羽根をなくした妖精 �X
篠原歩美
(22)
『助けて下さい。お願いです。わたしをこの館から連れ去って下さい。
わたしを盗み出して下さい。お礼に差し上げられるものもはなにも
ありませんが、わたしの身体でよければ、生涯捧げさせてもらいます。
ですから、お願いです。どうか、ここから、連れ出してください。
『このような突然の手紙を、お許し下さい。わたしに残された唯一の
手段なのです。やみくもにお手紙を差し上げたわけではないのです。
あなた様でなければ、どうしてもならないのです。そして、わたしの願いを
聞き入れて頂けるかどうかは判らないけれど、あなた様なら、わたしを
ここから連れ出せるお力をお持ちだと思えたのです。
『わたしは椿の妖精ヴィジョンといいます。黒魔法の手違いで、羽根を
なくしました。そして、ゴブリン鬼に捕まり、ここへ売り飛ばされたのです。
わたしは、ここで、全てを諦め、身体の赴くままに、ヒイラギの部屋に
すみつきました。ある意味では、満足のできる毎日でした。
『そんなわたしに、あなた様は、リアルを引き逢わせてくれたのです。
リアル・・・幼なじみのリアル。初恋の相手リアル。そして、今もわたしの
心の中で熱く生きているリアル。リアル・・・かつてのリアルではもはや
ないことは理解しています。もちろんわたしが愛しているのは、かつての
リアルです。いまさら別人のようなリアルに逢って、どうしようなんて
何も考えていません。ましてや、リアルは今あなた様の奴隷ですし。
今はただ、リアルを近くに感じていたい。それが、今の切なる願いなのです。
『かつてのリアルは、わたしに、ほんとうの自分を気付かせてくれました。
そして、今度は、こんな所にいてはいけない、そのままではいけない、
って教えられたような気がしたのです。空っぽな心が、何かを求め始めたのです。
何か、それは、今は分かりません。でも、ここにいては、いつまでも
解らないままで終わりそうで怖いのです。いつまでも、ここにいては
いけないのです、そうリアルが言っているようで。
『ご迷惑をお掛けすることは、重々承知致しております。それに対する
見返りを、わたしは何一つ持ち合わせていないことも、分かっております。
無茶なお願いだという事も、解っております。わかっていながら、あなた様に
おすがりするしかないのです。』
(23)
月明かりの中、蛙の鳴き声に混じって、フクロウの鳴き声も遠くに聞こえてきた。
「うまくいきやしたね、親方。」
「何が親方だ、今頃、まったく。ファット、しっかり袋を担ぎなよ。」
「へい。」
言わずと知れた袋の中はヴィジョンである。
「どうかしたかい?トール!?」
「おかしら、ちょっと吐き気が・・・」
「そうかい、でも、我慢しな!多分、解毒剤の副作用だと思うんだよ。」
「へえ。」
「ファット、お前はどうだい?」
「何ともありませんが・・・」
「そうかい、デブには副作用はないってことかい。」
「そんじゃ、おかしらも何ともないんで・・・」
「うるさい!先を急ぐよ!」
「ああ、気持ちわりい・・・紫陽花館の連中の中にも、おいらみたいなのが
居たら・・・可哀相になあ。」
「馬鹿だねえ、解毒剤を飲んでたのは、おかしらと、おいらの三人だけなんだ。」
「ああ、そっか。」
「紫陽花館の連中はみんな、あの水パイプの煙でぐっすりと気持ちよくお休みだよ。」
「即効性はないが確実な魔法なんだよ。安心しな。でも、解毒剤に副作用が
あるとは、いささか、予定外だったがね。」
体格のいいトロールのおばさんに続いて、大きな袋を背負った太ったちびのファット。
そのファットを支えるように、ふらふらと付いていくのがやせたのっぽのトール。
「おかしら、こんな小娘盗んでどうするんで?」
「ばーか、決まってんじゃねえか、高く売り飛ばすんだよ。ね、おかしら」
「売らないよ!」
「え?売らない・・・」
「売らないなら、どうするんで?」
「うるさいね。まだ決めてないんだよ。」
「じゃ、しばらくは、一緒って訳だね、おかしら。」
「トール、何にやにやしてんだよ。吐き気はどうしたんだよ。」
「あ、忘れてた。」
「なんともねえんなら、この姉ちゃん担ぐの代わってくれよ、なあ、トール。」
「また、むかむかしてきた、ファット、もうちょっとしたら、代わってやるから。」
「いい加減疲れたし、暑くなってきたし、なあ、トールよ、正直言うとな、さっきから、
袋の中から聞こえる声でよ、股間の息子が起き出して歩きづらくてよ・・・」
「何だ、水くせえなあ。早く言えよ。さ、俺が担いでやるよ。よこしな、よこしな。」
「悪いなあ。」
「いいって事よ、俺とお前の仲じゃねえか。」
「お前たち、何を浮かれてんだか知らないけど、紫陽花館から離れるための
距離は、かなり稼いだと思うから、この辺から、歩きやすい道は避けることに
するからね。それと、この森にはフクロウが居るんだ。これ以上、夜に動き回るのは
止めた方がいい。この丘を下ったところのせせらぎに、身を隠せる岩間があった
はずなんだよ。いいかい、そこまで頑張っておくれ。」
夜風は、草の香りを含み、もはや、初夏の肌触りであった。下弦の月が、
三人のトロールと一人の妖精の行く先を、やさしくほのかに照らしていた。
「なあ、ファット。袋の中の姉ちゃん、何にも言わねえぜ。」
「あたりまえだよ、トール。寝てんだから。」
「だって、お前、さっき、股間の息子がどうしたって・・・」
「ああ、いびきをかいてたんだ。」
「お前、いびきで興奮した?・・・だましたな・・・」
(24)
せせらぎの岩間では、ほんの仮眠を取ったに過ぎなかった。ヴィジョンが
目を覚ました。ということは、眠らせた紫陽花館も正気に戻ったとみてよかった。
「トール、ファット、紫陽花館の刺客達を撒く為に、寄り道をしたから、
先を急ぐよ。ヴィジョン、お前の願いを叶えてやったよ。狐に摘まれた
わけじゃないよ。目が覚めたら、紫陽花館じゃなく森の中じゃ、びっくりするのも
無理はないがね。ただ、詳しい話は落ち着いてからだ。いいかい、
遅れないようについてきな。」
「はい。ありがとうございます。」
「それから、おまえ達もいいかい、隠れ家に戻ったら、すぐ旅立ちの準備だ。」
「おかしら、なんで旅になんか出るんです?」
「紫陽花館の奴隷を一人、かっさらって来たんだ。しかも、ナンバーワンの
売れっ子をね。黙って諦める奴らじゃないだろう?隠れ家だっていつまでも
安全って訳はないんだよ。金に物を言わせて、きっと探り当てられるに
決まっている。」
明け方の薄闇の中を、四つの影が東を目指して駆け抜けていった。
冷たく張りつめた空気が、四つの影を包んでいた。
「おかしら、もうすぐ隠れ家が・・・」
「お黙り!」
南向きに切り立った岩場だが、所々にツタが生い茂り、洞窟の隠れ家を
うまく隠していた。棘のあるニセアカシアの茂みが、正面からの進入を妨げ、
なかなか良くできた要塞を思わせた。
注意深く追っ手のこないことを確認しながら、ようやく四人は、洞窟の
隠れ家にたどり着いた。隠れ家のドアを開けようとしたファットの手を、
いきなりつかんだおかしらが、ファットをドアから引き離した。
「逃げるんだ!」
おかしらの声は小さかったが、鋭く、張りつめていた。ただならぬおかしらの
声に、トールもファットも音を立てないようにおかしらの後に続いた、
訳も分からずに、ぼおっと立っていたヴィジョンをトールは軽々と小脇に抱え・・・
走りながら、おかしらが小さく声をかけた。
「二本松!」
「へい!」
「へい!」
おかしら、トール、ファットの三人は、それぞれ別の方角に向かって
かけだした。ようやく昇り始めた太陽は、濃い朝靄に隠れていた。
どうやら、天はこのトロール三人と一人の妖精に味方したようだった。
(25)
今、敵の姿がないということは、逃げ切れたと言ってよかった。
午後の暑い日差しを大きく遮る二本松の木陰で、おかしら、トール、
ヴィジョンの三人が、横になって、休息をとっていた。
「あのう。」
ヴィジョンが半身を起こして、おかしらに声をかけた。
「そうか、おまえは、あたしの名前を知らなかったんだね、あたしはね、
トモロってんだ。」
「窃盗団のおかしらだ。」
「トール!余計なことを言うんじゃないよ!」
「でも、紫陽花館にいたときから分かってました。」
ヴィジョンが笑いながら答えた。
「それはそうと、なんだい、何か聞きたいことがありそうだったみたいだけど。」
「はい、トモロ様・・・」
「トモロ様だってよ、おかしら、おかしいら。」
「なに、下らないことを言ってんのさ。」
「でも可笑しいですぜ。」
「あたしだってこそばゆいさ。」
「ご主人様・・・」
「止めておくれ、お遊びは終わったんだ。」
「おまえも、おかしらって呼べよ。」
トールが先輩ぶって口を挟んだ。ヴィジョンは、トモロの顔色をうかがうと、
おかしらは照れくさそうに頷いていた。
「おかしら。」
ヴィジョンにそう呼ばれて、トモロはいっそう照れくさそうだった。
「ありがとうございました。それと、こんな事になってしまって、ごめんなさい。」
「最初から分かってた事だよ。気にするこたあないよ。」
「わたしを奴隷として・・・」
「さっきも言ったがね、お遊びは終わったんだ。」
「でも・・・」
「もちろん、あたしの言うとおりに動いてもらうさ。ちょっとしたわがままな事が、
命取りになりかねないからね、今は。そう言う意味では、あたしの命令には
従ってもらうよ。いいね。そうだ、紹介がまだだったね、これがトールで、
あれがファット。」
「おかしら、それだけ?」
「十分だろうが、あと、聞きたいことは?」
「あ、そうそう、追っ手が居ると思ったから逃げたんでしょ?
それは分かったんだけど、なんで、追っ手が隠れ家にいるって
分かったんです?」
「昨晩、出かける前に、ドアに小枝を挟んでおいただけさ。」
「その小枝が落ちていた?」
「そう。」
このおかしらを選んだ自分の目は間違いでなかったと、ヴィジョンは
思っていた。二本松と言っただけで、別行動を取って追っ手を攪乱し、
安全な落ち合い場所を指示してしまう事でも、このおかしらは、
単なる泥棒ではないことが見て取れた。このトロールのおばさんに
お願いして正解だった・・・
「そう言えば、リアルはどこに居るんです?」
「さあねえ。」
あまりにもあっさりと返事をされて、ヴィジョンは面食らった。
「さあねって、知らないんですか?おかしら!」
「昨日、隠れ家を出るときまでは、隠れ家の三階にある檻の中にいた。」
「おかしら!」
このおかしらに任せておけば大丈夫だと思った矢先に、素っ気ない返事を
聞いて、ヴィジョンはめまいを覚えた。
「諦めな!」
「おかしら!」
「どうしよもないんだ、今は。」
「おかしら!」
「おまえの気持ちは分かるけどね・・・」
「おかしら!」
ヴィジョンの最後の声は、トモロには聞こえなかったかも知れない。
「トール!見張り役を、ファットと代わってやりな。一眠りしたら出発するからね。」
(26)
トンボが風の中を泳ぐように、目の前を飛び去った。
燃えるような緑の中、久しぶりに自然に抱かれたヴィジョンの心は、
解き放されるどころか、対照的に暗く沈んでいた。
「眠らないのか?」
ファットが声をかけてきた。
「眠れない。」
「リアルのことか・・・」
「せっかく、こうして、連れ出してもらえたのに・・・」
転がるようにして半身を起こしたファットは、汗を拭きながらあぐらをかいた。
「俺はよ、あんまり頭が良くねえから、うまく言えねえけど、おかしらが、
よく言ってる、なんとかなる、なんとかなるって。そうやって、俺達は
やってきた。今まで、おかしらについてきたら、何とかなったんだよ。
これからも、何とかなる。俺は、おかしらと明日を信じてる。」
「明日って?」
「昨日、今日、明日の明日。どんな明日かは神様だって知らねえ。
俺も知らねえ。でも、明日は来るんだよ。」
「哀しい、苦しい明日かも知れないのに?」
「違うんだよ、わかんねえかなあ。それは、神様も、俺も知らねえ事だってば。
ああ、俺、頭悪いから、うまく説明できねえ・・・苦しいとか楽しいって
思うのは今日だ、今なんだよ。哀しい、苦しい明日だったらなんて、
考えることすらばかばかしいだ。明日を信じられるってすげえことなんだ。」
「素敵な明日が来るって?」
「違うんだ、ああ、・・・」
大きな溜息をついて、ファットはまた横になってしまった。
「ごめんなさい。」
「あんたを励ましてやれねえ俺が、情けねえだけだ。」
「そんなことない。ありがとう。」
「ん?そんじゃ、元気になったのか?!」
「う、うん。」
「どんな明日かは、わかんねえ。そりゃそうだ、今日になってみなけりゃ
わかんねえ。でもよ、そのわかんねえ明日を信じられるってすげえことだよな。
今日と違う明日を信じるんだ、ちょっとだけ違う明日。」
「分かった・・・ような気がする。」
「そっか、よかった、よかった、じゃ、眠れ!な、な!眠れ。」
幸せそうにほほえんだかと思うと、ファットはいびきをかき始めた。
「まったくうるさい奴だね。」
目を閉じたまま、横になったままのトモロが口をきいた。
「おかしら・・・」
「紫陽花館に戻りたいなら引き留めはしないよ。」
「おかしら・・・」
「黙って最後まで聞きな。おまえさんは変わりたかったんじゃないのかい。
言っておくが、心の壊れたままのリアルじゃ、おまえさんを変えることは
出来ないよ。紫陽花館のヒイラギの部屋でリアルと二人、奴隷として
生きていくと決めるのも、おまえさんの判断だ。でも、自分でも分かってる
はずだよ、紫陽花館に戻れば、自分も元の自分に戻ってしまうってね。
落ち着いて、時間をかけて、いろいろ考えな。リアルを助け出す、
リアルの心を治してやる、心の治ったリアルがおまえさんを変えてくれる。
どうだい、こんな話の流れは・・・早くから、答えを一つに決めつけて
しまうのは良くないことだよ、どうする?それでも、紫陽花館に
戻りたいって言うなら、送り届けてやるよ。」
「ありがとうございます。そこまで考えていただいて・・・わたし、わたし、
・・・リアルが忘れられない・・・」
「忘れろとは言ってないよ。」
「分かってます・・・忘れられないから・・・おかしらを信じます。」
「分かった、それじゃ、任せな、何とかなるって。苛立ってる紫陽花館に
今近づくのは危険すぎる。まずは、一角獣の角を探すのが先だね。」
「え?」
「紫陽花館にあるって聞いたんだが、どこを探してもなかったからねえ・・・」
「え?」
「悪いね、ひとりごとさ。あ!雨だよ。」
「日が射してますけど・・・」
「匂いがするんだよ、雨のね。ファットを起こしておくれ、すぐ立つから。」
裸にされたような木肌のサルスベリが、見てとれた。百日も咲き続けると言う
紅い花が、咲き始めていた。
『わたしの望みが、この花の咲いている内に叶えられんことを・・・』
(つづく)