る丈どぎつく、恐ろしく演出した。彼女が、私の

腕の中でもがく時、半袖のセーラーのつけ根から、生え初めたばかりの

脇毛が、チラチラと見えかくれするのが、私にはたまらなかった。

あの脇毛を——と何回考えた事かしれなかったが、見る目の多い稽古場では、

どうしてもそれを手に入れる口実も方法も見出せなかった。しかし今晩限りで、

公演終わってしまえば、二度と手に入れる事は出来まいと思うと、どうしても

今晩中に、と、私の心は焦るのだが、結局いつもと同じように、やがて

十時が近づいて来た。

もう皆、くたくたに疲れ果てて、アラジンをやる立川という少年などは、

汗をびっしょり流して一回立ち回る毎に、ハッハッと切ない息使いで

座り込んでしまう始末だった。

私は、「今日一晩だ、頑張ろう」 と声を励ましたが、もう立ち上がってくる

ものも居ない。

「よし、それじゃ、皆少し休め、そして、野川さんだけこっちに来て、

僕ともう一度立ち回りの練習をしよう」

彼女も、しかし皆以上に疲れ果てていた。

「先生、私も、もう少し休ませて、ね、おねがい、もうとてもたまらないの」

「駄目駄目、一分でも時間が惜しいんだ。その代わり、これが終わったら、

しばらく休めるから、我慢して」

私は野川の手をとり、無理矢理引き起こすと稽古場にたった。

悪魔: さぁこい、お前はもう、二度と逃げ出す事は出来ないんだ。

姫 : はなして、はなして下さい。

悪魔: ハハハ、離せるものか、折角苦労して手に入れたお前だ もう逃しはしないぞ。

姫 : アラジン……

悪魔: こっちへこいというのに。

姫 : アラジンさま。(ト、悪魔から逃げ出そうとする。悪魔、それを捕らえて、短刀を抜く)

悪魔: うるさい、さぁ、この短刀で、お前の、その美しい胸を一突き、

ぐさりとやれば、それでおしまいだ、覚悟は好いか。

姫 : 助けて、助けて。

悪魔: ウフ、ウフ、ウフ……

と、そこにアラジンが駆けつけるのだが、そこから先は、私にも興味がなかた。

私は皆に再び練習を始める様に命じて、野川を休ませた。もう科白は

全部暗記しているし、演出も完了しているので、一同は機械的に動き出した。

私は、しばらく、彼等の動きを見守っていたが、ふと思いついた様にして

野川徳子を呼んだ。

「一寸、外へ出よう、打ち合わせがあるから——」

野川は、上気した顔付きで、私の後について外に出た。月は、なかった。

暗い稽古場の横の空地で、私は、内から聞こえてくるアラジンや、王様などの

科白を聞き流しながら、野川と向かい合った。

「君は、悪魔と向かい合った時、ちっとも怖そうな顔をしてないじゃないか、

声だけで助けてくれと言っても、駄目なんだぜ」

「ハイ」

「いいか、もっと恐ろしそうな顔をするんだ、こうして僕が君の腕を捕まえたら……」

「いや、先生」

野川は、本能的に身を引いた。

「大丈夫だよ、芝居じゃないか、僕が、こうして腕を捕まえたら、君は本気で

力一杯、振りはなすんだ、いいか、僕も力一杯やる、さぁ、逃げてごらん」

「ア、嫌、嫌よ」

私の手が、彼女の胸に触れ、ともすれば、抱き締めそうにするので、

野川は、本気になって、振り解こうと努めた。

「さぁ、こい、こっちへくるんだ」

私は芝居とも本気ともつかず、尚も腕に力を入れた。

「あっ、助けて、嫌です……」

野川も、現実と芝居が混同しているらしい、身体をもがくのも、何となく

芝居がかりで、お姫さまを意識しているらしかった。

私は、彼女の腕を握り、セーラーの袖から手をさし入れて、彼女の、薄く、

細い脇毛を力一杯抜きとった。

「痛い——」

野川は叫び声を上げたが、私がすぐに芝居気たっぷりの動作にうつったので、

そのまま、再び姫と悪魔の関係に戻って、しばらくの間、もみ合っていた。

彼女は、首を締められ、腕をねじ曲げられて、きれぎれに、

「ア、ア、アラジン……」

と叫んだ。私は酔った様に、かぼそい身体を抱きすくめた。

演劇の名の下に。遂には、彼女は、ほろほろと涙を流して、

「アラジン、アラジン……」

と叫びつづけた。

「よし、今の気持ちを忘れるなよ、今から僕は、公演が終わるまで、

悪魔として君に向かうから、君もそのつもりで——」

私は、そう言い棄てて再び室内に戻った。その後、私は、野川徳子を

精神的にも、肉体的にも責め続けた。その故か、彼女は、いつも私の前では

おどおどしていた。

そして当日、千数百人の観客の前で、私は、野川徳子を力まかせに

押さえつけ、彼女が思わず本当の悲鳴を上げるのを、夢中で聞いた。

彼女の脇毛が、アラビア風の薄いドレスの下から見えかくれするのを

楽しみながら、私はこの立ち廻りの数分間が、何と短く、そして愉快だった

事であろうか。私は、劇が終わってから、野川徳子が、楽屋の片隅で、

オイオイ泣いているのを見た。友達が何と言っても、彼女は唯首を振るだけで

あった。或は、彼女自身の体内に、マゾヒストとしての芽ばえがあったのかも

しれない。

その泣き声は、澄んで美しく、苦痛や悲しみの響きは一切含まれていなかった。

むしろ、喜びにふるえている様であった。私は泣き倒れている野川の背中を、

言い知れぬ快感を、もって眺めていた。

こうして、私のスクラップ・ブックには、野川徳子、十七才、という文字が

書き込まれたのである。

蛇足ながら「小鳥座」の「アラジンと不思議なランプ」は、S市演劇コンクールの

たしか二等賞を獲得した——。


(完)