ああ上野駅




 戦後50年を語るとき、東京の裏玄関上野駅の変遷は、
欠かすことのできない世相の縮図である。

 敗戦直後の上野駅は幸い原形を保っていたが、当時の連絡通路、
通称「上野の地下道」には浮浪者が住みつき、戦災孤児のねぐらに
なっていた。列車が到着するたびに自分の体重ほどもある荷物を
かついだ「買出し部隊」が溢れ出る。東北、常磐、上越方面から来る
列車の終着駅だから混雑も凄まじかった。

 やがて高度成長時代に入ると、洋装は一変して、今度は地方から
出てくる家出娘が問題になる。その数は一日に30人とも50人とも言われ、
構内には家出人専用の交番まで設けられることになった。

 田舎を出るときにかけてきたアカ抜けしないパーマネント、
風呂敷包みを抱えて呆然と立っている若い女は、その道のクロウトが
見ればすぐにわかった。

「おねえさん、どこに行くの?」

「えっ…」

 どこからともなく、得体の知れない背広の男がスリ寄ってくる。

「どう、今晩安く泊まれるところを世話しようか?」

「………」

「働く気があるんだったら、仕事の面倒見てやっても良いんだぜ」

 答えるヒマもなく、男はとっさに荷物を奪って歩き出している。

「アちょっと、待って…」

 娘はあわてて後を追うが、太刀打ちできるような相手ではなかった。

 連れ込まれる先は、たいてい吉原にほど近い裏町の安宿である。

 一般の旅行者が泊るわけではなく、そのころ、浅草のポン引きと
契約しているもぐりの淫売宿が、このあたりには何軒もあった。

 私が体験したのは、軒先に『日の出旅館』という小さな看板をかけた店で、
ポン引きの話を信用して上がったのだが、二日ほど前に長野県から家出して、
上野で拾われたという18才の小麦色の肌をした娘である。

 布団の横でうつむいているのを引き寄せると、別に抵抗する
様子もなかった。

「お前、今夜が初めてだって本当か?」

「そう…」

「どうして、こんなところで働く気になったんだよ」

「わ、わかんない」

 東京にきてこんなことになろうとは、本人も考えていなかったに
違いない。

「おまんこは、やったことあるんだろ」

「うん」

 乗りかかると、黙って脚を少しひろげた。 先端を呑み込んだとき、
僅かに眉をひそめた。眼頭に、涙の粒が浮かんでいる。

「まあいいや、あきらめて気分出せ」

「うッ、うえぇ…」

 とうとう我慢できなくなって、少女は哀し気な声をあげた。

 夢だけで上京してきた娘たちにとって、東京はまるで海のように
広かったのである。

   


<完>