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    一、天使の履歴書

「おじさん…」

 美歌は、とうとう思い切ってその男に声をかけた。

「私とセックスしてみる気、ないですか?」

 その男は、ポカンと美歌を見上げたまま黙っている。

新宿の西口、地下鉄丸ノ内線に通じる駅のコンコースである。

ようやく暖かくなってきて、浮浪者の数も増えた。身軽と言っては変だが、

その男は紙袋一つだけ横に置いて毛布を腰に巻き、壁に寄りかかっていた。

 美歌はなるべくあたりを見ないようにして、男の前にしゃがむと早口に言った。

「お願い…、セックスしませんか?」

 心臓が今にも飛び出しそうにドキドキと鳴っている。

「やらせてくれるのかね」

「うん…」

「かね、ねぇけど」

「いらない、してくれるだけでいいの」

男は黙っている。騙されて何かとんでもない目に合うのではないかという

警戒心がありありと見えた。通り過ぎる人々の視線が背中につき刺さり、

美歌は逃げ出したい衝動を必死に耐えながら言った。

「ね。私、なんでも言う事きくから…。どこか良い場所ないかしら?」

「………」

何か言ったのだが、良く聞こえなかった。男は起き上がって肩から毛布を掛け、

ノロノロと歩き出した。無視されたようで不安だったが、美歌はすぐその後を追った。

流石に並んで歩く勇気はなかった。

一度だけ振り返って、美歌が尾いてくるのを見ると、男はそのままコンコースを出て

大ガードの方へノロノロと歩いて行く。

 やった、とうとうやった…!

 胸の鼓動がいっそう激しくなった。

一週間くらい前から、駅にたむろしている浮浪者の前を、美歌は何回となく

行ったり来たりしていた。今日こそはと思うのだが、どうしても声が

出せなかったのだ。

それを、とうとう実行してしまった…。何故こんなことをしたのか、自分でも

良くわからなかった。

 今、大学の2年生。

 両親には気づかれていないが、美歌は子供の頃からかなり異常な

体験をしていた。

育ったのは和歌山県の港町で、小学校4年のとき、よそから来た漁師の男に

犯されたのが最初である。

その時は何がなんだかわからなかった。港の船のかげでパンツを脱がされ、

向かい合って抱っこされるような形で男の上に乗った。小さな足を広げるのが

とても大変だった。物凄く痛くて、家に帰って見るとパンツに濃い血の跡が

着いていた。

誰にも言うなとさんざん脅かされていたので、自分で洗って知らん顔していた

のだったが、処女はあのときに失ったのだと思う。

6年生の頃、学校の近くにあった文房具屋のおじさんに、よく悪戯された。

店に人がいなくなると、レヂの下に隠れて、おじさんがズボンから掴み出したのを

舐めさせられる。幼い唇には、あごがゲクゲクいうほど太かった。

それからパンツを下げて、前の道を通る人を気にしながら抱かれた。

股の間が張ったようになって、覗くとおじさんの太いのが半分くらい中に入っていて

ビックリしたことを覚えている。終わるとおじさんはいつも鉛筆や消しゴムをくれた。

 美歌は子供心に、これはとてもいけない事だと思っていた。でも、何故かもの凄く

気持ちがいい。セックスの快感はまだ理解出来なかったが、どこかで本能が

歓ぶのだった。

美歌はまるで引き摺られるように、その文房具屋にかよった。

もちろん両親には絶対に秘密である。

田舎の高校から思いがけなく有名な私立の女子大に合格して、喜んだ父親が

ワンルームの小さなマンションを買ってくれた。

東京で一人暮らしの学生生活が始まり、美歌はようやく両親の束縛から

解放されて、自由にやりたいことができるようになった。

 一応は真面目な学生を装っていたが、大学は少しも面白くなかった。

友達から、結婚するまでは処女でなければみたいな話を聞かされると、

胸がムカムカした。この人たちは一体どうやってセックスの処理をして

いるんだろう…。

学校から戻ると、美歌はよくテレクラに電話をかけた。新宿で待ち合わせして

ホテルに行く。はじめての男とのセックスにはそれなりの快感はあったが、

どこか満たされない。いつも、もう少し手荒く犯してくれる男を期待して

いるのだったが…。

その日も、男とホテルで会って名前も聞かずに別れたあと、美歌は新宿の駅で、

浮浪者が罐入りの酒を呑んでいるのを見た。いつもなら気にも止めずに通り過ぎて

しまうところだったが、気がつくと、胡座をかいてだらしなく広げた股間に、

男の長いものがダラリとした感じで垂れ下がっている。

「………!」

美歌は、背筋が痺れたようになった。慌ててその場を離れたのだが、これまでに

感じたことのないショックだった。

 その夜、美歌は昼間見た浮浪者に襲われる場面を想像して、夢中で

オナニーに耽った。

醜い顔が涎を垂らして迫ってくるシーンを出来るだけ淫らに妄想して指を動かして

いると、子供のころに犯された思い出が甦ってきて、何回も全身が硬直した。

 あの男も、きっと女に飢えているに違いない。

もしその気にさせたら、獣のように襲いかかって来るだろう。無理やりに、

滅茶苦茶に、虐められてみたい…。

 いつのまにか、美歌は異常な妄想の虜になっていた。

サディズムとか、マゾヒズムとかいう言葉だけは知っていたが、美歌は、まさか自分が

そうだとは思っていない。これは、美歌が少女時代から抱きつつけてきた

幻の快楽だったのである。


二、不能者と野獣

 その願望が、とうとう実現する…。

前を行く男に尾いてガードを越え、JRの線路に沿って少し歩くと、土手の横に

いくつものコンクリートの塊が転がっていた。道の向こうは大きなビルで人の気配は

全く感じられなかった。

浮浪者は、肩の毛布をコンクリートの塊の横に敷いた。

「きなよ、おねぇさん…」

 男が低い声で言った。

美歌は、うっかりGパンを穿いてきたことを後悔した。こんな所でやるなんて、

考えていなかったのだ。いくら人影がないと言っても、一歩曲がれば新宿の

繁華街である。

もし誰かきたら…、とためらったが、ここまで来たからにはもう逃げようもなかった。

覚悟を決めてGパンと靴を脱ぐ。薄いセーターの下から、丸くて白い尻がクルリと

剥きだしになった。

「おねぇさん、悪いね」

「いいのよ、何でもやって…!」

自分でも不思議なほど息が弾んで、全身が麻痺したように興奮していた。

今にも襲いかかってくると思うと必死に逃げ出したくなるのだが、反対に

それを期待する快感がたまらないのだ。

「強くね。強くやって…!」

コンクリートの陰で汚い毛布に身を投げ出すと、線路の向こう側にある

ホテルの灯が賑やかに見えた。

 その上に、男の重い身体がドサリと乗り掛かってきた。

ウッ…と、美歌は息を詰めた。生暖かい空気と激しい口臭が漂い、美歌は

両足を一杯に拡げた。眼をつぶって怖ろしい野獣の力が突き刺さって

くるのを待った。

浮浪者はゼイゼイと咽喉を鳴らし、ぎこちなく腰を揺すった。時々自分で手を添えて

中に入れようとするのだが、上手くゆかないようだ。そこはもうヌルヌルに

なっていて、入れるのは楽な筈なのに、押しつけられたものが滑って外れる

のを何回か感じた。

「ああうっ」

美歌は夢中ですえた臭いのする上着にしがみつき、腰を突き上げた。

だが、嵌まりそうになると向こうから脱けてしまう。

 どうしよう、立ってない…!

女に飢えた浮浪者が久し振りにありついた御馳走である。願ってもない事なのに、

立たないなんて考えられなかった。

焦れば焦るほど、男は息が切れてハァハァと肩で喘いだ。やがて不器用に重なって

いた身体を起こし、べったりと尻餅をついた。

「ずっと、やってねぇもんで…」

 男は、汗を拭きながら言った。

「おねぇさん、べっぴんだからよ。よけいに駄目だよ」

「うそ…!」

「やりてぇんだけどな、ほんとは…」

浮浪者が泣いているように見えて、美歌は急に胸が熱くなった。外見はふてぶてしく

生きている野良犬のようでも、長い間女を抱かず、体力も落ちて、立たなくなって

しまったのかと思うと、たまらなく可哀相…。

「いや、いや…!」

いきなり、尻餅をついたままの男の股間にしがみついた。倒錯した衝動が美歌を

駆り立て、一種の錯乱状態になっていた。

くわえると、譬えようもない臭気と不潔感があった。かなり大きかったが、

やはり硬くなっていない。何となくブヨブヨとした感じで膨らんでいるだけのようだ。

不自然な姿勢で、美歌は出来るだけ顔を押しつけ、それを咽喉の奥まで呑み込もうとした。

「あ、あ…」

 そのとき、浮浪者が急に腰を引いた。

「ウプッ」

生イカのはらわたを喰べたような味と臭いが、美歌の鼻と口の中に広がり、

吐きそうになった。射精というより、あっけなく流れ出てしまったという感じで、

大量の精液が唇の辺りに溢れた。無理に飲み下そうとすると、反対に胃袋の

中味が逆流してくる。

「おェェ…!」

「おねぇさん、かんべんして…」

 男は怯えたように言った。

「わし、そんな気は無かったんだよ。悪かった、悪かった」

 美歌は首を振ったが、ゲホゲホと噎せて言葉にならなかった。

 浮浪者はそそくさと美歌を押し退け、立ち上がって毛布を抱えた。

「待って…」

下半身露出したまま、美歌はあわててとび散った靴とGパンを探した。こんな姿で

いることが急に恐ろしくなって、夢中でパンティを穿いた。Gパンに尻をこじ入れいて

いる間に、浮浪者は逃げるようにどこかに行ってしまった。取り残されてあたりを

見まわすと、ただコンクリートの塊が転がっているだけ、いまの出来事はまるで

夢の世界だった。

二三歩あるきかけて美歌はハッと立ちすくんだ。

 ショルダーバック…!

あの中には札入れと学生証が入っている。もう一度あたりを確かめて見たが

それらしいものはなかった。すぐ浮浪者の後を追おうと思ったのだが、

どこに消えてしまったのか
見当もつかない。

 やはり、危険すぎたのだ…。

倒錯した性欲が潮の引くように去って、美歌は、自分がした事の愚かさを

思い知らされたような気がした。

顔ぢゅうに、まだ不潔な性器の匂いがこびりついている。美歌は、あきらめて

その場を離れた。

しかし、これはまだほんの序曲だったのである。



三、売春のすすめ


ビルの横を曲がって三十メートルも歩くと、そこはもう二十四時間人や車の流れが

絶えない新宿の表通りだった。

これからマンションの部屋まで辿り着くには少なくとも2時間以上かかる。美歌は、

その道をあてもなく歩いた。うちひしがれてはいたが、不思議に絶望感は無かった。

心のどこかが楽しかった。

 ちょうど、後ろからきた個人タクシーがすぐ近くで停った。

 良かった…、美歌は駆け寄って、思い切って窓越しに声をかけてみた。

「あのう、お金はうちの方で払いますけど、駄目でしようか」

「どこまで?」

 五十才がらみの頭の禿げた運転手が、美歌を見てうさん臭そうに聞いた。

「西荻窪ですけど…」

「いいよ」

 案外気軽に承知してくれたので、ほっと救われた思いがした。

車が走りだし、青梅街道を鍋屋横丁の辺りまできたとき、運転手が、さり気なく

話しかけてきた。

「何かあったのかい?」

「え…?」

「近頃は、よく歌舞伎町あたりから、タイやフィリピンの女が逃げ出してくる

ことがあるんでよ」

「違います、私、日本人だから」

「ふん、じゃ風俗の子かい?」

「風俗って?」

「ソープとか、ピンサロとかよ」

「ううん、学生です」

「学生? ふうん…」

運転手は、先刻からバックミラーで美歌を観察している様子だった。あまり話したく

ない気分で、美歌はそれきり黙っていた。

「悪いけど、部屋まで行かせてもらうよ」

 マンションに着くと、運転手は無遠慮に言った。

「こういう場所で、一晩中待たされることになっても困るんでね」

 部屋は三階で、鍵だけはGパンのポケットに入れていたので助かった。

 料金を受けとると、運転手は部屋の中を覗き込んで、ズルそうな笑いを浮かべた。

「よかったらお茶でも一杯、ご馳走して貰えないかね」

「インスタントコーヒーしかないけど、良いですか?」

「ああ、何でもいいんだよ」

 せっかく好意で乗せてくれたのだから、と美歌は思った。

それに、口の中にはまだ浮浪者の生臭い味が残っていて、コーヒーで早くそれを

消したいこともあった。お湯を沸かしている間、男は入り口に腰を下ろして、

珍しそうに中を見まわしていた。

「いい部屋だね」

「学生だから、何もないわ」

「仕送りだけじゃ、大変だろう」

コーヒーを啜りながら無遠慮な視線でジロジロと美歌を撫でまわしている。

「あんた、アルバイトやってみんかね」

「アルバイト?」

「個人タクシーやってると、よくそういう話があるんだ。ホテルなんかに送った

客から、しょっちゅう女を世話しろと言われる。あんた、もう男は知ってるんだろう?」

「………」

「そんな時はよ、SMクラブとかホテトルの女を紹介してやるんだが、あんたなら

高価く売れるぜ。現役の女子大生だもんな」

 どう答えたら良いのか、美歌が戸惑っていると、運転手はいっそう熱心になった。

「夜中にぜにも持たねぇで、あんな所をウロウロしているなんて、そんな遊びする

くらいなら売りな。俺が紹介してやるからよ」

「私、そんな…」

「やって見ろって言うんだ、面白いからよ。いい人を知っているんだ」

 ムクムクと、美歌の身体の奥にまた奇妙な欲情が動きはじめる。

「でも、どうすれば良いの?」

「電話で、客が入ったホテルを教えてやるから、そこに行くだけでいい。個人タクシー

だから、絶対にわかんねぇさ」

 美歌は曖昧に笑った。

そんなことが簡単に出来るのだろうか、でもこの人の言うとうりにすると、何だか

凄いことが起こりそうな気もする…。

それから三十分くらい、しつこく聞かれるままに、美歌は電話番号を教えた。

それがどんな結果を生むか、まだ想像することもできなかった。

<つづく><もどる>