S M 闘病記



六、眼からうろこの手術台


それにつけても、俺が口惜しくてならないのは、いくら史上最強の痛み止めの魔法に

かけられていたと言っても、心臓がビックリして躍りだすほどの手術を受けて、その時の

情況が何一つわかっていないことだ。それはまったく混沌とした夢の中、いや夢の意識さえ

喪失した無の世界なのである。

いったい、このとき何が起こっていたのか、知っているのは当事者だけだが、一番の

当事者である筈の俺に知らされていないのは不合理である。

だからと言って執刀医の先生に聞いても教えてくれるわけがなかった。

看護婦や同室の患者にカマをかけたり水を向けたりして聞き出そうとしたのだが、

直接の立会人ではないから、みんなあてずっぽうの想像ばかりで信憑性がない。

そこで俺は考えた。

看護婦や麻酔医や、主治医になっている若い先生がチラと漏らした一言をつなぎ

合わせて、それに俺の実際の体験を重ねて手術の再現はできないものか。

これから以下に記すのが、その実験談である。

あるいは実際に起こったこととは違うかも知れないが、はじめに断ったとおり俺は

医者ではないから丸呑みにしないでほしい。これはあくまで、一介のモノカキの

眼で見た手術の現場写真なのである。

前置きはここまでにして、俺はあのちっぽけな白い錠剤が、あれだけ効き目の強い

秘薬だとは思わなかった。だからこそ何の警戒心もなく口の中に放り込んでしまった

のだが、俺はそれから3分とは意識が持たなかったのである。

誰でも一度は睡眠薬で女を眠らせて犯してみたいという衝動に駆られたことが

あると思うが、この薬剤を使えば一コロだな。無味無臭、何という名前の薬なのか

薬剤師は絶対に教えてくれないだろうが、病院でも薬の管理は厳重を極めているに

違いない。

テレビの推理ドラマなどで、ビールの中に薬を溶かし込んで女を眠らせるシーンは

使い古された陳腐な手法だと思っていたが、現実にこんな薬が存在するということに

なると、捨てたものでもないぞ。

そのおかげで、俺はグッスリと眠りこけたまま手術室のドアが開くのさえ知らなかった。

その前に、全身消毒の蒸気か風を吹き付けられたりしたのだろうが、それすらも

完全に意識の外である。

俺は病棟を出るときは青い手術着を着ていたのだが、ストレッチャー(移動寝台)から

手術台に移されたときには、おそらく裸のマネキン人形のような状態であったと思う。

ついでに書き足しておくが、前の章で俺は看護婦に白衣と青いのと二種類あると

書いた筈だが、青い服をつけたのは手術室の専属要員で、いわゆる「オペ看」と

呼ばれる。白衣の看護婦が患者の世話、点滴や採血の補助をする病棟つきで

あるのに対して、こちらは直接手術に立ち会って執刀医にメスを渡したり、出血の

処理を受け持つ作業員であった。

どちらが格上か知らぬが、ちっとやそっとの度胸で勤まる仕事ではない。俺なんか、

盲腸の手術に立ち会わされただけで貧血を起こしそうになった。

さてその手術台だが、周りを取り囲んでいるのはあの魔法使いのような美人麻酔医、

それに正副の執刀医がふたり、正はもちろん外科部長、この手術全体の責任者

である。副は次の部長を約束された一番弟子、そしてオペ看は最低三人、これは

メスなどを渡す係と後始末に専念する者、それに輸血や緊急の薬品などを準備する

役目がどうしても必要である。

手術台から少し離れて、血圧や脈拍や患者の容態を常時チェックしている器械技師が

いる。あえて付け足せば、時間が空いた若い研修医か何人か立会いで参加して

いるのかも知れない。

手術台に横たわった俺は、感覚は失っているが、あくまで眠っているのであって

麻酔にかかっているわけではない。いま身体にメスを当てれば悲鳴を上げて

飛び上がることは必定である。

そこで、片頬にうっすらと微笑を浮かべた美人麻酔医が登場することになる。

使われるのは史上最強の痛み止め、おそらく、ガスであろう。注射などという

生半可な手段では、人間をあれだけ完璧に眠らせることはできない筈だ。

鼻と口に密着したマスクが貼り付けられ、液化した薬剤が充填された精巧な

ボンベから、、呼吸のタイミングを計ってせいぜいひと息かふた息、、それだけで

お終いである。内容は強烈な麻薬を含んだ禁断の薬剤であろう。

これ以上吸わせれば患者は間違いなく天国行きだ。まして、万一間違って気体が

漏れて、執刀医が吸い込んだりしたらおおごとである。したがって取り扱いは

慎重を極める。だからこそ、麻酔医という特殊な職業が存在するのだ。

そこで検査技師が患者の容態に異常がないことを確認すると、いよいよ執刀である。

はじめに、副執刀医がおもむろにメスを取り上げる。脚を30゜くらい開かせ、

内側の膝の関節の下から踝の上にかけて、画を描くようにスーッと一本の線を入れる。

脂肪のついていないところだから、長さ約40センチ、深さ2センチの長い筋肉の層が

パクッと口を開く。血もほとんど出なかったようだ。

次に、先の曲がった鉗子のようなもので静脈を探る。静脈は筋肉と絡み合っている

のではなく、筋組織の間を縫うように走っているから、探すのは楽であろう。人間の

脚には、こうした静脈が数本あって、一本採っても機能には別状ないらしい。

鉗子の先端で摘んで、血が通ってくる一方を結索すると、スルスルと下から上に、

筋肉の間を剥がすように引き抜いてゆく。血が止められているので、色はクリーム色で

一見して成長した蛔虫のようなイメージである。

同じように反対側の脚からも一本採取すると、執刀医は無言でオペ看の差し出す

ステンレス製のトレイの上に乗せた。

「メス・・・!」

外科部長の声が、室内いっぱいに響く。

オペ看が差し出すメスを取ると、咽喉元の直下、左右の鎖骨の接点に当てた。

俺は、開胸手術と言えば電気メスか何かで胸骨を切り開いて、秋刀魚のひらきの

ようにガバッと一気に開けるのかと想像していたのだったが、到底そんな単純な

作業ではなかったようだ。

まず、スーッとひと息に骨のなくなる柔らかい腹の辺りまで切る。ここから先は厚い

脂肪層で、切りすぎると黄色い脂肪の塊が飛び出してしまうので、肋骨の下5センチ

くらいが限界であろう。

続いて今度は鈎型の鉗子を使って、表皮とすぐ下の薄い筋肉を掻き広げるように

左右に開いてゆく。するとその下に、真っ白な胸骨とそれにつながる十数本の肋骨が

露出するのだ。

手術室のシーンでお馴染みの、天井にある無影灯に照らされた純白の骨は

立体的で、人間の肉体のみが持つ不思議な造型である。この胸骨を縦真っ二つに

切断するのだが、おそらく精巧な小型チェーンソー丸鋸のようなものだ。

シャーッという微かな音が、周囲の機械音に混ざって聞こえる。それも僅か30秒

足らずの短い時間であろう。骨の厚みを指の感触で測りながら、ギリギリの

ところで裁ち割ってゆく。深すぎれば当然臓器に傷がつく、熟練と慎重を要する

作業なのだが、さてこれからが問題である。

当初俺は、肋骨など簡単に開くものだとばっかり思っていたのだが、呼吸を

するための多少の弾力はあっても、蝶番や軟骨などどこにもついていないのである。

胸郭というのは、もともと開かれるために出来ているものではない。

手術の前にこのことに気がつかなかったのは俺も迂闊だった。あの佐藤看護婦が

手術の説明に来たときにも、そんなことはオクビにも出さなかったぞ。

ありのままに言えば、恐怖から手術を辞退する患者が続出するのを防ぐための

配慮だろうが、ここで俺は「史上最強の痛み止め」の威力を思い知ることに

なるのである。

胸骨は二つになったが、ビタリと密着したまま動く筈もない。そこでどんな機械か

想像もつかぬが、骨の裂け目に薄い金属の板のような爪をこじ入れて、梃子の力を

逆に使ってギリギリと開いてゆく。これをやるのは、おそらくオペ看の若い女の子だ。

2センチ、3センチと胸郭が開いてゆくにつれて、ミシミシ、ベキッと肋骨にひびが

入る音がする。生体の骨はポキンと折れるのではなく、ちょうど青竹を捻じ曲げた

ようにひしゃげ、ひび割れるのである。この音を聞きながら平然と機械を操作できる

オぺ看も、相当な度胸だ。

そんな音に気をとられている余裕もなく真剣なのは副執刀医である。

取り出した2本の静脈に狭窄している箇所がないか確認した上で、実に不思議な

作業に取り掛かる。それが静脈の反転、つまり裏返しである。

心臓から圧し出された血液は動脈に流れて脈拍となり血圧となる。豊富に酸素を

含んだサラサラでピンク色をした血液である。それが毛細血管を通って酸素や

養分を細胞に補給し、老廃物を受け取って静脈に入る。後は押せ押せで心臓に

戻るのだが、すでに脈拍は打っていない。そこで直立歩行の人間は古くなった血液が

逆行しないように、静脈には無数の弁がついているのだと言う。これがあっては

バイパスに動脈血を送るにははなはだ不都合である。

それで採取した静脈は裏返して使わなければならないと言う次第、直径3ミリの

ナマの静脈を、傷ひとつつけずに反転させる技術は一朝一夕に会得できるような

性質のものではあるまい。

いっぽうメインでは、ビシッ、バキッと不気味な音を響かせながら、胸郭がおよそ

15センチくらい開く。これ以上開けば、肋骨が二つ折りになって、元に戻らなく

なってしまう。その限界は15センチがやっとであろう。

内部で心臓が、ピョコタン、ピョコタンと脈動しているのがわかる。まさに生きた

心臓が全身に血液を送り出しているのだ。

この僅か15センチの隙間に手を入れて、サブ執刀医が裏返し消毒した

マカロニスパゲティのような静脈を、釣り針に似た細い針に糸を引っ掛け、

ピンセットで摘んで大動脈に縫い付けるのが手術のクライマックスである。

ただし、いきなり大動脈に穴をあけたのでは、鮮血が噴出してしまうから、

はじめに血管を縫いつけておいてから、鑿のような鉗子を使って動脈に穴をうがつ。

ピューッと血が飛び出してくるのをすばやく途中で結索すると、回旋枝と呼ばれる

血管に縫合する。こちらは狭窄して血が通っていないから、はじめから穴を作って

おくことが可能である。

この場合、どこに繋いだら良いかはほとんどカンに頼るほかないと思うが、繋いだ

先の血管が詰まっていないことを祈りつつ結び目を解くと、サァーッと新鮮な血液が

ものの見事に心臓の末梢血管にまで行き渡るのである。

これでやっとバイパスの一本が完成するわけだが、残りあと二本、極限の狭い空間で

直径3ミリの血管をどうやって縫い付けることができるのか、その技はまさに神技と

言っても過言ではない。

神技と言えばさらにもうひとつ、俺にはどう考えても未だに判らない魔術師のような

不思議なテクがあった。

それは心臓を抱いている三本の主要動脈のうち、裏側にある回旋枝への

バイパスである。俺には、外科部長が俺の心臓を掴んでクルリと裏返しにした

としか思えないのだ。生きた人間の心臓で、そんな芸当が出来るものかいな。

だがこれで、手術はようやく山を越えた。

あとはサブの執刀医が腹部の4ヶ所、肋骨の下と臍の上2ヶ所に穴をあけて

ビニールのパイプをセットする。手術の後の汚血や体液を吸いだすためのものだが、

これを抜くときの激痛は前の章に書いたとうりである。

こうして開いていた胸を元に戻して傷口を縫合すればすべてが終了するわけだが、

まだまだ気を緩めるわけには行かないのである。

第一、ここでうっかり梃子の爪を外そうものなら、不自然に拡張されていた胸筋の

圧力で、バッチーンと猛烈な勢いで肋骨が締まる。下手をすればせっかく作った

バイパスまで縫い目から千切れかねない。慎重の上にも慎重に、オペ看が

少しずつ梃子を緩めて、ようやく胸骨が密着すると、今度は触れ合った骨が

互いにズレないように、左右の肋骨の間に針金を通してギリギリと締め上げる

のである。針金といっても、絶対にさびることのない特殊な金属なのだろうが、

その締め方といったら、家の庭で壊れかけた柵を修理するのと少しも変わらない

荒っぽさである。

そして最後に、掻き分けておいた胸の筋肉と皮膚を丁寧に寄せて白骨を隠す、

そして縫合・・・、という段取りになるのだが、ここでもうひとつ、俺にはどうしても

理解することが出来ない摩訶不思議な現象がある。

俺の両脚から静脈を採った傷跡40センチ、真っ二つに胸を切り裂いた傷痕が

40センチ、あとになってアッと気がついたことだが、そのどこにも針で縫合した

形跡がないのだ。とうてい絆創膏で引き寄せたくらいでくっつく傷ではない。

現代の医学では、いったいどうやって傷口を癒着させるのか、その後の経緯から

考えても、セメダインのような糊で貼り付けたとしか思えないのだが、果たして

そんな接着剤が開発されているのだろうか。ただただ俺には深い謎である。

はじめに書いたとおり、俺は医学的知識皆無で、しかも麻酔で意識ゼロのときに

起こった出来事を、ない知恵を振り絞って想像で書いているので、誤りを指摘

しようと思えばいくらでもあると思う。もし幸い心臓外科の素養のある読者がこれを

読んでくれたら、これは違うと怒り出す前に、ここはこうだと一筆入れてくれたら

本当に有難い。

それでは最後に、山岸康二のナマの心臓をお目にかけます。よく調べてみたが、

べつに毛は生えていなかったから念のため・・・。


   
カテーテルの結果説明。いづれも付け根で
ブッ千切れている。下には3枝病変の狭心症と
恐怖の診断。
カテーテルの写真。左図左側の部分だが、その下に
ある筈の血管は影も形も見えなくなっていた。つまり
100%狭窄。


バイパス工事のあと、中央のバイパス開通で、
見えなくなっていた部分が甦ってクッキリと
姿を現す。
山岸康二の肋骨写真。骨と骨の間をブットイ針金で
締め上げられた壮絶な現実を見よ。









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