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わくら葉の妖精たちよ
バックが重いです、しばらくお待ちください。


後 編

七、TELSEXの由来



湯川いづみという名前を得て、俺のアイデアは一挙に具体化することが出来た

わけだが、ネーミングと言うものは、一個のシステムを作る上できわめて重要な

要素であることは間違いない。

サイン友の会のときもそうだが、当る企画というのは最初から名前で決まると

言っても差し支えない。第一、テレフォンセックスという発想自体がこの時代には

まだなかったのである。湯川いづみのテレフォンセックス、これですべては決まり

だと俺は思った。

だが良く見ると、テレフォンよりはテレホンのほうが、見た目のイメージがいっそう

卑猥である。しかもセックスという表現は新聞の営業広告としては使えない。

俺は思い切って、『テレホンデート』 とタイトルを変え、資金がないので当時の

エロ新聞に小さな囲みで通称「窓」と呼ばれる豆粒のような広告を出した。

同時に、「CMアナ女25迄経験不問」という二行広告、これで女を一から募集して

仕込むのである。

新聞は夕刊だから午後に出る。そろそろ出たなと思った三時ころ、事務所の

問合せ用留守番電話にポツリと灯がともった。

来た来た、しめたぞ・・・

どの程度の効果があるか気になっていたので、内心ニヤリとほくそ笑んで俺は

留守番の機械を見詰めた。

微かな音を立ててテープが回る。一回分のメッセージが終るまで、約30秒である。

カシャリと電話が切れてテープを巻き戻し、機械がスタンバイする間もなく次の

コールが入った。

見ていると、ほとんど休む暇がなく作動している。俺ははじめ、機械の調子が悪くて

回り放しになってしまったのではないかと思った。

この状態は、夜になってますます激しくなった。受話器をはずしてあるので、この先が

どうなっているのかわからない。だがこれは大変なことだ。もしかしたら、電話の

向こうに聖徳太子が行列を作って並んでいるのではないか・・・、と思い当たった

のは、ようやくその頃である。

そしてその二日後から、杉並郵便局に金が入りはじめた。サイン友の会のときの

ように私書箱一杯とはいかなかったが、七・八通から多いときで十五通、現金書留で

テレホンセックス希望の申込みが入るのである。その数はたちまち100人を超えた。

さぁ、それからが戦争であった。

女が直接電話に出る会員専用の電話番号を教えてやれば、夜昼構わず電話の

ベルが鳴り続ける。単位は一時間で3000円だが、到底一本の電話で処理しきれる

量ではなかった。

CMアナ募集の広告で引っかかってきた女を口説いて入れたのが「千葉かおり」

「橘 ユカ」、それに綾小路貴子改め「大塚まり子」の三人で、昼夜の別なく三交代

である。流石に深夜の3時から朝9時までは受話器を切って休ませることにしたが、

それでも一日一人6時間、オナニーのやりっぱなしだった。

なかには広島や仙台から、3時間ダイヤルを廻し続けてようやくかかったと泣いて

喜ぶ会員もいて、この当時の電話の魅力が如何に大衆の心を捉えていたかを

思い知らされるのである。

数的に言えば、現代の携帯電話によるメール交信のほうがはるかに多い筈だが、

やはり時代の違いだったのだろう。

すると、それから一週間もしないうちに、今度は杉並の電話局から連絡が入った。

お願いしたいことがあるので、局まで御足労いただけないでしょうかという丁重な

挨拶である。

何事かと思って出かけてみると、奥の応接室に通されてお茶が出る。課長とか

係長とかが四人ほど出てきて俺の前に並んで席を取った。

「ちょっとお伺いしたいのですが、お宅さまは、いったいどんなご商売をなさって

いらっしゃるんで・・・?」

「どんなって、電話の受付ですけど」

俺も警戒して言葉を濁したのだが、考えてみれば電話事業の発展に貢献して

いるのはこっちのほうだ。別に遠慮することはあるまい。

「それで、どうかしたんですか。何かあったの?」

「いや実は、このところ、夜になると電話の回線がパンクして・・・」

「パンク?」

俺は、眼の色を変えた。

「いったい何本かかってくればそういう状態になるんだ。うちの電話には、そんなに

たくさん着信しているんですか?」

「一本の電話に集中しますとご近所にもかかりにくくなるという影響が出ますんで、

出来ましたら回線の数を増やしていただきたいと思うのですが・・・」

「だから、何本ぐらい来ているんですか」

「ハッキリとは判りませんが、五百から千本以上は・・・」

五百と千では2倍以上の開きがある。大まかな推定だろうが、電話回線がパンクする

というのは容易ならぬことであった。

俺は今まで、聖徳太子が行列を作って順番を待っていると想像していたのだが、

とんでもない、ただひとつの改札口を通り抜けようとしてひしめき合っている

ラッシュアワーの群集のような状態である。

メッセージが一人に30秒かかるとして、一時間に120人、一日フル回転でも僅かに

2880人である。いっぺんに500件の着信があるのだとすれば、おそらく一日に

数万人の聖徳太子が受話器の向こうでアブレているのではないか。

かけてもかけても繋がらなければ、結局駄目だと諦めて、その客は二度と戻って

来ないのである。

「大変だ、すぐに回線を増やせ」

俺はその場で回線の増設に同意して、留守番電話機を4台買った。これで

さしあたり4本の着信専用回線を連結して、判り易い代表番号をつけたら

どうだろう・・・。

「いいでしょう。今探してきますからちょっと待ってください」

一人が立ち上って奥に消えたが、すぐに戻ってきて

「7001番というのはどうでしょう。局番の方はどうにもなりませんので・・・」

「わかった。それじゃ早速工事にかかってください」

新聞広告の差し替えは翌日からオーケーである。

二・三日すると局から下請けの工事人がきて、マンションの配線を無理して

あっちこっちから引っ張って、4本の着信専用電話を引いた。これなら、代表の

電話番号にかかれば、空いている電話のどれかに自動的に着信する。

直線的な行列ではないから、効率は飛躍的にあがるのである。だが実際に

付けてみると、4台の留守番電話には、一日中ほとんど休みなしに着信ランプが

点灯していた。

もちろんヒヤカシもあるだろうし、タダで遊べるのではないかという虫の良い電話も

多かったと思うが、少なくとも広告効果が絶大であることを確認すると、俺はすぐ

次の対策に奔走しなければならなかった。

問合せ用の電話は4本になったが、肝心の女が対応するテレホンセックス用の

電話が1本ではとても足りないのである。

だからと言って、この穴倉マンションでは六帖一間がスタジオで、これ以上女を

入れることは不可能であった。

こうなれば、あとはもう賭けである。

俺は事務所の向い側にあるマンションを借りて、専用のスタジオを作ることに

決めた。

こちらは穴倉マンションに比べたらランクが上の瀟洒なワンルームで、この部屋を

二つに仕切ってソファベッドを2台置く。それぞれの横にTELSEX用の電話を引いて、

昼夜三交代で女が入れば、今のスタジオとあわせて相当量の時間を稼ぐことが

出来るのである。そしてそこは抜け目なく、新スタジオの方にはよく働きそうな

真面目タイプを、事務所と併設の旧スタジオにはお手つきの遊び兼用の女を配置

しておくことにした。これはただの道楽というだけではなく、会員に毎月送る

オナニーテープを製作するためにも必要だったのである。

不思議なもので、こうして仕事に勢いがついてくると、女も自然に集まってくる。

とくに初期の段階でテレホンガールになった「千葉かおり」「橘ユカ」「広川美代子」

「今凉子」「河野みゆき」など、優秀な人材であった。

広川美代子は美術学校の生徒で、湯川いづみ

グループのシンボルマークは彼女に描かせた

もので、これはその後長い間、7001番の

受付電話番号とともに多くの雑誌の広告に掲載

されお馴染みとなったデザインである。







   こうして、湯川いづみグループの

   女たちは、電話という媒体を通じて

   誰にも知られず、密かなブームと

なって増殖を続けていったのである。

あるいは七年前、ローレンスクラブを作るとき、迷わずこれを実行していたら、

果たしてこれだけの反響があったかどうか。当時の社会状況から見て、あの空白の

七年は、やはり必要な時間だったのかも知れない。

ひとりひとりの女たちについての逸話はまた次の章で述べることにするが、そこには

芸苑社のときとは違った性欲の煌びやかな発散があった。

簡単に言えば、最近よく言われるバーチャルセックスの走りなのだが、かたちもなく、

眼にも見えないイメージの世界、耳からだけ入ってくる空想と超現実の世界・・・。

そこから生まれる男と女の心のつながりは、実に妖しくも美しい性と人間の綾模様を

織りなして展開するのである。






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