一、赤線くずれ
売春防止法が施行され、赤線の灯が消えると、働いていた女たちも
アッという間にどこかに散ってしまった。どこに流れて行ったのか、
それきりあとを追うものもなかった。
もう戦後ではないという言葉がもて囃されていた昭和30年代の
後半・・・。
佐伯眞弓は、そのころ私がやっていた秘密クラブ『ローレンス』で、
しばらく働いていた女である。
面接にきて、会ってみるとそれほどの美人でもないし、年令は
とっくに30才を超えていた。
あまり歓迎できるタイプではないが本人はぜひ働いてみたいと言う。
「どうして変態クラブが好きなんだ?」
「いえ、変態はよくわかりませんけど、男の人には馴れていますから…」
なるほど、あまり上等ではないが、服装にも水商売の匂いがプンプンしていた。
「家族は…?」
「ありません。私、戦災孤児なんです」
眞弓はポツンと言った。
そう言えば、戦災孤児という言葉も世の中はそろそろ忘れかけていた。
「初めてヤッたのはいつだ」
「十六才です。新橋の焼け跡で、知らないおじさんに教わりました」
「それ、強姦されたんと違うか?」
「いえでも、我慢できましたから…」
眞弓は、まるで男をかばうような言い方をした。
「私その人に亀戸の女郎屋に売られたんです。とってもいい人だったけど…」
「バカだな、どうしていい人なんだよ」
決して相手を悪く言わないのである。眞弓の話には、いつも奇妙な矛盾があった。
「それからずっと赤線で働いていたのか」
「はい…」
「結婚は、しなかったのかい」
「結婚みたいなことはしたんですけど…」
話を聞くと、十六才で売春婦になって少しばかりの金が貯まると男ができた。
同棲はしたのだが、一文無しになるとゴミのように捨てられて、結局またもとの
娼婦に戻るより他になかった。そんなことを性懲りもなく繰り返して、
今では池袋の小さな飲み屋で働いているのだと言う。
飲み屋といっても、これがまた一杯三千円のハイボールを注文すると、
二階に上げてチョンの間でヤラせる。そのころ流行していたモグリの売春バー
なのである。
セックスが好きというより、身についた生活そのものになっている。身体を売る
以外に生きてゆくすべを知らない女だった。
いささか呆れもしたが、私はこんな人生の最低線を歩いている女が好きであった。
「お前、これまで自分がヤッた男の数を覚えているかよ」
「さあ、どの位になるんでしよう。勘定したことありませんから…」
そのわりに少しもスレていないのが不思議である。自分を捨てた男を恨むでもなく、
それほど不幸そうな顔もしていない。それが運命だと納得しているような
天真爛漫なところがあった。
「お前、病気は大丈夫だろうな?」
あ、そうだ…。と眞弓はハンドバックから病院の検査票を出した。
「淋病には何回もかかったんですけど、お金を借りてちゃんと癒しました。
この検査してからお客さんは取ってません」
証明書は、三日前の日付になっていた。
「それから私、子供も出来ませんから…」
ご迷惑はおかけしません、と眞弓は真剣な顔で言った。
「十八才のとき、いちど堕ろしたんですけど、そのとき手術したんです」
店の経営者から強制的に不妊手術を受けさせられたのだろう。まるで、
男に遊ばれるために生まれてきたような女である。
「それじゃオモチャでも良いんだな?」
「はい」
眞弓は恥ずかしそうに下を向いて、少女のように頬を赤くした。
「私みたいな女は、お客さんの言う通りにしないと罰が当たります」
本気でそう思っているらしい。
雑巾のように肉体を汚されてきた過去を持つ女にしては、純情というか
お人好しと言うか、めずらしい性格である。
「よしわかった。働かせてやる」
私は、採用を決めた。
二、幸福と不幸の谷間
器量やタイプからいっても、眞弓が格下にランクされたのは当然であった。
当時『ローレンス』で働いていたのは、どちらかと言えばシロウトからこの世界に
入ってきたものが多かった。赤線あがりで根っからの商売女は眞弓だけである。
身体も調べてみたが、性器は相当に崩れている。ビラビラが外まではみ出して、
引っ張ると5センチくらい伸びた。腹の弛みはある程度仕方がないとしても、
乳首が黒くて多少変形している。乳房もボテッとした感じで、若い女に特有の
張りがなかった。
おばさんというほどの年ではないが、幼い頃から数え切れないほどの男に
弄ばれてきた酬いは歴然である。
「ひでえ道具だな。こんなおまんこじゃよほどサービスしないと客がつかねえぞ」
「はい…」
眞弓は哀しげに視線を伏せた。
こんな女は調教に手間をかけるより、地のままでやらせたほうが面白い。
私は翌日からすぐに客を取らせることにした。
「行ってこい。しくじるんじゃねえぞ」
「はい」
それでも何とか上手くいったようで、眞弓はその夜たっぷりと時間を
オーバーして戻ってきた。
「あのう、おまんちゃんを洗わせてもらっても良いですか?」
「ナマで出してきたのか」
「いえ飲ませて戴きましたけど、あとのお客さまに悪いから…」
このあたり、やはり赤線の経験者である。結局、その日はもう一人泊りをとって、
眞弓は思いのほか良い稼ぎ手になった。
十日ほど経って、また最初の男から電話があった。
「この間の女、今日はあいてますかね?」
「いいですよ。今朝からちょっとメンスっぽいけど、それでもよかったら」
「いや、別にそっちの道具を使うわけじゃないんで…」
男は照れ臭そうに笑いながら言った。
「あの子は尻の穴を舐めるんでね。気持ちがいいもんですな」
だがその程度のことなら、他の女たちにもやらせている。
「それがねえ。あの子のはちょっと普通じゃないんで…、正真正銘の変態ですな。
一緒にいると、本当にブタとやっているような気分になりますよ」
尻の穴を舐めさせて射精したのは初めてだとその男は言った。
縛りとか、鞭だローソクだといった作りごとではなくて、眞弓は生まれながらの
マゾヒスト…。これは、新しい発見であった。
実は、本人もまだそのことに気がついていないのである。
そう言えば、今日までのいきさつもすべてそこから出発していた。
ふつうのセックスでは、おそらく肉体より精神が満足しないのである。
それで、眞弓はいつも自分から不幸な方向に運命を変えてしまうのではないか…。
身ぐるみ剥がされてゴミのように捨てられたり、女として子供を産む権利を
剥奪されたりしたことは、眞弓にとって、むしろ幸せな部分だったのかもしれない。
それ以来、私はギリギリの食費の他はギャラを与えず、あとは貯金のかたちに
しておいた。そうしておかなければ、男ができるとまた一文無しになって
しまいそうである。
かなりの虐待もしたが、そうなると崩れた体型もかえって相応しかった。
毎日客をつけるので休む暇がない。過労になっていたことも確かだが、
半年ほどの間に眞弓はげっそりと痩せていた。
ある日、女のけたたましい呼び声で行ってみると、トイレの掃除をしていた
眞弓が便器の中に頭を突っ込んで気を失っていた。
その時はそれですんだが、よほど我慢していたのだろう。まもなく不調を訴えて
眞弓は自分で病院に行った。すぐに入院ということで、見舞いに行った私を
ベッドから見上げながら眞弓は涙ぐんで言った。
「すいません。私、治ったら必ず働いてお返ししますから…」
渡してやった貯金通帳にはかなりの金額が残っていたのだったが…。
それとなく告げられた病名は、末期に近い癌であった。
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