(5)

 



   九、良人の正体

 美果は、呆然として走り去って行く車の音を聞いた。

 夫の茂之は、今ごろちょうど香港に着いた時刻である。

鎖りでつながれたまま、美果は長いこと玄関にうずくまっていた。鎖りはすぐに

外すことはできたが、何故か自分で取る気持ちになれない。

身体の奥に、まだ情欲の残り火が燃えていた。叩かれても打ちのめされても、

虐待が淫靡な悦楽に変ってしまう業火である。

これからどうなるのか、見当もつかない。

 哲彦は、夫が譲っても良いと言ったというが、

茂之がどうして異常な浮気を許してくれたのか、理解することができなかった。

妻のマゾヒズムを満足させるためのプレゼントだとはとても思えないのだ。

 何か、もっと別の目的が隠されているような気がする…。

 独りぼっちになって、美果はあらためて家の中を見まわしてみた。

すぐ横が十帖ほどの応接間で、革張りのソフアが置いてある。奥はダイニングルームと

キッチンになっていて、廊下を挟んで反対側に美果の化粧室と夫婦の居間兼寝室が

並んでいた。哲彦に犯された浴室とトイレは廊下の突き当りである。

 玄関の横に二階に上る階段があって、その階段の手すりに、美果はつながれていた。

二階には和室がふたつ、それぞれ独立した部屋で、ひとつは客用の寝室、もうひとつは

茂之が仕事上の書斎がわりに使っている。いわば、ごく平均的な文化住宅である。

この家でこれから何が起こるのか想像もつかない。それ以上に差し迫っているのは

美果自身がおかれている情況である。

陰毛を失ったことは仕方がないが、この頭では一歩も外に出ることができない。

誰かに見られたら致命傷であった。

哲彦がいつ戻ってくるのかも知らされなかった。監視するものは誰もいないが、

完全にこの家に閉じ込められている。ようやく事態の重大さを覚って、美果は慄然となった。

 その夜…、

美果は祈るような気持ちで哲彦のポケットベルを呼んだ。思ったとうり、深夜まで待っても

応答はなかった。

次の日も、また次の日も連絡が取れない。

 一日の大半を、美果は玄関と浴室で過ごした。

自分で手すりに鎖りをつないで、美果は哲彦からの電話を待ちつづけた。

夕方になるとバスルームに行って、丁寧に陰毛を剃る。ツルツルになった恥丘を化粧鏡に写して

そっと陰裂をひらくと、また新しい欲情がこみ上げてきた。

鞭の痕跡は消えかけていたが、青々としていた坊主頭が5ミリほど伸びている。鏡の中で

演じられた痴態を思い出して、オナニーしたい衝動を美果は身をよじって耐えた。

 毎日が、気が遠くなるほど長い。

玄関は、哲彦が鍵を掛けていったままである。不安と孤独と、猛烈な性欲にさいなまれて、

時おり気が狂いそうになった。

その頃から、もっと困ったことが起きた。

 米びつと冷蔵庫が空っぽになって、お菓子や非常用の乾パンまで食べてしまった。

トイレットペーパーがなくなって、便器にしゃがむたびに、尻の穴を洗面器に汲んだお湯で

洗わなければならなくなった。

空腹に妄想が重なって性欲がいっそう昂進する。鞭の痕も消えて、ホクロひとつない

臘人形のような身体が恨めしかった。

 日数にして、およそ2週間…。

 その日、美果は朝から冷蔵庫に最後に残っていたバターを舐めて過ごした。

 午後になって、突然それまで一度も鳴らなかった電話のベルに呼ばれた。

「モシモシ…ッ」

「ああ、私だ」

 電話にしがみつくと、香港から、茂之の落ち着いた声であった。

「は、はい」

 受話器を持った指が思わず固くなった。

「あさって、帰ることになった。仕事がうまくいってね」

「あさって…、ですか?」

「うむ、それで…」

 茂之が、ちょっと言葉を切った。それからゆっくりとした口調で言った。

「今度から、私の寝床は二階のほうに敷いておいてくれないか」

「………」

哲彦との関係が表面化してしまった以上、当然のことかもしれない。だが夫から

寝室を別にしてくれと言われたことは、やはりショックである。

「はい…」

短く返事をすると、電話はそれで切れた。

 事件が起こったのは、会社の緊急会議で茂之が臨時に帰国した夜のことであった。

今度はレギュラーの三日間のオフである。

明後日と言われても、美果には手の打ちようがなかった。

食べるものはないし、第一、イガ栗頭で夫を迎えなければならないということは、

美果にとって決定的なダメージである。

それでも、買い物に出かける勇気はなかった。電話で注文しても、受け取るとき顔を合わせれば

結果は同じことだ。

 翌日、美果は朝から何回も哲彦のポケットベルを呼んだ。

夜のうちに哲彦にこの家から連れ出してもらうことが、残された最後の手段だった。

それは同時に茂之との離婚と、哲彦の所有物になりきることを意味していた。

鉄板で炙られるような気持ちで、夜の明けるまで待ったが、哲彦からの応答は遂になかった。

何をする気力も失って、時間だけが無意味に過ぎていった。

夕方になって二階に布団を敷くと、美果は浴室でシャワーを浴びた。それからタイルに

うずくまって、けだるく股をひろげる。

カミソリを当てるとシャリシャリと微かな音が恥骨の膨らみで鳴った。美果はしばらくの間、

陰毛を剃ることに熱中していた。

 そのとき、突然ガタッとバスルームのドアが開いた。

「うぇ…ッ!」

引きつった顔を上げると、待ち続けてとうとう諦めるより他になかった哲彦が、

思いがけなく立っている。

 美果は、ワッと叫び声を上げた。とたんに涙が溢れ出して止まらなくなった。

「お願いッ、は、早く、どこかへ連れて行ってください…」

恨みごとを言っている場合ではなかった。

 夢中で足にすがりついて、口説くのが精一杯…。

「こ、今夜、主人が戻ってくるんです」

「そうだってな」

 哲彦が無表情に言った。

「いいから仕事を続けろ。終ったら頭も剃ってやるぜ」

「えッ?」

 哲彦は夫と連絡を取りあっている…。

 今日まで現れなかったのも、おそらくそのためであろう。

不意に眼の前で大きな扉が開いたような気がした。これは、初めから二人が共謀して

仕組んだドラマだったのだ。

「亭主のことは考えなくたって良いんだ。お前は自分のつとめを果たせ」

「は、はい…」

美果は再び股間を覗きこむような姿勢になった。嗚咽をこらえながら、大陰唇をつまんで

奥のほうまで注意深くカミソリを当ててゆく。残った陰毛を剃り取ってしまうと、

美果は肩を震わせて泣いた。心の中で、死ぬほど嬉しいのである。

「泣くな、頭を出してみろ」

 タイルに正座して頭を差し延べると、哲彦は西瓜を抱えるように膝の上に乗せた。

 ザリザリと異様な感触が脳天にひびく。

うつ伏せになっているので呼吸ができないほど苦しかったが、哲彦から受ける虐待は、

何故か身体の芯から濡れるのである。

「出来たぜ、鏡に写してみろ」

剃りおわって化粧鏡の前に立つ。腕を上げると、淫靡なワキ毛がクリーム色の肌を

淫らに引き立てていた。

「お前、ちょっと痩せたんじゃねえのか?」 

腹筋が凹んで、肋骨の下が平らになっている。

ようやく涙が止まって、美果は弱々しい笑いを浮かべた。

「もう少しで飢え死にするところだったの」

 あれから二日間、何も食べていない。

 事情を聞くと、哲彦は呆れ返ったような声を出した。

「馬ッ鹿やろう、そんなに腹が減っちゃ何もできねえぞ」

「大丈夫、わたしマゾだから…」

 美果はうっすらと笑った。

玄関の手すりに鎖りを繋いで、哲彦が何か買ってきてやると言って出ていったあと、

ここで食べたフランスパンの味を思い出して、ふと甘い気持ちになった。

「……?」

外から聞き馴れた靴の音が近づいてくる。 カシャッと玄関の鍵がまわった。美果は、

一瞬呼吸を止めた。

「あッ…」

入ってきたのは、やはり夫の茂之である。

「あらちょっと、素敵な家じゃない…」

その後ろから、背が高くて髪を茶色に染めた女が陽気に顔を出して、いきなりけたたましい

叫び声を上げた。

「ワッ、な、何なのよ、あれ…!」

 美果は、凍りついたように動くことができなかった。

    十、ミンクハウスのエル

玄関にうずくまっている白い動物にはよほど驚いたらしい。茶髪の女は、眼を丸くして

立ちすくんでいる。

「遠慮いりませんよ。どうぞ上がってください」

 茂之が穏やかな声で言った。

「私と同じ世界に住んでる女ですから、よろしかったら、ご自由にしていただいても結構です」

「マ、マ、マゾなの? この人…」

「はあ、そうだと思います」

会話はこれだけである。超ミニのスカートが、長くて均整のとれた太腿を見せて美果の頭の上を

スリ抜けていった。

 女はまるで犬を避けるような足取りで、茂之と一緒に応接間に消えた。

哲彦が戻ってきたのは、その直後である。

「なんだ、旦那が帰ってきたのか?」

「はは、はい」

 まだショックから立ち直ることができなくて、唇がワナワナと震えていた。

「ちょうど良かったじゃねえか、挨拶にいってこい」

 提げてきたコンビニの袋を三個、ドサリと廊下に投げ出して、哲彦が鎖りを解いた。

「ええッ、でも女のかたが…」

「ほう、お客さまかい」

 玄関に派手なハイヒールが横倒しになっている。

「お願い、な、何か着せて…」

美果は必死の思いで言った。茂之の前で、もう一度あの女に裸の肉体を見られるのは

たまらなかった。

「てめえまだプライドが残ってるのか、早く行けっ」

「あひッ」

 靴べらでバチッと尻を叩かれて、二・三歩前によろめく。

「は、はい…」

なかに入らなければ、どんな仕置を受けるかわからない。片手で陰毛のない股間を押さえて、

オズオズと応接間のドアを開ける。

「キャッ」

声を出したのは、茶髪の女のほうである。 ソフアの上で、超ミニのスカートを脱いで

大きく股を拡げているところだった。

 あわてて顔を伏せたが、瞬間、黒々とした陰毛が渦を巻くように盛り上がっているのが見えた。

「なによッ、びっくりするじゃないッ」

「ご、ごめんなさい…」

 反射的にドアを締めようとすると、後ろからドンと背中を突かれた。

「バカ野郎、ちゃんと挨拶をしろっ」

 部屋の真ん中までつんのめって、美果は棒立ちになった。

茂之が絨毯に尻餅をついた形で、ソフアの上に顔だけ仰向けにして女の尻に敷かれている。

こんな夫の姿は、これまで想像したこともなかった。

「いつまで突っ立ってるんだ!」

 ビシ…ッ、と太腿をプラスチックの靴べらでひっぱたかれて、美果はヘタヘタと絨毯に膝をついた。

「い、いらっしゃい…、ませ…」

 震えながら、ようやくそれだけ言うことができた。

「名前は?」

 哲彦が厳しい声で言った。

「美、美果…、と申します」

 突然、クリトリスに灼けるような感覚が起こった。肉唇の奥からムクムクとボッキがはじまる。

「この人、奥さんですか…?」

 茶髪の女が、茂之に性器を舐めさせながら言った。

「どうして頭の毛まで剃られちゃったの?」

 興味津々で美果を見つめているのだが、声は哲彦に話しかけている。

「本人の希望だ」

 ぶっきらぼうに言って、剃りあげたばかりの坊主頭を鷲掴みにすると、ぐいと顔を正面に向けた。

「いい女だろう。今どき、こんなマゾは珍らしいぜ」

「羨ましい…」

女もかなり発情しているようだ。顔の上で腰を揺すりながら、うわずった声で言った。

「私ってマゾっ気もあるのよ。ほんとに…」

「お前、どこの女王様なんだ」

「『ミンクハウス』のエルです。よろしくお願いします」

ミンクハウスというのは、どこかのSMクラブであろう。肩まである茶髪をかき上げて

女は神妙に頭を下げた。

「キャリヤは長いのかい」

「それほどでもないけど、でも変態で困まっちゃう」

 エルは、無邪気に笑った。

 まだ若い。20才を出たばかりで、こんなゲームが面白くて仕方がないといったインラン娘である。

「こいつのおまんこに触って見るか?」

「エッ、いいの」

ためらいもなく立ち上がると、腰の周りに夏の日焼けのあとがクッキリと残って、

スタイルは抜群に良い。

「やらせて、私、女の人も好き…」

 現代ッ子というのか、エルには最初から羞恥心が欠除しているようであった。

「おい、女王様におまんこを触ってもらえ」

「ギェ…ッ」

 ビシャッと尻ぺたで靴べらが鳴った。

神経が痺れて、美果は痴呆のように抵抗力を失っていた。四ッ這いになって、ヨタヨタと

身体の向きを変える。

「うわァ、すごい…」

 ミミズ腫れの浮いた尻を上げると、後ろから指を入れて、エルが嬌声を上げた。

「すごく濡れてる。私、こんなになったことないわよ」

爪を1センチも延ばしているので、粘膜をメスで切られるような刺激があった。しなやかな

指でクリトリスを弄ばれると、恥かしい声を出すまいとして、美果はギュッと眉をしかめた。

「けっこう感じてるじゃねえか、相当飢えていたな」

 表情の変化を観察しながら、哲彦が残酷に言った。

「もっと、奥まで突っ込んでみな。イクかも知れねえぞ」

「ほんとに気持ち良いの? この人…」

 ナイフのような爪が、遠慮なく子宮の底部をえぐった。

「うッ、アア…ッ」

 内腿がヒクヒクと痙攣する。美果は唇を噛んで、感覚が爆発しそうになるのを必死に耐えた。

「幸せかね…?」

 茂之が、若い妻の側によって、頭を撫でながら言った。

「………」

 虚ろな視線で夫を見上げる。

 まだ背広を着たままで、エルの尻に敷かれたあとの唇のまわりが少し赤くなって膨らんでいた。

「あ、あ、あなた…」

「何回でもイカせて頂きなさい。私は二階で寝る」

 ビシィッ…!

 哲彦が、激しく靴べらの鞭を加えた。

身体の中心で何かがはじけた。得体の知れない波動が全身に広がって、美果はたまらず

背中を弓のように曲げた。

「アいくう…ッ」

 びっくりして、エルが指を抜いた。

「どッどうしたの…?」

「見ろよ、こいつ身体中がおまんこだぜ」

 のけ反って腹をみせたところに、猛烈な鞭の雨が降った。

「ウッ、ウゥゥ…ッ」

白い肉の塊りがピンクのまだら模様になって絨毯を転げまわった。腰を跳ね上げると、

割れた陰裂のはざまからクリトリスが僅かに顔を覗かせている。固いプラスチックの靴べらが、

その上でバチッと高い音を立てた。

「ギャァァ、いく…」

クリトリスがイッているのではなかった。全身が強い酒に酔ったように狂うのである。

 豊かな陰毛をまさぐりながら、エルは瞬きもせずそれを見つめていた。

 やがて、美果が動かなくなると、茂之は無言で部屋を出ていった。

「おい、早くスポンサーのところに行ってやれ」

「アッ、ごめんなさい」

 未練そうな顔をしたが、エルはあわてて茂之のあとを追った。

 二人が去ったあと、美果は突っ伏したまま何時までも肩で息をしていた。

 酔いが全身にまわって、括約筋が淫らな収縮を繰り返していた。

「お前、腹がへっているんだったな」

 哲彦が、思い出したように言った。

「今のうちだ、食えるだけ食っておけ」

コンビニの袋からサンドイッチを出して、口に押し込む。嚥みこむことができなくて、

美果は反対に吐きそうになった。

「だらしがねえ、こっちを向け」

顔を捩じって、口うつしに甘いジュースの味が流れこんできたとき、ようやくはっきりと

意識を回復することができた。

 そのとき突然、二階でズシンとものの倒れる音がした。

「何やってるのさッ、そんなんじゃイカないわよ。もっとしっかりお舐めッ」

甲高いエルの声が聞こえ、美果はギョッとして天井を見上げた。



<つづく><もどる>