往年の変態フェチ





    一、黄金の歯

 ひとくちにアブノーマルと言っても、戦後50年の間には実にさまざまな

スタイルが登場した。人間の性感覚の多様さには今更のように

驚くばかりだが、なかには極めてユニークなものでありながら、同好者が

少なくて消滅してしまったケースも多い。

 昭和28年、私は東京・中野区に在住の島影さんという歯科技工士の方から

一通の手紙を受け取った。同封されていたのは、濃い口紅を引いた女性が

猿のように歯をムキ出している写真である。

 驚嘆したのは、それが一本残らずギラギラと輝く黄金の義歯なのであった。

まだカラーではなくモノクロの写真だったが、ギラギラと赤味を帯びた

黄金の重々しい質感が、むしろ効果的に表現されていた。

 手紙には、モデルは家内ですとあった。

 さっそくお宅を訪ねて実物を見せてもらったが、歯の上からかぶせる

嵌め込み式の総入れ歯で、精密な歯科技工の技術で美事な出来ばえである。

 奥さんが嵌めると、自然に唇が捲れて金歯がムキ出しになる。まさに

ツタンカーメンの世界だった。

 人間の歯が黄金に輝くという妖しくも怪奇的な美しさは、サドでも

マゾでもない。しかも口紅とアイシャドゥを使って顔全体に毒々しいまでの

化粧を施すのである。


 島影氏は更に赤と青の照明を奥さんの口もとに当てた。一種独特の淫蕩な

雰囲気を醸し出して、黄金の歯に対する特異なフェチシズムというものが

成立する事を、私は十分に納得することができた。

 これには、更に後日談がある。

「毎月ここで仲間が集まってパーティをやるんです。よかったら

参加しませんか…?」

 と、島影氏は言った。

 アブノーマルに趣味を持っている人達の集まりと言うので、私も喜んで

参加させてもらうことにしたが、まだ若かった私は、そのことを当時唯一の

風俗専門紙だった毎夕新聞の記者に話してしまった。ぜひ現場を見たいという

希望を断り兼ねて同行させたのが失敗のもと…。

 集ったのは夫婦あり独身の男女ありの20人くらいだった。乱交パーティや

SMショーがあるわけでもなく、内容は、ごくありきたりのダンスパーティである。

島影宅は裕福な広い家で、20帖くらいのホールで踊ったり、あちこちで

そのテの話に花が咲いたりといったものだが、翌週の新聞を見ると、



  『変態クラブ潜入記

       深夜の乱痴気パーティ』



 デカデカと一頁全面をつぶして、いつ撮ったのか当日の写真入りで

出てしまった。そのころの風俗紙としては、これは特ダネだったのであろう。

 全く迂闊だったが、せっかく集まった同好の士もおかげで散り散りに

なって、パーティは雨散霧消してしまった。島影氏には大変な御迷惑を

かける結果となった。

 私が知る限り、本格的な黄金の義歯マニヤというのは皆無で、その後

現在に至るまで、島影氏ただ一人である。

 最近の義歯はほとんど自然の白い歯が主流で、金歯自体があまり

見られなくなったが、あの強烈な黄金の総入れ歯の印象は、今でも

忘れられないものの一つである。



    二、ハラキリの美学


 SMや浣腸のように営業ベースに乗らないせいか、風俗業界は

見向きもしないが、切腹マニヤには隠然とした歴史と伝統がある。

 奇譚クラブの時代から、切腹についての文献や考証は、アブノーマル

というよりすでに学問的な領域に達していた。まだ面識はいただいて

いないが、その第一人者は京都在住の中康弘通氏である。

奇譚クラブに掲載された論文は、マニヤにとって今でも貴重な資料であろう。

 そのころ東京には駒沢に吉岡春夫氏という方がいて、私と親交があった。

品の良い中年の紳士で、アマチュアだが、肉感的な女性の切腹画を

描いていた。これは奇譚クラブや裏窓にも紹介されなかった貴重な

未発表のデッサンである。

 吉岡氏は、このほかにも男と女が性交しながら絶頂に至って腹を切る

という奇抜な着想の『切腹四十八手』など、浮世絵風の美事な切腹媾合図を

残されている。

 最近では、ビザールマガジンなどの誌上でときどき断片的な写真が

見られるようだが、こうした素晴らしい作家は現れていない。

 私は、古風で封建的な切腹という行為がなぜ性欲につながるのか、

性心理の上から現代の女たちにいったいどんな意味を持つのか、

興味を抱いた時期があった。

 女が嫌おうなしに自分の肉体に持っている縦の裂け目。初潮、破瓜、

月経、そして妊娠と出産…。女の一生は、血の歴史である。

 まして腹部に対する関心は、男には想像もつかない部分があったとしても

無理からぬことだ。私は何人ものマゾ女をモデルにして、反応と性欲の

昂まりを実験した。

 彼女たちは例外なく濡れ、マゾのプレイでは見せなかった恍惚の

表情を浮かべる。初めは恥ずかしそうにやっているのだが、やがて

真剣になって、本気で苦痛に顔を歪め身悶えするようになるのだった。

 演技にはあえて演出を加えず、女たちの自由に任せることにした。

マゾ女の習性から、そうなると自分の性願望のおもむくままに行動せざるを

得ないからである。

 ある女は、いきなり性器の真ん中にきっ先を入れて内部を抉って

見せようとした。何回も妊娠中絶を経験したことのある女だった。

 ナイフを持たせると、乳首やクリトリスをそぎ落とそうとする女もあった。

彼女たちが共通して見せる仕草は、割れ目の線に沿って腹を縦に

切り裂こうとする行動である。

 腹切りといっても、女性の場合には一種の自虐本能で、さまざまな

性的要因がある。血をみることをあまり怖がらないというのも、

女性特有の性心理であろう。



    三、女性腋窩譚


 奇譚クラブが白表紙で刊行されていた頃、『女性腋窩譚』という短い論稿が

掲載されたことがあった。投稿者は佐次浩介氏…。

 佐次氏の文章は、腋毛フェチシズムについて、さまざまな角度から

分析していた。

 髪の毛と違って腋の下は陰毛と同質の縮れた短毛だから、そこから

性器が連想され、フェチ的感覚が生まれるのは当然である。

 日本の女には、もともと腋毛を剃る習慣はなかった。現在では女性の

腋の下はツルツルが当り前だが、終戦直後の遊郭では、女郎はみんな

腋毛を持っていた。そのほうが、はるかに動物的なメスのイメージが

あったように思う。

 だが日本が豊かになるにつれて、女の腋毛は急速に姿を消していった。

明らかに外国映画の影響である。

 腋毛フェチは、当たり前すぎるゆえにかえって無視されてしまったの

かもしれない。奇譚クラブにも、その後は腋毛フェチに関する投稿はなかった。

 佐次氏は更に発展して、腋毛フェチと性欲の関係について述べる。

 例えば、腋の下の甘い匂い。ワキガは論外だが、腋毛を持った女は

その部分から男にとって実に魅力的な芳香を放つのだという。

 人間も動物である以上、メスがオスを挑発する物質を分泌する。

腋の下から出た微量の性ホルモンが腋毛に浸透して、汗の匂いと

混ざって男を誘う。

 性臭は蛋白質が分解した異臭だが、腋臭はフェロモンの甘美な芳香で、

男性の性欲を昂進させるにはこれ以上のものはない。腋毛を剃ってしまう

女はバカだ…、と佐次氏は言うのである。

 医学的な根拠は別として、十分に説得力のある議論だった。

 女が体毛を除去する傾向は、陰毛についても同じである。以前、

無毛の女はカワラケ、パイパンなどと呼ばれて玄人筋からは縁起が悪いと

嫌われたものだ。今では反対で、毛が生えていると穢いと思うのか、

近頃のソープの女たちにも、自分から陰毛を剃り落としてしまうのが

幾らでもいる。

 女が美容とファッションのために、それまで自然のまま残されていた

部分に手をつけるようになったのは、ごく最近の話だ。そしてとうとう

スキンヘッドのツル姫様まで現れるようになった。

 それが人間の進化なのか自然の淘汰なのかわからないが、陰毛や

腋毛の濃い女が次第に少なくなっていることは事実である。

 こうして女の体毛が年々減少してゆくなかで、数年前、ワキ毛の女王として

有名になったAVの黒木香…、ひさびさに腋毛フェチの楽しさを

思い出させてくれた。

 上下にわかれて生えた艶の良い腋毛は、かなり太くて濃密である。

彼女の性器の感触から匂いまで暗示しているような気がして、自殺騒ぎの

ニュースは、惜しい女を…、とある意味でショックだった。

 腋毛が取締りの対象になる筈はないから、雑誌のモデルはもっと

腋毛を強調すべきだと佐次氏は主張する。

「水着の写真なんかで女が腋の下を露出しているポーズがあるでしよう。

腋毛を剃っていなかったら、ずいぶん卑猥なイメージになりますよ。

あれは明らかに性器を見せたい願望の現れなんです。体毛はもともと

セックスのシンボルですからね。本当は、おまんこ見せたいんです…」



<完>