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    三十三、秘唇のときめき

「どうぞ…、こちらへ」

 フロアを縦断した正面の一番奥のテーブルで、予約席の札をはずして麻耶が

腰をかがめた。先刻、化粧箱を取りに出たとき確保しておいたのであろう。

 店内は前よりずっと混み合っていた。ほとんど満席である。

「何にいたしましよう?」

「マティニー…」

「かしこまりました」

 クラシックな、強いカクテルである。

 麻耶がさがってしまうと、美果はホッと肩の力を抜いた。額にかすかな脂汗が

滲んで、粘膜を吸われたあとが、まだジリジリと熱をもっている。美果にはそれが

麻耶が送ってくれる信号のように思えた。

 会員たちは再びそれぞれの話を始めていたが、あちこちから視線がこちらに

飛んでくるのがわかった。

 昼間の会員がまだ残っていて、ときおりテーブルでざわめきが起こる。

銀の鈴が現れたことは電波が飛び交うように客席の間を伝わっていったようだ。

 そのとき、バニースタイルのウエイトレスがカクテルを運んできて、丁重に

美果の前に置いた。一緒にナマ牡蠣とスイスチーズをあしらったオードブルが

ついている。

「ええ、みなさん…」

 とうとう一人の男が立ち上がって、乙女座の豆電球が明滅している

ステージの横でマイクを持った。

「今夜は、珍しいお客さまがお見えになったようです」

 男は、まっすぐに美果を指さしながら言った。

「実は、私も初めてお目にかかりますので、自己紹介して頂きたいと

思うのですが…」

 客席からまばらな拍手がおこった。

「お願いしますよ。何かご挨拶を…」

 男が近づいてきて、無遠慮にマイクをさし出す。

「ステージに上がってください。みんな期待してますんで…」

 美果は、ためらわずに席を立った。断ってみても断りきれる相手では

なかった。揺れるような足どりで一段高いステージに上がる。パチパチと

また拍手が鳴った。

「銀の鈴…、でございます」

 言ったのは、ただそれだけである。 静まりかえった客席に向って、美果は

凄艶な微笑を送った。 わずかな身のこなしに、今日まで与えられてきた

被虐の体験が凝縮して、猥褻さの中に一種の貫禄というか、自然に身についた

風格のようなものさえにじんでいる。

磨きぬかれたマゾの女を、美果はものの美事に演じきっているのだった。

 子宮の底まで覗かれているような気持で、美果は男たちの視線に耐えた。

「いやぁ、残念だったなあ」

 突然、隅の席で50才を過ぎた中年の男が声を上げた。

「儂はねえ、実はあんたを知ってるんだよ。あのとき銀の鈴だと

判っていたらなあ」

 だが、美果は初めて見る顔であった。

「いや、良い身体をしていたよなぁ。たしかスパゲティを…」

 あ…! 顔はわからなかったが、麻耶がフェラチオ責めにあったとき、

三角頭巾をかぶっていた男の一人に違いなかった。

 男はまだ何か言いかけようとしたが、同伴の奥様風の女がとがめるように

振り返った。男もそれきり黙ってしまった。

 美果は、無言でその男に頭を下げた。これでまた、銀の鈴の新しい伝説が、

尾鰭がついて広がってゆくことであろう。

 美果がステージを降りると、人々はまたヒソヒソと自分たちの話に戻った。

 何人かの会員が、ウイスキーのグラスを持ったりして近寄ってきたが、

その都度美果は微笑して軽く頭を振った。マティニーも唇を濡らしただけである。

 会員どうし牽制しあっているのか、結局、席に来て座ったものは誰もなかった。

麻耶は他のウェイトレスに混じって時おり姿を見せたが、決して直接話しかけて

くることはなかった。それでも神経をいつもこちらに向けていることは

痛いほどわかる。

 異様な雰囲気の漂う店の中で、美果はショーウィンドゥに飾られた

人形のように、およそ1時間あまりを過ごした。

「お取りかえいたします」

 ハッとして横を向くと、いつの間にか麻耶が絨毯に片膝をついている。

 ごく自然な動作で、麻耶はほとんど減っていないマティニーのグラスを下げ、

代わりにスライスしたレモンを浮かべたカップと、白い角封筒をテーブルの上に

置いた。

「ただのお水ですから…」

 テーブルの上を拭きながら腹話術師のように表情を変えずにささやく。

乾ききった咽喉に、レモンの香りがする冷たい水は何よりの心づかいだった。

「遅くならないうちに、車でお帰りくださいというご伝言です」

「オーナーは、こちらにお見えにならないのですか?」

「はい」

 美果は、急に身体中から張りつめていた力が抜けてゆくような気がした。

「お忙しいのかしら…?」

 質問には答えず、麻耶はスッと立ち上がりながら言った。

「きっとまた…、お待ちしていますから」

「解りました、よろしく伝えて下さい」

「はい」

 お互いに、短い言葉の中にすべての思いがこもっていた。

 哲彦の意思と行動は、麻耶にもどうすることもできないのである。

 渡された角封筒を開いてみると、一万円札が10枚、それに思いがけなく

逗子の家の鍵が入っていた。

 今ごろはどうなっているのか…、

 美果はぼんやりと、鈍く光っている鍵を見つめた。

 拉致同然に家を連れ出されたとき、二階には夫の茂之がアルバイト女王様の

エルを抱いて寝ていたのである。夫は単身赴任の香港に戻った筈だが、

あとのことは全くわからなかった。

 席を立ったとき、暗いフロアのそこここからまた小さな拍手が聞こえた。

「アッ、もしちょっと」

 クロークで呼び止められて立ちどまると、女の子があわてて飛び出してきた。

「あの、マネージャーがこれを…」

 抱えているのは、艶のある黒い毛皮のコートである。

 裏を返してみると、M・Mとイニシャルが刺繍してあった。とっさにフロアを

振り返ってみたが、麻耶の姿はどこにも見あたらなかった。

「ありがとう、くれぐれもお礼を言っておいて下さい」

 涙が出そうになるのをこらえて、7階からエレベーターで下界に降りる。

 ビルの外に出ると、そこは新宿の夜の雑踏のド真ん中であった。

 伝言では車を使えということだったが、美果は電車で帰ろうと思った。

タクシーに長い時間乗って運転手にあれこれと話かけられるより、

電車のほうが一人で考えごとができるのである。

 チャイナドレスに黒い毛皮のコートを着た女がひとり、ネオンの下を足早やに

新宿駅のほうに歩いて行った。その正体に気がついたものは誰もいない…。

 終電に近い横須賀線の車内はけっこう混みあっていた。

 不規則に揺れる電車の中で眼をつぶっていると、浮かんでくるのは哲彦より

麻耶のことである。毛皮のコートに、ほんのりと麻耶の香水が残っている

せいもあった。

 麻耶があの店でマネージャーと呼ばれていることは初めて知った。

 僅か21才で乙女座を任されているのは、それなりの力量と才能がなければ

できないことだ。ウェイトレスと同じバニー衣裳をつけて、甲斐々々しく

働いている姿を見ると、それもうなずけるような気がした。

 哲彦とは、いったいどういう関係なのだろう…、

 そのことがひどく気になる。

 頭の中に、哲彦の鞭の下でのたうちまわっている麻耶の幻影が浮かんだ。

 コートの下で、粘膜がまた疼きはじめる。いくらサディストと言っても、

30才を過ぎたばかりの男の性欲が射精なしで済むわけがないのだ。

だが美果は、未だに哲彦の肉体をまともに受け入れたことがなかった。

 麻耶がその役を果たしているのだとすればそれでも良い…、

 嫉妬など許される筈もないし、麻耶もまた哲彦の手で育成された

メス人間なのである。

 美果は、哲彦と媾合っている麻耶の姿を見たいと思った。それは美果自身、

哲彦へのいっそうの思慕につながる。精神的な領域にまでたかめられた

被虐者の快楽である。

 妄想がひろがって、クリトリスがヒクヒクとふるえた。

 麻耶さん…!

 狭い電車の座席に身を縮めて、美果はのけ反るような秘唇のおののきを味わっていた。



    三十四、猫の留守番


 逗子の駅に着いたのは、夜の12時ちょっと過ぎである。

 ここから自宅まで、歩いて10分…。

 町中の商店街を抜けると、すれ違う人はほとんどなかった。

 およそ2週間ぶりで美果は表通りから自宅に入る道の角を曲がった。

家を出たときは、この道を素っ裸で、毛布一枚かぶって走ったのである。

 えッ…?!

 美果は、思わず足を止めた。

 長期間留守のままで、暗く冷えきった様子を想像していたのだったが、

家じゅうにあかあかと灯りがついている。

 玄関はもちろん、応接間からいつも使っていない二階の夫の書斎まで、

まるで誰かが占領してパーティでもやっているような雰囲気である。

 入っても良いのだろうか…?

 自分の家なのに、美果は気おくれして二の足を踏んだ。

 おそるおそる玄関の戸に手を延ばすと鍵もかかっていない。少しだけ

開けてみたが、内部はひっそりとしていた。廊下までこうこうと電気が

ついているのだが、まるっきり人の気配がなかった。

 思いきってなかに入る。ハイヒールを脱いでいると、突然、甲高い女の声が

聞こえた。

「ダッ、誰なのよゥ!」

 びっくりして顔を上げると、バタンと音を立ててキッチンのドアが開いた。

「わアッ…」

 奇声をあげて飛び出してきたのは、アルバイトの女王様…、ミンクハウスの

エルであった。

「ワッ、お坊さんッ。あ、あんた、何やっていたのようッ」

 返事をするヒマもなくコートの上からしがみついて、堰をきったように

泣きじゃくる。

「ど、どうしたの…?」

 美果は、あわてて毛皮のコートからエルの涙顔を押し戻しながら言った。

「あなた、ひとりでお留守番していたんですか?」

「どうしたもこうしたもないわよゥ」

 エルが駄々っ子のように身体を揺すった。

「ワ、私を置きっぱなしにして、ヒドイじゃないッ。パパはお坊さんが

すぐ帰ってくると言ったのにィ」

「えッごめんなさい。いつ帰れるか、わたしにも判らなかったの」

「嘘よゥ、この間の彼氏のところで遊んでいたんでしよう」

「ち、違うの…」

 夫が女王様を置き去りにして香港に発つとき、美果と一緒にこの家で

暮らしているように言いくるめて行ったのだろう。

 よほど心細かったのか、エルはまだ肩を震わせている。

 それにしても、家じゅうの電気をつけっぱなしにして、エルはエルなりに

必死に孤独と闘っていたのだった。

「ごめんなさい、ありがとうね」

 エルがいてくれたおかげで、何の抵抗もなくこの家に戻ることができた

のである。美果はホッと救われたような気がした。

 家にあがって、まだ不貞くされているエルをなだめながらキッチンに入ると、

美果はまた眼を丸くした。

「どうしたの、これ…!」

 暖房がガンガンきいて、流し場は洗ってない食器の山である。

 食卓の上、床のあちこちに、コンビニから買ってきた発泡スチロールの

ケースが散乱していた。カップラーメン、食べ残しのサンドイッチ、ポテトチップの袋、

バナナの皮、ジュースの空き缶が20個以上…。

 まるで、躾の悪い猫が留守番していたような有様である。

「だってェ、捨て方だってわかんないしィ」

 エルが、足もとの空き缶を蹴飛ばしながら言った。

「あ、いいわ。わたしが片付けるから」

 急いでコートを脱ぐと、今度はエルが眼をみはった。

「あら、ソレ良いじゃない!」

 赤のチャイナドレスは、女王様の好みにもぴったりだったようだ。

「わたしには似合わないけど、着てみる?」

 美果は子供をあやすように言った。エルは羨ましそうな顔をしたが、

サイズが合わないことは初めからわかっている。

 このままでは仕事にならないので、とりあえずドレスを脱いだ。

ブラジャーに緋色のパンティを見ると、エルはまた感心したような

顔になった。

「へえ、お坊さんキレイになったネ」

「ううん、女王様のほうがずっと素敵よ」

「うッそォ…」

 それで、ようやく機嫌がなおった。

 美果が戻ったことは、エルにとっても救いの神なのである。

 あの晩は、エルも哲彦の鞭をもらって悲鳴を上げたが、今夜は

二人きりであった。

「ねえ、一緒にお風呂に入ろう」

 エルが、はしゃいだ声で言った。

 バスルームに行ってみると、化粧鏡の前に汚れたパンティと下着が

脱ぎ捨ててある。浴槽の中で直接身体を洗っていたらしく、湯ぶねに

石鹸の色をした水が垢と一緒に溜まっていた。

「待って、お湯を取りかえるから…」

 浴槽の栓を抜いて、シャワーでお湯をかけながら、美果はゴシゴシと

タワシで湯ぶねの周りをこすった。

 新しいお湯が沸くまでの間に、キッチンのゴミを集めて収集袋に入れると、

二つ半になった。それに燃えないゴミが一袋…。

 続いて、今度は流し場の整理である。

「女王様、毎日何やっていたの?」

 山積みの食器を洗いながら、背中を向けたまま話しかける。

「オナニーやるっきゃないじゃない。ほかにすることないしさ」

 エルは、うんざりしたような声を出した。

「独りぼっちでイクのって、ほんと淋しいわよ。嫌ンなっちゃう」

 洗ったばかりのカップに、エルは遠慮なくコーヒーを注ぎながら言った。

「私って、やっぱり変態なのよね。露出狂かなァ」

「さぁ、どうかしらね」

 美果は思わず微笑を浮かべた。その間にもカチャカチャと音を立てて、

手際良く食器の山が積み重ねられてゆく。

「ねえ、お坊さんもコーヒー飲む?」

 そのとき、浴室でお湯が一杯になったことを知らせるブザーが鳴った。

「アッ、お風呂だよ」

 気おくれすることもなく、エルは超ミニのスカートを取った。パンティを

汚したまま洗濯していないので、モロにスッポンポンである。これでは

暖房をつけっぱなしにしていたわけだ。

「お坊さん、早くお出でよ」

 美果は食器洗いの手を止めた。

 美事な陰毛が盛り上がって、股間の縦の線を覆っている。それを

隠そうともせず、エルは浴室にかけ込んでいった。

 ドアを開けると、エルが大股を広げて陰毛に石鹸の泡を立てていた。

その横で、美果は鏡の前にあったパンティと自分が穿いていたのを

合わせて洗面器に漬けた。ワレメに当たる部分に乾いた糊のように

付着している分泌物をモミ洗いしながら、身体の芯にゾクゾクする悦びがあった。

 どうしたんだろう、わたし…、

 美果はふと、肌に粟が立つような気がした。

 もともと、エルは夫の茂之が勝手にこの家に連れ込んだ女なのである。

 その女の汚れたパンティを洗っているだけでも異常なのに、法悦に似た

この快感はいったい何なのだろう…。

「嫌だ、私また興奮してきちゃった」

 エルが、あたりにザバッと飛沫を散らしながら言った。

「ねえ、ウチのオナニー見せてあげようか」

 小麦色の肌が勢い良く水滴をはじく。

 麻耶よりもひとつ年下の20才…。素顔になると、あちこちにまだ少女の面影が

残っているのだが、肉体はまばゆいほどのボディコンである。

「お坊さん見ていると、何だかヤリたくなってきちゃうのよね」

 エルが、無心にクリトリスをまさぐりながら言った。

「私、お坊さん好きよ…!」

「ほんと…?」

「うん、忘れたことなんかないよ」

 エルもまた、変態の星から来た女なのだろうか…。

「独りぼっちだったせいもあるけど、何だかスゴク逢いたかったもん」

 浴槽の縁に寄りかかって、エルが自分の指で肉ベラをひらきながら言った。

「パパがこン中におチンボ入れてさ、お前はエイリアンだって言うのよ」

 たくましい肉厚の性器である。美果は何かに憑かれたように、固く膨らんだ

エルのクリトリスを見つめた。

「女王様、お願いしてもいい?」

 うつむいたまま、美果は低い声で言った。

「何よ…?」

「そこ、舐めさせて…!」

「エッ、パパがさんざん舐めたとこだよ。それでもいいの?」

「エルちゃん女王様じゃない。わ、わたしにも、やらせて…」




<つづく><もどる>