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    三、銀の鈴

 美果はひどく落ち込んだ気持で逗子の家に戻った。

あれから、男は縄をかけたまま美果の乳房を弄び、ワレメに指を入れた。

絨毯に転がして開脚縛りというのにされると、のしかかっていきなり

突っ込んできた。網にかかった女は犯らなければ損だという、さもしい性欲が

みえみえである。

感じないことはなかった。2時間ばかりの間に四・五回イカされて、

美果は薔薇の館を出た。最後に飲まされた精液が、まだ咽喉にひっかかっている。

「またおいで、よかったら私の専属になりなさい」

5年間守ってきた貞操らしいものが、しゃぼん玉のように消えてしまった。

相手がニセものだったことが腹立たしかった。

 玄関を入るとき郵便受けを覗くと、美果宛てに葉書が来ていた。

「……?」

文面はごく短くて『待たせたが、欲しければ銀の鈴で会う』とただそれだけ、

そして、三日後の夕方の時間が指定されている。

 誰だろう…?

 美果は急に不安になった。ちょっと読んだだけでは文章が理解できないのである。

 何を待たせたというの、私が何を欲しがっているというの…?

銀の鈴というのは、渋谷のハチ公と同じ、誰でも知っている東京駅の待合せ

ポイントである。ありきたりの場所だが、そこに呼び出してどうしようというのか…。

いたずらにしては、念がいり過ぎている。

 意味をはかりかねて、美果は口の中で何回か繰り返してみた。

 あっ…、

以前、SM雑誌にあった読者の通信欄に、美果は自分の告白を匿名で

投稿したことがある。

夫を会社に送り出したあと、情欲に駆り立てられるままに、のめり込むようにして

妄想のかぎりを綴った。

 そのときのペンネームが『銀の鈴』なのである。

鈴のワレメに性器をイメージしたつもりだった。原稿の末尾に、ただ『銀の鈴』と

署名して送ったことを、美果は身ぶるいするように思い出した。

 だが住所は編集部にも教えていない。

雑誌は毎月買っていたわけではないから、それが掲載されたのかどうかも

さだかではなかった。たとえ掲載されて、反響があったとしても、こちらへの連絡は

不可能である。

 それが、どうして…!

 背中に戦慄のようなものを感じて、美果はその場に立ちすくんでしまった。

もしかしたら、絵葉書の主は『銀の鈴』の正体を知っているのではないか…。

いや、だからこそ東京駅の銀の鈴を指定したのだ。

待たせたが…というのは、今日までの時間の経過を指すのであろう。

欲しければ…は、その前に「責めて」という意味の言葉が省略されている。

そうでなければ短い文章にこめられた謎が解けないのである。

知られる筈のない秘密が、誰かに握られている…。それは恐怖であると同時に、

奇妙な快感でもあった。

 その夜、美果はまんじりともせず、葉書と一緒にいつもの妄想にふけった。

 誰ですか、あなたは…、

 美果は葉書の主に問いかけてみた。

 本当に、わたしを犯ってくれますか…?

 だが答えはどこからも返ってこない。

ふと、ひるま開脚縛りでハメられた中年男の顔が浮かんだ。夫以外の男とは

セックスしないと誓った身体が、あの一瞬で鳩の死骸のように汚れてしまった。

 あとはもう、誰に身をまかせても同じであろう。

クリトリスが熱っぽく膨らんで、ときどきヒクヒクと蠕動する。陰裂にナメクジの

汁のような粘液が滲み出していた。

「ううム…」

 たまりかねて、片手で陰毛をつかむ。

 オナニーはやりたくなかった。この陶酔を中断してしまうのが惜しいのである。

イクときの刹那的な快感ではなく、それは淫靡なドラムの響きに似て、

全身に悦楽の鼓動を伝えていった。

「ああ、快い…!」

 太腿をピンとのばして、美果は陰毛を掴んだ指先に力を入れた。

 三日目の午後…。

 指定された時間より少し早く、美果は銀の鈴の下に立った。

その日まで多少の迷いはあったが、無視してみたところで、住所を知られて

いるのでは次に何が起こるかわからない。

 とにかく行ってみよう…。

深い井戸の底を覗くような興味もあった。 できるだけ地味なワンピースを着て、

眼立たないショルダーバック、化粧も薄い口紅だけにした。

 銀の鈴は、相変わらず旅行者やアベックの待合せでごった返している。

 ちょうど定刻である。

 そして1分過ぎた。急に怖くなって、美果は急ぎ足でその場を離れようとした。

「待て…」

 ぎょっとして足をとめる。

「滝沢美果だな」

 振り向くと、渋いポロシャツを着た男が立っていた。

美果と同じくらいの年ごろで、どこかテニスの選手のような感じである。

瞬間、頭の中に過去の男の残像がくるくると回転したが、まったく記憶になかった。

「人違いでなかったら返事をしろ!」

「あ、はい…」

 何かが崩れるように、全身から張りつめていた力が抜けた。

 男が黙って歩き出す。見えない鎖に引きずられるように、美果はその後を追った。

「何処へ行くの…?」

 男は返事をしない。近くのビルの駐車場まで、しばらく歩いた。

「乗れ」

 白いクラウンの助手席に積まれて、車が動き出すと、男は前を向いたまま言った。

「『銀の鈴』だな、おとなしく言うことを聞けよ」

「はい…」

 そうとしか答えようがなかった。

とたんに抑さえようもなく、ドッと淫液が溢れ出してきた。ぴったりと穿いた

パンティの奥で、クリトリスが痛いほどボッキしている。

 暗くなった道を、車はディズニーランドのほうに向かって走っていた。

街道ぞいのところどころに、ラブホテルの派手なネオンが咲いている。

男はその一つを選んで車を入れた。

自動式のキーボードから鍵を抜くと、エレベーターのボタンを押す。美果は黙って

後ろから従うより他になかった。よそ目には何の変哲もないアベックである。

「服を脱いでおけ!」

 エレベーターの中で、男は叱りつけるように言った。

「は、はい…」

ラブホテルの部屋に、着ているものを脱ぎながら入ったのは美果も初めてである。

フッと淫らなおかしさがこみ上げてきた。

内部は狭いが、一式整ったセックス専用の洋室であった。男は椅子に足を組んで、

冷酷に美果の動作を観察している。

 身もすくむ思いでファスナーを外すと、ワンピースを足のほうから抜いた。

「全部ですか…?」

「………」

仕方なく、美果はスリップに手をかけた。 たった1時間前に出会ったばかりの

男の前で、自分から裸になってゆく神経は美果自身にも理解することができない。

ブラジャーを取り、パンティとパンストを一緒に脱いで、美果は男の前に立った。

 手入れしたばかりのハート型の陰毛が、男の視線をまともに受けておびえている。

「おまんこを開けてみろ」

「エッ…」

「車の中で濡らしていたろう。どのくらい出したか見せてみな」

 男は、顔色も変えずに言った。

「もっと脚をひらけ。腰を突き出して土手を引っ張るんだよ!」

 羞かしさに膝頭がガクガクと鳴った。

ボッキしたクリトリスからピンクの珠が飛び出して、そのまわりに水飴のような

粘液がべったりと貼りついている。

「ひでえインランだな。これじゃお前、性欲が強すぎるぞ」

「ハ、ハイ…」

セックスの秘めた部分が容赦なく剥き出されてゆく。美果にとって、それは初めて

味わう不思議な陶酔であった。

 男はゆっくりと立ち上がって、美果の乳房を握った。

「まだ衰えてはいねえな。大切にしろ」

ピシャピシャと平手で叩いて揺れ方を確かめると、さり気なくズボンから

革のベルトを抜いた。

「よし、背中を向けろ」

 バシィッ…!

 いきなり激しい音を立てて、みぞおちのあたりに革のベルトが巻きつく

「ぎゃぁぁッ」

 一瞬棒立ちになったあと、美果は弧を描いて横ざまにベッドに倒れ込んだ。

 哲彦から受けた最初の鞭の一撃である。



    四、波打ち際の淫舞


 いっぱいに恐怖の表情を浮かべて、美果は眼を皿のようにあけた。

 男の腕が伸びて髪の毛を掴む。

嫌おうなしに引き起こされて、ヨロヨロともとに戻ると、バンザイの形に

ワキの下を露出させられた。

「ワキ毛は濃いほうか?」

「イ、イエ…」

指さきで柔らかい皮膚をつまんで詳細に点検する。普段は何気なく手入れして

いる部分だが、こうされると、気持が縮み上がるほど羞ずかしかった。

「ここは剃るな。そのほうがマゾらしいぜ」

 指を放すと、二・三歩よろめいて、美果は肘を上にあげたまま言った。

「ワ、わたし、ほんとにマゾですか…?」

「あたり前だ!」

 今日まで誰からも言われたことがない、断定的な宣告である。

「お前は滝沢美果じゃない。自分でそう思いこんでいるだけだよ」

 バシッ…、

 尻の双丘に容赦なくベルトが飛んだ。

「ヒェェ…」

「美果は仮りの姿だ。銀の鈴が真実のお前なんだぞ」

 痛さを忘れて、美果は、呆然と男の横顔を見つめた。

「ど、どうして…、それがわかるの?」

「俺が、変態だからさ」

突然、心臓が痺れるような感動が衝きあげてきて、美果は、くたくたと

絨毯に膝をついた。不思議な感動で、立っていることができないのである。

その背中に、鞭がまた小気味良い音で鳴った。

「ふつうの人間とは、思考回路が違う。マゾの女は、生まれたときからマゾだ」

 子宮の奥で、何か得体の知れない感覚が爆発した。

「ウワァァ…ッ」

何故かわからない。涙が止めどなく溢れ出してきた。波動が全身に伝わって、

美果は空中を浮遊しているような状態になった。

鞭が鳴るたびに、異様な叫び声を上げて絨毯を転げまわる。筋肉が痙攣して

爪先がヒクヒクと震えた。

「いやァ、イクッ、イクゥ…ッ」

 媚薬を嗅がされたように、媾合でイクときの数倍の悦楽がえんえんと続くのである。

 美果は魂が抜けたようになった。クリトリスが、まだ陶酔の余韻を引いている。

ガラガラに空いた横須賀線の座席の隅で、美果は、このまま引き返して哲彦の

ところに戻りたい衝動に耐えた。

三日目に辛抱できなくて、ポケットベルで呼んでみたが、哲彦からの応答はなかった。

 結局、次に逢えるまで、美果は一ケ月以上待たされることになる。

そして今日ようやく実現したのだったが、茂之が会社の緊急会議とかで

突然帰宅したのはこの直後である。

 翌朝の夫の出発は早かった。

玄関まで送って行くと、ボストンバッグを持ったまま茂之はふと怪訝そうな眼をした。

「おまえ、怪我をしたのか?」

「えッ…」

 ふくらはぎに、赤黒く変色した痣が残っていた。昨日の鞭のはずれ傷である。

「うんちょっと、ぶつけただけ…」

 それ以上詮索もせず出ていったが、美果はしばらく玄関に立ちすくんでいた。

 いつかは、バレるに決まっている…。

 不幸の卵をじっと温めているような気持だった。

 昼近くなって、ふと思い出して美果は昨夜夫が買ってきた土産の紙包みを開けた。

 あら…、

 忙しい中でこんな物を買ってきた夫の気持が、何だか別人のように思えた。

 それほど派手ではないが、胸に刺繍が入ったかなり高価なチャイナドレスである。

 着てみようかと立ち上がったとき、珍しく電話のベルに呼ばれた。

「俺だ」

「アッ、ハイ…」

 これまで、いくらポケットベルで呼んでも応答してくれなかった哲彦の声であった。

 しかも、昨夜別れたばかりである。

「もう一度出てこいよ。逢いたくなった」

「えッ、これから…?」

 嬉しさと驚きが交錯して、美果は受話器を持ったまま絶句していた。

「いやか」

「いえ行きます、行きますから…」

「午後1時、銀の鈴で良いよ」

 すぐに支度しなければ間に合わない時間である。

電話が切れると、美果はバスルームにとびこんで大急ぎでシャワーを浴びた。

朝、出ていったばかりの夫の行動が気になったが、それよりも逢いたいほうが

先であった。

背徳は、美果にとって一種の快感である。

 ちょっと迷ったのだが、美果はいま開けたばかりのチャイナドレスを

着て行こうと思った。

鏡に写してみると、カクテルグラスに似た腰の線がくっきりと浮き彫りになって、

これなら腕以外は、いくら身体に傷がついてもわからない。

 肘を上げると、あのとき以来伸ばしているワキ毛がゾッとするほど卑猥だった。

 電車のスピードがいつもより遅い。

ようやく5分ほど遅れて銀の鈴に着くと、美果のファッションを見て、

哲彦はほう…という顔をした。

「めしを喰おう」

「嬉しい、わたしもまだなんです」

 美果はウキウキと言った。

ゆっくりと食事の時間をとって、白のクラウンが東京を出たのは午後の3時を

少しまわったころだ。

どこか郊外のラブホテルに行くのかと思ったのだが、車は高速道路を美果の住む

逗子とは反対の房総半島の方向に疾走していた。

じっさいに走ってみるとわかるが、千葉県は驚くほど広い。ようやく海が見えて

きたときには、秋の日はもうとっぷりと暮れかけていた。

 九十九里有料道路、通称『波乗り道路』である。

眼の下が九十九里の砂浜で、その先に薄暮の太平洋が無限にひろがっていた。

台風が近づいているのか、2メートルもありそうな大波が絶え間なく打ち寄せている。

 逗子の内海とは比べものにならない壮絶な展望である。

波乗り道路を途中でおりると、車はまたしばらく、道路か砂浜かわからないような

道を走った。水平線にあった日没の光も、すでに消え去ろうとしていた。

「降りろ」

哲彦がライトを消した。これ以上進めば、車輪が砂に埋まってしまいそうな感じの

砂浜の真ん中である。

いったい何のためにこんなところまで来たのか、車を出ると秋の海風は鳥肌が

たつほど寒かった。

心細くなって振り向くと、はるか遠くに家の灯りが見えた。波乗り道路の照明と

流れる車のライトの他には、あたりに明るさというものは全くなかった。

「寒い…」

「待ってろ、いま暖ったかくしてやるよ」

 トランクから鎖と革のベルトを出すと、哲彦は鎖の先端を美果の首に巻いた。

「ど、どうするの、こんなところで…」

とたんに、グン…! と鎖を引かれて美果は前のめりになった。そのまま、

つんのめるように暗い海のほうに引きずられてゆく。

「やめてちょっと、ア、危ないから…ッ」

都会の女にとって、自然の暗黒は本能的な恐怖を喚び起こす。ラブホテルの部屋では

鞭に狂った美果が、暗闇の恐怖から逃れようとして別人のような反応を示した。

「アゥゥ、こ、怖い…ッ」

美果は夢中で、その場にしゃがみこもうとした。かかとの高いシューズが

いつ脱げたのかも気がつかなかった。

足もとの砂が湿っている。もう波打ち際が近いのである。そのとき、ドウッと音がして

砕けた波のしぶきが飛んできた。

「ウワァ、助けてェッ」

今にも巨大な波が覆いかぶさってくるような錯覚に襲われて、美果は砂の上に

四ッ這いになった。鎖を引かれているので、首だけ前に延ばしたままである。

「意気地なしっ」

後ろから、思い切り尻を蹴られた。続いてドレスの上から、ベルトの鞭が

したたかに背中を打った。

「ギャアッ」

「裸になれ、脱がないと海に放り込むぞ」

「カッ、カンニンして…ェ」

 美果は、泳ぐような恰好で上半身を起こした。

「脱ぎますッ、待って…」

真新しいチャイナドレスを生皮を剥ぐように脱がされて、べったりと砂の上に

尻餅をつく。太腿から、容赦なくパンティをむしり取られた。

「見ろよ、星が出てるぜ」

首の鎖を引かれて仰向けになると、本能的に股を広げた。まだ哲彦の肉塊を

受け入れたことがない。美果は、妖しい魔性の淫楽に身を委ねようとした。

「ぎぇぇぇ…ッ」

まだ腫れている肉のはざまに、突然ヤスリをかけられたような激痛を感じて、

女は人魚が波間で踊るように跳ねた。


<つづく><もどる>