続・羽根をなくした妖精 �T





 

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 土砂降りのようなヒグラシの大合唱も、いつの間にか輪唱となり、それも、

暮れなずむぼんやりとした明かりの中、淀んだ空気に全て呑み込まれた・・・

 

 ほどなく、血の色に濡れた立ち待ち月が、生ぬるく東の空に昇り出た。

 

 昼間の喧噪が沈殿する頃、色あせ青ざめた月は、粉のような仄かな光を、

深々としたこの黒い森の中に振りまき始めた。

 

 そんな月夜の薄闇の中、屍のような色あせた花を戴く紫陽花が、べたつく

風に、一つ、二つと頷いたように見えた。数十株ある紫陽花のほぼ中央の株の

根もとに、岩と見紛うような苔むした扉が、今、ゆっくりと、口を、開けた。

 正装したニングルが二人、近づく影に恭しく反応した。扉の内側で無言の

会釈をして、仮面を付けた客を迎え入れたのである。その客である恰幅のいい

トロールのご婦人は、やや節くれ立った左手をすうっと上げて見せた。その

小指には、ビーゾー石で出来た指輪が鈍く光っている。蛇が己の身体を尻尾

から呑み込もうとしている姿が、デザインされていた。客の指輪をさりげなく

確認したニングルは、「お通り下さい」と小さく囁き、手のひらを返した。

 左に大きく緩やかな弧を描く石段が、客を更なる地下へといざなっている。

夜とはいえまだ蒸し暑かった外気に比べると、この中は驚くほどの涼しさで

ある。石段を下りきった大きな空間が、エントランスホール。壁と天井は

むき出しの岩肌だったが、床はきれいに磨き上げられた大理石だった。

いつもの受付、会計のブースは閉まっていたが、隣のクロークは開いて

いたので、婦人は大きなハンドバックをそこのフェアリーに預けた。

 篝火のほの暗さの中、客は入り口に向かって一歩一歩踏みしめるように歩き

始めた。と、その閉ざされた大きな正面入り口に控える、剣を帯びた正装の

ニングルが二人、ゆっくりと、威圧するような重々しい声で、

「夏至を祝う前夜祭、当紫陽花館恒例の仮面舞踏会へ、ようこそお出で

頂きました。せんえつながら、祝福のお言葉を頂けますでしょうか?」

と、恭しく頭を下げた。

 入り口に到着したトロールも、会釈で礼を返し、よく通る声で、

「太陽の恵みを受ける者に、幸多からんことを!」

 その言葉を合図にしたように、黒々とした鉄の帯で補強された見上げる

ような大きな扉が、軋むことなくすうっと内側に開いた。目映い強烈な光が、

洪水のように押し寄せてきた。篝火や鬼火、光苔の類の明るさではない。

稲光のような目も眩む明るさは、魔法によるものと思われた。紫陽花館の

財力を含めたその底力を、見せつけるに充分な演出だった。だが、それは、

ほんのプロローグでしかなかった。

 

 

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 光に目が馴染むほどに、これまで、殺風景とすら思われていた紫陽花館の

内装が、今日は一変していた。

 入り口から大広間へと通ずる広い廊下ではあったが、床は極彩色の織物で

埋め尽くされ、壁一面に群青色の無地のタペストリーが掛けられ、それらは

さながら、珊瑚の海を思わせるような演出であった。そして、珊瑚の海底の、

そこここに置かれた裸像は、なんと、本物であった。一糸まとわぬ裸体を

羞恥色に染め、肩幅よりやや広めに足を広げ、後ろ手に手を組む、可憐な

フェアリーの少女。両手両足を大の字に壁に拘束され、その肌に明らかな

鞭の痕を残すニングルの乙女。天井より高手小手に吊り上げられ、ほぼ

爪先立ちのダーク・エルフは、その股間を起立させたままの少年である。

アクロバットのように縛り上げられたメスのゴブリンは、おのが裸体を

花瓶に見立て、肛門、陰芯、口と生花をたたえている。一抱えもありそうな

透明のガラス瓶があり、その中に白い塊が見えた。子どもの妖精よりもまだ

一回り小さい小人のフェアリーが、羞恥に消え入るように身体を丸め、瓶の

中に閉じこめられている。

 仮面を付けた婦人は、紫陽花館の演出に圧倒されながらも、歩を進めた。

腰を突き出すように上体をのけぞらせて股間の秘部を晒すニングルの婦人が、

明らかな不快の表情で、唇を噛み、恥辱に耐えていた。しつこく指でつつき、

その恥辱を与えている原因、その、裸像のニングルを執拗にいたぶっている

紳士風の先客を横目で睨みながら追い越し、婦人は大広間の入り口に

ようやくたどり着いた。

 ここからは、紫陽花館の係りの者も、目と鼻を覆う仮面を付けている。

獰猛な二匹の黒妖犬が、青い舌を出して息遣い荒く出迎えてくれた。左右から

入り口のドアノブに手が掛けられ、二人のニングルによって、またもう一つの

別世界への扉が、開け放たれた。

 

 

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 トロールのご婦人は、一歩、足を踏み入れた。

 まずは、華やかではないが、葦笛のような音色が、二、三絡み合うように

どこからともなく聞こえてきた。招待客の華やかな会話を邪魔することのない

その音色は、石造りの広間に反響しない控え目なやさしさで漂っている。

 次ぎに、気を引いたのは、照明だった。魔法の光なのだろうか・・・壁に

埋め込まれた無数の雲母が、不思議なことに黒い光を放っている。なんと、

その黒い光を受けたもの全てが、自ら光を放っているように見えるのだ。

 日が昇り、雲がながれ、緑がざわめき、風がまどろみ、月が昇り、星が

またたき・・・そんな日常を、葬り去ってしまうような演出・・・

 すうっと漂ってきたやや刺激的な香りは、紫陽花館独特の媚薬の香り・・・

その香りに、我に返ると・・・広い舞踏会場のそこここに、先客と思しき

仮面を付けた紳士淑女が、数十人、媚薬入りのグラスを片手に、あるいは煙草

をくゆらせ、あるいは華やかな扇を揺らめかせながら談笑していた。

 そして、この会場の壁面を彩るのも、やはり、様々な趣向をこらした、

男女の裸体であった。

 首輪を付け、柱につながれた者、黒々とした革の拘束衣を着け立ちすくむ

者・・・圧巻は、会場中央の黒水晶によって縁取られた噴水であろう。数人の

フェアリー、ニングルによる、阿鼻叫喚地獄の再現のようであった。血色の

珊瑚の彫刻は、翼を持つライオンのキメラ、その口より吹き出る噴水は、血

の色・・・そこにはまってもがき苦しむ者あり、槍に突き立てられ血を流す者

あり、鞭打たれのたうち回る者あり、火に焼かれ泣き叫ぶ者あり。もちろん

それらは演技ではなく、実際に血を流し、鞭を怖がり、火膨れとなっていた。

 そして、その中央の一段高い台の上に、二匹の木像のゴブリンとその間に

挟まれた羽根のない生身のフェアリーがいた。羽根のないフェアリーは赤い

首輪をつけられ、そこから延びる鎖は下卑た笑みを漏らす木像のゴブリンが

握っていた。さらに、もう一匹の木像のゴブリンには両手首を捕まれ、後ろ

よりその花芯を貫かれようとしていた。両手首をつかむように拘束し、後ろ

より襲いかかろうとしているゴブリンの異様に尖った性器は、フェアリーの

秘部に狙いを定めて、いきり立っていた。

 一方、フェアリーは、恥ずかしげにうつむき、ゴブリンの攻撃から逃げる

ように・・・いや、二匹の木像のゴブリンに挟まれた生身のフェアリーは、

逃げるどころか、自らゴブリンの突き出す一物をくわえ込もうとしている

ように見えた。なぜなら、ゴブリンの握る鎖は一直線にフェアリーの赤い

首輪に伸び、ピンと張りきっていたのである。

「ヴィジョン!」

 声にならない、溜息のような声を発したトロールの婦人の側に、ショーツと

ブラジャーだけのニングルがすっと近づいてきた。接待係と思しき彼女は、

婦人の顔を見ずに、

「トモロ様、お逃げ下さい」

「あなたは?・・・」

「こちらを見ないでください。」

「聞き覚えのない声だがね・・・」

「どうでもよろしいこと・・・とあるお方より命じられました。今なら間に

合います、お逃げ下さい」

「何故だね」

「理由は知りません。ただ、貴方様のお命に関わること・・・」

「このままではわたしの命が危ないと?」

「はい!あなたの正体は、もう、知られております」

「指輪も持っている、入り口の合い言葉も完璧だったはずなのに!」

「そんなのは単なる形式、今日の仮面舞踏会は、常連客しか招待されていない

のです。仮面は、お客様同士のプライバシーを守るため。紫陽花館は、お客様

をひとりひとり確認済みのはずです」

 シャリーン!

 その時突然、鈴の音が広間に響き渡った。それが合図であるかのように、

大きな鈴の音が、これまでの広間の喧噪を、一瞬にして消し去った。葦笛の

ような穏やかな音色もいつの間にか止んでいた。

 シャリーン!

 広間の照明が、すうっと落とされると、静寂がさらに際立った。

 シャリーン!

 静寂の中、意味ありげな重い鈴の音が、広間の隅々に染み渡った。

 シャリーン!

 仮面を付けた招待客は壁側にぞろぞろと移動して、広間の中央を空けた。

それまで手にしていたグラスや煙草の類を近くのテーブルに置く音が、微かに

そこここから聞こえてきた。これから始まることを、固唾を呑んで見守る

といった張りつめた空気を震わせ、

 シャリーン!

扉のひとつが開き、繻子の黒い布がふわふわと現れた、次から次へと。

 シャリーン!

様々な大きさの黒い布は列を作り、扉から現れ、ゆっくりと広間の中央にある

噴水の周りを回り始めた。

 シャリーン!

 噴水の周りを一回りして囲むと、黒い布は静止した。

 シャリーン! 

 ドスン!

 繻子の黒い布が現れ出た扉が、今、閉められた。一同の視線が、そこに

集中した。正装し目だけを隠す仮面を付けたせむしのニングルが、ゆっくりと

広間中央の噴水の前に歩み出てくるところだった。ややうつむき気味の

ニングルは、鼻筋もとおり、あごの線もシャープな、引き締まった面もちで

あった。惜しむらくは、三口の痕がくっきりと鼻の下に見えることだった。

せむしと言う体型、その鋭い眼差しと三口の痕、これらは、老人ながら、その

印象からはほど遠い、まるで獲物を狙う豹のような異形の印象を与えた。

 広間中央に立ち止まったせむしのニングルは、己の身長分ほど中空に浮かび

上がった。招待客を一人一人確認するかのように広間を見渡し、一巡すると

大仰に両腕を広げ、そして深々と頭を下げた。広間がゆっくりと明るさを

取り戻していった。

 シャリーン!

「当紫陽花館、恒例となりました、夏至の前夜祭、仮面舞踏会に、ようこそ

お出でいただきました。日頃のご愛顧に感謝いたしまして、ささやかな宴を

ご用意いたしました。さて、長い挨拶は、今宵の趣旨に合いませんので、

それでは、心ゆくまま存分にお楽しみください」

 口の端に僅かな笑みをみせ、再度深々と頭を下げた。

 シャリーン!

 浮遊していたせむしのニングルは、ゆっくりとフロアーに降り立った。

音一つない、静寂の広間に、せむしのニングルは、コツコツコツと、次の

場面をノックするような、乾いた靴音を立てた。招待客の全てが、唯一の音に

吸い寄せられるように見入っている。そんな客を焦らすほどにゆっくりと、

そのままひとつの黒い布の前に進み出た。ポケットから取り出したのは、

小さな鈴の束。

 チャリーン!

 冷たく澄んだ鈴の音が、酸っぱい思い出を呼び覚ますかのような響きと

なって、広間に染み渡ると、目の前の黒い繻子の布は、溶けるように、

流れ落ちるように、視界から消えた。その変わり、そこに現れたのは、

一人のニングルの少女。一糸まとわぬ透き通るような白い肌を晒し、視線は

床に落としたまま、ゆっくりと腰を下ろし、立膝の姿勢をとった。無毛の

股間に、陰唇は硬く引き結ばれたまま。

「アザミといい、アナルセックスが希望です」

 緊張からか、恥辱からか、せむしのニングルの紹介に、少女はぴくっと

身を固くした。

 チャリーン!

 隣の黒い布の前に移動したせむしのニングルは、そこでまた鈴を振る。

現れたのはドワーフの若者。たくましい筋肉質の身体が、黒光りしていた。

すうっと、立膝の姿勢をとった。そのように調教されているのか、この場の

雰囲気に呑まれてなのか、若者の男根は硬く仰け反っている。

「ブナといい、両刀使いです。」

 チャリーン!

 隣の黒い布からは、小刻みに羽根を震わせているフェアリーが現れた。

きつく目を閉じたまま、ぎこちなく立膝の姿勢になる。

「今日のために新たに調達して参りました。名前もまだ付いていない新参者

ですが、あらゆる意味において処女です」

 一筋、二筋と涙が、明らかに殴られたと思われる赤い頬に光って見えた。

 チャリーン!

 チャリーン!

 せむしのニングルが噴水を一巡すると、紫陽花館の二十数名に及ぶ商品達が

勢揃いした。

「今日は無礼講です。ご希望の商品と、今宵ひととき踊り明かされませ。

ここに控え居ります以外にも、ご希望とあらば、広場のそこここに飾ってある

裸像の方も、ご自由に・・・ただし、例外が一つ・・・」

せむしのニングルが指さした先は噴水の中央、ヴィジョンだった。

「ヒイラギの部屋のスミレだが、訳あって、仕置きの最中ゆえ、今宵はご勘弁

願います。では、どうぞ、ごゆるりと・・・」

 シャリーン!

 せむしのニングルが、背景に滲むように、色をなくし、形をなくし、消えて

いった。

 名前の付いていない新参者のフェアリーの前には、トロールの老紳士が

現れた。手には鞭を持ち、着ているものをこの場で全て脱ぐように、命じて

いるようであった。どうしたらいいのかも分からず、ただただ身を固くし、

細かく震える肩は、既に、すすり泣きから、慟哭に至ったことを物語っている

ようである。

 アザミの前に現れたのは、恰幅のいいニングルの若者であった。どうも

初体験らしく、ためらいがちに、二、三アザミに耳打ちし、アザミの肯いた

屈託のない笑顔に励まされ、奥の部屋へと消えていった。

 ブナの前には、若いカップルのフェアリーが現れ、レディーを抱きかかえた

ブナの先導で、爽やかな三人は、広間から出ていった。 

 招待客は、それぞれお目当ての商品の前に立ち、商品を連れ立って部屋の

中へと消えていき、中には、広間で鞭を振るうもの、裸像に抱きつく者も

あり、歓喜の声が漏れ、不安のすすり泣きが聞こえ、苦痛の叫び声が上がり、

紫陽花館はさながら欲望の坩堝(るつぼ)と化したようであった。

 広間の照明が再び落ち、美しい姿態を間近で楽しむには充分な、程良い

薄闇に地下宮殿全体が覆われた。紫陽花館特性の媚薬の香りが、やわらかく

また、たなびき始めた。

 

 

               (つづく) (愛読者サロン)