妄執の果て







一、 家庭内事故


『田丸一雄』とその家には表札が出ていた。

新宿から私鉄の電車で二十分、郊外のベッドタウンである。

住んでいるのは、中年の実直そうなサラリーマンとその母親らしい

老女が一人、近所の人は一昨年奥さんがガンで亡くなって、この家から

ささやかな葬式が出たことも知っている。

当主の田丸氏は五十五才、都内の会社に勤めているのだが、以前から

女房の母親を引き取って三人で暮らしていた。母親のみつが今年七十三で、

亡くなった妻よりも元気なことから家事や留守番にまだまだ使える。

いまさら再婚のアテもないところから、血のつながらない義母との共同生活が

そのままズルズルと続いているのだった。

世間様の眼も、べつにそれを不思議とも思っていない。いわば、どこにでもある

高齢化世帯の典型であった。

「一雄さん、先にお風呂にお入りなさいな」

その夜、会社から戻ると義母のみつが遅い夕食の仕度をしながら

声をかけた。

「ご飯はもう出来ているから、すぐにお汁を温めておきます」

「はいはい、お義母さん何時もすいませんね」

気軽に受け答えして風呂に入ったのだが、その直後に思わぬ事故が起きた。

ガシャンと大きな音と悲鳴が聞えて、風呂場から飛び出してみると

リビングのテーブルの下に蹲ったみつが身体を起こそうと身をもがいている。

その横に鍋がひっくり返って、床一面にスープの汁が飛び散っていた。

「お、お義母さんっ」

「アッ熱い、起こして早く…ッ」

あわてて抱き起こしてみると、鍋を持ったまま前向きにつんのめったためか、

前半身に熱湯を浴びて洋服が湯気を上げていた。

手早く着ているものを脱がせると、左の乳の下半分から脇腹にかけて、

続いて臍の周りから内腿の膝の近くまで、真っ赤に色がついて

ところどころ水ぶくれになっている。

「大丈夫ですか、お義母さん救急車を呼ぼうか?」

「いえいいの、転んだだけだから、心配しないで…」

気丈な女で、みつは顔を歪めながら曝した素肌を恥じるように両手で

乳房を抑えた。

状況は左半身の火傷なのだが、意識はしっかりしているし、油ではないので

生命に別状はあるまいと突嗟に判断して、とりあえずぬるま湯のシャワーで

汚れた全身を洗って、ベッドに横になった。

それほどの重傷とも思えないので病院に担ぎ込む必要もなさそうだというのが、

このときの二人の判断である。

だがやはり、みつは相当に苦しかったようだ。

ヒリヒリと突き刺すような鋭い痛みが身体全体を駈けまわる。寝返りをうつと

火傷して赤くなった皮膚が裂けそうに引きつる。

寝巻きを着ることが出来ず、冷やすために素肌に濡れタオルを当てているのが

精一杯の手当てなのだが、五・六分ごとに取り替えてやるのが娘婿の

一雄の役目だった。

「ごめんなさい一雄さん、あぁ勿体無い」

そのたびに、みつは身体を捩じるようにして感謝と詫びの言葉を述べた。

「いいんだよお義母さん。それほど酷い火傷じゃないから、すぐに

治りますよ」

だがこの調子では、今夜は一晩中タオルを取り替えてやらねばなるまい…

それでも臍の下の水脹れが少し気になる程度で、まぁ大事に至らずに済んで

良かったというのが正直な気持である。

騒ぎが一段落して夜も遅くなると、一雄の気持にもようやく一種のゆとりの

ようなものが戻ってきた。

「一晩寝ていれば落ち着いて、痛みも軽くなると思いますよ。明日は

病院に行って薬をもらってこよう」

「悪いわねェ、私の粗相で会社を休ませたりして…」

「良いんだよ。このところ仕事もヒマだ」

気を遣わせまいと笑った顔で、そのまま視線を落とす。

長い間一緒に暮らしていて、始めてみる妻の母親の剥き出しになった

素肌であった。七十才を越えたみつの肉体は、もちろん、もう女ではなかった。

二の腕は肉がたるんでブヨブヨになっていたし、腹部には数本の溝が深い

皺のように刻まれている。見るともなく見ると、自然に抜け落ちたのか、

それとも昔からそうだったのか、パラパラと疎らに生えた陰毛に白い毛が

混じっていた。

生前の妻が持っていた濃密な陰毛がダブッて、一雄は一瞬眼を閉じた。

妻を失ってから何年振りかで感じる異性の肉体である。



二、蘇える女臭


五十五才と言えば、男として内面的にも外見的にもそろそろ限界であろう。

たしかに、三年前妻を亡くしてから、田丸一雄は新しい女に触れたことが

なかった。酒はもともと飲めないほうだし、ヘルスに行くにも髪の薄さが

気恥ずかしくてその気になれない。

だからと言って、女房の母親と同居してもセックスを意識するなど

考えたこともなかったのだが、無防備に曝け出された陰毛を見ると、

何故か背筋に冷たい戦慄のようなものを感じる。

裸の乳房や腰に張りつけたタオルを替えていると、これまで思ってもみなかった

奇妙な妄想が浮かぶのである。

病いの末期には痩せ衰えていたが、妻の愛子はムチムチと弾力のある

卑猥な肉体をしていた。

性欲も旺盛で、四十過ぎても女のほうから挑んで来たりしたものだが、

その女房はすでに亡く、いま眼の前にあるのは年老いて干柿のように

乾からびた母親の性器である。

それが奇妙な二重写しになって、実直なだけを取り柄に生きてきた男の胸を

掻き毟るのだった。

「あの、一雄さん。もう良いから…、ちょっと起こしてください」

そのとき、みつが何かを訴えたいような顔で言った。

「起きるなんてまだ無理だ。何かしたいのだったら言えばやってあげますよ」

「いえ、お手洗いに、自分で行けますから」

身体を起こそうとして、みつはウッと眉を顰めた。

「だめだよお義母さん。安静にしていてくれなければ困るんだ」

それからふと思いついたように、男は無器用な調子で言った。

「トイレぐらい、タオルを敷いてあげるからそこにやんなさいよ」

「で、でも、一雄さんにそんなこと…」

「良いったら、いちいち遠慮することなんかねぇよ。誰だって出るものは

出るんだ」

わざと乱暴に言って、押入れから引き出物らしいバスタオルの箱を

引っ張り出す。

「ほら、そのままの格好で良いから、このほうが楽ですよ」

否応無しに火傷していないほうの足を抱えて膝から曲げると、

その下に四つ折りにした真新しいバスタオルを敷いた。

「飛ばないようにオムツみたいにしてあるから心配ないよ」

「ごめんなさい。そんなことまでさせて、申し訳け…」

老いたとは言え、男に排泄の始末までさせなければならなくなったことが、

恥ずかしさを通り過ぎた屈辱になっているのか、みつの目尻からスルスルと

涙が落ちた。

「気にしなさんな。おっぱいのタオルも取り替えますからね」

体温を吸って温かくなったタオルをはがして、新しく絞ったものに変える。

赤くなった乳房は乳首にかけて僅かに皺が見えたが、盛り上がった

柔らかさには美しかった頃の名残りを留めていた。

「お義母さんまだ若い、元気ですね。身体も綺麗だ」

煮え湯を浴びていないほうの乳房を優しく揉んでやると、みつはビクンと

筋肉を固くしたが、拒否反応を示すでもなく眼を閉じてそのまま身体を任せている。

火傷の痛みを和らげるように、乳房から胸の周りをゆっくりと擦りながら

下腹を圧してやると、みつは軽く仰け反るように顎を突き出し甘えた声を出した。

「あ、あ、一雄さん…」

「ホラ出たでしょう。お義母さん、私がついてますから」

「うれしいわ、ありがとう…」

とても七十才とは思えない、濡れた女の声であった。このことで、

今までセックスとは無縁だった二人の心に何か別の繋がりが

生まれたことは確かなのである。

みつが終ったことを顔で知らせると、ボッテリと重く濡れたタオルを

腰から抜いて、一雄が風呂場に持って行く。

それは死んだ女房が突然よみがえって身の回りの世話をしているような、

倒錯した悦びであった。

「お義母さん、綺麗にしてあげますよ。恥ずかしくなんかないからね」

乾いたガーゼを使って縦の溝に残った小便の残りを丁寧に拭き取る。

白髪の混じった陰毛の土手を開けると、薄い紫色をした肉ベラが

それほどの崩れも見せずに小さく収まっていた。

「お義母さん、死んだ愛子のとそっくりだよ」

「………」

「思い出したのかなぁ。この年になって、私のここが立ってきた。

お義母さん、見ますか?」



三、楕円のまじわり


それは肉親とも、親子の情愛とも違う、奇妙な情念の絡み合いであった。

未亡人と呼ばれるようになってから二十年の女と、女を忘れて五年近く

経った初老の男の性欲に火がついた。

常識では判断できない発展があったとしても不思議ではなかった。

火傷のほうは、次の日には痛みも引き、いくらかの水泡が出来たが

大事に至らずに済んだ。

変わったのは、その後の二人の生活である。

「お義母さん、今夜は何か食べたいものはありますか」

「いいえ、一雄さんのお好きなものを…」

「そうですか、それじゃデパートで魚でも買ってこよう」

これが、朝の出勤前の会話である。呼び方は相変わらずお義母さん、

一雄さんだが、言葉にはこれまでと違った甘い生活の響きがあった。

「愛子には悪いわねぇ、私、一雄さんにこんなに優しくして戴いて、

バチが当たりそう」

「いや僕には、お義母さんの身体に愛子が乗り移っているような気がするんだ」

「嬉しいわ、私、愛子の分まで一雄さんにお仕えしますから…」

指先で疎らになった陰毛を弄ばれ、みつは男の胸に顔を埋めながら言った。

「恥ずかしいけど、私、愛子の代わりが勤まるのかしら」

「勿論ですよお義母さん、愛子と二人分だから二倍快いよ」

「ほ、本当…?」

いつのまにか足が大きく開き、その上に男の身体が乗っていた。

体重を掛けないように片手で支えながら、左手を男根に添えて

静かに腰を落とす。

「あぁ、あッ、一雄さん…」

「お義母さんわかるだろ。愛子が立たせてくれるんだよ、本当なんだ」

「うぅッ、快いですか、快いですかッ…?」

「いいよ、たまらん蕩けそうだ」

「う、嬉しいッ」

折り重なったまま、動作はゆっくりと、決しておどろおどろしいものでは

なかった。肩まで掛けた毛布の下で、全体が緩慢な上下運動を繰り返して

いるだけである。

「お義母さん、ずいぶん濡れるようになりましたねぇ。若返ったんじゃないかな」

「そうかしら、だったら一雄さんのおかげでしょう」

「いや、やはり愛子が乗り移っているような気がする」

男が腰の動きを止めて、何かに憑かれたように言った。

「だってお義母さんとこんな関係になるのはそれ以外には考えられないでしょう。

僕、全然後悔していないんです」

「私もだわ」

みつが、少しかすれた声でつぶやく。

「そうかも知れませんね。愛子は、一雄さんを愛していたのね」

「それはどうか判りませんが、少なくともこういうことには未練があったのでしょう」

男は再び腰を動かしながら言った。

「それに、この感じが死んだ女房にそっくりなんだ。忘れられませんよ」

「はぁッ愛子は、どんなことが好きだったの?」

「別に変ったところはなかったんだけど、ほらお義母さんのその腰の動かし方…」

「いや怖いわ、自分でも区別がつかなくなりそう」

はっはっと息を弾ませながら、みつは眼を宙に据えた。

「あぁもう、一雄さん、わたし…」

「イキたいですか、イッてみたいんでしょう」

「エッえぇ」

二人の動作が次第に激しくなった。控えめだが、みつが男の突きを受けて

下から腰をひねる。毛布が捲くれて、痩せて筋張った膝から上の太腿が

露出していた。

だが女の肉体には、それ以上の感覚を爆発させるだけの力は残って

いなかったようだ。やがて男が肩で息をしながら女の上に突っ伏してしまった。

「お義母さん、ごめんなさい。も、もう駄目だ」

「いいの、いいの一雄さんッ」

「勘弁して下さい。愛子にも申し訳ない」

ぐったりと仰向けになった男の股間に、力を失った男根が斜めに横たわっていた。

みつの気をイカせようとして懸命になっていたためか、結局男も射精の機会を

逃してしまったようだ。

それでも二人は十分に満たされていたし、これで良かったのであろう。

寄り添ってティッシュで後始末している老婆の姿には鬼気迫る愛の執念があった。





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