わくら葉の妖精たちよ
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後 編

十三、ダイヤルQ2の功罪



話は前後するが、祐子がソープ嬢として最盛期にあるころ、俺の身辺にはもうひとつの

大きな変化が起こっていた。

毎月通っていたお寺で、突然持ち出された平山泰子との縁談である。

もちろん相手は俺の正体というか、これまでどんな生き方をしてきた男かを知らない。

いわば対極にある環境に生活している人々からの話だった。

考えてみれば、俺がまともな社会と接触しているのはここくらいのもので、そのお寺の

人たちから、こんな目で見られていたこと自体が意外だったし、有難いが当惑したと

いっても過言ではなかった。。

まっさかぁ、本気じゃないんでしょう・・・?

はじめのうちは、おちゃらけて言葉を濁していたのだが、渡辺婦人部長の勧誘は

逃げれば逃げるほど執拗になった。

婦人部長にしてみれば、平山泰子はお互いに仲良くお寺のために奉仕してきた仲間

である。彼女が婚期を逸して、これ以上伸びれば結婚できるかどうかの境目だから、

どうしてもこの縁談をまとめなければと熱心になるのも無理はない。友情の上に

責任感が乗り、それが宗教的信念に裏づけられているから一生懸命である。

それに本人も、どうやら山岸と言う男を嫌いではないらしい。

しまいにはお寺の坊さんから総代という檀家の責任者まで駆り出して網を絞ってくる

始末だった。

俺のほうでは、職業はモノカキで通しているが、どんなものを書いてきたかも教える

わけにも行かず、とにかく本人同士で話をさせてくれということになって、とうとう見合いが

成立した。

会って話してみると、セックスの匂いをまったく感じさせない女である。40過ぎまで

独身でいて、これまでにさんざん男と遊び遊ばれてきた過去があるに決まっていると

思っていたのだったが、反対に生まれつき性欲が希薄なのではないかと疑いたくなるほど

淡白な女だった。

婦人部長が、目の奥に情欲の残り火をチラチラと見せながら、薄ら笑いを浮かべて

「山岸さん。平山さんはねぇ、あれで間違いなく処女なのよ。あなた幸せよ・・・」

と囁いた気持ちが判るような気がした。

この女と結婚したら案外うまく行くんじゃないかな・・・

俺がそう思うようになったのはそれからである。

性欲が強すぎる女、捻じ曲がった女はこれまでに何人となく相手にしてきたが、最後には

必ず飽きが来る。これだけ味の薄い女なら、放っておいても文句は言うまい。遊びは

他所でいくらでもできる・・・。

いろいろと経緯はあったが、それから三月ほど経って俺は結婚を承諾し、区の公民館

のような施設で質素な式を挙げることになった。

出席者は俺のほうは弟妹夫婦とまだ元気な母、泰子の方は実家が九州なので、親類は

集まらずお寺の親しい友人たちが主であった。

それでも俺が体験した中では、どんな会合よりも親身で暖かな雰囲気の挙式だった。

昭和62年、そのとき山岸康二56才、泰子47才である。

新婚旅行には、向井美知子の郷里安曇野を一回り、上高地と穂高の宿に二泊三日の

ドライブを楽しんできた。

三度目の結婚を機会に、それまで住んでいたあばら家を捨てて、十二階建て、3LDKの

現在のマンションに新居を移した。

一方では毎晩遅くソープ帰りの祐子を迎えに行きながらの離れ業だが、成功した唯一の

理由は、仕事が忙しいという言葉を頭から信じて疑おうとしなかった泰子の愚かなまでに

朴訥な俺への信頼である。

ロコとの離婚、一家離散してからやがて七年、俺はようやく所帯らしいものを持てるように

なったのである。

だが生活の主体は、あくまで事務所のほうにあった。

テレクラにその座を奪われて危機的状況にあるテレホンセックスの再建、なによりも

心を使ったのは退学の瀬戸際にいる祐子を、何とか卒業させるところまで漕ぎつける

ことであった。

ともすれば元のソープに戻りたがる衝動を抑えて、アルバイトで気を紛らせながら

学校に通わせるのだが、頭の良い女で、どこで勉強するのかドイツ語はペラペラ、

案ずるより生むがやすしで、残された二年の間に、祐子はスラスラと独文科の単位を

取ってしまった。

それだけでなく、司書房の仕事で、ソロコンブというヘンな名前のフランス人の絵描きの

パーティーに参加して、その友達の何とかいうドイツ人と知り合い、さらにその友人で

クラウスというドイツの医学生と知り合って彼の恋人になった。

クラウスは日本に医者の勉強に来ているということであったが、かなり強度のサディストで、

それがお気に召したのである。だが大学を卒業さえしてくれれば、ソープのことは親にも

バレないで済む。俺としては何も言うことはなかった。

「お父さん、クラウスとドイツで暮らしちゃいけないかなァ」

「結婚したいのか?」

「結婚するかもしれないし、捨てられて放り出されちゃうかもしれない。あまり自信ないのよ」

「親が何て言うかも問題だな」

「四国の田舎で、わたし勤まらないこと、お父さん知っているでしょう」

「うむ、それはまぁ、そうだが」

祐子がギリギリまで卒業を延ばしたのは、それがひとつの理由でもあった。

卒業すれば田舎に帰らなければならない。そこには両親の深い愛の束縛が待って

いるのだ。

何を親不孝なと思われる読者がいるかも知れないが、祐子のような変態にとっては、

まさに死活問題なのである。道徳や倫理がどうあろうと、精神構造の基盤が違う

のだからどうしようもない。

だがその日は次第に近づいていた。大学を卒業してしまえば仕送りが止まる。

祐子は嫌でも故郷松山に帰らなければならないのである。そして、とうとうその日が来た。

「お父さん、手紙出すね。編集部にいいもの書いて頂戴」

俺は広さんという編集長と一緒に、東京駅まで祐子を見送りに行ってやった。

「クラウスとの結婚話、どうなった?」

「家に帰って親に相談してみる。クラウスは結婚したいと言ってるんだけど・・・」

「捨てられたら、ドイツでSMビデオの会社を探してみろ。きっと使ってくれる筈だ」

「わかりました」

これは俺のコレクションの中に、スレイブシリーズというドイツ製のハードなビデオが

あったことから思いついて言ったものだが、祐子は神妙に頷いて記憶にとどめたようだ。

やがて発車のベルが鳴る。

何の情緒もなくドアが閉まると、車内で祐子が二・三度手を振ったのが見えた。

それでお終いである。

ドアが5メートルも動くと、もう祐子の影は見えなくなっていた。

「いい子でしたなぁ」

広さんがポツリと言った。

「少し変わっていたけど、いい仕事ができる子だった・・・」

「そうだね、このまま無事にやってくれると良いが・・・」

だが裕子を規制する手段はもうなかった。手から飛び立った鳥は、どこか空高く

舞い上がっていったのである。

その後祐子からは、松山から何通も手紙が来た。やがて両親を説得したらしく、ドイツに

行ってクラウスと結婚すると書いてきたが、しばらくして、本当にドイツからクラウスの

家族と一緒にクリスマスを祝っている写真と、雪の中で車から出されて裸で縛られて

いる写真を送ってきたきり音信が絶えた。

クラウスの家族の一員として幸せにやっていると思いたいが、その後の消息はまったく

不明である。

そして人生のジグソーパズルは、さらに想像を絶した次の展開を見せるのである。

それは不思議なことに、祐子が松山に発った直後から、まるでそれを待ち構えて

いたように始まった。

いわゆる、「ダイヤルQ2」のスタートである。

湯川いづみグループは電話の商売だから、「ダイヤルQ2」については、俺は誰よりも

早く情報をキャッチしていた。

いくらグループの赤字が続いても閉鎖しなかったのはこのためである。

「ダイヤルQ2」こそ、ローレンスクラブの当初から俺が理想のシステムとして描き続けて

きた夢の実現であった。

電話局がパンクしてしまうほどの受信量、聖徳太子が行列を作って並んでいると実感した

あの状態をどうやったら金に換えることができるか。答えはただひとつ、NTTが集金して

くれること以外になかったのである。それが、遂に実現する。

俺は、祐子から渡された2500万の水揚げのほとんどすべてを、いづみグループの

赤字の補填と設備の拡張資金に当てていた。このこと自体、現実には到底起こり得ない

玄妙不可思議な駒の組み合わせであったのだが・・・。

こうして出来上がった湯川いづみグループの体勢は、スタジオの数が事務所を含めて

合計7、独立した電話回線が42本、その一つ一つに留守番電話機を設備して、

これまで蓄積してきた女性メンバーのオナニー現場録音のテープをセットした。

スタジオの数が必要以上に多いのは、杉並あたりではマンションでも設備上一室に

引ける電話は5本が限度で、それ以上は回線が入っていないためだ。

広告は出せる雑誌と新聞すべてに手を打って、月額百数十万円の出稿量である。

こうしていよいよ「ダイヤルQ2」がスタートすることとなった。

広告が出たその日から、42本の電話は一斉に着信を示すランプを点けた。微かな

音を立てて、セットしてあったテープが回る。これだけで、一分間60円の収入が確保

されるのである。

テープだけなら人件費もかからないのだが、それだけではやはりまずい。

その対策として、俺は葉山ルミに命じて、ひとつのスタジオに二・三人ずつのの女を

配置して、手当たり次第に受話器をとらせるように手を打っておいた。

だがこうなると、女はもうただのアルバイトである。湯川いづみの草創期のように

厳しい訓練をする必要もない。受話器を持って相手の話に調子を合わせていれば

それで良いのだ。

それはまるで、ダムが決壊して、土石流の洪水が溢れ出してきたような勢いであったが、

一方では、何とつまらないシステムになったものかと俺は思った。

これが、長い間理想としてきたシステムの実現かと、あまりの張り合いのなさに

気が抜けてしまったような感じだ。

芸苑社で女と格闘するように、身体を張って変態を教えた苦労や、テレホンセックスで

休むことを許さず連続オナニーを仕込んだファイトはどこにもなかった。

情報を先取りしていたものの勝利で、初期の「ダイヤルQ2」は競合する業者も少なく

ほとんど独占体勢の状態だったから、収入はいくらでも上がった。オープンして半年も

経たない間に、軽々と一億円を超えたのである。

このまま三年も続けばビルが建つ。俺は真剣にテレホンビルの建設を考えたものだが、

こんな夢みたいな美味しい話が、そういつまでも続く筈がなかった。

グループの売り上げがちょうど一億円を越えたころから、我遅れじと参入してきた業者が

押すな押すなの状態で、朝・毎・読を除く日本中の新聞雑誌、週刊誌の広告がすべて

「ダイヤルQ2」一色になった。

こうなると、社会の批判がそれに追い討ちをかける。

未成年者が「ダイヤルQ2」にハマって数十万円の高額料金を請求された。売春クラブが

野放しになって、闇の現金決済の手段に使われている。悪質な詐欺まがいの情報を

垂れ流して、不当な料金を徴収された、等々・・・。いずれも本当にあったことだから

反論の余地はない。

司書房から送ってきた 0990 の広告で埋め尽くされたエロ雑誌を見たとき、俺は

あぁ、これでQ2は終りだ・・・

と思った。

案の定、それからひと月もしないうちにNTTが規制に動き出したのである。

厳密に言えば、これは憲法が保証している言論の自由の侵害に当たるわけだが、

「ダイヤルQ2」は悪なりという一致した世論の前には抗する術もなかった。

NTTの規制は厳重を極め、業者そのものを追放するのが目的で、結局Q2自体が

消滅同然の姿になってしまった。

最後は過当競争でハチャメチャになったが、「ダイヤルQ2」が営業として成り立ったのは

僅か二年足らずの期間である。この間に、湯川いづみグループの売り上げはおよそ

二億円に達していた。

俺は7ヶ所のスタジオをすべて閉鎖し、42本の回線を処分して、一切の広告を止めた。

その後に、いらなくなった留守番電話機の山ができたが、売るに売れず、ただのゴミ

であった。

俺は女たちを集めて、給料の三か月分のボーナスを渡し、盛大な解散式をやった。

葉山ルミは、その前に向井美知子として、懇望されて俺が仲人となり、町の教会で

マサナオとささやかな結婚式を挙げていたのだが、そんないきさつから、これまで一緒に

住んでいたスタジオを買い取ってやることにした。

今日まで八年近く赤字のグループを背負って面倒を見てきた褒賞である。

俺が女に家を買ったのは、三十年前の門田奈子に次いで二人目だが、今でもルミは

このマンションに住んで、マサナオと仲良く暮らしている。

俺自身、自分が住んでいるマンションの最上階が売りに出ているという話を聞いて、

一も二もなくそれを買い取って、同じ建物の中で引っ越すことに決めた。

時まさに、バブルの絶頂期である。最上階というだけで、それ以外の付加価値の何もない

中古のマンションが時価の三倍、それもバブルがはじけた後でやっと、あぁそうだったのかと

気が付いた程度の認識の甘さであった。

しかも俺は、この室内の造作を全部取っ払って、ただのコンクリートの空間にしてしまった。

そしてそこに自分で好きなように設計した間取りで部屋を造ったのである。

客用の十畳がひとつ、あとは夫婦が寝るところ、浴室とトイレ、ダイニングキッチンが

あればそれで良い。その代わり、一つ一つの部屋を出来るだけデッカク造れというのが

俺の主張だった。

無駄といえば無駄、馬鹿といえばこんな馬鹿な金の使い方はなかったと思う。

過去の人生で、俺はずいぶん貧乏もしたし、あくどい金儲けもやった。だが金に対する

執着心はほとんどなかったと言って良い。

俺のように、一生誰からも給料をもらわないで生きてきた人間は、自分で稼がなければ

死んでしまうから、お金のことは常に念頭にある。だが振り返ってみると、俺は自分でも

可哀想なくらい、お金を残すことが下手なのである。

このときも、翌年になったらドッカーンと腰が抜けるほど税金がかかってきたから、

二億円の稼ぎはこれでチャラになってしまった。

「サイン友の会」も「湯川いづみグループ」のときもそうだが、自分で独創したアイデアで

お金が雪崩れ込んでくるのは確かに快感である。

しかし、俺にとっての真の快感とは、そのアイデアで、何千人、ある時は何十万人

という大衆が踊り、さんざめく有様を、高みの見物で見下ろしながら密かにほくそ笑んで

いることだったのではないだろうか。

あるいは、それがたった一人の女であったとしても、俺の刷り込みによって人生を変え、

すべてを投げ出しても悔いないほどの生命の変革を遂げる。それを体験することは、

金銭では絶対に購うことのできない醍醐味であり、贅沢であろう。

一個の人間のメスを、生命の根底から支配する。その快感は、まさに王侯の境地と

言えるのではないだろうか。






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