SM今昔秘譚(4)

      肉 体 の 門



    一、肉体の門

 田村泰次郎原作『肉体の門』は戦後ベストセラーの第一号といって良い。

舞台でも上演されて爆発的な人気となった。

 内容は当時の世相を反映した社会派のストーリーで、巷に溢れていた

パンパンガールと復員兵の哀しくも激しい恋の物語…。

 男には絶対に惚れないという掟をつくって助け合いながら生きている

女たちの集団に、伊吹という復員くずれのヤクザが紛れこんできたところから

物語りの幕が開く。

 結論だけいうと、グループの女のひとりが伊吹と愛しあっていることが

発覚して、集団リンチとなるのだが、この場面が観客の眼を舞台に

釘づけにした。

 背景は、空爆で廃墟となったビルのなか、瓦礫の向こうに、不気味な

不発弾が音もなく横たわっている。

 倒れかかったコンクリートの柱に、半吊りのポーズで女がくくられている。

ワンピースの前がはだけて、あらわになった乳房が盛り上がり、破れた

服の裂け目から美事な太腿がパンティぎりぎりのところまで見えた。

「あんた、本気で男に惚れてんのかい?」

 女のひとりが、凄味のきいたパンパン言葉で問いかける。

「あたいたちの男を奪ったらどうなるか、わかっているんだろうね」

 一瞬、顔をあげた女の頬に、激しい平手打ち。続いて手に持った

皮のベルトがバシッとくびれた胴に鳴る。

「あッ、あぁぁッ」

 鞭が鳴るたびに、客席は息をのんだ。

 赤と緑のどぎついライトに浮かび上がった女が、弧を描きながら反転する。

内股に喰いこんだパンティの白さがなまなましかった。

 ストリップはまだ誕生していない。

 演じたのは、ムーランルージュの踊り子でスターになった中島三都子…。

演技とはいえ上半身をくねらせて身を悶える女の姿態は、見ていても

鳥肌が立つほど美しかった。

 女とは、こうやって責めるものか…。

 そのころまだ高校生だった私は、眼が覚めるような思いがした。

ズボンの奥が痛いほど突き上げてくる。よろめく女の太腿やリズムに

合わせて揺れる乳房は、思春期真っ盛りの少年にとって痺れるような

魅力だった。

 これが、それから四十年以上、マゾの女を手がけてきた私の原点である。

 今でこそ、SMといえば女王様が主流で、男が金を払って束の間の

快楽を求めることが当り前になった。プロポーションは美事だし

コスチュームも良い。これはこれで、十分に価値のある商品だとは思うが、

何故か、もうひとつ、ドロドロしたヘドロのような異臭が感じられない。

 『肉体の門』は、戦争に負けた日本で初めて上演されたSMの匂いが

する作品である。

 テクニックとしては幼稚な責めだが、あの興奮と驚きに似た感動は、

いったい何だったのだろうと思う。

 もちろん映画化もされて、主演は田崎潤・根岸明美だった。



    二、『君の名は』


 放送の時間になると、日本中の戦闘がカラになったと言われる、超人気

ラジオドラマの題名である。

 ヒロインの氏家眞知子に、後宮春樹が「君の名は…?」と呼び掛けたのは、

敗戦前夜の数奇屋橋…。

そこから延々として、果てしないすれちがいドラマが始まる。

 私がこの数奇屋橋に立ったのは、終戦からおよそ三年ほど経ってからのことだ。

 橋の上には数ケ所にガス燈に似たほの暗い照明がついていたが、

夜おそくなると人通りもまばらだった。現在では、想像もできない情景である。

 すぐ横に当時国鉄の高架線が走っていて、ときおり、今よりもずっと大きな音を

たてて電車が通り過ぎて行く。つまり、ここが有名な有楽町のガード下である。

 映画や小説で見ると、洋モクをくわえた派手な服装の女が、あちこちに

たむろして客の米兵を待っている。パンパンの女ボスが身体を張って

縄張り争いを演じたりするのだが、実際には、そんなケバケバしい事件は

ひとつもなかった。

 暗がりにひっそりとただずんでいるのは、みすぼらしい恰好をした40代の

大年増だったり、ペラペラのワンピースを着たはたちそこそこの小娘である。

 景気が良かったのは、米軍キャンプの近くにあるバーなどに勤めている

連中で、ガード下の女たちは、肉体を売らなければ明日の食糧を買う金が

ない、そんな切羽詰まった状況に追い込まれているのが多かった。

誰もが、みんな戦争の被害者だったのである。

 私は田舎から上京したばかりなので、このへんの事情は楽であった。

なるべく若そうな女に狙いをつけて近づいて行くと、小さくなってスッと物陰に

身をかくす。

「おい、幾らだ」

「………」

「買うぜ、言ってみろ」

「ど、どのくらい貰えるの?」

 まだ20才は越えていない。モンペに白いブラウスの、見るからに

素人くさい娘である。

「三百円やるよ。お前、今夜は何人目だ」

 娘はかすかに首を振った。まだ客がついていないのである。

「よし、案内しろ」

 歩いて百メートルもない、焼けたビルの裏手にまわって、娘は立ち止まった。

「ここでも、いい?」

「いいから早くしろ!」

 肩を突いて後ろを向かせると、モンペの紐を解くのを待って、ふくらはぎの

あたりまでズリ下ろす。夜目にもくっきりと、真っ白い尻がムキ出しになった。

 君の名は…、どころではない。顔さえ良く確かめずに、冷たい尻のワレメに

精液を吐き出すだけなのだが、焼け崩れたコンクリートの壁にしがみつく

ような姿勢で、娘は声を殺して通り過ぎる男の暴力に耐えている。

 これが、青カンの実態であった。いわば銀座のド真ん中で、彼女たちには、

売春で客を連れ込む宿もなかったのである。



    三、ロック座の楽屋


 文豪永井荷風が晩年いり浸っていたのは、浅草のストリップ劇場『ロック座』の

楽屋だが、その少しあと、私は近くにある軽演劇の常打ち劇場だった常盤座で、

座付き作者のような仕事をしていたことがある。若い立川談志や三遊亭円楽が

一座を組んだりして、けっこう面白い芝居をやっていた。

 私が浅草という、世界でも珍らしい歓楽街の裏をつぶさに知ることが

できたのは、このときのおかげである。

 常盤座で台本を書きながら、私はよくロック座に遊びにいった。

 大部屋で、女の子の裸の匂いを嗅いでいるのが、私はたまらなく好きであった。

 20帖くらいのタタミ敷きで、化粧前と呼ぶ舞台化粧用の鏡台がぎっしりと

並んでいる。トノコやドーランや、鬘につける油の匂いが混ざりあって、

それに踊り子の汗と体臭が加わると独特の発情的な芳香を醸し出す。

 これは、たしかに一種の麻薬だった。荷風センセイが虜になってしまった

気持ちも良くわかる。

 太腿が目の前をかすめて、ベタリと化粧前に座る。汗ばんだ背中や

柔らかそうな下腹の膨らみなど、客席からでは見られない踊り子の素肌である。

 ストリップと言っても、今のようにSMや生板ショーなどとエゲツないものはなく、

まだ乳首に星をつけて踊っていた時代である。

 もちろん、特出しもやっていなかった。彼女たちは陰毛をこまめに剃っては

前張りをつけ、バタフライを装着する。スターになればなるほど豪華な

三角巾をつけるのである。

 私が可愛がっていたのは、下っ端のアクロバットダンサーで、芸名を

メイ・水町という女の子だった。

 アクロバットは、踊りというよりほとんど曲芸に近い。当時、岡本姉妹という

名手がいて人気があった。

 両手で足首を持って、後ろからぐいと頭の上まで引き上げて、片足で

立つ鶴のポーズ。腹を上にした股覗きの恰好で、脚の間から顔を出す

逆エビ倒立…。今では滅びてしまったが、苛酷な訓練と柔軟な女の骨格で

なければ出来ない芸当である。

 私は、メイに素裸のままアクロバットをやらせてみたことがある。場所は

隅田川の川ぞいにある、待合風の連れ込み旅館だった。

「いやわたし、下手なのよ」

「いいからやってみな。ハメてやるからさ」

「ほんと…?」

 足先がまだグラグラと揺れる。メイはおぼつかない様子で少しづつ

身体を曲げた。

 筋肉が伸びきって、腹がぺったんこになっている。陰毛を剃りあげた

恥骨が盛り上がって天井を向いた。

「いいぜ、上手いじゃねえか…」

 おまんこが顔の真上にあって、ひらいた陰裂から透明な液が光っている。

何とも奇妙でアブノーマルな光景であった。

「入れるぜ…」

 メイはバランスを崩すまいと、歯を食いしばって足首を両手で握った。

それでも根もとまで受け入れることができたのだから、女とは不思議な

生き物である。

 当時ストリップはロック座とフランス座が競り合っていたが、出世前の

ビートたけしがフランス座に入ってきたのは、

それからずっと後になってからのことだ。





<完>