SM 闘病記



十五、おぉ 城西温泉



城西病院は、駅からマンションへの通り道だ。こんなことでお世話になろうとは夢にも思わなかったが、

病院の場所も名前も良く知っている。

俺は一度マンションに戻って、改めて入院したかったのだが、時間の都合で我が侭は認められなかった。

タクシーが病院の玄関に横付けになると、低い階段が3段ほどある。女房の肩に掴まってこの3段を

無事に登るのが大変な仕事だった。

中に入ると外来用の待合室があり、腰掛けているのはご近所の爺さん婆さんばかりである。女房が

日赤でもらってきた書類を渡すと、すぐに看護婦が飛んできて車椅子を使わせてくれた。

「うへへ、田舎の病院だなァ」

思わず口に出して呟くと、女房がキッと振り返って、詰まらないことを言うんじゃないの、という眼をした。

心臓のときと違って、今度の病気は、自分が悪かったという自責の念がないから、日赤にいるときから

態度は横柄だったし、やることも好い加減である。それを女房に叱られた気がして、俺は首をすくめた。

よし、今度こそ、リハビリをしっかりやって、絶対に独力で歩いてみせる・・・

気分を引き締めて三階の病室に案内されると、ベッドが六つ、横一列に並んだ6人部屋である。

建物の敷地の関係でそうなっているのだろうが、心研でも日赤でも四角い部屋だっただけに多少の

違和感があった。

心研を軽井沢の別荘ホテル、日赤を都心のデパートだとすれば、城西はこじんまりとした郊外の文化住宅

と言ったところか。

担当の主治医は副院長ということであったが、検査といっても何もすることがないので、一応CTスキャンを

とり、心電図と血液検査などやって、翌日から午前中40分のリハビリに挑戦することになった。

城西の方式は、先生が一人につきっきりになるのではなく、次々に運ばれてくる患者を全体で見守りながら、

三人の先生が分担して訓練の指揮をとる。それぞれ症状にも差があるから、対応する時間の配分も難しい

ようだ。

室内の設備は日赤とほとんど同じで、こちらのほうが多少狭い感じだ。

俺は車椅子で運ばれてきたのだが、看護婦が帰ってしまったので、自分で車を回して空いているマットの

ところに行った。いつも日赤でやっていた準備運動を始めると

「おぅ山岸さん、その調子で続けてよ。なかなか出来てるじゃないか」

と先生から声がかかった。

出来てるといわれても、仰向けになって腰を上げ下げするだけの運動だからどうと言うことはないのだが、

それでも励みになって腰に力が入る。

単調な運動なのでいいかげん飽きたところに先生が来て、もう一度車椅子に乗れという。短い距離を

車椅子で移動して、平行棒のところに行った。

「立ってみな、上手く歩けるかな」

ヒョイと立ち上がって両手で平行棒を掴む。僅か5メートルばかりの距離を、棒に掴まっていれば

楽に歩けるのである。

「よぅし、手を離してみろ」

向こう側についてからだの向きを変えると、先生が勢いよく言った。

「おらァこっちまで、バーには触る程度」

なるほど横に棒があるのだから、転びそうになったら掴まれば良い。俺は思い切って手を放し、二・三歩

前に進んだ。身体が左側にグラリと傾いたが、見事成功である。

「オッケイ、そのまま何回か続けてください。疲れたら、すぐ休むんだよ」

そう言い残して、先生は次の患者のほうに移って行った。だがこれは、俺にとっては大収穫である。

日赤では、バーに掴まって横に歩く、蟹歩きまでは出来たが、ここでは軽く手に触れているだけで

前に進むのである。

環境が変わったせいもあろうが、やはり身体は薄紙をはぐように回復しているのだ。

よし、これならいける、大丈夫だ・・・

俺は自信を持った。日赤から直接転院してしまったために、笑劇場にも檻の会にも一月中に戻って

来ると書いてそのままになっていることが気がかりだった。早速次の日曜日、外泊願いを出すとアッサリと

受理されてしまった。

そのとき書いたのが下の挨拶である。今気がついたことだが、俺は偶然キリ番を踏んでいたんだな。



600. アテにならないお知らせ こーじ  2002/01/27 (日) 00:05
ご無沙汰いたしましたァ

皆さんにこんなにも心配をかけ、こんなにも喜んでいただいた

ことを心から感謝し、照れくさくもあり、何一つ言葉にもならず、

ま、生きていて良かったな〜と思う毎日であります。

容態は順調に回復しているのですが、今しばらくリハビリに

専念せいとの医者の言い分にしたがって不本意ながらまだ

病院におります。今日は日曜日で、外泊許可を取って

懐かしの愛機の前に戻ってきた次第です。

これからおいおい書いてゆくつもりだけど、いまいましい

ことには平仮名片手打ちが更にスローになっているので

今しばらくの間レスはご免 <(_ _)>

今回は元気になりつつあることの報告だけでご容赦ください。

そのうちにアッという企画でご恩返しすることを約束して

おきますからねぇぇ。ウッシッシ、ビェェェ〜〜ン・・・


正月のときもそうだったが、いちばん終わりに泣き声みたいなのが入っているのは、これだけ書くのが

どれほど苦しかったかの証拠なのである。眼が回る、頭の芯が痺れる、視力ゼロ、何時間もかかって

やっとこれだけ、書き終わったとたんにビェェェ〜〜ン・・・とベソを書きたくなる。

アッという企画で恩返しなどと書いているが、このときはすでに自我像三部作が頭の中で渦を巻いていた。

しかしまだ本調子ではないので、「アテにならないお知らせ」なのである。

最大の難関は一種の船酔いというか、目の中で文字が異様な動き方をすることであった。

視点が一つの文字に停まると、それ以上先に進もうとしない。強いて動かそうとしても、文字が形に

ならないのである。普通の印刷物もそうだが、読むのがものすごく遅い。誤字、脱字があってもそれを

発見することが出来ない。

味覚と同様に、視覚神経も確実にやられている。こんな状態で、500枚を超える文章が書けるだろうかと

いうのが何よりも不安だった。

そこで俺は考えた。

筋肉だって、脳味噌が再生したから動けるようになったわけではあるまい。今まで使っていなかった、

あるいは別の動作に使われていた脳細胞が、必要に応じて筋肉に歩けという指令が出せるように

なったから、足が前に進むのである。人間の脳細胞は、かくも偉大で未知な順応力を秘めている。

これを開発すればよいのだ、あとは訓練あるのみだと・・・。

考えたことは立派そうに見えるが、やったことは如何にも俺らしい、遊び半分でちゃらんぽらんな方法

であった。つまり、コンピューターゲームの始まりである。

プレステ2は持っていないのでOneのほうだが、コンパクトな液晶モニターをつなぐと電源だけで遊べる

装置がある。病院のテレビに繋ぐと一分いくらで使用料がかかるので、俺はLCDモニターという装置を

取り寄せ、さっそくテレビゲームを始めた。

「ドラゴンクエスト�Z」、「ファイナルファンタジー�¥」、いずれも以前征服した後のゲームだが、最初から

スタートである。

三食昼寝つき、一日40分のリハビリだけの生活だから、時間は腐るほどある。だが一日見えない目を

しばたきながらテレビゲームをやっていると、頭の神経が痺れたように疲れた。そうすると今度は

立ち上がって、病院に2台しかない歩行器を借りて廊下を歩く。

時おり看護婦が

「山岸さん何をやっているの? あらドラクエ・・・」

などと覗きに来たが、消灯時間を過ぎても夜更けまでやっているので、流石に副院長の主治医は

嫌な顔をした。

「山岸さん、それは目に良くないですよ。寝るときはちゃんと寝てもらわないと」

「はいはい、すいません。もう寝ますから・・・」

それで行ってしまうとまたカチカチと始める。

なぁに、目に悪いかどうか知らんが、リハビリなんていうものはヤル気と根性だ。これが役に立ったのか

どうか、いまでは眉の間にちょっと皺を寄せれば、何とか恰好のついた文章が打てるようになったでは

ないか。

城西に来てちょうど一週間経った木曜日、俺は看護助手のおばさんから変った呼ばれ方をした。

「山岸さん、今日はお風呂の日ですからね、お昼ご飯食べたらこれを着て待っていて頂戴」

渡されたのは、心研で見慣れた手術着である。

「何にも着ないでかい?」

「そう、裸になってこれ着ていれば迎えに行くから」

手術着で入浴とは、ずいぶん変った入れ方だな・・・

興味津々で、俺は昼食を終わるとさっそく素っ裸になった。そのままゲームをやっていると、衣装の横から

ちんぼがハミ出して見えるが、手術着だから仕方がない。

そう言えば、この病院には看護助手というのか、看護婦ではない看護のおばさんがやたらと目についた。

介護ヘルパーの資格でも持っているのかも知れないが、近所の主婦のアルバイトといった感じで、

40才前後の逞しい女性たちである。

車椅子での患者の運搬、ベッドの移動や掃除、食事の上げ下げなど、看護婦に頼らなくても良い雑役を

引き受けて、たいへんに元気が良い。

都心ではないので正看が集まりにくいのを看護助手で補っているのだろう。すぐ横に寮も完備しているのだが

看護婦に聞くと自宅から直接通っているという娘が多かった。つまりスタッフは地元中心で集まっている。

そのためかどうか、家庭的な雰囲気では城西がいちばんである。

せっかく裸になって待っているのに、呼び出しがなかなかこない。ようやく名前を呼ばれたのは、そろそろ

三時近くなってからであった。

「お待ちどうさま、さッ行きましょう」

手術着のまま車椅子に乗せられて、元気よく廊下を走る。よほど忙しかったのか、途中で看護婦に

ぶつかりそうになって

「アッご免なさいよ」

と舵を切る。病院の廊下を走るのは違反なのだろうが、看護婦のほうがかえって恐縮していた。

浴室は二階で、三階の患者と交代で使うのだという。行ってみると、女便所の隣りで、三階では物置に

なっているところが浴室に当てられていた。中に一人入っていて、廊下の角に、もう一人の先客が

車椅子に乗って毛布に包まって待っていた。

そんなら何も、そんなに急ぐことなかったじゃねぇか・・・

と思ったのだが、待つ間もなく九十才近い干物のようになったお婆さんが浴室から出てきて、車椅子で

どこかに運ばれていった。

「山岸さん、寒いといけないから毛布かけておくわね」

助手のおばさんが手際よく、ダルマのように全身を包んでくれる。俺はたちまち列の先頭になって、

10分ほど待たされる結果になった。後ろには、すでに次の患者がきて並んでいる。

浴室のほうで何かガサガサと人が動く気配があって、俺の先に並んでいた人が出てきた。

「ハイお次、山岸さんですねッ」

名前を呼ばれて、車椅子が浴室のドアギリギリのところまで進んだ。

「それじゃねぇ、ここで降りてください。そこにある棒に掴まって、転ばないように・・・」

ウンと力を入れて立ち上がると、おばさんがピッピッと結んでいた手術着の紐を解いた。

「はいッ、山岸さんです、よろしくお願いしまァす」

ガタッと浴室の扉を開ける。俺は、ワァッと声を上げそうになった。

狭い浴室の中に、日赤で見たゴム合羽を着た中年の女が二人、仁王立ちになっていた。

「ハイいらっしゃい、滑らないようにこっちへきて、この椅子に座って・・・」

見ると、浴槽には分厚い木の蓋がドンと置いてあって、中に入ることは出来ない。その横にドラム缶が

一個、シャワーの蛇口が放り込んであって、ザンザンとお湯を噴出している。中にはもう八部通りお湯が

溜まっていた。

「しっかりと掴まっていてね、お湯をかけますからね」

その迫力たるや、いったいどうするんだと考えている余裕もなかった。いきなり、ザバァッと頭から心地よい

お湯が飛沫を上げた。それも一回や二回ではない。数えたわけではないが、都合七・八回は浴びせられた

と思う。

「プハァァ・・・ッ」

息をするのがやっとで、俺はようやく片手で顔をぬぐうと悲鳴のような叫び声をあげた。

「ウワァァ、城西温泉だッ。凄ンげぇなァ」

「アハハハ、どう気持ち良いでしょ、温まった?」

続いて洗剤のようなものをかけられ、二人がかりでゴシゴシと背中を洗う。

朝からもう何人これをやっているのか、おばさんたちの顔からは、汗と湯気がボトボトと雫になって

滴っていた。城西温泉の湯女は、大変な重労働なのである。

ゴムの合羽は着ていても、これでは身体の奥までビショビショであろう。それも構わず前かがみになって、

太腿から足の先まで丹念に洗う。

「立って下さい、お尻を洗いますから」

バーを掴んで椅子から立ち上がると、後ろから股の間に手を差し込んで尻の割れ目をシコシコとこする。

「マエのほうは、奥さんにもっとキレイに洗ってもらって頂戴」

剃毛された後の陰毛はほとんど元に戻っていたが、おばさんは二・三回シャバシャバとお湯をかけた

だけでお終いだった。

最後にもう一度、頭からザバザバとお湯をかけられると、ドップリと湯舟に浸かったくらいののぼせ加減に

なった。

「お粗末さま、はい、お次の方ァ・・・」

「あと、何人やるんだ?」

「えッと、あと三人かな」

「楽じゃねぇなぁ、それで家に帰って、とうちゃんにもサービスすんのかよ」

「アハハ、それどころじゃないわよゥ。終わったら腰が抜けちゃいますよ」

それはそうだろう。しかし俺はここでも、男には到底及びもつかない女の強靭さを垣間見たような気がした。




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