異端の変態





     鞭の唸りは風鈴の音

 ニューヨークで発表された新型の革鞭が、一週間もするとカバリエで売られて

いたりする。情報と物流が過剰なくらい氾濫している昨今である。

 だから、鞭の形やお値段を比較してみたところで意味がない。もっと本質的な、

日本人の感性と欧米のSM文化について、考察してみたいと思う。

 総論めくが、鞭はもともと家畜を威嚇して働かせるために使われた道具だから、

責め具となっても使い手と受け手の区別がはっきりしている。そして受け手と

なるのはほとんどの場合女である。

 これには理由があって、あの瞬間的な苦痛に男は生理的に弱い。つまり

性欲昂進の手段にならないのだ。皮下脂肪の差とか痛覚神経の分布とか、

いろいろと言い分はあろうが、実験してみるとすぐにわかる。

 以前、私はかなりの強度で鞭打ちをやったことがある。男はすぐに皮下組織が

崩れて、下手をすると一生痕が残るが、真性のマゾ女に興奮した状態で

鞭を与えると、肌がピンク色に染まって、内出血どころかミミズ腫れもできなかった。

 蕩然として、一種の無重力状態になってしまう。男には決して見られない

現象である。(三上るかの出演した何本かのビデオを見てごらんなさい。

叩きのめされた後、彼女の肌には一条の鞭痕も残っていない!!)

 実際のプレイは、アメリカより北欧のほうがはるかに凄惨である。

 開拓時代、女が足りなくて貴重品だったころの習慣をひきずっているのだろうが、

女尊男卑のアメリカは、サディズムに関するかぎり百年遅れた後進国である。

ピストルは平気で撃つくせに、女性を殴ると男が一生を棒に振ってしまう国だ。

 それに比べると、オランダやドイツのSMビデオには優れた作品が多い。

 使用されるのは革鞭よりも先端に細工をしたよく撓う棒鞭である。尻、内股、乳房

などが狙いどころ。逆さ吊りで、おまんこの真ん中をモロにひっぱたいたりもする。

 女は大抵ラビアやクリトリスにピアスされているから、たまったものではあるまい。

鞭が入るたびに、エビのように跳ねて苦悶するさまは壮絶である。

 ただし…、です。

 彼女たちは例外なくブスでオバンで、その上オッパイのかたちが悪い。

観賞用のモデルのイメージからはほど遠く、苛酷な責めを受けてきた痕跡が

肉体の隅々に歴然である。

 この点、日本のAVギャルは若くて可愛くて、美しさでは群を抜いている。

いったい、この違いはどこからくるのか…。

 最大の理由は、彼女たちが生まれながらのマゾ環境に育っているということだ。

 母親が売春婦で、七・八才のころアル中の父親に犯され、十二・三才で

モグリの売春宿に売られるといった生い立ちから、マゾ女としての人生の

流転が始まる。

 それから30年…。転々と男の玩具になって虐待され、弄ばれて、とうとう

ビデオにまで登場することになる。そんな女たちの裏社会が、ヨーロッパの

香り高い文化の陰で、つい最近まで隠然と存在していた。

 率の良いアルバイトの乗りで、「おつかれさま」でギャラが貰える日本のAV界とは、

よって来る風土が違うのである。

 例えば、ある名前の知れたSMクラブでのひとこま…。

上等なバラ鞭を持ったサラリーマン風の男が、可愛いマゾ嬢の尻をめがけて

一発入れると、バシッと良い音がした。

「どう、痛い?」

「ううん、大丈夫…」

「よし、それじゃメス犬になってわんわんと啼いてみろ」

「ワン、ワンッ」

 ビシッ、バシーン…。

「アッそこ駄目ッ。あとがつくから…」

 これと、ドイツの有名なSMビデオ『スレイブセックス』の一場面を比べてみよう。

 モデルは40才近い栗色のワキ毛を生やした背の高い女。手首を天井から

吊られて、覆面をしたデブの男が例の棒鞭を持っている。

「ナインッ(ノー)」

 したたかに腹を叩かれて、のけ反った女が顔を歪めた。男はピチパチッ、

パシッピシッと、乳首を払い落とすように、垂れた乳房の先端を連打する。

「ナ、ナイン、ナインッ」

 風鈴の短冊のように女が揺れる。男が身を屈めると、おまんこを狙って

激しく鞭を掬い上げた。……パッチ〜ン!

「ギャァァッ。ナ、ナイィ…ン」

 どちらがお好みかは、見る人の趣味によって決まることだが…。



     荒縄とロープと白い肌


 白人の女はムチ打ちには向いているが、縛りの対象としてはあまり適当でない

というのが私の持論である。

 第一に身体が固い。縄の緊縛に対する耐久力がない。締めつけられるような

痛みには滅法弱い…。

 もともと、欧米のSM文化の中には後ろ手縛り、高小手、逆海老、俵締めと

いった緊縛の発想はなかった。あるとすれば、首輪、手枷足枷、はりつけ、

吊り責めなどの拘束の補助手段としてである。キリストの十字架へのはりつけ像が

これを端的に表している。

 農耕民族である日本人の縄への感覚と、狩猟民族である欧米人種の

革ベルトへの感覚の差が、伊藤晴雨描く責め絵と、いわゆるボンデージスタイル

との違いである。

 これは民族学的な考証は別としても、最近のヨーロッパのSMビデオから縛りに

関連したものを拾ってみるとはっきりとわかる。

 拷問用の椅子に縛りつけた金髪女の乳首とクリトリスに電極をつないで、

いきなり百20ボルトの電圧をかける。女は悲鳴を上げてのけ反るのだが、

さらに穴の中に電極を埋めて放電すると、反射的に腰が跳ね上がってほとんど

悶絶状態になる。これを数回繰り返すと流石に失神してしまうが、ゴマカシが

ないぶん、迫力は抜群であった。

 両手首を縛ってX字型に立たせた女の小陰唇に、太い鉄の輪(ピアスとは

とても呼べない)を嵌めて1キロ近い分銅の錘りをぶら下げて見せるというのが

あった。小陰唇に開けられた穴がはっきりそれと分かるほど、全体が千切れそうに

ベロッと伸び切ってしまう。乳首のピアスに針金を通して錘りをさげると女は

苦痛に顔を歪めて前のめりになるが、いずれも仕込まれた見世物用のマゾ女で、

よくここまで鍛えたものだと感心させられる出来ばえである。

 もう一つ、ロープを使った責めに、乳房のつけ根にロープを巻いて全身を

吊り上げるというのがある。日本の女はお椀型や半球型が多いが、北欧系の

乳房は円筒型で、モデルは30才過ぎの巨乳女だった。根もとにギリギリと

ロープを巻きつけてゆくと、ちょっとでも突つけば血を噴きそうに鬱血して、

先端が見る見る赤紫色に変わる。反りかえった胸が天井を向いて、足が床から

離れる瞬間は見ものである。私が見たのはすべて両乳房吊りで、片乳房で

吊ったらさぞ凄惨であろうと思うのだが、残念ながらまだ眼にしたことはない。

 こうした作品は、それなりに残酷な責めだが、ロープはあくまで補助的な

手段として使われているので、やはり緊縛が主流であるとは言えなかった。

縛り方もずさんで、何とも不器用な感じである。完成度において荒縄の海老縛りと

どちらが上かと言うことになると議論の分かれるところだ。

 緊縛の技術では日本の縛りビデオは世界に冠たるもので、その複雑さと

淫美な雰囲気は舶来の比ではない。このレベルに達するまでには長年の

苛酷な実体験を必要とするわけだが、ここではもっと実用的な遊びの場合を

ご紹介しておくことにしよう。

 女を縛って街を引きまわすといったアイデアは、よくSM小説に登場する。

 これは失敗談だが、その日は雅美という24才のマゾ女で、小型のバイブレーターを

仕込んだ上から股縄をかけ、胴体を俵締めにしてそのまま車に乗せて

甲州街道ぞいのデニーズに連れていった。初めのうちは何ごともなかったのだが、

席に座って姿勢が変わったとたん、雅美は突然小さな悲鳴を上げて動けなく

なってしまった。

「どうした…?」

 眼が虚ろになっている。様子を聞くと、割れ目に喰い込んだ麻縄が軟らかい

ビラビラの肉を挟んで、動くと引きちぎれそうになると言う。

「バカ野郎、自分が悪いんだ。我慢しろ!」

「イ、痛い…、クゥッ」

 注文を取りにきた女の子が、不思議そうな顔をしている。雅美は気づかれまいと

必死なのだが、額に脂汗が浮かんでいた。立ったまま縛ったための

締め過ぎである。

 ダブダブのセーターの下はギッチリと俵締め。下腹部で呼吸するので、

その度に粘膜に喰いこんで灼けつくような痛みが走る。

 とうとう何も食べることができず、雅美はアヒル歩きになって店の外に出た。

 車に戻って縄を解いてやったが、脚を拡げてみると、クリトリスから左半分が

見る見るうちに膨らんで、普段の三倍くらいに腫れ上がってしまった。

まるで卵を持った鮭の腹を割いたような痛々しさである。

 同席していた友人が気の毒がって、結局その日のプレイはお流れになった。

馴れた縛りにも、ちょっとした注意は必要である。



     琥珀色の天然ジュース


 学問的な根拠があってのことではないが、欧米人と日本人の排泄物の量を

比較すると小便に関するかぎり絶対に外人のほうが多い。

ただし、これはスカトロビデオに限っての話である。

 日本の女の放尿は普通15秒程度、どんなに長くても30秒を超えることはない。

これに比べるとヨーロッパ女性の場合20秒から30秒は当り前、凄いのになると

1分近く噴出する。

 色もほとんど透明で、日本人のようにカンビールみたいな色はしていない。

 撮影を前提としているから、或いは利尿剤でも飲んでいるのかも知れないが、

それにしてもビックリするほどの量である。

 これは「ウオーターパワー」というドイツ製のビデオだが、登場するのは

男三人に女が四人、室内は大型のベッド二台、あとはごく普通の家具調度で、

どこかのマンションの一室といった感じである。

 はじめに男が三分の一ほど残ったワインボトルに、自分の肉体から排泄した

透明な液体を満たす。

 一斉にグラスを差し出す女たち、乾杯の飲みっぷりも見事である。

 そしていよいよシャワーゲームが始まるのだが、このあたり日本のスカトロ

ビデオとは明らかに傾向が違う。

 男がベッドの立ち上がって噴水のように天井に向かって最初の小便を

吹き上げると、女がそれぞれ仰向けに顔を差し出して、口を大きく開けて

噴水を受ける。

 続いてもう一人の男が、正面を向いた女の顔をめがけて勢い良く発射を

はじめた。まるでうがいでもしているような感じで、小便が口の中から

あぶくになって溢れ出る。

 今度は女が立ち上がって男を跨ぐ。真下の顔を狙って、これが何と

正味一分以上止まらないほどの量が出る。もう一人の女が背中合わせに

腹を跨ぐと、二条の滝が同時に激しい飛沫を上げた。 画面はその後も奔流が

斜めに飛び交い、口いっぱいに含んだ液体を噴水のように吐き出したり、

女から女へ、小便を口うつしにするシーンが延々とつづく。

 汚いとか強制されるといった感覚はまるでなかった。喜々としてお互いの

排泄を楽しむ文字どうりのシャワーパーティである。

 もちろんファックシーンは一ケ所も出てこない。第一、ベッドがグシャグシャで

使い物にならないのである。 水びたしのわりにはカラッと明るくて、

ワイセツ感のないこうしたポルノは、日本人の国民性に合わないのであろう。

類似の作品は日本ではお目にかかったことがない。

 日本の場合には、もっと陰湿な虐めの手段としての強制排尿が主流である。

 洗面器に一度排出させてから飲ませたり、導尿管を使って、尿道から直接

ストロー式に飲ませたり、男の小便を女の膀胱に逆流させたりと工夫を

凝らしてはいるが、量は決して多いほうではなかった。

 数年前、裏ビデオでは珍しい真性SMの飲尿ものが出たことがあった。

モデルは20代の短髮の女で、美人ではないが、いかにもマゾの常習者らしい

痴呆的な顔をしていた。

 かなり痛めつけられて、フラフラになった女が犬の首輪をはめている。

最初はひざまづいて直接飲まされるのだが、残りを哺乳瓶にとって吸わせると、

吐き気がくるのか唇の端から泡を吹いて顔をそむけようとする。

 乳房や腹や内股の柔らかいところをひっぱたいて、無理に飲ませようとするが、

ゴムの乳首をくわえて放心状態になった女の表情はなかなかのものだ。

 飲尿が終ると、男二人で入れ代わり立ち代わりハメる。ほとんど

品物扱いである。

 最後に浣腸され、おムツの中に洩らすといった段取りになる。私が知る限り

裏ビデオでは唯一の本格的な飲尿ものであろう。男の言葉から察して

大阪で撮影されたものだ。

 日本人には、こうした淫靡なイジメの映像のほうがウケるのである。

 もともと日本のスカトロは、どちらかと言えばウンコに重点がおかれてきた。

最近では単純な排泄シーンばかりでなく、糞喰い女、ゲロを喰う女、ミミズを

喰う女まで登場するようになった。飲尿はむしろSMテクニックの分野に属する。

スカトロというより、マゾとしての心理的効果のほうが高いのである。

 これに対して欧米のウンコビデオというのはほとんど見たことがない。

タマにあってもコロッと塊りを一つか二つ出すだけで、それを見ると、

モデルの女は撮影中でも遠慮なく逃げ出してしまう。

 こうした感覚の相違はどこからくるのか、風俗習慣が違うとはいえ、日本人の

持つ陰惨な耽美意識の現れであろう。





<完>