時の流れとともに






    一、デバカメ族の滅亡

 戦前から戦後のある時期にかけて、デバカメは覗きの代名詞であった。

 出っ歯の亀という女湯覗き専門の男が捕まって新聞に大きく出たのが

流行語になって、デバカメと言えば覗き、イコール変態といったイメージが

定着していた。一世を風靡した阿部定と同じケースである。

 たしかに、当時の覗き男たちの活躍の場は多種多様で、軒下から

逆さ吊りになったり、汲み取り口から便壺の中にもぐりこんだり、それぞれ

奇想天外な工夫を凝らしたものだ。 銭湯の女湯はもちろん、風呂場覗き、

便所覗きをはじめとして、寝室を覗く、着がえを覗く、ひどいのになると

隣の家に忍び込んで若夫婦の情事を覗く…。

風俗漫画には、行水している娘を戸板の陰から盗み見ている男の絵が

よく描かれていた。

 それほど、女の裸は好奇心の対象になったのである。

 最近のようにAVが町に溢れ、一流の週刊誌でもおまんこの毛が写った

女の写真を載せなければ売れない時代になると、まず第一に裸体や

性器に対する興味、というより謎が失われてしまう。要するに情報過剰である。

 第二の要因として、戦後見事な復興を見せた建築物の構造がある。

 それ以前の日本家屋の便所には、必ず細長い掃き出し口がついていた。

ほんの1センチずらせば、きんかくしの横から女の小便や股ぐらの奥までが

ありありと見えた。

 それに引きかえ、鉄筋コンクリートの壁に囲まれたマンションの浴室を

覗くことなど、ルパン3世でも不可能であろう。

 部屋の孤立化がすすみ、寝乱れた姉の乳房や幼い妹の股ぐらを覗いて

胸をときめかすことも出来なくなった。

 街のすみずみまで街路灯の明りがゆきわたり、痴漢だの覗き魔が

活躍する場所が奪われてゆく。その反面、巷にはAVだヘアヌードだと

女の裸が氾濫する。加納典明の事件など氷山の一角で、かくして、

デバカメ族の欲望は衰亡の一途をたどる運命になる。

 だが、ちょっと待て…。

 人間のもって生まれた本能が、そう簡単に滅びることがあるだろうか。

それはかたちを変え方法を変え、陰湿に屈折して生き延びている

のではないか…。

 例えば下着泥棒は、窃視と連想の複合フェチスムスで、性心理的には

やはり盗視マニヤの系列に入る。

 代々木公園は覗きマニヤのための屋台まで出るほどの盛況だが、

それを承知でイチャつきにくるアベックがあとを絶たない。奇妙な馴れ合いの

野外劇で、どちらかと言えば覗くより覗かれたい女たちのメッカである。

 もうひとつ、マンション時代になって急増した幼女姦…。

 宮崎勤に代表されるこの種の事件も、潜在的にデバカメ願望の延長線上に

あることは間違いない。

 詳しい報道は控えられ、事件の恐怖は時の流れとともに忘れられて行くが、

盗視マニヤにとっては、最後にたどりつく性の北極点なのであろう。



    二、ウンチ恋しや


 滅びゆくものと新しい異常願望…。いつの世にも時代の変化はあるものだ。

 少年の頃わが家の便所には、下を覗くと手の届きそうなところに母親の

太くトグロを巻いたウンチや、姉ちゃんの少し軟らかい下痢便が

積み上がっていたりしたものだ。それが普通で、眺めても何とも思わなかった。

 月に一・二度、天秤棒に肥え桶をかついだ汲み取り屋さんがやってきて、

あたり構わず臭い匂いを振り撒いて行く。いわゆる田舎の香水である。

 そんな生活習慣が、いつの間にか洋式の水洗便所に変わった。

 ザァッと水を流すと何もかも勢い良く下水管にとび込んでしまう。今では

自分のウンコさえまともに見ることが少なくなった。

 まして、隣のお姉さんがどんな格好で可愛いウンチをしているのか、

とうてい知るよしもない。

 人間の感性というのは不思議なもので、こうした環境ができると、

どこからともなく新しくウンコマニヤがわいてくる。

 隠されたものは見たい、手にとって愛玩したい、それが昂じてついには

食べてしまいたいということにもなる。

 スカトロ、正確にはスカトロジー、またはコプログラニーと呼ばれる

汚物崇拝狂は、盗視マニヤとは反対に戦後現れて今や全盛を極める

アブノーマル性欲の一分野となった。

 昔なら雑誌に載せるなど考えられなかったウンコの写真がブームになり、

ウンコビデオがベストセラーにのしあがる。すべて、時代の生活環境の

変化がなせるわざだ。

 戦前の分類では、汚物愛好は屍姦や獣姦と同様、人間のすることではない、

変態性欲の最たるものとされていた。そこには、全く遊びの要素などなかった。

 最近のように浣腸クラブやナースプレイなど、スカトロ関係の風俗店が

乱立し、営業として成り立つようになったのは、昭和60年代の終りころ

からのことだ。ウンコビデオの登場がスカトロ人口の増加に大きく貢献した

ことも事実である。

 私は戦後まもなく、初めての変態クラブを経営していた頃、アナルで

イクことの出来る女を養成して評判になったことがある。

 当時、尻の穴にハメることのできる女は、プロでも珍しかったのだが、

今ではそれも当り前、アナルセックスは一般の恋人どうしの間にも

普及してしまった。

 オカマの専有物であった尻の穴も、いつかその座を明け渡して、おかげで

マゾ系の女はバージンを二回破られなければならない羽目になった。

 フェチズムには、必ずセックスの幻覚がともなう。覗きの場合もそうだが、

欲望がエスカレートしてくると、人間はまともなセックスから次第に離脱する。

直接ハメるより、その周辺の妄想で遊ぶのである。

 やがて女の性器そのものへの興味さえ失って、幾つになっても

結婚できない独身の男が増えてゆく。これは、決して現代の生活文化の

発達と無縁ではあるまい。

 便壺の中に母親の太いウンコを見つけて眼を丸くしていた時代のほうが、

はるかに健康的で、まっとうな世の中だったように思えるのだが…。



    三、あゝ痴漢天国


 現代の痴漢と言えば、満員電車の中でそれとなく女の尻を

撫でまわすのがやっと…。近ごろでは女も強くなって、うっかりすると

「これ誰の手ですか!」 などとやられる恐れもあるから、まさに冬の時代である。

 こんな痴漢諸君にはお気の毒だが、女を抱いて乳首や陰毛はいじり放題、

うまくすればそのまま温泉マークに直行という、いま思えば夢のような

痴漢のフリーゾーンがあった。

 昭和20年代、後半までの映画館である。

 テレビはまだ先の話で、何と言っても映画は娯楽の王様、流行の

最先端であった。

 当時、入場料は50円、ラーメンの2杯分である。なかに入ると、

どこの扉をあけてもギッシリと人の背中が詰まっていた。一人で映画を

観にきている女が多かったのも、その頃の特徴である。

 場内は最近の映画館とは比較にならないほど暗い。闇を透かすと、

あちこちに背伸びしながら一生懸命スクリーンを見詰めている女の

横顔があった。あたりは暗闇だし混雑は満員電車なみ、しかも時間は

タップリとある。痴漢にとってこれ以上の条件はなかった。

 目星をつけた女の後ろにピッタリと貼りついて、相手の反応を

見ながら触るのだが、このへんのコツは電車の痴漢と同じである。

 違うのはこれから先で、相手が黙っているようであればあとはもうこちらの

勝手次第、いくらでも大胆になれた。

 ウエストをかかえて、しっかりと抱き締めてしまう。女は本能的に

逃れようと身もだえするのだが、混雑しているのと、恥ずかしさとで

動くことができない。

 女がもがく感触を味わいながら、ゆっくりとブラウスのボタンを外しにかかる。

強引にファスナーをおろして、スカートの中に指を突っこむ。名前も知らない

女の肉体を思うままにいじりまわす楽しみは、まさに痴漢遊戯の

醍醐味である。

 そのうちにジトジトと濡れがはじまる。こうなるとモロいもので、だらしなく

脚を広げてぐったりと寄りかかってくる女もあれば、クリトリスに

触わるたびに、ピクピクと反りかえって息をはずませる女もあった。

「出るか…?」

 耳もとに息を吹き込むと、女が微かにうなずく。こうなれば、

そのまま温泉マークに直行である。

 何しろ、ここではほとんど無制限に女が釣れた。彼女たちは流行の

情報を求めて映画館に集まってくる。セックスに対しては意外に

無防備だった。というより、男にイタズラされることさえ、ロマンチックな

恋の冒険に思えたのであろう。

 こんなことが自由にできた映画館の暗闇も今はない。悲しいことだが、

最近では料金を取って電車の痴漢ごっこをやらせてくれるイメージクラブ

まで出現している。定員入替制の巨大スクリーンは、そのころの痴漢に

とって恨めしい文化の象徴となってしまった。

 これはシロウトの女がまだセックスを金に換えることを知らなかった

古きよ
き時代の、懐かしい夢物語である。


<完>