三十一、淫神のきずな
男たちの好奇と羨望の視線を逃れて、美果は小走りにレヂの横を抜けた。
「麻耶さん…!」
一瞬まぶしそうな眼をしたが、店の外に出ると、麻耶は軽く指を握り返して
囁くように言った。
「どうぞ、こちらですから…」
表面は相変わらずの従業員言葉である。
エレベーターの前を横切って反対側に行くと、同じ7階のフロアに
もうひとつ目立たないドアがあった。
『乙女ビル管理事務所』
麻耶が、かたちばかりのノックをしてドアを開けた。何を考える余裕もなく
なかに入って、美果は竦んだように足を止めた。
「やあ、帰ってきたか…?」
正面の古風な大型デスクの向こう側から、哲彦が笑いながら顔をあげた。
このビル全体のテナントを管理している事務所なのであろう。右の窓際に
応接セット、左の壁に沿って書類棚やロッカーが並んでいる。それほど
広くはないが、こじんまりと整った事務室である。美果が初めて見る、哲彦の
オフィスであった。
「どうだった、面白かったろう」
何と返事をして良いのか…、あれほど会いたかったのに、全身が痺れて
動くことができない。生まれながらの被虐者としての習性である。
「まあ、そこに座れ」
哲彦は上機嫌に言った。
麻耶がいたわるように身体を支えて、応接セットの長椅子に掛けさせてくれた。
「タップリと可愛がられてきたか?」
「は、はい…」
顔を伏せたままうなずく。
美果にとって、哲彦は恋人というより苛酷な支配者であった。
初対面でいきなり悶絶するほどの鞭打ちを受けたときから、美果は
嫌おうなしに人妻という夫の専有物の立場を捨てなければならなかった。
不貞を承知で哲彦にすべてを捧げるようになって、やがて三ケ月になる。
丸坊主にされて夫の眼の前で失禁するまで責められたあげく、このビルの
地下室に幽閉されたことも、倉庫部屋でのさまざまな出来事や大阪で
オバタリアン女王様の生け贄になったことも、すべて哲彦の意思なのである。
夫の茂之が共犯者であったことが判ったのはつい先刻、大阪から戻って
乙女座のサロンに麻耶を訪ねてからのことだ。
『銀の鈴』という名前が、本人に代わって変態性欲者たちの間で
クローズアップされていたことも意外だった。
だが今ここでうなだれている銀の鈴…、つまり現実の美果は、決して
乙女座の会員が想像しているようなきらびやかな存在ではなかった。
小柄で臆病な、特異な性欲を持ったメス人間である。
「その恰好じゃ、もう可哀相だな」
哲彦が、ロッカーからかなり大きなダンボールの箱を出しながら言った。
「ここで良い、着替えさせてやれ」
麻耶が受け取って、まだ荷造りしたままになっている箱をあけた。
出てきたのは真紅のハイヒール、赤でコーデネイトされた下着類…。
それに逗子の家で夫からプレゼントされたのと同じ、ビーズの刺繍がついた
チャイナドレスである。
ひとめ見て、美果は息をのんだ。
疑うまでもなく、これは茂之が任地の香港から銀の鈴のために
送ってきたコスチュームなのに違いない。
「どうぞ、着替えてください」
麻耶がそっと肩に手をのせて、男ものの革ジャンバーを脱がせた。
その下は白いセーターに肌着一枚である。
「すいません…」
セーターを脱ぐとき、麻耶の細い指がさり気なく乳房の下を撫でた。
膨らみを8の字に括られたときの条痕である。思わず身を縮めたとたん、
クリトリスがビクッと震えた。それは、同じマゾの女どうしの一瞬の交流であった。
上半身裸になると、大阪で縛られたロープの痕が、あちこちに青黒い痣に
なって残っていた。
「あ、自分でします」
ジーンズのファスナーにかかった指を、美果はあわてて抑えながら言った。
「あの、汚れてますから…」
「いいんです、気になさらないで…」
Gパンがワレメに食い込んでいる。
「私、あとで洗いますから…」
麻耶が剥がすように膝の下までおろすと、パンティを穿いていないので、
乙女座の会員たちに囲まれたとき洩らしたヌメリがべったりと布地に
付着していた。
「ご、ごめんなさい」
顔から火が出るような思いで、美果は急いで足もとにあった緋色の
パンティを手に取ろうとした。
「待て…」
デスクの向こうから、哲彦が思いついたように声をかけた。
「そんな汚れた身体で、新しいものを穿くやつがあるか」
「えッ、はい…」
「麻耶、おまんこを舐めてやれ」
哲彦は、こともなげに言った。
「ハイ…」
パンティを持ったまま、ギョッとして振り向く。視線があうと、麻耶の
鳶色の瞳がまぶしそうに笑った。
「あ、あの…」
うろたえて、美果はまた縋るように哲彦のほうを向いた。
「わたし麻耶さんには、とても…」
「遠慮することはねえさ。メス同士でジャレあってみろ」
「ええッ、でも…」
何故か、麻耶は犯してはならないタブーのような気がする。
「美果サマ…」
ハンカチで口紅を拭き取って、麻耶がささやくように言った。
「あの、楽になさってください…」
まるで看護婦のような動作で、長椅子に仰向けにされると、美果は
フッと気が遠くなるような陶酔を感じた。
麻耶の眼の前に性器をさらすのは、これが二回目である。地下の倉庫部屋で
抱き合ったとき、しなやかな指で子宮の壁まで洗って貰ったのだが、それ以来
二人の間には誰にもわからない心のつながりがあった。
もしかしたら、ふたりとも淫神の胎内から産み落とされた姉妹なのかも
知れない。愛情というより、性欲がシャム双生児のように結ばれていた。
鳶色の瞳の美少女が自分と同じ被虐愛好者であることさえ不思議なのに、
この深い絆はいったい何なのだろう…。
大切な美術品を扱うように脚を広げて、唇がそっと内腿の肉に触れたとき、
美果は快感をストローで吸い取られるような気がした。熱い痺れが、
クリトリスから全身にひろがってゆく。柔らかい舌の感触が粘膜を這いまわって、
やがて身体中の血が沸騰しようとしていた。
「眼を開けろ、まだ話があるんだ」
「ううむ…」
いきなり頬を打たれて、美果は虚ろな視線を上げた。
下半身を麻耶に任せたまま、ようやく顔だけ哲彦のほうに向ける。
粘膜からプツプツと快感の泡が噴き出して、耐えているだけで
精一杯なのである。
「いつまでも、ここに置いておくわけにもいかねえからな」
そんなことにはお構いなしに、哲彦が仕事の話でもするような調子で言った。
「今夜は逗子の家に帰れ」
「ええッ」
「大阪にも行ってきたことだし、このへんがそろそろ潮時だぜ」
とたんに、耐えていた括約筋がギュウッと収縮した。ほとんど無意識に
のけ反って、美果はまばたきを忘れたように哲彦を凝視した。
「か、帰さないで、お願い…」
「わがまま言うんじゃねえ。まもなく旦那が香港から戻ってくるころだぜ」
「あ、いく…」
神経がバランスを失って、いきなり快感の放出がはじまった。
麻耶の舌が蕩けるようにクリトリスに絡みついて、滲み出してきた
粘液を吸い取る。
「麻、麻耶さん、助けて…ッ」
こらえようとしても、いちど破れた堤防はもう塞ぐことができなかった。
「いく、いくッ」
乳房がブルブルと震えた。身体と頭がバラバラになって、それぞれが
別の方向に回転していた。
「もう一度、家に帰って出直してこい」
手に乗馬鞭を持って、哲彦が、ゆっくりとソフアに腰を下ろしながら言った。
「乙女座のメンバーが騒いでいたろう。お前は『銀の鈴』だぜ」
三十二、スター誕生
「わ、わたしそんな…」
いつの間にか、自分がこの世界でたぐい希れなマゾヒストとして
持て囃されていることに美果は戦慄した。
「銀の鈴はマゾの国から来た女だ。いつだったか、美果は仮の名前だと
言ったろう」
「は、はい…」
それは、初めて哲彦から鞭の洗礼を受けたとき宣告された言葉である。
「今度は銀の鈴としてこの店に来い。後戻りはできねえんだぜ」
バチッ…!
美果は、背中に激しい衝撃を感じた。ほとんど夢遊状態になって
美果は眼を宙に据えた。
ビシィ…ッ!
打たれているのは、太腿の間に蹲っている麻耶なのである。残酷な音を
楽しむように、エナメルのバニー衣装の背中で哲彦の乗馬鞭が炸裂した。
だが美果には、その度に肌を裂かれるような衝撃があった。
「麻耶さん…ッ」
股を直角に広げたまま、美果は上半身を起こそうとした。
「は、放して、もう止めて…」
それでも麻耶は唇を離そうとしない。身をよじって激痛に耐えながら、
クリトリスへの奉仕を続けている。
「あ、あ、いく…ゥ」
突然、腹筋が海老のように跳ねた。
感覚が登りつめてしまうと、あとは波に揺られる小舟のように、淫楽の海に
漂うばかりである。いつイッているのか、苦痛と快感の境い目がなかった。
「変態なら変態らしく、どこに出しても恥かしくない猥褻な女になってみろ!」
その瞬間、哲彦の鞭がしたたかに麻耶の背中を打った。
「プハッ…」
麻耶が身をよじってクリトリスを噛んだ。淫楽の精気がドッと溢れ出して、
直接麻耶の咽喉の奥に流れ込んでいった。
内股の筋肉を激しく痙攣させて、肉体だけがイキ続けた。ようやく腹筋の痙攣が
収まって麻耶が顔を上げると、頬から顎にかけてべったりとヌメリが光っていた。
朦朧として、美果は起き上がることができなくなっている。
「美果サマ…」
クリトリスが余韻をひいて、まだヒクヒクと蠕動している。麻耶は、愛しいものを
見るような微笑を浮かべた。
それから、ちょっと心配そうな顔で哲彦に視線を向けた。
「もういい、服を着せてやれ」
鞭の先に緋色のパンティを引っかけて、哲彦が無造作に足もとにほうった。
「マゾのメスだ。すぐ立ち直るよ」
麻耶がパンティを拾って、そっと伸びかけの陰毛の上に置いた。
ようやくわれに返って、美果は幻を追うような眼で麻耶を見つめた。
まだ信じられない。確かに鞭の衝撃があったのである。
あれは錯覚だったのだろうか、それとも二人の性欲が完全に溶けあって
起こった現象なのだろうか…。
唇の汚れを拭いて、麻耶が広げたままになっている美果の脚を閉じる。
それから腕を伸ばして抱き起こそうとした。
「ご、ごめんなさい…」
美果は、あわてて身体を起こした。
「早くしろ!」
「あ、はい」
珍しく、麻耶が弾んだ声で言った。
やはり、強い血のつながりを感じるのであろう。初めて美果と一体に
なれたことが何よりも嬉しいのである。
精気を吸い取られたあとの足もとはまだフラついていたが、麻耶が手伝って
きっちりとブラジャーをつける。久し振りにパンティを穿くと、何となく
違和感があった。
何故か、陰毛を露出しているときと違ってひどく恥かしいのだ。
性器を弄ばれることに馴れて、隠しているほうがむしろ不自然であった。
羞恥の感覚がいつの間にか逆転している。美果は少女のように頬が赤くなった。
緋色のパンティの奥で、クリトリスはまだ膨脹したままである。
夫の茂之が香港から買ってきたチャイナドレスは九十九里の海岸で
砂まみれにしてしまったのだが、それと同じタイプの赤を基調にしたドレスを
着ると、身体の線がくっきりと浮き彫りになった。
小柄だが、胴のくびれが美事である。
深く切れ込んだ脇のスリットから、太腿がいっそう白く見えた。
髪の毛はまだ3センチほどしか伸びていないが、それがかえってアブノーマルで
中性的な魅力をかもし出している。
「羞ずかしい…」
つぶやいて、美果はまた身体をちぢめた。
「美果サマ、お化粧なさいますか?」
麻耶が、さり気なく言った。
「エッ…?」
それは思いがけない提案であった。
逗子の家を出てから、美果は一度も化粧をしていない。素顔に自信が
あるわけではないが、弄ばれる身として、それがあたり前だと思っていた。
「あの私、持ってますから…」
「ちょうどいい、貸してやれ」
哲彦が自分のデスクに戻りながら言った。
「すいません…」
美果はうなずくより他になかった。
麻耶の化粧品を借りて、差し出された手鏡をたよりに薄く口紅を引き、
眉を描く。鮮やかな成熟した女の顔が甦ってきた。
そのとき、美果はふと想像もしていなかったことに気づいた。
これは、今までの自分ではない…!
小さな手鏡の中に写っているのは、見違えるように淫蕩な女の顔であった。
美果は、またたきもせず鏡を見つめた。
以前、哲彦に自宅の化粧鏡の前でアナルを破られたことがある。
自分自身のマゾ性と対決して、美果は鏡の中でもがき苦しむ女の顔を
目撃した。それは一幅の淫ら絵のように、凄惨な純愛の構図だった。
現在の美果は、美しさや肌の艶はかえって増しているのかもしれない。
だがあのころの初々しい面影はもうなかった。
見る人が見れば、それは紛うことなく真性マゾの顔なのである。
狂ったように絶頂に達した直後とはいえ、眼の中にマゾの快楽を知った
女の淫らな陰影がたな引いている。
「麻耶さん…」
美果は呆然と顔を上げた。
「わたし、変態に見えますか…?」
「いえ…」
麻耶は、ちょっと困ったような眼をした。
「でも、素敵です」
わずか三ケ月ほどの間に、もって生まれた肉体的な感覚ばかりでなく、
美果は精神的にもあきらかにマゾとしての変貌を遂げているのだった。
「終ったら、みんなに顔を見せてこい」
哲彦が、自慢のペットを品評会に出すように言った。
「銀の鈴が現れたら、連中は驚くぜ」
「は、はい…」
美果は、おぼろげながら哲彦の目的を理解することができた。
今となっては、銀の鈴は単純な慰みもののペットではなかった。いわば、
乙女座という名の変態クラブの象徴なのである。
麻耶が跪いて、真紅のハイヒールをはかせてくれた。
パンティから足の先まで、微妙なコントラストの赤づくめだった。この姿で
もう一度男たちの視線を浴びるのは厭わしかったが、哲彦の命令は
絶対であった。
「ご案内いたします」
いつもの訓練された従業員の顔に戻って、麻耶が言った。
事務所を出ると、外の空気が冷たかった。
「麻耶さん、頼りにしていますから…。守ってくださいね」
美果は口早やに言った。それだけで気持は十分に伝わっている筈であった。
不思議に、不安な気持ちはなかった。
乙女座の木彫りの扉の前で、麻耶は賓客を迎えるように深々と頭を下げた。
「どうぞ、お入りくださいませ」
ドアを開けると、人々の顔が一斉にこちらを向いた。入ってきたのが
赤づくめのチャイナドレスだと分かると、一瞬、店内に異様な緊張が流れた。
どんな女なのか…、
SかMか…、
どんな性器を持っているのか、セックスは好きなのだろうか…、
変態性欲者たちの突き刺すような視線がまつわりつく。麻耶に先導されて、
美果はうつむきがちに乙女座の店内を歩いた。
凄い女だぜ…!
身体全体から、すさまじい婬欲のオーラがたちのぼっていた。
滝沢美果29才、別名『銀の鈴』…。
細胞のひとつひとつにマゾの遺伝子を組み込まれた美貌のエイリアンの登場である。