続 羽根をなくした妖精 ㈼

                    



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 機会は偶然にやってきた。紫陽花館の中は夏至の前夜祭の準備で、どこも

かしこも、蜂の巣をつついたように、騒然としていた。

「ムラサキ! スミレと一緒に、地下庫まで行って、媚薬を一箱持ってきて

くれ!」

 フロアマスターは、目の前に飛び込んできた者を、片っ端から捕まえては、

用件を言いつけているようだった。

「媚薬と言いますと、ケンタウルスの肝の粉末でしょうか、それとも・・・」

「山椒魚の無精卵の方だ」

「鍵は?」

 フロアマスターは、ムラサキに、離れたところから鍵束を投げて寄こした。

「媚薬は調理場に運んで置いてくれ。そこで俺を見かけなかったら、鍵は

料理長に預けておいてくれ!」

「分かりました!」

 ヴィジョンは無表情を装い、ムラサキの後に続いた。

「おーい! だれでもいい! リネン担当の者を呼んできてくれ!これから、

俺は調理場に行くから、そこに来るように!」

 ヴィジョンはフロアマスターに感謝した。地下庫に媚薬を取りに行く・・・

そこは薬品庫に違いない、ならば、リアルを救えるという一角獣の角を探す

ことが出来るに違いない。上手く行けば、盗み出せるかも知れない。いや、

盗み出さなくてはならないのだ。ヴィジョンは覚悟を決めていた、自分の命に

換えてでも・・・どうして? 分からない・・・今のヴィジョンには、説明の

できない、疼きのようなものであった。そう、今のヴィジョンには、説明は

いらなかった。リアルを助けたい、リアルを元のリアルに戻してあげたい。

思いはそれだけだった。

「ムラサキ!大至急、頼む!」

 小走りのフロアマスターは、そう叫ぶと部屋を飛び出していった。


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 まっすぐ行けば、あの忌まわしい地下牢のある地下庫の奥。だが、途中で

通路を右手に曲がり、程なくして、頑丈だが小さな扉の前に出た。

 ジャラジャラと鍵束の音が、通路に響き、物々しい音を立てて扉が奥へと

開いた。と、同時に部屋の中の照明に自然に灯がともり、ちょっと刺激的な

干草のような匂いが、部屋の中から溢れだしてきた。

 歩き始めても、ついてこないヴィジョンの足音に気付いて、ムラサキが

振り向いた。

「スミレ様、何をなさっているのですか?」

「ムラサキ、見逃して下さい!」

 突然のヴィジョンの行動に、ムラサキはただ戸惑うのみ・・・

「見逃すって、何をです?」

 説明するヴィジョンも、興奮して要領が得ない。

「ここにあるかも知れない、一角獣の角が欲しいのです」

「一角獣? なんなのですかそれは?」

「薬なのか、魔法に使う道具なのかは知りませんが・・・」

「初めから説明して下さい、それでは分かりません」

 ムラサキが正面を向きヴィジョンの話を聞こうとしてくれたことが、幾らか

ヴィジョンの心を落ち着かせた。

「リアルの心が壊れてしまったのは・・・」

「知っています」

「そのリアルの壊れた心を治すために、一角獣の角が必要なのです」

「何故必要なのですか?」

「使い方は知りませんが、リアルを救うには、なくてはならない物と・・・」

「リアルを助けるために?」

「はい!」

「一角獣の角がどうしても必要だと・・・」

「はい!」

「その一角獣が、ここにある」

「たぶん・・・」

「ここから何かを盗み出すことが、どんなに困難で、危険なことだと分かって

いるのですか?」

「はい!」

「そんな危険を侵してまで?」

「はい!」

「どうしても、ここからそれを盗み出さなければならないのですか?」

「はい!ここにしかないと・・・」

「どうしてそれを、あなた様が?」

 ムラサキの質問は、漠然としていたヴィジョンの行為を、確信犯へと導く

ようであった。リアルを愛するが為に、妖精としての羽根を失ってしまった。

それすら、今となっては後悔していない。正面を向いて、リアルを愛せる体に

なれたのだから。

「どうしてって・・・リアルを治してあげたいから・・・」

 あのままのリアルでは、ヴィジョンの立場がない。休まる場がない。

「失敗したら、ただでは済まされないのですよ!」

 失敗を恐れて立ち止まることは、トモロと出会ったヴィジョンにとって、

生きることを諦めることに等しいくらいだったのかも知れない。

「はい」

 その時、リアルに愛されたいなどとは、ヴィジョンは考えていなかった。

自分らしくなりたい、素直に生きたい・・・

「それでも?」

「はい」

「そこまでしても、リアルを助けたいのですか?」

 答えに窮するも、ヴィジョンは胸を張り、ムラサキの視線をしっかりと

受けとめていた。しばらくの沈黙の後、

「分かりました。いきさつはどうであれ、そう言うことだった訳ですか」

「そう言うことって・・・」

 ムラサキはヴィジョンの思いを充分に理解したとは、思えなかった。でも、

今のヴィジョンには、それはそれで構わないように思えた。ヴィジョンの

一途な思いが、商品の世話役でしかないムラサキを刺激した。

「何も言わなくて結構です。あなた様の世話役となったのも何かの縁です。

こうなりましたら、とことんおつき合いいたします。時間がありません。

さあ! その一角獣の角とやらを探しましょう!」

 商品にすらなれなかった・・・そんな愚痴をこぼしていたムラサキとは

別人のような、頼りがいのある後ろ姿だった。



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 その頃、調理室では・・・仮面舞踏会の最後の仕上げに苛立っている

フロアマスターが叫んでいた。

「媚薬はまだか!」

「はい! まだ届いておりません」

「ウェルカムドリンクに調合してもらおうと思ったのだが、漬け込む時間は

大丈夫だろうか?」

「丸二日、四十八時間あれば充分です。ですから・・・まだ間に合います」

「そうか」

「ところで、誰に命じられました?」

「ヒイラギの部屋のムササキに・・・」

「薬草の知識が豊富とは言えませんな・・・」

「ラベルを見れば、誰でも分かると思ったのだが・・・」

「分類法と、薬学の知識がないと・・・何しろ、何千種類という薬草の類が

保管されてますので、素人では難しいかと思います」

「なるほど・・・」

「詳しい者を、迎えにやらせましょう」

「そうしてくれ!」




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「ありませんね」

「こちらにもないわ」

「間違いなくここにあるんですか?」

「いいえ・・・」

「なんですって!」

「あるとすれば、ここにしかないと・・・」

「あるとは限らない・・・」

「はい・・・」

 ムラサキの肩が、見るからにがっくりと落ちた。

「・・・スミレ様、申し上げにくいのですが、そろそろ、この箱を調理室に

運ばなければ・・・怪しまれます。とことんおつき合いはしますが、今日の

ところは・・・ずいぶんと時間がたってしまいました・・・」

「・・・」

「またの機会もございましょう・・・」

「・・・」

「迎えの者でも寄こされたなら、なんて言い訳を? さあ!」

「・・・」

「一度怪しまれたなら、このような機会もなくなってしまうのです。貴重な

芽を摘まれないためにも・・・そろそろ、急がなくては・・・」

 諦めきれずになおも棚を探し続けるヴィジョンの目に、不思議なビンが

飛び込んできた。そのビンは、見つけてくれと言わんばかりに、その存在を

誇示しているように思えた。ビンは、蛍の光よりも淡くぼんやりと紫色に

光っている。いや、光とは四方八方に拡散するもの。瓶の中の光は、拡散する

ことなく内にこもるような、不気味な明かりだった。中を覗いてみたが、

なにもない。強いて言えば、紫の光がビンの中に閉じこめられたよう・・・

 そのビンを、両手でそっと胸元近くまで持ち上げ、中をのぞき込んだ

ヴィジョンは、誘い込まれるような不思議な想いが胸の中をよぎるのを、

畏怖の念をもって感じた。

「スミレ様、スミレ様!!」

 呼びかけるムラサキの声に、振り向いたヴィジョンの顔は、血の気が失せて

真っ白になり、瞳の光も生彩無く淀んでいた。と、

「なにをしている!」

その時、そこに駆け込んできた料理人風のニングルの声。まるで、その声に

驚いたように、

「パリーン!」

 ヴィジョンの胸元で淡く輝いていたガラスがひとりでに割れ、ヴィジョン

の上半身を紫の光が覆ったかと見ると、滲むように、その紫の光は、

ヴィジョンの身体に吸い込まれていった。同時に、ヴィジョンは、気を失い

その場にくずおれてしまった。

「スミレ様!スミレ様!!!」

・・・・



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「みんな忙しいんだ、なにがあったのか手短に話してくれ」

 せむしのニングルは、ムラサキの顔をみることなく、噴水の中央、晒し刑の

刑場を見上げていた。ムラサキは立膝の姿勢で、マスターの足下に控えて

いる。

「二匹のゴブリン鬼も、久しぶりのご馳走に、うれしそうに見える・・・」

 紅い首輪をつけられたヴィジョンは、ゴブリン鬼の木像に嬲られていた。

「だが、ゴブリンにもスミレにも、ごちそうはお預けだ。ふっ、ふっ、ふっ」

 せむしのニングルが、ムラサキの髪の毛をぐっとつかんだ。

「一角獣の角を探していました・・・」

「いい顔で悶えておる・・・ケンタウルスの肝を山葡萄のワインに溶かし

込んだものを、お尻よりたっぷりと飲ませてやったのだ」

 せむしのニングルは、今度は、ムラサキの頭を二度ほど軽く叩いた。

「リアルの壊れた心を治すために、一角獣の角が必要だと言われ、スミレ様を

お手伝いして、一緒に探しておりました・・・」

「通常の量だと、グラスに一杯で充分なのだが、グラス六杯分ほどご馳走した

のでな、それで、あんな木像の男根でも欲しくてたまらんのだろう」

 ムラサキはうつむいたまま、涙声になっていた。スミレ様の仕打ちもさる事

ながら、自分への処罰に怯えていたのである。

「結局一角獣の角は見つからず、戻ろうとしたとき、スミレ様が紫色に光る

瓶を手に取られ、調理場の方に見つかった時、それがいきなり割れて・・・」

「自ら欲望を満たそうとしても、首輪についた鎖に引き戻されて、触れるか

触れないかのぎりぎりのところで調整してある。上手くできている。本来は、

ゴブリンの木像に花芯を貫かれた姿を、衆目に晒すために作られたものだが、

今まさに犯されようとしている、それを望み、身悶えている姿を晒すという

のも、面白い見せ物だとは思わんか?」

 せむしのニングルの指が、ムラサキの髪を梳く動作をした。

「紫の光が、スミレ様の身体に吸い込まれるようにして消えて行きました。

スミレ様はしばらく気を失われ・・・」

「ケンタウルスの肝は、己の欲望が満たされるまで、その効力が失われない。

夏至の前夜祭が終わるまで、満たされぬ己の欲望に苛まれるが良い。前夜祭

でも、きっといい見せ物になるだろう・・・タンタロスの無間地獄に勝とも

劣らない・・・」

 ムラサキは、髪をきつく握られ、ねじるように顔を上げさせられた。

「あとは何事もなかったように、スミレ様は目を覚まされましたが、割れた

はずの瓶のかけらが一つも見つからず、紫の光はなんだったのか・・・」

「ほほう・・・なんと・・・どうやら生理が始まったようだな・・・ますます

面白い見せ物になるわ・・・」

「・・・なんと・・・惨い・・・お労しい・・・」

 ムラサキは、肩に力を込め、沸き上がる涙をこらえた。顔を上げなくても、

ヴィジョンの姿が想像できた。振り払っても振り払っても、浮かんできた。

眉間にしわを寄せ鎮まらぬ疼きに苦悶する顔、欲情に身悶える姿態、ぬめり

爛れたように赤みを増す花芯、そして、太股の内側を伝って落ちてくる汚れた

黒い血、生臭い匂いまで臭ってきそうだった。

「以後、今日のような勝手な行動は慎むように」

「はい、分かりました、ありがとうございます」

「スミレの担当は辞めてもらい、調理場の犬にでもなっていなさい」

「・・・はい・・・」

 調理場の犬、所謂、雑用係なのだが、調理以外の雑用までこなさなければ

ならないために、犬と呼ばれていた。

「一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 マスターは冷たい一瞥をくれた。わずかの間が、許可を意味していた。

「スミレ様の浴びたあの紫の光は、一体・・・」

 せむしのニングルは、急に表情を硬くして、ムラサキの顔を睨み付け、

いきなり唾を吐きかけた。

 そして、足早に広間を出ていってしまった。



               (つづく) (愛読者サロン)