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十五、廃墟の海

それから半年ほど経って、志乃はようやく17才になった。

まだ16の少女が、18才と偽って客を取らされていたころのことを思えば夢のようである。

あの大空襲の夜、ショックで流産した身体もいつか回復して、全身に若さという名の生命力が

漲っていた。

だが相変わらず、三人の老人たちの虜になって暮らしていることに変わりはなかった。

輪姦とはいえないまでも、時として一晩に二人の男の性欲の相手をつとめさせられることも

あったが、それを嫌悪する気持ちもなかった。幼いころから与えられてきた環境が、志乃を

世間の常識とはかけ離れた感覚の世界に成長させていたのである。

志乃は、自分の肉体が男の玩具であることを少しも疑っていなかったし、弄ばれることは

女だから仕方がないと納得していた。あるいは、産まれながらに備わっていた志乃の本性が

それを受け入れていたのかも知れない。

「のう、お志乃、おまえ東京という街を知っているかえ?」

ある夜、権作という老人の一人が、志乃の腹の上に片足を乗せて男根を弄らせながら言った。

「戦争が終って、東京はいま女の都じゃぞい」

そう言えば、お多福楼が焼けてまもなく、日本は戦争に負けた。

この山陰の漁村でも、威張っていた兵隊がいなくなり、空襲警報のサイレンも鳴らなくなって

静かになったが、志乃の生活にそれほどの変化があったというわけでもなかった。

老人が獲ってくる魚を食べ、わずかな米で飢えをしのぐことができれば、あとは恩返しのつもりで

老人たちの玩具になっているだけで良かったのである。

「どうじゃ、東京に行って一旗上げて、稼いで来んか」

「東京なんて、わたし、わかんないもん」

「なぁに、切符は買ってやるけん。汽車に乗って、一晩寝ればそこが都じゃ」

権爺は、こともなげに言った。

「お前な、東京に行ってパンパンになって、儂らに銭を送らんかい」

「えぇ? パンパンてなぁに」

「うむ、淫売のことじゃけ。今はアメリカの兵隊が来て、パンパンといっとるそうな」

「はぁ」

「お前は可愛い。アメリカの兵隊にも、きっと好かれるじゃろ」

「ふふ、さぁどうだか」

志乃は、意味もなく笑った。頭の中に戦争中のお多福楼での生活が走馬灯のように

甦っていた。

あの時は楽だった。美味しいものも食べられたし、柔らかい着物も着れた。威張っている

男のオモチャになっていればそれで良かった。アメリカの兵隊だって、男なら同じことだ・・・

「どうじゃ、少しは儂らに恩返しをせんかい」

志乃が笑っているのを見て、権爺はいっそう言葉に力を入れた。

「こんなところでよ、年寄りの食い扶持をアテにしていないで、働いて銭を送れ」

「はい」

「なぁみんな、それが良かろう。娘をこのままここに置いても宝の持ち腐れじゃ」

志乃の腹から足を退けて、権爺は仲間の老人のほうに向きを変えた。

「せっかくええ娘だったに、東京に出すのは惜しいような気もするがのう」

「阿呆ぬかせ。ええ年こいて、まだ女道楽の助平根性が抜けねぇだか」

「そんなこと言ったって、一番多くお志乃を抱きよったのは権爺じゃったろが」

「ふはは、それはそれ、これはこれじゃ」

「だがよ、東京に一人で出して、逃げやせんかいの」

「うんそこじゃ、どうだ志乃、儂らに助けられた恩は骨身に沁みておるか」

「はい忘れません、一生・・・」

志乃は真顔になって言った。だから、何をされても仕方がない。淫売になれと言われれば

淫売になって稼ぐのは当たり前だと思った。

「銭はひと月に一度、稼いだ分をまとめて送るだけでええ。そのほかはお前の好き勝手や」

「はい」

「稼ぎが悪かったら、おらが東京に行って首根っこ捕まえて海の中に放り込むぞ」

「そんなこと言わないで、わたし一生懸命に稼ぐから・・・」

逃げようと思えば、道はいくらでもつけられるだろう。だが志乃にとって、この三人は

文字通り命の恩人なのである。ここで拾われなかったら、流産した身体で波打ち際に

打ち寄せられた魚のように死んでいたろう。そのことを思えば、生きている身体を売ることくらい

当然のお礼心である。

だからといって、これは決していい加減な気持ちでできる仕事ではなかった。東京というのは、

志乃が今まで生きてきた世界とはあまりにもかけ離れた別天地だった。

お多福楼のように、紹介してくれる人もいない。まるで、荒海に独り小船で乗り出してゆくような

冒険である。あるいは海で死んだ父親の辰蔵のように遭難してしまうかも知れない。

そのときはそのときだ・・・、と志乃は覚悟を決めた。

「行きます。私やってみるから・・・」

「だけんど東京はよ、焼け野が原だって言うぞ。そんなところで、おまんま食えるかいの」

「大丈夫、空襲のときは一度死んだんやもん。そのくらいへっきよ」

志乃は無邪気に笑って見せた。

焼け焦げた神社の大木の下で、気が狂って首を括って死んだ女の下着を剥いで、男か女かも

分からない肉塊を包んで焼夷弾の火の中に投げた地獄の記憶がまざまざと甦ってきた。

「まぁえかろう。お志乃のことじゃ、きっとうまく生きていくわいさ」

結局、そう言った権爺の言葉が結論になって、それから三日間ほど、老人たちがあちこち

手を打って、東京行きの汽車の切符を手に入れてくれた。鉄道もまだ完全に復旧して

いないので、国内を旅行するのもままならなかった頃の話である。

山陰の港町から、新潟のほうまで大回りして、汽車の中では飯も食えず便所にも行けず、

二十四時間以上かかって、志乃がようやく東京の裏玄関上野駅にたどり着いたのは、

敗戦の翌年、昭和二十一年の正月のことであった。

よろめくように改札口を出て、駅から見渡す東京の風景は、目の届く限り果てしなく

広がっている白茶けた瓦礫の山であった。

点々と黒く見えるのは、焼けトタンを不器用に組み合わせて作ったバラックである。

志乃は目を見張り息を呑んだ。

すぐ前の道を、占領軍の緑茶色の見馴れない形をした車が疾駆してゆく。

あれが、ジープって言うんだ・・・

呆然と駅の構内の入り口に立って眺める東京の街は、果てしなく広い灰色の海であった。

「お姐ちゃん、どっからきたの」

そのとき、いきなり後ろから声をかけられて、志乃はギョッとして振り返った。

「どこへ行くの。今夜、泊まるとこあるのかい」

答える隙も与えず、男はたたみかけるように聞いた。

「働くところ探してんだろ。俺が世話してやるよ」

「えッ、ええ・・・」

まさか、パンパンになりに来たとも言えず、志乃は言葉に詰まった。たしかに、働くところも

今夜寝るところも、どうしたらよいか分からないのだ。

「来いよ、良いところへ連れてってやる」

言うよりも早く、男はもう風呂敷包みを抱えた志乃の手を引きずるように歩き出していた。

良いところと言っても、見知らぬ男にどこに連れて行かれるのか見当もつかない。流石に

志乃は男の手から逃れようとして二・三歩後ずさりした。

「怖がらなくたって良い。姐ちゃんにちょうど良い働き場所があるんだ」

「で、でも私、東京に来たばかりで・・・」

「だからよ、寝るところも決まっていねぇんだろ。世話してやると言ってるじゃねぇか」

男は強引に、駅の構内を横切って反対側の出口に出た。

「早くこっちへ来い、あんなところでいつまでもウロウロしていると、MPに捕まって収容所行きだぜ」

そして連れ込まれたところは、現在の地図で言うと御徒町から不忍池に寄った一角、闇市の

はずれにある粗末な木造のバラックである。それでも駅から眺めた焼けトタンの小屋に比べたら

はるかに上だと志乃は思った。

「何だ、そのスケは?」

中にいたボスらしい30前後の復員服を着た男がダミ声で言った。

「へい、駅で拾ってきましたんで、向島の親分のところにはちょうど良いかなと思って」

「あぁそうかい、あんた、いくつなんだ?」

「17です」

「いい身体してんな、今まで何をやってた」

「漁師・・・」

「ほう、田舎から出てきたのかい。東京に親類とか、ねぇのか」

「うん」

ボスは唇をゆがめて、ウッフッフッと肩をゆすった。これは、女のほうから勝手に網にかかって

きたような迷い鳥である。

「よし、そこで休め。スイトンでもあるだろう、何か食わしてやれ」

ボスのひと声で、先刻の男が外に出て、どこからかドンブリに塩気のきついスイトンを入れて

もってきてくれた。

「あ、ありがとうございます」

志乃は救われたような気持ちでドンブリを抱えた。汽車に乗るとき渡された一食分の弁当は

とっくに食べてしまって、腹の皮が背中にくっつきそうになっていたのである。

世の中は不思議なものだ。こんな条件の中でも、人と人との微かな触れ合いがあった。

いや、こんな時代だったからこそ、初めて会った他人同士の奇妙な縁が生まれたのかも知れない。



十六、東京第一夜


その夜、志乃は闇市の管理事務所になっている掘っ立て小屋で、ボスの荒巻竜次に抱かれて寝た。

嫌も応もない、腹がいっぱいになり、屋根のあるところで寝かしてもらったお礼には、これしか

することがなかったのである。

「裏に水道があるから、身体を拭いて来い」

「はい」

夜間の照明が整備されていないので、闇市は夕方6時を過ぎると、ひっそりと人気が絶えて

ガラクタや空き箱の山と化す。中にはその空き箱の間に挟まって寝ている者もいたが、明日に

なったら、彼らがまた商売ができるように場所を確保してやり、争いごとが起きないように

仕切っていくのがボスの役目だった。

掘っ立て小屋の裏に、蛇口が壊れてジョロジョロと水が流れ放しになっている水道管が露出していた。

この僅かな水を闇市の全員が利用している。焼け跡に取り残されたような水道管の権利を独占して

いるのが、荒巻竜次なのであった。

小屋の外に出ると、一月の東京の風は身を切られるように冷たかった。

身体を洗うといっても、とても全身にシャワーを浴びるようなわけには行かない。志乃は汚れた

ズロースを脱ぎ、ワンピースの裾を腰の上まで捲って、ジョロジョロと落ちている蛇口の前にしゃがんだ。

手の平に水を受けて、陰毛にまぶしつけるように周囲の肉片に振りかけると、ぞうっとする寒さが

背筋を駆け上がる。奥歯を噛んで震えを抑えながら、志乃は一心に自分の性器を洗った。

あのお兄さんは、これから私をハメるに違いない…

それは誰に教えられるでもなく、志乃が自然に身につけた予感だった。

小屋に戻ると、二畳ほどの板の間に占領軍の毛布を敷いて、竜次が横になって洋モクの煙を天井に

吹き上げていた。

「こっちぃ来い、嫌なことはしねぇよ。一緒に寝るとあったけぇ」

志乃はまだ震えている手足が竜次に触らないように気を使いながら毛布の中に入って、乳房をそっと

男の肘のあたりに寄せた。

その感触が伝わっているのか、竜次は仰向いたままタバコの煙を吐きながら言った。

「おめぇ、志乃といったな」

「はい」

「パンパンになりたくて田舎から出てきたというのは本当か」

「えぇ、まぁ」

それは昼間の話である。爺さんたちにお金を送れれば良いと思って東京に出てきたことまでは

話してあった。

「お前な、どうしてここに連れて来られたのか、知ってんのかよ」

「いえでも、みんな親切な人だったから・・・」

「ふん、親切だと?」

竜次は、鼻の先で笑った。

「ここは上野の闇市だぜ。明日になれば、お前は女郎屋に売られるんだよ」

「はあ・・・」

竜次から売られると言われたことについては、志乃はさほど驚いたわけではなかった。

女郎屋といえばお多福と同じだ。こんな焼け跡に、もう女郎屋ができているということのほうが

驚きである。

「パンパンとは違うんですか」

「アメ公はあぶねぇ。下手をするとマワされたり、ヤリ逃げが多いからな。言葉ができなきゃ無理だ」

その当時、銀座から有楽町にかけて、派手なパンパン風俗というのがあったが、実態はかなり危険で、

米兵による強姦事件は後を絶たなかった。相手は占領軍だから、何をされても日本の警察は黙って

見ているよりほかになかったのである。

商売柄、その辺の事情については竜次は詳しかった。

「お前に、その気があればだがな・・・」

竜次は何事かしきりに考えながら言った。

「俺と組んで働いてみねぇか。そのほうが、女郎屋に売り飛ばすよりは率が良い」

「お兄さんと組むって・・・、どうすれば良いの?」

「俺の女になれ。それで、客を取って稼ぎまくるんだ」

「はい・・・」

「いいか、これからは女が稼ぐ時代だ。俺が飼ってやるから、ご主人様だと思って一生懸命に働け」

「わ、分かりました」

ご主人様といった竜次の言葉が、クサリと志乃の胸を突いた。無意識のうちに志乃が求めて、

憧れていた呼び方である。

「お兄さん、うぅん、ごッご主人様・・・ァ」

衝動的に、志乃は冷たい腕を竜次の逞しい胸の上に伸ばした。

「わたし、何でもやりますから、ご主人様が飼ってくださいッ」

「わっはっは、面白ぇな。女がどこまで家畜になれるか、試してみよう」

男の手が、ガシッと恥丘の毛を毟り取るようにつかんだ。本能的に志乃が足を開く。

くるりと身体の向きを変えて、男根を握った竜次が、無造作に志乃の穴の真ん中に突っ込む。

「ウッ、ハハッ・・・」

息を詰めるまもなく、もう一度身体を回転させた竜次が、苦もなく志乃を自分の腹の上に乗せた。

「ヒェェ、ごッ、ご主人様ァ・・・ッ」

男根を挿したまま、志乃が竜次の腹の上で馬乗り人形のように弾む。弄ばれることに馴れて、

いつしか快感を圧しころす術を身につけた志乃が制御することができない速さで、肉体が躍った。

「それ、それい、もっと絞めろ。吸い付いて来いっ!」

「アッ、フゥッ、アッ、フゥッ」

ガクガクと首が前後に揺れた。腰を跳ね上げられるたびに、男根を刺した奥が真空になるのか、

子宮が引っ張られるように降りてくるのを感じる。

「でッ、出ちゃうッ、出ちゃうぅッ」

志乃は無意識に叫び声を上げた。

「イクならイケよ。飼い犬とジャレてるみたいで可愛いぜ」

「わあぁッ、ご主人様ァ・・・ッ」

それは、志乃が生まれて始めて感じたエクスタシーであったと言って良い。これまで犯されて

オモチャになることしか知らなかった志乃が、女として、一匹のメスとして開眼した瞬間であった。

そしてこの状態が何分間続いたのか、はっきりとしない。

やがて、竜次はグイと男根を抜くと、そのまま女の腹の間に挟んで激しく上下させた。

溢れるほどのヌメリで、擦れ合う肌はヌラヌラである。それがさらに大量の粘液で志乃が滑り落ちそうに

なったのは、竜次が二人の腹と腹の間に射精した証しだった。

「ご主人様、ご主人様ァ・・・」

うわ言のように呟きながら、志乃は男の臍のまわり、陰毛の生え際にこびりついた白濁の淫液を

宝物のように舐めた。

「ふっふ、くすぐってぇな」

「だって勿体ない、もったいないよ」

今日まではっきりと自覚していたわけではないが、ご主人様と飼い犬という関係は、志乃にとって

至上最高の取り合わせだった。ご主人様と思えばこそ、これだけのエクスタシーを与えられることも

出来たし、竜次という男がそれに相応しい肉体の持ち主であったことも嬉しかった。

東京での第一夜は、普通なら転落への第一歩となるお決まりの筋書きだったのだが、志乃にとっては

まったく違う一面を持っていた。

何の当てもなく、海のように広い東京で最初からこんな幸運に恵まれたことは、運命の神さまに

感謝しなければなるまい、と志乃は思った。

こうして、志乃の東京での生活が始まったのである。



<つづく>




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