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    二十三、見知らぬ乗客

 クリトリスを鎖で引っ張る感触は、この上もなく卑猥だった。

 生イカの肉に釣針を引っ掛けたような感じで、強く引きすぎると

ブチッと切れてしまいそう。

 美果は、黙って麻耶の腰を抱いた。冷たくて固く引き締まった

筋肉である。思わず唇をつけたくなるような衝動を、美果はやっと耐えた。

 麻耶も、同じ思いだったに違いない。

 だが、お互いにそれ以上肉体をさぐり合うことはなかった。抱き合って

いるだけでありきたりの愛撫よりはるかに快感があった。

 その夜、美果はたった一枚の毛布にくるまって、とりとめもない妄想に耽った。

 麻耶が、哲彦の指令で動いていることは間違いなかった。

 このビルのどこかにいる筈なのに、どうして部屋に来ないのだろう…。

 いったい哲彦とどういう関係にあるのか…。

 夫の茂之は、本当にこの変態クラブのメンバーだったのだろうか…。

 あれこれと考えてみても、異常な人間関係の中で、美果は自分が

今どの位置に置かれているのかさえ良く解らなかった。

 背中に、まだ麻耶の髪の毛の感触が残っている。新品だった毛布に

いつの間にか女の脂と体臭がしみついていた。寝ている間に洩れた

生理の血があちこちに付着して、赤黒い汚点になっているのが厭わしかった。

 ぼんやりと物思いに耽りながら、美果はやがて不安定な眠りに落ちた。

 それからまた、三日間、何事もなく過ぎた。

 クリーム色の肌に残っていた鞭の痕もすっかり消えて、面倒だった

生理も終った。相変わらず麻耶が食事を運んでくれたが、詳しいことは

何ひとつ聞けなかった。

 いつ鉄の扉が開いて、また凶暴な狼が餌を求めて入ってくるかも

知れないと思うと、毎日が途方もなく退屈で、しかも恐怖と不安の連続である。

 四日目? の夜…、

 そのとき、美果はウトウトと眠っていたようだ。いきなりガツンと腰を蹴られて、

跳ね起きるほどのショックで眼を覚ました。

「あ、あ…ッ」

 眼の前に、革のジャンバーを着た哲彦が幻のように立っていた。

 夢中で男の足に縋ろうとしたが、前のめりに空を掴んだだけである。

「仕事だ。支度しろ…!」

「ええッ?」

「出張だよ。大阪まで行ってこい」

「……?」

 何を言われたのか、まったく理解することができない。美果は呆然と

哲彦を仰いだ。

「わ、わたし一人で…?」

「そうさ、子供じゃねえだろう」

 美果の狼狽にはお構いなしに、哲彦は足もとにボストンバッグをほうった。

「これを着ていけよ。まさか裸で外に出すわけにもいかねえからな」

 何を聞いて良いのかわからず、美果はオロオロとボストンバッグを開けた。

出てきたのは旅行用の一式セットと、男もののジーンズに白いセーター、

それに古いスニーカーである。肌着も男性用で、ブラやパンティなど

女が身につけるものはなかった。

「その頭じゃ、女の格好は無理だろう」

 哲彦が笑いながら言った。

「仕様がねえから男のマネをして行け。案外似合うかもしれねえ」

 言われてみれば、10日ほどの間に丸坊主がイガ栗頭になっている。

背中まである麻耶の髪の毛とは大変な違いである。

 この姿で、大阪へ…?

 Gパンを手に持ったまま、美果は立ちすくんでしまった。

「早くしろっ。グズグズしていると新幹線に間に合わねえぞ」

「エッ、はい」

 哲彦に急かされて、嫌おうなしに素肌にGパンをねじこむ。

 セーターを着ると下からこんもりと乳房が盛り上がって、男だか女だか

わからない妖しげなスタイルになった。小柄なので、体型は中学生くらいの

美少年だが、顔立ちはどう見ても女である。男装というにはあまりにも

アブノーマルな雰囲気であった。

「思ったよりデカいオッパイだな」

 哲彦が、セーターの上から無造作に乳房を握って揺さぶりながら言った。

「ジャンバーを貸してやるよ。少しは男っぽく見えるだろう」

 哲彦が革のジャンバーを脱いで肩から掛けると、ガバガバだが、

どうやら胸のふくらみは隠すことができた。

 微かに男の匂いがするジャンバーを着せられると、美果は心を決めた。

どうせ、なるようにしかならないのである。

「あ、あの…。わたし大阪に行って何をするんですか?」

「知るか、何をされたって文句を言うんじゃねえぞ」

「で、でもあの…」

「向こうに着けば、誰か迎えにきているよ。心配することはねえさ」

 こともなげに言って、哲彦は新幹線のチケットを渡した。13時10分発、

大阪行のひかり号である。

「い、いま何時ですか?」

「もうすぐ12時半だ」

「エェッ」

「だから、早くしろと言ったろう!」

 あとは何を聞くヒマも確かめる余裕もなかった。夢中でビルの裏口を

とび出す。あの晩素っ裸で連れ込まれた鉄の扉である。

 ビルを出ると、外には明るい午後の陽射しと、眼がまわりそうな

新宿歌舞伎町の人の流れがあった。

 ジャンバーの中でブラジャーをしていない乳房が激しく揺れる。

なりふり構わず、美果は駅に向かって走った。

 新宿から東京駅の新幹線ホームまで40分たらず、ようやく間に合って

美果はホッと息をついた。

 指定された席を探している間にドアが締まって、列車が動き出す。

 座席番号は13のA、つまり二人掛けの窓際である。隣りにはもう客が

座っていて、のんびりと週刊誌を読んでいた。

「失礼します…」

 女であることを悟られないように、美果は出来るだけ小さな声で言った。

あまり垢抜けしない初老の男がチラリと視線を上げたが、無言で

身体をずらしてくれた。

 哲彦のジャンバーにすっぽりと身体を埋めて、美果はなるべく隣の客に

顔を見られないように窓のほうを向いた。

 風景が流れるように飛び去って行く。

 列車のスピードがあがると、心細いというより、急に焦りに似た不安な

気持がこみ上げてきた。ひかり号は東京を出ると名古屋まで停まらない。

もう引き返すことはできないのである。

 九十九里の海岸に行ったときも、逗子の家から第三京浜を車で

運ばれたときも、これまではいつも哲彦が一緒だった。だが今は

頼りになるものは誰もいない。

 顔も名前も判らない変態性欲者のオモチャになるために、あてもなく

新幹線に乗っている自分の神経が怖ろしかった。

 哲彦は迎えにきてくれる人がいると言ったが、もし逢えなかったら

どうしよう…。

 渡されたのは片道のチケットだけ、現金は持っていないのである。

 アッと思うまもなく、新横浜の駅が斜めになって視界から消えていった。

 そんな筈はない…!

 不安な気持を強いて打ち消して、美果は窓の外に眼をこらした。

 あの人は、必ずどこかで手を打ってくれるに違いない…。

 それでなければ、哲彦が一人で新幹線に乗せるわけがないのだ。

そして、確かにそのとうりだったのである。

「あんた『銀の鈴』やろ」

 ふと、耳の後ろで低く囁くような大阪弁が聞こえた。とたんに、美果は

全身が金縛りにあったように動けなくなった。

「遠慮せんかてええ、こっち向きなはれ」

 銀の鈴というのは、美果が以前SMの雑誌に投稿したことのある

ペンネームである。夫の茂之と哲彦以外には誰も知る筈のない名前だった。

「………」

 カラクリ人形のようなギコチない動作で、美果は視線を隣りの席の

男に向けた。

「ふむ、思ったよりええ女や」

 週刊誌に眼を落としたまま、垢抜けない初老の男がつぶやくように言った。

「間に合うてよろしかったな。危ないところやった…」

 それから、ゆっくりと顔を上げた。

「銀の鈴はマゾの星から来た女やて…、ほんまかいな」

 哲彦に渡されたチケットの意味を、美果はようやく理解することができた。

 出迎えは大阪駅で待っているのではなく、東京を出たときから美果は

一人ではなかったのである。



    二十四、大阪の宿


「お、お名前を…」

 美果は、喘ぐように言った。

「そやな、三吉とでもしておこうかい」

 もちろん本名ではあるまい。

 だが今は、この男が新しい支配者であることは間違いなかった。

哲彦とは年齢もタイプも違う。如何にも大阪人らしい実利的な感じの男で

ある。それでも美果は心のどこかでホッと一抹の安堵のようなものを感じた。

「前を開けてみなはれ」

 三吉と名乗った男が、腕を伸ばして美果の背もたれを倒しながら言った。

「えッ」

「そのズボンは男物やろ。前を開けてみなはれ」

「こ、ここで…?」

 リクライニングになった姿勢で、美果は瞬きもせず顔を三吉のほうに向けた。

「誰も見てやへんがな。少し遊んだろ」

「は、はい…」

 まるで催眠術にかけられたように、美果はジッパーをおろした。

その下には何もつけていないのである。

 ジーンズの前がVの字にひらくと、ジャンバーで下腹の白さを隠すのが

精一杯だった。

「ほう…、いい子や」

 新幹線の車内で、それは異様なスリルと緊張をともなうゲームだった。

 真ん中の通路を、ひっきりなしに乗客や売り子が往復する。その合間を

縫って、無遠慮な男の手が伸びてきた。

 並んで腰掛けているので、男は指を奥まで入れることができない。

 黙って、美果はわずかに股を拡げた。

 哲彦に責められることのみを悦びにしていた肉体が、いつの間にか

他の男に弄ばれることにも馴れはじめている。美果には、それが哲彦に

奉仕しているのと同じことのように思えた。

 車内はほとんど満席で、声を上げることができない。

 不器用に穴のまわりを掻きまわされ、クリトリスを圧し潰すように

揉まれると、その度に腰をよじりたくなるような衝撃が伝わってくる。

淫靡な感覚をそらそうとして、美果は身体の震えをこらえながら、

焦点のない視線で外の景色を見つめていた。

「こんなところで触っても、けっこう感じるもんやな」

 三吉が、伸びかけた陰毛を摘んで引っ張りながら言った。

「ええおめこや、さすがにオーナー御推薦のことだけはある」

 ドキッとして、美果は男の横顔に視線を戻した。オーナーというのは、

もちろん哲彦のことである。

「あ、あの…」

 美果は、おそるおそる聞いた。ただ哲彦の気持だけが知りたかった。

「オーナーは、何かわたしのことを…?」

「さあ…」

 車内販売のワゴンを押した娘をやり過ごすと、三吉はまたジャンバーの中に

手を差し込みながら言った。

「銀の鈴いうたかて、ただのメスや。どう使うても構めへんのやろ?」

 三吉は御推薦と言ったが、早い話が、美果の気持とは関係なしに

この男のオモチャにされるのである。それが冷酷な哲彦の意思なのであろう。

 指がクリトリスに当たって、思わず身体を固くしたとき、上りの列車が

窓を叩くような勢いでスレ違っていった。

「あッ、あふッ」

 突然、ジャンバーの胸が大きく波を打った。それまで緊張してこわばっていた

括約筋がムクムクと膨らんで、淫汁がドッと溢れ出してきた。

「なんや、もう興奮しよったんか」

 捕らえた獲物の感触を楽しむように、三吉が乱暴に指を動かしながら言った。

「イッてもええんやで、ここでイケるもんならイッてみいな」

「ウウム…ッ」

 窓の外を、新静岡の駅がアッというまに後ろに飛び去っていった。

だが、美果にはもう外の景色を眺めている余裕などなかった。

 ときどきピクピクと腰を震わせながら美果は男の指の暴力に耐えた。

 もう少しで感覚が爆発しそうになると、通路を人が通る。

 三吉がさり気なく指を離すと、快感が身体の中を逆流した。クリトリスが

内側に向かってイッている感じである。触られているほうがむしろ楽であった。

 身体を起こそうとしても筋肉が固くなって動くことができない。列車が

名古屋を出るころには、乳房の谷間がベットリと脂汗で濡れていた。

 幅1メートルに足りない空間に仰向けになったまま、執拗な指責めは

大阪に着くまで続いた。

「そろそろ終点やで…」

 三吉がジーンズに汚れをなすりつけながら言った。

「指先がフヤケてもうた。おまえ何回もイッたんと違うか?」

「………」

 本当にイッたのかどうか自分でも良くわからないが、身体中に重苦しい

快感の残り滓が溜まっていた。

 立ち上がるとき、思わずよろめいて男の膝に左手をついた。その腕を

がっちりと掴まれて、新幹線のホームを歩く。

 美果にとって、大阪は未知の街であった。

 駅を出ると、三吉がすぐにタクシーをひろった。どこをどう走ったのか、

着いたところは粗末なモルタルの二階建てが立ち並ぶ場末の工場街である。

 そろそろ夕方に近くなって、町全体がくすんだような色をしていた。

「ここや…」

 表の戸を開けると内部は一階が作業場になっていて、わけの判らない

機械や金型などが置いてある。家中に強い機械油の匂いが染みこんだ

町工場だった。

「上がんなはれ」

 言われるままに、美果が古いスニーカーを脱ごうとしたときであった。

二階から突然女の声が聞こえた。

「あら、もう帰ってきたん…?」

 びっくりして顔を上げると、出てきたのは如何にもおばさんといった感じの

腰まわりの太い女である。

 美果を見るとちょっと怪訝そうな顔をしたが

「なんや、女の子かいな」

 ぶっきらぼうに言って、ふふん…と鼻の先で笑った。

「いやらし、けったいなスタイルやな」

「家内のはま子や」

 三吉が、あっさりと言った。

「エッあの…、わ、わたし…」

 言葉に詰まって立ちすくんでいると、女は意外と気さくな調子で言った。

「ま、お上がり、汚いとこやけど…」

 言葉はぞんざいだが、べつに悪意を持っている様子ではなかった。

 はま子の後について急な階段を上がると、二階が住居になっていて、

家具は古いが小綺麗にかたづいた部屋であった。

「ゆっくりしなさいよ。疲れたやろ」

 三吉が美果を連れてくることは初めからわかっていたような口振りである。

真ん中にちゃぶ台があって、伏せたコップとビールの大瓶が立っていた。

「あのわたし、ご迷惑を…」

 美果は、あらためて両手をついた。

「挨拶はいらへん、乾杯や」

 三吉がビールの栓を抜いて、泡がこぼれそうになるほど注ぎながら言った。

「遠慮せんと、こっちにおいで…」

 腕をたぐり寄せて、強引にコップを唇に当てる。美果は反射的に

手足を縮めた。

「アッ、ウプッ」

 はま子の前では、恥ずかしいというより恐ろしかった。それでなくても

先刻まで三吉に性器をなぶられてきた身体である。

「どや、うまいやろ」

 三吉が、残ったビールを気持ち良さそうに飲み干す。

「今夜は水入らずや。じっくりと遊ばせたるで…」

「で、でも、奥さまが…」

「かめへん、承知の上や」

 肩を抱き寄せてセーターの中に腕を突っ込みながら、平然と言った。

「久し振りやさかい、家内も楽しみにしとったんや」

 美果は、ぼう然とはま子を見た。何の変哲もないおばさんだが、この女もまた

変態者なのだろうか…。

「いいお乳してるやないの。男は喜ぶやろ」

 亭主が美果の乳房を弄んでいるのを見て、はま子は薄い笑いを浮かべた。

「あんたも物好きやねえ」

 亭主のコップに二杯めのビールを注いでやりながら、はま子は何かを

予告するように言った。

「この人変態やから、酷い目にあうよ。それでもええの?」

 三吉の腕から逃れることも出来ず、返事のしようもなくて、美果は声をのんだ。

「あんた、風呂に入れてからのほうが良いんやないの?」

 その様子を無遠慮に観察しながら、はま子はちょっと眉をひそめた。

「この子汚れてるで…、匂うわ」

 女は、女の匂いに敏感である。美果は無言でうなだれるより他になかった。



<つづく><もどる>