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わくら葉の妖精たちよ
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後 編

六、湯川いづみの誕生



その晩のロコとの交わりは、夫婦として最後の結合になった。

ここまで気持ちが離れてしまえば、そのほうが却って良かろう。

ロコはチャンさんの東京妻になって、翌日から留園に行った。それでもやはり

子供のことが気にかかるのか、この年小学校にあがる長男の手続きやら服装やらの

世話で、チャンさんが留守になるのを見計らっては団地に戻ってきて、いろいろと

面倒を見る。子はかすがいとはよく言ったものだ。こんな夫婦でも、子供のために

離婚するところまでは話が進まないで済んだのである。

しかしこうなればどちらでも同じ、お互いに公然と男を作り女と遊ぶ、だが最近では、

こんな家庭内離婚も世間に増えているのではないかな。

ロコが三国人の妾になった以上は、ローレンスクラブは開けておくだけ無駄であった。

そのときタイミング良く荻窪の家が売れたのをチャンスに、俺はメンバー全員に

閉店の通知を出した。主な常連にはロコが身体で払っている筈だから、預り金の返済も

それほどの額にはなるまいと思ったのだが、受け取る権利のある金を要らないという

奴は少なく、結局一千万近い出費になった。

家は当時の相場で二千万以上で売れたのだが、信販会社に滞っていた元本あわせて

清算すると手元にはほとんど残らなかった。

これでようやく借金地獄からは抜け出すことが出来たわけだが、最後に残ったのは、

大家の『樽伝』と交渉して、店の造作を強引に買い取ってもらった二百万だけである。

このまま団地とマンションの往復を繰り返していたのでは、焼け石に水で消えてしまう

ことは判りきっていた。

何とかしなければ・・・

気持ちは焦るのだが、なかなか良いアイデアが浮かんでこない。

なにしろ、俺は今までまともな商売で稼いだことがない。すべて自分の才覚というか、

アイデアひとつで切り開いてきた道である。誰かを頼りたくても、仕事上の付き合いも

なければ、援助の手を差し伸べてくれる協力者もいなかった。

こうなれば、また女を使って稼ぐしかあるまい・・・

だが時代はもうすでに昭和50年代に入っている。今さら昔のように、芸苑社みたいな

変態クラブは作りたくなかった。もしやってみたとしても、所詮はローレンスクラブの

二の舞であろう。


女のオナニーと、イク時の声を録音して売ったらどうだろう・・・

その頃流行していた小型のテープレコーダーを使って、オナニーやセックスシーンを

盗み撮りできないものだろうか。今なら阿呆らしいような着想だが、俺は真面目に

そんなことを考えていた。

「おいお前、近ごろ彼氏が出来たと言っていたな」

前田まつ江の店に行って聞いてみると、事務所を美容院に改造するとき、水道工事を

頼んだ職人と付き合っているのだと言う。

「よしよし、こんど彼氏が泊まりに来たら、このテープにおまんこの音を録音しておけ」

ソニーの小型テレコに新しい電池を入れて、片道60分のカセットテープをセットして

渡すと、まつ江は不安そうに怯えた声で言った。

「もしみつかったら、どうするの?」

「バレやしねぇよ。紙袋に入れて机の下にでも放り込んでおけば良いんだ」

スイッチを押すときだけ気をつけろと注意して、操作方法を教えてやると、まつ江は

蛇に魅入られた蛙のようにうなずく。

「やってみます・・・」

「今日はおまんこしなくても良いから、彼氏が来たら何時でも録音できるように

しておけ。判ったな」

「はい」

一週間ほどして行って見ると、テープは裏表録音されていた。

「早ぇな、二回来たのか?」

「はい」

さっそく持って帰って、テープの再生スイッチを入れる。はじめガサガサという音が

して、しばらく静かになった後、ボソボソと話声が聞こえてきた。他愛のない世間話で、

男と女が寝るときはこんなものかと拍子抜けするような内容である。

そのうちにセックスが始まったのだが、フッフッとリズミカルな男の息づかいが耳に

つくばかりで、肝心のまつ江の声が聞こえてこない。

ようやくテープが終わりに近くなって、女が何かを催促するような切羽詰った声が

二・三回聞こえたと思うと、アアウゥンと呻き声に変って、まつ江がイッたことだけは

はっきりと判った。

このままじゃ使えねぇな・・・

よほど巧みに編集するか、何か演出を加えなければ商売にならない。

だが別の意味で、まつ江という女が、俺以外の男にどう接しているかが手に取るように

判って、俺には世間話のほうに興味がわいた。

セックスシーンを取るにしても、オナニーさせるにしても、役者がまつ江一人では

どうにもならない。このためだけに女を募集するには金がない。結局この企画は

当分の間お預けであった。

また、こんなことも考えてみた。

ローレンスクラブを閉めたあとも、行くところがないと言って当座のハケ口になっている

綾小路貴子を使って、一種のコールガールをやらせる。

この女は、やらせろと言えば嫌と言わない性格だから、誰に抱かせようと気ままだった。

名前を「ファッションドライブ」とつけて、車に乗っている男から電話を受ける。近くまで

迎えに来させて、2時間3000円で貴子を助手席に乗せてドライブを楽しむという

システムである。延長は1時間につき2000円。ヤリたくなったら勝手にドライブインに

シケ込んでくれと言わんばかりのシステムだが、これなら間違っても売春で捕まることは

ないだろう。

成績はと言えば、申し込みは一日にせいぜい一件か二件、その中で延長になるのは

三分の一程度で、あまり芳しくなかった。昼間から車に乗って女を捜しているような

ヒマな男は、流石の東京にもそう沢山はいないのであろう。

お人よしの貴子は、稼ぎを全部生活費に出してしまって、自分の金を持っていない。

食事は客にねだってファミレスで食わせてもらっている状態、まさに赤貧である。

こんな意味のない毎日が、ひと月、ふた月と続いた。それでも敗戦の直後に、芸苑社に

身体を売りに来た女たちに比べればまだましな方だ、と俺は思った。

あるいはそのとき、女たちの弱みにつけ込んで、やりたい放題なことをやってきた

報いが、いま来ているのかも知れない・・・

そしてある日、またちょっとした事件がおきた。

いつものようにドライブに出かけた貴子が、約束の2時間が過ぎても戻ってこない

のである。

延長の連絡も入らないので、どうしたのかと心配したが、夕方になってもまったく

音沙汰がなかった。まさか、ヘマをやって警察に捕まったわけでもないだろうに、

と気にはなったが、子供たちのこともほうっておけないので、俺はマンションを

留守にして団地に行った。

子供たちに飯を食わせ、終電近くなってマンションに戻ってみると、貴子がサンダルを

両手に提げて裸足のままドアの前に蹲っていた。

「どうした、お前、あれほど連絡しろと言っておいたろう。何やっていたんだ」

「ワァッ、社長、良かったァ。もう帰ってこないのかと思った」

気が緩んだのか、貴子は声を上げて泣き出す始末。マンションの廊下でこれを

やられたのでは外聞が悪くて仕様がない。俺は急いで鍵を開け、部屋の中に

女を引っ張り込んだ。

「いったいどうしたんだ。詳しく話してみろ」

泣きじゃくりながら、途切れ途切れの貴子の話を要約すると、要するにヤリ逃げである。

横浜の近くにあるドライブインまで連れてゆかれて、帰りの車の中で料金を請求すると、

そんなもの俺は知らんと車から追い出されてしまった。ドアにしがみついたのだが、

構わず走り出されてナンバーもロクに覚えていないと言う。

「それで、横浜から歩いて帰ってきたのか」

「だってお金持っていないし、警察に調べられたら困ると思って・・・」

「阿呆、そういうときは時計でもなんでも売って金を作るんだよ」

「と、時計なんか持っていないもん。あぁ、眼がまわる・・・」

道理で、部屋に入っても立ちあがって歩くことが出来ないのである。俺は無言で

痛々しい女の肩の疲れを見据えた。おそらく足には靴ズレが出来て、靴を脱いで

裸足で歩いてきたのであろう。

それにしても、お巡わりにも見咎められずに、よくここまでたどり着いてくれた・・・

もし途中で不審尋問でもされたら、事件が表面化して俺や子供たちの生活にまで

影響が出るところだったのである。

「判ったよ。今夜は抱いてやるから早く風呂に入れ」

「はい・・・」

よろめきながら立ち上がって浴室に行った貴子の後姿を見て、俺はこの商売も今日で

終りだ、と思った。女を働かせて稼ぐのは良いが、どこにどんな落し穴が仕掛けられて

いるか、事件になってからでは遅いのである。

風呂から上がって、疲れ果てた貴子にセックスの相手を迫るのは残酷なようだが、

これは俺の流儀であった。ここまでされると、どんな女も逃げる気力を失って反対に

慕い寄ってくるものだ。

通常の女の二倍以上あるクリトリスを揉まれて、二度三度、半ば強制的にイカされた

あと、貴子は何を思ったのか、朦朧とした状態でうわごとのように言った。

「わたしって、名前が縁起悪いんじゃないのかな。名前を変えてみようかしら・・・」

「綾小路じゃ駄目か」

「お公卿さんみたいな苗字は向いていないのよ。アッ、また気持ちが快い・・・」

「それもそうだ、お前はどう見たって綾小路ってガラじゃねぇな」

「歩きながら、そのことばっかり考えてきたんだけど・・・」

差し迫ってくる快感から逃れることが出来ず、両脚をブルブルと震わせながら、

貴子が言った。

「ユ、ユ、湯川・・・、い、いづみなんて、どうかと・・・」

湯川いづみ・・・?

俺の頭の中に稲妻が走ったのは、この瞬間である。

長い間、霧の中を模索していて、どうしても掴めなかった何かが、このとき突然

ハッキリとした姿をあらわしたのだった。

そうか、これだった・・・、俺が欲しかった名前は、湯川いづみだった・・・!

「アッ、アッ、イッちゃうぅッ」

貴子が仰け反って、いきなり切羽詰った声を上げた。

「いけっ、死んでも良い、もっといけっ」

「アァァ、ウムムムッ」

作り話のように聞こえるかも知れないが、湯川いづみはこうして誕生したのである。

『樽伝』の前で、電話を使ったシステムのアイデアをあと一歩のところまで考えて

おきながら、魔が差したようにメンバー制の交流システムにかたちを変えてしまった。

そのいちばん大きな理由が、システムの名前が浮かんでこなかったことであった。

その結果が現在の窮状にまで繋がってしまったわけだが、いつの間にか、この間に

七年有半が経過していた。

あのころは、電話がようやく大衆のものになり始めた時代だった。今ではもう余計な

電話債券なども買う必要がない。申し込めば即時開設できると言った情況で、電話は

新しい時代の必需品として生活に根付き、発展を続ける環境が整備されつつあった

のである。

それならもう一度、あのときの『樽伝』の前に戻ってみば良いだけの話ではないか。

そして名前は 『湯川いづみグループ』 だ。

開業すればさっそく役に立つので、俺は褒美の意味もこめて、綾小路貴子には改めて

大塚まり子という新しい名前を与えてやった。

そして翌日から、俺は最後に残った虎の子を使って、準備に奔走した。

まず近くの地下鉄新高円寺の駅から三分のところに、スタジオとして穴倉のように

日当たりの悪いマンションを月七万円の室料で借りた。ドアをあけるとキッチンと

浴室、それに三帖と六帖がつながった鰻の寝床のような間取りである。

そこに新しく着信専用の電話を2本引いた。1本は留守番電話の機械をつけて

問い合わせに使う。残った1本が直接女が応対するテレフォンセックス用である。

三帖に中野坂上から移転した事務用の電話を引いてを事務所とし、奥の六帖を

スタジオとして新しくベッドをひとつ置いた。

規模の違いはローレンスクラブに比べたら月とスッポンだが、残った資金は

三ヶ月分の広告費に当てることとした。

システムは、まず広告を見てかけてくる問い合わせの電話を留守番電話で受ける。

今では製造されていないが、当時はカセットテープを使ってメッセージを流す留守番

専用機があったのである。

これに女の声で、30分につき1000円の料金を払い込めば、直通の電話番号を

教えますというメッセージを吹き込んで、現金の送り先は杉並郵便局私書箱とした。

現金が入れば、折り返しもう一本の秘密の電話番号を通知して、規定の時間内で

TELSEXが楽しめる仕組みである。

これにもうひとつおマケをつけたのは、その月に料金残高のあるメンバーに

湯川いづみグループの女性メンバーからオナニーテープをプレゼントするという

方式である。テレフォンセックスにのめり込んだ客は、更にテープ欲しさに何回でも

料金を振り込んでくるという仕掛けになっていた。このことで、お蔵になっていた

まつ江の盗聴テープも、ようやく陽の目を見ることとなったわけだ。

現在、鬼畜図書館の「SMオペラ座」に掲示されているのが、このときに製作された

オナニーの録音テープで、内容はすべて本物である。少なくとも42人の女の名前が

並んでいると言うことは、このシステムが四年近くにわたって継続されていたことを

意味する。ひとりひとりの女が吹き込むまでの経緯や逸話については、興味があり

そうなものは追って紹介してゆくことにしよう。

こうして、いよいよテレフォンセックス『湯川いづみグループ』が立ち上がることに

なったのである。

昭和五十二年、四月のことであった。






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