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十、人食い源次郎
「行って来い。向こうに行ったら口のきき方に気をつけろ」
旦那の嘉助に使いを言い渡されたのは、それから二日後である。
頷いたものの、どうしたら良いのか見当もつかない。
「あの、その方のお名前は…?」
「仲間では源さんと呼んでいるが、たしか源次郎と言ったな」
「経営者の方ですか」
「いや、相談役だろう。本職は地元の新聞記者だ」
商売柄、裏の事情に詳しいのであろう。この男に仕込まれて淫売になった
素人娘は数が知れない。またの名を人食い源次郎と嘉助は言った。
それだけで、江理子には別の世界の人間に思える。
その男に会って、快楽の道具に使う女を借りて来いと嘉助は言うのだ。
「ええか、こういうことは、主人のために妾がお膳立てをしなければあかん」
「はい」
嘉助が書いてくれた地図を頼りに、江理子は家を出た。行き先は、
せんだって加奈という女のシロクロショーを見た浅草のしもた家である。
そこに行けば間違いなく源次郎に会える筈だということであった。
あのときは往きも帰りもタクシーで往復したので、家がどこにあるのか
全く不明なのだが、嘉助の地図を見ると雷門を出て右に左に曲がりながら,
歩いて十五分ほど、曲がり角の目印まで細かく書いてあるので
迷うことはなさそうであった。
とにかく役目は果たさなければ、と江理子は電車に乗った。
当時の京成電車は押上から青砥経由で金町まで、東京の場末を走る
ローカル線である。沿線には名もない淫売宿が点在して、いわゆる
青線と呼ばれた売春地帯。乗客にはみすぼらしい闇屋か工員風が多かった。
昼間の電車は空いていて座席もあったが、江理子はドアの横に立ったまま
俯いていた。服装は薄手で裾幅の広いワンピース、胸元が開いて
乳房の盛り上がりが露わに見える。嘉助の好みなのだが、当時、
進駐軍のパンパンが着ていたスタイルである。
気になるのは年に似合わぬ服装だけではなかった。
実を言うと、その下には何も着けていない。ペラペラの布地一枚下は、
陰毛を鋏で削ぎ取られて虎刈りになった股間が剥き出しである。
そう言えば、江理子は嘉助の妾になってから、ズロースと言うものを
穿かされたことがなかった。妾といっても、この二年間、江理子は
具体的なセックスをしたことがない。夜は嘉助が鼾を掻きはじめるまで、
蒸れた股の間に蹲って過ごさなければならない舐め女である。
ヒマさえあれば、戦傷でインポになった男根を舐めさせられるので、
感覚的に上の口と下の口との区別がつかなくなっていた。
乗客たちに口許を見られることが、性器を覗かれているような気がして
たまらなく恥ずかしい。シートに座ることが出来ず、立ったまま窓の方を
向いて俯いているほかなかったのである。
それでもようやく電車が終点の押上に着くと、川風に裾がなびくのを
気にしながら吾妻橋をわたる。
そこからは嘉助の地図に導かれて、目印を確かめながら曲がりくねった
道をトボトボと二十分近く歩くと、隅田川の土手に沿ってようやく
それらしい場所に出た。あたりは日当たりの悪るそうな軒の低い家が
続いて、どちらかと言えばうらぶれた貧しい下町のたたずまいである。
ひっそりとしてこんな場所で夜ごと凄まじい実演ショーが開かれている
などとは信じられないほどの静かさだった。
宝屋という質屋の看板を巻いた電柱から数えて三軒目という地図の
指示に従って視線を向けると、表札も出ていない、安手の玄関のガラス戸に
行き当たった。
ここだ…
流石に胸がドキドキと鳴った。いったいどんな人間が住んでいるのか、
人食いと異名を持つ男を想像すると恐ろしかったが、ここまで来て
今更引き返すわけにはいかないのである。
「ごめん下さい」
二・三度呼んで見たが返事はなかった。
声が家の中まで届いていないのかも知れない。思い切って、江理子は
ガラスの引き戸に手をかけた。力を入れて引くと、ガタガタと建付けの
悪い戸が三十センチほど開く。
「ごめん下さい。あの、ごめん下さい」
顔だけ中に入れて少し声を張ると、胸の動悸がいっそう高くなった。
十一、出会い
それでも、人の出てくる気配はなかった。
途方にくれて、開けた戸をもう一度元に戻そうとしたときであった。
「どちら様…?」
背中から声をかけられて、江理子はギョッとして振りかえった。
ほんの二・三秒だが視線が合って、次の瞬間、眼の裏に男たちの
淫らな視線を浴びて、息も絶え絶えに凄惨な見世物を披露していた
女の姿が甦える。江理子は、頭の中が凍りついたようになった。
立っていたのは間違いなくあのとき加奈と呼ばれていた女である。
「す、すいません。つい、お返事がなかったもので…」
やっとの思いでそれだけ言うと、加奈は能面のような視線で、
初対面の江理子の顔を見つめた。
「何か用事なんですか」
「あの私、金町の大友から来たんですけど」
「はぁ?」
大友というのは旦那の嘉助の姓である。だが加奈には心当たりがない
名前のようであった。江理子には初対面とは言えなかったが、あの晩、
ほの暗い裸電球の照明の中で、加奈は客の顔など見ていなかったに
違いない。というより、見世物になって誰に見られているのかと言うことさえ
意識していなかったのであろう。
手短かに、嘉助から聞いた源次郎という人の名前を言って会いたいと
告げると、加奈は相変わらず表情のない顔でうなずく。
「待っていてください、見てくるから」
言い捨てて、玄関の横にある木戸を開けると裏口から家の中に消えた。
それからまた一・二分、かなり長く感じられる時間を玄関の前に立って
待っていると、突然内側から若い男の声が聞こえた。
「入れ」
あわてて閉めかけた扉に手をかける。ガタピシとガラス戸を開けると、
内側からいきなり髪の毛を掴まれて、江理子はアッと叫ぶ間もなく
玄関につんのめった。
「人の目につく、いつまでも外でマゴマゴしているんじゃねぇ」
男が低い凄みのある声で言った。
「お前か、大友の妾というのは」
「ハッ、ハイ…」
気を呑まれて、挨拶も悲鳴を上げている余裕がなかった。
転びそうになった姿勢をようやく立て直すと、江理子は反射的に
怯えた視線を上げた。
「入んな。さっき、大友の旦那から電話があった」
この人が、人食い源次郎…?
後姿は上半身裸で復員ズボン。こげ茶色に見えるほど日焼けした背中が、
精悍な野獣のように眩しかった。
言われるままに男の後ろから部屋に上がると、あの晩もの好きな客が
集まっていた八畳である。
舞台になった奥の六畳との間は今日は襖が閉っていた。
「そこに坐れ」
立ったまま、源次郎は部屋の真ん中を指差して言った。
「俺に用事があって来たというんなら、躾ぐらいはちゃんと出来ているだろう」
両膝を同時に折るようなかたちで、江理子はタタミの真ん中に身体を伏せた。
が、あとの言葉が出てこない。緊張して、黙って両手をついて頭を下げる
しかなかった。
「それほど若くねぇな、いくつだ」
男の低い声が頭の上で聞こえた。
「サ、三十…」
江理子は心臓が踊りだしそうな気がした。年令を聞かれたことが
どうしてこんなに羞ずかしいのか、説明がつかない。
「ちゃんと言ってみろ」
「ロク…、です」
「ふむ、若くねぇな。旦那とは毎晩ヤッているのか」
「………」
「返事をしろっ。変態なら性欲は強い方かと聞いているんだ」
「い、いえ…」
全身の血の流れが止りそうな羞ずかしさで声が詰まった。
挨拶もなく、いきなり変態と呼ばれるのは初めてだが、自分でも
ノーマルなセックスではないと自覚しているだけに、江理子には
答えるすべがなかった。
「で、何をやりたいと言うんだ」
上半身裸のまま目の前にドカリと胡座をかいて、源次郎は相変わらず
低い声で言った。
「いくら可愛がってやっても満足している様子が見えないと大友の
旦那は言っていたぜ。いい年をして、そんなに男が好きなのかよ」
「チ、違います」
江理子は必死の思いで顔を上げた。
十二、変態問答
電話で嘉助が何を言ったか知らぬが、二年間まともなセックスもなく
耐えてきたことは事実である。満足するもしないもなかった。
「違う筈ねぇだろ、けつこう好きそうな顔しているじゃねぇか」
源次郎は、蔑んだような眼で笑った。女を性欲のハケ口としか
思っていない、冷酷な笑いである。
「旦那の話では、女とツルんでみたいそうだが、それで良いのかい」
「えぇッ、そんな…」
狼狽して、慌てて打ち消そうとしたが、江理子は言葉をのんだ。
実はそれが嘉助に命じられてここまで来た目的である。
「いえあの、旦那さまが、どうしてもとお望みになって…」
「嫌々やってみると言うのか」
「け、決して、嫌と言うわけでは」
「ふん、まだ性根が坐っていねぇな」
肚の底を見透かされたような声を聞いて、江理子は身体中の血の流れが
止まったような気がした。ここで言えなかったら、嘉助に何を言われるか
分からないと言う怖さもあったが、それ以上に、源次郎の視線に
射すくめられて、はらわたを暴き出されるような気持ちである。
「あ、あの、お願いです。お相手をしていただける女の方を…」
それが、精一杯であった。
「わたし何も解りませんので、どうか教えて下さい。お、お願いします」
両手をついて、江理子はタタミを舐めんばかりに頭を下げた。
こうでもしなければ、感情の抑えが利かないのである。
「ふうん、それでもヤツてみる気はあると言うんだな」
「はい」
「変態は楽じゃねえぞ。女におまんこ舐められて興奮できるか」
「タ、たぶん…」
「そうか、それじゃちょっと試してやるから道具を出してみな」
エッと思ったのだが、江理子にはその意味が理解できなかった。
道具と言われても、嘉助から何も渡されていない。
両手を突いたまま黙っていると、いきなりガツンと肩先を蹴られた。
「ひぇッ」
「ぐずぐずしているんじゃねぇ。スカートを捲って、自分で股を広げてみろ」
ようやく道具の意味をさとると、江理子は呆然として眼を宙に浮かした。
「お、お許し…」
「この野郎、使い古したおまんこも見せられねぇのか」
「でも、ダ、旦那さまに」
「馬鹿、誰の妾だろうと、俺の前に出たら俺の言うとうりにしろっ」
「は、は、はい」
「嫌なら帰れ。自分でおまんこも出せねぇような女に変態が
つとまるわけねぇだろ」
「待って、お願いです。ちょっと待ってください」
あわてて男の足元ににじり寄る。蛇のような嘉助の嫉妬を思うと、
初めて会った男に性器を見せるなど、大変な罪になる筈であった。
だが役目を果たさずには戻れないことも承知している。江理子は、
無意識にスカートの裾に手をかけた。
「どうした、何やっているんだ」
「はッ羞ずかしい」ズロースを穿いていないことを知られる恥ずかしさに、
手が震えて動かないのだ。スカートを捲れば、剥き出しになって
見られるのは虎刈りにされた陰毛である。
ちぇっ…源次郎は舌打ちして、何を思ったのか、立ち上がるといきなり
隣との境の襖を開けた。
「見ろ、こういうのを変態と言うんだ」
「あぁッ」
江理子が見たのは、暗い部屋の中で二の腕を後ろ手にくくられ、
乳房がくびれるほど縛り上げられた若い女。
今の今まで手酷い責めを受けていたのか、腰が捩じれて、太腿のつけ根に
座敷箒の長い柄がグサリと突き刺さったままである。
「いいか、変態は淫売と同じ、人間のオモチャだ。言うことを
聞かないとこういうことになる」
言いながら、片手で女の身体から箒の柄を抜くと、盛り上がった尻を
バシッと打った。
グェッ、ムゝゝ…
女が苦悶の表情を浮かべて身をよじる。
源次郎が、容赦なく箒の柄でくびれた乳房をこづきながら言った。
「出てこい、ここに来て、こいつがイクまでおまんこを舐めてやれ」
とたんに、江理子は全身が凍りついたようになった。