一、イレズミ熟女
「だって、こんな身体、誰も相手にしてくれませんもの」
美智代は自嘲するように笑った。
「ふうん…。それで結婚することができなかったのか?」
本人は38才と言っていたが、実際にはもう少し上だったかもしれない。
水商売だが和服のよく似合う品の良い女である。
「見せてみろ、何を彫ってるんだ」
「カンニンしてください。こんな明るいところじゃ恥ずかしくて…」
構わず着物の裾に手をかけると、女はあわててそれを押さえながら言った。
「あ、見せます。でも笑わないで…」
年がいっているので、悪あがきはしない。美智代は自分で帯をゆるめ、
立ったまま着物の前を開けた。
「ここなんです…」
わずかに股を広げる。薄い水色の腰巻の間に、思ったより白い足が
伸びていた。
「そんなんじゃ見えねえよ!」
「アッ、いや…」
押し倒して乱暴に膝をひらく。和服に馴れた女らしく、パンティを
穿いていない脚のつけ根に陰毛が黒々とかげをつくっていた。
見ると、内腿のいちばんやわらかいところに、あまり上手でない字で
『まさる・命』と小さく彫りこんである。
「何だ、これだけか?」
「いえ、もっと奥なんです」
覚悟を決めたのか、美智代は仰向きになって、着物を臍のあたりまで捲った。
ハート型に生えた陰毛と重なって、肌に直接もう一つのハートが
描かれている。全体が黒々と見えたのはこのためであった。
そこに、腹のほうから斜めに矢が突き刺さって、先端が穴の中心を指していた。
「なるほど、こりゃあ可哀相だな」
いかにも素人くさい図柄だが、これではまともな結婚が出来る筈もなかった。
「まだ子供だったものですから…。刺青なんて、タワシでこすれば消える
くらいに思っていたんです」
「バカだな、こいつは一生もんだぜ」
「19才のとき、この人に夢中になって…。もう20年近く前の話ですけど」
『まさる・命』を掌で隠しながら、美智代はタメ息をつくように言った。
「ほんと言うと、私、それから男の人をあんまり知らないんです」
「嘘をつけ、さんざん遊んできたんじゃなかったのか」
「そりゃ口説かれたことは何回もありましたけど、身体を見られたく
なかったから…」
「じゃどうして、急にこんなところで働いてみる気になったんだい」
「だって、このまま終わってしまうんじゃ、あんまり惨めだもん」
眼にウッスラと涙をにじませている。
「いまさら恋愛でもないし…、男の人を相手にするんなら、結局こういう
商売しかないでしよう?」
変態クラブで働いて将来は自分の店を持ちたいのだという。
美智代の言い分には純情と三十女の図々しさが奇妙に同居していた。
「でもこんな年じゃ、もう無理でしようね」
美智代は、こちらの気持ちを探るように言った。
「そんなことはねえよ」
背中一面に弁天様というのも困るが、一人ぐらいはこんな女がいても
面白い…。
「お前の決心ひとつだが、変態をやったことあるのか?」
「いえ、でも教えていただければ…」
「とにかく、身体を見せてみろ」
帯を解かせてみると、色は白いが、乳房はそれほど大きいほうではなかった。
そのかわり、腹にはタップリと脂肪がついて、成熟した女のボリュームがあった。
膝から上が急に太くなって、このあたり、やはりおばさんの体型である。
男の数を知らないせいか、内部はそれほど崩れていない。大きめの
クリトリスをつまむと、美智代はピクンと身体を震わせてうわずった声を出した。
「や、やめて…。私、本当に馴れていないんですゥ」
「いまから感じてどうするんだよ。そんなんじゃ身体がもたねえぞ」
「ハ、はい…」
もともと、惚れた男の名前を平気で身体に彫らせてしまうような、
どこかマゾっぽいところのある女である。インランというのではないが、
美智代には、若い娘とはひと味違った淫蕩な雰囲気があった。
実際に客を取らせてみると、年令のわりにはけっこう指名もついた。
陰毛を剃り落とされて、ハートの刺青がいっそう眼につく。鞭の痕や
縄の擦り傷も絶えなかったが、不平も言わず、半年ほど順調に勤めが続いた。
美智代の様子に変化が現れはじめたのは、その頃である。
二、懲りないお人好し
同じ客からの指名が急に増えた。
その時に限って時間をオーバーする。調べてみると、相手は10才ほど
年下の不動産会社のサラリーマンであった。
「ちょっと来い」
私は美智代を別室に呼んだ。
「この客は何だ、お前に惚れているのか?」
「え、えゝ…」
美智代は下を向いたまま、小さな声で言った。客が女に夢中になって
入れ上げるというのは、良くある話だ。
「でもお金は、いつもちゃんと払って下さるものですから…」
反対にマゾ女が男に惚れてタダでやらせることは絶対禁止である。
それは美智代も十分に承知している筈であった。
「お前みたいなおばさんに、もの好きな奴がいるもんだな」
「そうですねぇ」
美智代は、チラッと上眼使いにこちらを見た。微かに下唇が震えている。
「私なんか、そんなに値打ちないのに…」
「まあ、いいさ」
私は、わざと素知らぬ顔で言った。
「間違いを起こさないようにやれ。こういう客は危ねえんだからよ」
「はい」
「ちょっと、おまんこを出してみろ」
エッと美智代は不安そうな眼をした。
当時、マゾの女が性器を調べられるのは当り前のことで、拒否することは
できなかったのである。
オズオズと着物の前を広げると、下腹部にザラザラした感じで短い陰毛が
伸びている。真ん中にかなり濃く色づいたビラビラがハミ出して、
甘ずっぱい性臭が漂っていた。
「こんな道具に、よく惚れたもんだな」
ピシャッと刺青を平手で叩く。
「また指名になってるぜ。今夜は泊りだってよ」
「あ、そうですか…?」
そわそわと着物の裾を直しながら、美智代は思いついたように言った。
「あのう、もしその前にお客様があったら、私、行きますけど…」
「泊りが遅くならねえか?」
「お馴染みさんだから、少しぐらい遅くなっても良いんです。いつも同じ人
ばっかりじゃ悪いから…」
その夜、美智代は指名の前にフリーの客をとって、その足で泊りに行った。
そして、そのまま戻ってこなかったのである。
再び姿を見せたのは、それから三ケ月も過ぎてからであった。
「申し訳ありません。ど、どうしても都合があって…」
半分あとずさりしながら、菓子折りと一緒に封筒にいれた幾らかの
金をさし出す。
「あのこれ、あの時の精算を…」
「今ごろになって、何を言ってるんだ!」
封筒を叩きつけると、美智代は急に顔を覆ってワッと泣き出してしまった。
「許してくださいッ。ワ、私、また病気がでちゃったんですゥ」
「くだらねえ男に惚れやがって、今度は何をやってきたんだ!」
「私がバカだったんです。優しいこと言われて、ついその気になって…」
髪がパサパサになって、以前のような品の良い水商売の雰囲気はなかった。
これでは、どう見てもただのオバサンである。
「も、もう一度、働かせてください。お願いしますッ」
「けっこう稼いだじゃねえか。このへんで、自分の店でも出してみたらどうだ」
冷たく突き放すと、美智代は肩を震わせてタタミに顔を伏せた。
「貯金なんか一銭もないんです。み、みんなあの人に…」
男に惚れたのも20年ぶりで、夢中になったあげく身ぐるみ貢いでしまった
気持はわからないではないが、お人好しの本質は少女時代とすこしも
変わっていない。
これが、この女の業なのであろう。
「それじゃ、あいつが遊んだ金は全部お前が貢いでいたのかよ」
「………」
これではギャラはトンボ返りで、いくら客をとっても追いつく筈がなかった。
馬鹿な女の見本のような結末である。
三、メス犬たちの友情
だがこれは、完全なルール違反である。
本人にとって、これほどわりに合わない話はないが、他の女たちへの手前、
見逃すわけには行かなかった。
「もう一度働くんなら、ひと月はノーギャラだぞ」
「えッ、でも私、お店には御迷惑かけていません」
「当り前だ。プロの女がタダマンやられるのは一番の恥だってことが
わからねえのか」
「は、はい…」
着物をはぐと、下にメリヤスの肌着をつけている。ウエストの太さも
また少し増したようで、何とも所帯じみた野暮な女になり下がっていた。
「こんな恰好で客が取れるかっ」
剃りあげていた陰毛ももとの通りに伸びきって、ハートの刺青を隠している。
「この野郎、はじめからやり直しだ」
隣の部屋に声をかけると、美智代はギョッとして身体をすくめた。
「いや、人を呼ばないで…。お願いッ」
そのとき事務所にいた女は3人である。構わず洗面器に水とカミソリを
運ばせて、みんなを集めた。
「お前たち、おばさんの毛を剃ってやれ」
女たちは顔を見合わせて、誰も手を出すものがなかった。
「許して、じ、自分でしますから…ッ」
美智代は、脱ぎ捨てた着物の上に身を縮めて、両手で乳房を抱えている。
「そこに寝ろ!」
抱えた乳房を蹴ると、美智代は奇妙な声を上げて仰向けにひっくり返った。
とたんに毛深いところがムキ出しになる。
「足をひろげてやれ」
女の一人がオズオズと足首を掴んでタタミに押さえつけた。もう一人が
反対側の足を持つ。残った女が、仕方なくカミソリを持って真ん中に入った。
「恥ずかしいッ、みッ見ないで…」
他の女たちはみんな20代の前半である。それが美智代には何よりもつらい。
30才を過ぎた女の腹は、マナ板に乗せられた河豚のように白くたるんでいた。
「あ…」
カミソリを持った女が刺青を見つけて、思わず小さな声を上げた。
「面白えだろう。傷をつけるんじゃねえぞ」
「ハ、ハイ」
緊張して、女は刺青の部分を避けて、逆の方向からそっとカミソリを入れた。
「ヒィッ…」
「あの、動かないで下さい」
女がカミソリを上げて、オズオズと声をかける。
「私、ほかの人のを剃るの初めてだから…」
「す、すいません」
美智代は上を向いたまま、眼をあけて天井の一点を凝視した。
女は気の毒そうに美智代を見たが、黙って作業を続けた。下手に口を出すと
災いは自分のほうにふりかかる。
三人ですこしづつ交代して、剃り終るまでにかなりの時間が過ぎた。
死ぬほどの恥ずかしさに耐えて、美智代は股を拡げたまま、身体を固くして
息をするたびに腹だけがわずかに上下している。
キューピットの矢が真っ直ぐにクリトリスを指していた。若い頃はそれでも
色気があったのだろうが、今となっては、トグロを巻いた肉ベラがハミ出して
無残な姿である。
「おばさん、こんな道具でまだ働くつもりなのかよ」
「お、お願い…、します」
美智代は、とぎれとぎれに言った。
「今度は心を入れかえて、一生懸命やりますから…」
息をつめて、女たちがその様子を見守っていた。
「あの…、もう放してあげてください」
ひとりが泣き出しそうな声で言った。
「オバサンやるって言ってるんですから、私たちも、お客さん廻しますから…」
「それじゃ今夜から客をつけるぞ。お前たちで支度をさせてやれ」
不思議なもので、メス犬のようなマゾ女にも、お互いにかばい合う友情のような
ものがあったのである。美智代を助け起こすと、女たちは無言で隣の部屋に
消えた。
結局、ひと月の間ノーギャラで働くことになったが、美智代は人が変わった
ように真剣だった。肉体的には限界だが、それがかえって物好きな客にウケた
ことも事実である。
客扱いばかりでなく、仲間の世話もまるで母親のように、よく面倒を見た。
それからまた一年ほどたった春の日のことであった。普段は静まりかえっている
女たちの溜り部屋に、小さな歓声が上がった。
その日、高田馬場の駅の近くに『みちよ』という名の小料理屋が開店したのである。