続 羽根をなくした妖精 �V

                    






               (40)

 広間中央の噴水に演出された阿鼻叫喚地獄は、既に撤収されていた。だが、

満たされぬ欲情に身悶える羽根のない妖精だけが、取り残されていた。舞踏会

の薄闇の中、そんなヴィジョンを呆然と見上げるトモロの両脇を、屈強の

ニングルが、音もなく、気配もなく、しっかりと固めた。

「なにをするね!」

 トモロの前に、すううっとせむしの老人が現れた。

「せっかくのお祭りが台無しになります。大きな声は無粋というもの」

 老人の姿を認め、トモロは鼻で笑った。

「おや、久しぶりだね、マスター」

 せむしのニングルは、苦笑いで応えた、

「いつぞやは、お見事な仕事ぶり、感嘆いたしました」

「お褒めいただき、恐縮だね」

 二人の眼差しが凍り付いたように動かない。しばらくして、マスターは、

腰に手を当て、ゆっくりと歩き始めた・・・右に、左に、行ったり来たり

・・・そして、

「困ったご婦人だ・・・ご忠告申し上げたのに、お聞き入れ頂けなかった

訳ですな・・・そこまでして、ここ紫陽花館にご執心とは・・・まあ、それは

なんの御用か、聞くまでもないが、今日はこのままでお帰りいただくわけには

いきませんな。このままでは示しが付きません。私としましては、誠意は

示したつもりです。それに応えていただけなかった・・・仕方ありませんな、

紫陽花館の沽券に関わりますので、命を置いていって頂くことに・・・」

 抵抗しようと力を入れていたトモロの筋肉が、意志とは関係なく弛緩して

いった。マスターの言葉に誇張はなかった。紫陽花館は、安全に安心して

遊べるよう、厳しい戒律を独自に設け、その為の優秀な武装集団を維持して

いた。命令とあらば、手段を選ばないと言う冷血な武装集団を。

「こうなったら諦めるが、一つだけ聞かせてもらいたいことがある」

 盗賊のお頭の厳しい表情は、それでも凛々しいまま。

「いいだろう、はなむけの代わりにな」

 トモロは、つらそうに顔をしかめるヴィジョンを見上げ、

「ヴィジョンは、いや、スミレは耳が聞こえなくなったのか?」

「大事なお話でも、それとも最後のお別れが言いたいのかな?」

「まあ、そんなところさ」

 トロールの婦人は、力無くマスターを見つめた。

「聞こえないことはないと思うが、スミレの頭の中は欲情に満ちあふれて、

正常な思考状態とはいえない。聞こえても、理解する余裕はないだろう」

「ずっとあの状態で?」

「いいや、欲情が満たされれば元に戻る・・・」

「よかった・・・」

 トモロの表情に、幾らかの安堵が戻った。

「だが、元に戻ったスミレに、話しかけるあなたはもういないのだよ。残念

だが、そこまで温情は示せない」

「最後まで諦めない、今となっては空しいが、それが、あたしの信条でね」

「見上げたものだ。ところで、スミレに伝えたい話を、わたしが代わって

伝えてやってもよいがな・・・」

 トモロの頭が急速回転した。こちらの手の内を明かす畏れはあるが、敵の

手の内が探れるかも知れない・・・

「ご親切なことだ。それでは、お願いしよう」

「承ろう」

「くれぐれも壊さぬように、とだけ・・・」

 言葉にならない思惑の応酬が、トモロとマスターの間でなされたように

思われた。しばらくの瞑想の後、せむしのニングルはつぶやくように、

「やはりな・・・」

「やはりとはどういう意味だい!」

 身を乗り出そうとするトロールを、二人のニングルが押さえつけた。

「スミレは、お前から逃げてきたといいおった。うかつにも二日前まで、その

言葉を信じていたのだよ。もうろくしたものだよ、あんな小娘に、騙される

なんてな。スミレは、捜し物があってここに戻ってきたのだ。しかも、その

捜し物の正体を知らないままにな。たぶん、お前も知らないに違いない。ただ

お前は、壊すと大変なことになるという情報を、スミレがいなくなった後に

手に入れた。捜し物を諦めるように説得にやってきた。こうなってしまった

うえは、捜し物はともかく危険なものであることだけでも、伝えられればと、

それが、さっきの伝言って言うわけだ。スミレの行動は、仲間達には内緒の

単独犯。その意味では、逃げてきたという言い方も、あながち嘘ではなかった

訳か・・・」

 恰幅の良い婦人の目が、異様に輝いた。

「分かっていたのか・・・」

「共犯のムラサキが、あらかた、素直に話してくれた。あとは、お前の伝言

から推理した」

「それで!一角獣の角は?!」

「スミレに伝えるせっかくの忠告も、手遅れだったと言うことだ・・・」

「どういう意味だい!」

 一気に緊張した全身の筋肉は、取り押さえていたニングルを跳ね飛ばした。

「なにをしておる!ご婦人一人に手を焼くなど・・・」

「言いな!どういう意味なのさ!!」

 くってかかろうとするトモロに、マスターは、たじろぐことなく悠長に腕を

組んで、数名の部下に命じた。

「処刑は、水責めにしてあげよう。ショータイムは終わっている。それに、

衆目に晒すには、見苦しすぎるからな、調理場へ連れてゆけ!」




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 十数名いた料理人達は、翌朝の戦いに控え、仮眠をとるために調理場から

退出していた。喧噪は収まったが、今までの熱気は、湿気を帯びたまま淀み、

身体にまとわりついて離れなかった。そして、薪のはぜる音、湯のたぎる

音だけのはずの広い厨房に、

 ピシッ!打擲の音・・・ 

 そして、若いニングルの乾いた笑い声が、寂しくこだました。意地の

悪そうな目つきのニングルは、柄の長いヘラを持ち、調理台の間をゆっくりと

歩いていた。

「ははははは!そこに、トマトのへたが落ちているぞ!」

 ピシッ!若者は柄の長いヘラを振り下ろした。

「黙っていないで、返事をするんだ!」

 ピシッ!若いコック見習いは、ヘラの持つ手を換え、別なところに狙いを

定めた。

「はい、かしこまりましたご主人様。かまどの側にトマトのへたを二つ、

見つけました」

 調理場の床に、四つん這いのまま動き回っているのは、裸にされた

ニングルの女、平べったい乳房を前後に揺するムラサキ。獣の尻尾よろしく、

お尻の穴に何かがつきたてられ、そこから紐のようなモノが垂れていた。

これが、調理場の犬である。

「ようやく、自分がなんだか分かってきたようだな・・・」

「はい」

 犬は、トマトのへたを口でくわえると、四つん這いのまま、調理場の隅へ

移動していった。床の扉を開け、そこに現れた闇の穴に、トマトのへたを

吐き出した。水の流れる音がするところから、その穴は地下水脈に通じ、

自然の生ゴミ処理器といったところか・・・

「そこの調理台に両手をついて、ケツを突きだしな!」

 ゆっくりと立ち上がり、血の滲む膝を伸ばすのに痛がっていると、風を

切る音と共に、柄の長いヘラが、痩せたムラサキのお尻に振り下ろされた。

さっさとしな!」

 睨むようにコック見習いを振り向いた調理場の犬の頬に、拳が飛んできた。

「お前は犬なんだ! 一日中こき使われ、口答えも出来ず、先輩達が休んでる

時も、こうやって種火の番をしなくちゃならねえ俺よりも、お前は下なんだ!

お前は、奴隷同然の俺の奴隷なんだよ!」

 調理場の犬でしかないムラサキは、調理台に両手をついてうなだれた。

「うっ!!痛い!」

 犬の尻尾が力任せに引きむしられた。アナル拡張用にねじ込まれていた

ひも付きの太い棒が、調理場の床に転がった。すかさず、調理場の犬の肩を

鷲掴みにして、見習いは後ろから自分の怒りを犬のアナルに突き入れた。

「ギャアー!痛ー!」

「お前が痛かろうが、辛かろうが、俺には関係ねえんだ。むしろ、そうやって

嫌がり、痛がって、屈辱に震えてくれた方が、燃えるかも知れねえ・・・」

「はー、はー、はー・・・」

「前にいたガキはよ、死んだ方がましだって、泣きじゃくりやがってよ・・・

お前もそう思うか?」

「うー、はー、・・・」

 肉を引き裂き、内臓をかきむしるような痛みは、物体、道具となった屈辱

によって増幅される。

「痛くて、声も出せねえか・・・死ぬほど良いって言い方もあるしな・・・」

 ピタッピタッピタッピタッ・・・肉と肉のぶつかり合う音がリズミカルに

調理場の静寂に吸い込まれてゆく・・・

「今は、調理場の犬しか嬲りものにできねえが、そのうち偉くなって・・・

みんなをアゴでこき使うんだ・・・俺の前にみんながひれ伏して、俺の命令を

待つんだ・・・そう思うから・・・それを信じるから・・・今の奴隷のような

仕打ちにも我慢できる・・・」

「はー、はー、救われないね・・・」

「何? 何て言った?!」

 コック見習いの腰の動きが止まった。

「救われないって言ったんだよ」

「どういう意味だ!」

「偉くなったって、心は今と変わらない奴隷のままだって意味だよ」

「分かったようなことを言うな!」

「何人の犬を、こうして嬲りモノにしてきたのさ・・・」

「俺の勲章だよ、数えきれねえほどさ」

 ムラサキは、若者から視線を外し、深く溜息をついた。

「数え切れない勲章ねえ・・・どれ程偉くなったのさ・・・」

「なに!」

「誰が認めてくれたんだって?」

「うるせえ!!!」

 見習いは怒りにまかせて、腰を突き動かし、その痛みで調理場の犬が

仰け反った。見習いは、その仰け反った背中に爪を立て、ゆっくりと、皮を

かきむしっていった。血の滲んだ八本の筋が、みるみる浮き上がってゆく。

「ギャアー!!」

「わわあー!!!!!!」

 痛みに耐えかねた叫びをかき消すように、絶頂を迎えた遠吠えのような

雄叫びが、調理場にこだました。

 調理場の犬から離れ、壁にもたれた見習いの怒りは、真っ赤に血に染まり

ながらも、萎えることなく、調理場の犬をなおも威嚇していた。



               (42)

 料理人が一人二人と戻ってきた調理場に、顔をぱんぱんに腫らせた

トロールのご婦人が、引き立てられてやってきた。途中、派手に立ち

振る舞ったのか、目も開けられぬ様子で、二人のニングルに両脇を抱え

られて、赤毛の三つ編みも乱暴に捕まれていた。

 せむしのニングルを見つけた料理人の一人が、すうとやって来た。その

料理人は、マスターから二三指示を受け、調理場に戻っていった。代わりに

コック見習いと調理場の犬がやって来た。

「このご婦人を水責めにしたいので、手を貸してくれるか」

 トモロを連行してきたニングル二人と、見習い人と調理場の犬に、老人は

次々と指示を出していった。

 トロールの婦人を見つめるムラサキの目の色の変化は、誰にも気付かれ

ずに、されるがままの婦人は、調理場の太い梁に吊り下げられた。

「体格がよろしいから、それだけで苦しそうですな・・・」

「早いこと片付けてもらおうか」

 トモロの顔は、既に真っ赤である。

「酒豪のご婦人ゆえ、別れの水杯などといった無粋な真似はいたしません。

極上のワインで乾杯といきましょう」

「最後の最後まで、そのようなお心遣い、感謝するよ」

 婦人の鼻がつままれ、口には閉じられないように竹筒が押し込まれ、

そして、うつむけないように頭が固定された。

「鼻をつままれて、ワインの味を楽しめずに残念だろうが・・・」

 上を向いて開いている口に、細いホースを使ってワインが少しずつ、滴り

落ちるという仕掛けである。準備が整い、マスターの乾杯の合図で、ホース

から、ワインが滴り落ちてきた。いきなり、トモロがむせり、咳き込み、

苦しさに、胸の痛みに身悶えた。それでも、滴り落ちるワインは止まらない。

「すぐにコツはつかめるはず。口の中にワインを貯める。その間に息をすれば

いい。口の中に貯まったワインが気道を塞ぐ前に、ワインを全て飲み込む。

それを繰り返せばよろしい」

 水責めの仕掛けを理解し、思わず身震いするトロールの婦人を見上げ、

若い料理人見習いが目を輝かせた。

「すげえ責めだぜ・・・嫌でもワインを飲まなくちゃならねえ・・・楽しみの

はずのワインが、凶器となって・・・立場が一変する、すげえ!」

「気に入ったかい?」

 マスターに話しかけられ、若者はさらに興奮した。

「はい!風船のように腹を膨らませて・・・苦しくてもワインを飲み続ける

・・・汚く垂れ流しながら、それでも、飲み続ける・・・生きていることを

恨みながら、生き続ける・・・これ程の苦しみはねえ!・・・」

 せむしの老人は、見習いに背を向け、この場から立ち去りながら、

「そこまではいかんだろう・・・体は、意志とは関わりなく、生きることを

選択するだろう・・・だが、生きたいという欲望の限界もあるのでな・・・

夜が明ける頃には、たぶん、アルコール中毒で、呼吸か心臓が止まってしまう

はずだ・・・」

「逃げられぬとは思うが、ちゃんと見張っておれ!」

 そう言い残して、トモロを連行してきたニングルも、マスターの後を追って

調理場を出ていってしまった。残されたのは、見習いと犬・・・

 そろそろ、朝食の準備で、調理場は戦争の様相を呈し始めていた。




               (つづく) (愛読者サロン)