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二十八、透明な股間
「来たぞ、早よ迎えに出んか」
丸裸にエプロン一枚で尻込みしている背中を突かれて、江理子は
つんのめるように玄関につながる襖を開けた。
「ごめんください、お邪魔いたします」
「あ…」
立っていたのは花電車の加奈と、あの日源次郎に責められて
のた打ち回った淫売もどきの綾乃である。
その後にもう一人、痩せて背の高い男の姿を見て江理子は
息を呑んだ。
「お世話になります。よろしくお願いいたします」
先輩格の加奈が神妙に頭を下げる。初対面ではないが、
互いに性器をさらして絡みあった以外、ほとんどまともに
口を利いていないのである。
「あぁよく…、どうぞ」
どう挨拶したら良いのかわからず、江理子は腰をかがめて、
手で上がってくださいという仕草を見せた。
「おう来たか、さぁさ、奥へ入んなはれ」
振り向くと、ステテコ姿の嘉助が相好を崩して笑いながら立っていた。
「遠慮はいらん、今日はここがあんたらの舞台や」
「はい、お世話になります」
「何をグズグズしておる、奥の間に案内してやらんか」
「あッはい」
何故か源次郎は付き添っていない。江理子はちょっと気が抜けた
ような気がしたのだったが、すぐに我に返った。
源次郎が来ていないことで軽い失望を感じたのは、心のどこかで
あの人を想っているのではないかと自然に顔が赫くなった。
先に立って奥の部屋に行くまでの間、宙を歩いているような
気持ちである。
座敷に通ると、男はそのままあぐらをかいたが、女たちは思いのほか
礼儀正しく嘉助の前に膝をそろえて三つ指をついた。
「お呼び頂きまして有難うございます」
「綾乃と申します。ふつつか者ですが、本日はよろしくお願いいたします」
「加奈でございます」
「ふむ、二人ともなかなかの別嬪やな。まぁゆっくりせい、いろいろと
支度もあるやろ」
「はい、有難うございます」
二人とも三十も半ばを過ぎた年増である。
物腰は良く躾られていたが、どこかに買われてきた者の強制された
従順さが見えた。
そのとき、江理子はふと気がついたことがある。
あの日、客を取ることを拒んで拷問に似た惨い仕置きを受けた綾乃が、
今日は何の抵抗も見せていない。
小奇麗な銘仙の着物を着ているせいもあるが、全身に一種の色気さえ
漂っていた。これがこの一週間に綾乃が相手にした男との淫戯の
名残りかと思うと、女の業の深さが恐ろしかった。
「これはもう知っているやろ。この間まで、わいの妾だった女や」
いきなり指をさされて、江理子は身体を固くして額を畳の近くまで
下げた。素裸にエプロンだけで、背中の肉や尻の丸みが剥き出しである。
「あの、お客様が見えないうちに、ちょっとお支度を…」
加奈がチラリと見ただけで、視線を逸らしながら言った。
「さよか、だったらすぐにかかんなはれ。この部屋を自由に使こうてもええで」
目くばせすると、綾乃が正座したまま俯いて帯を解きはじめる。
加奈が持っていた包みの中から小さな箱を出して、あぐらをかいた男の
膝元に押した。
「失礼いたします」
綾乃がもろ肌を脱ぐと、滑らかな撫で肩であの日見たときよりずっと
色が白かった。正面に見せた乳房が反って、斜めに上を向いている。
「ええ身体や。こら、楽しみやな」
嘉助が煙草に火をつけて、ふうっと煙を天井に吹き上げながら言った。
これは嘉助の機嫌が良いときの仕草である。
「遠慮せんかてええ。ちゃんと立って、腰の張り具合など拝ませてんか」
着物の袖に肘を入れたまま綾乃が立ちあがると、滑らかな曲線に
囲まれた均整の取れた肉体をしていた。よく浮世絵にこんな
ポーズがある。これがあのとき犬のようにのた打ち回っていた女とは
思えない風情だった。
「ん…?」
何を見つけたのか、嘉助が身体を乗り出しながら言った。
「もっと、前を向いてみい。姐さん、おめこの毛はどないしたんや」
裾前をはだけて透き通るような綾乃の股間に、あるべきものが
なかったのである。
二十九、開幕の前
「ほう、パイパンやな。こら珍しい」
「いえ、あまり毛深いので、恥ずかしいものですから…」
「ふむ、剃っているのか」
今でこそ、剃毛は女たちの間で当たり前になっているが、当時の淫売は
陰毛も腋毛も手入れしていないものが多かった。
以前、江理子の陰毛を鋏でジョキジョキと剪り取ったことのある嘉助には、
それがひどく新鮮に見えたのであろう。
「どや、江理子、お前もおめこの毛は剃ってしまったほうがええな」
「えッ」
「お前も毛深いほうや。客に裸を見せるんやったら、家畜としてそれくらいの
心がけがなければあかん」
「は、はい」
だが江理子は、そのとき綾乃の裸を見ていたわけではなかった。
気を取られていたのは、小さな箱を受け取ったあとの男の動作である。
男が加奈に渡された箱を開けると、中にあったのは針がついたままの
小型の注射器、それに薬品が入った5センチほどのガラスの
アンプルが数本。無造作に片手でアンプルの首を折ると、消毒のつもりか
注射針を咥えて二・三度舐めるとそのままアンプルから薬を吸い取る。
見ているうちに注射器に八分通り薬液が入った。
痩せて筋張った腕をまくると、肘の内側にブスリと突き刺す。
透明な液体が見る見るうちに男の腕に浸透して行った。
「ポンですよ。可愛い奴でね」
男が、独り言のように言った。だが江理子は初めて見る光景である。
ヒロポンは、戦争中特攻隊の士気高揚のために生産されていたと言う。
当時町じゅうの薬局で自由に買えた。
踊り子や舞台芸人たちの間で常用されていたことも事実だった。
やがて、それは闇屋や一般の主婦たちの間にも広まり、事件が
多発して、それまで増産を奨励していた当局は一転して
取り締まる側に回ることとなる。
「江理子、聞いとるのか」
嘉助が、ちょっと声を高くして言った。
「えッ」
「お前は何も芸当がないんやろ。ちょうどええ、お客さんの前で
毛を剃ってもらうところを披露したらどうや」
「わ、わたしが…?」
「そやがな、おめこに穢い毛を生やしているより、サッパリしてええわ」
これは良いアイデアだとばかりに、嘉助はまたふうっと煙草の煙を吐いた。
「女の毛は縁起ものや。客の目の前で剃ってみんなに配ったろやないか」
それがどんなに恥ずかしくて、女としてはしたないことか江理子にも
理解できる。だが家畜としてはどうなのだろう。
「客に剃らせてやったほうが良いですよ。そのほうがウケるでしょう」
ヒロポンを打った男が、気分がスッキリしたのか初めて口をきいた。
「この姐さんはシロトだからね。毛は剃ったほうがイキ易いんじゃないの」
「ふむ、それがええ。こいつがイキよったらようけおもろいわ」
「あ、有難うございます」
江理子は無心に頭を下げた。恥ずかしさも情けないと思う気持ちもなかった。
今日の催しが決まってからというもの、江理子の家畜化は確実に
進行している。
「俺のあいかたは誰だ?」
ヒロポンの男が、ズボンを脱いで露出した男根をしごきながら言った。
「昨日は興行休ませてもらったからな。道具はしっかりしてるぜ」
男根はまだ垂れ下がっていたが、確かに普通より大きくなっている。
連日のように見世物になって射精を続けている男の身体は
痩せ細って精気を失っていたが、1日の休養と薬の力を借りて
僅かな甦りを見せているのだった。
「わたしで良いでしょう?慣れているんだから…」
加奈が何を今更、といった調子でぶっきらぼうに答えた。
「ふん、おめぇはブカブカだからな。こっちの姐さんじゃどうだい」
「駄目ですよ。こちらは素人さんだから、仕事になりませんよ」
加奈にしてみれば、江理子を庇ったつもりなのであろう。チラリと目配せして
言葉を続けた。
「そんなら綾ちゃんとヤリな。何さ、ブカブカにしてくれたのは誰なのさ」
そのとき、また、玄関のベルが鳴った。
そろそろ招待された客が集まってくる時間である。
三十、淫らな火
ショーが始まったのは、それからおよそ30分ほど経ってからだ。
奥の十二畳の座敷に集まったのは、嘉助を含めて八人の男たち、
それぞれこのあたりの闇市の顔役である。
座敷の中央に布団とテーブルが置かれ、それを囲んで男たちが
円形に陣取る。どこからでも好きな角度でショーを眺めることが
出来る仕組みになっていた。
司会者がいないので、ショーは何の前触れもなく、嘉助の
「もうええで、そろそろ始めんか」
という一言で始まった。
次の間の襖が開いて全裸の女が一人、黙って頭を下げる。
それから犬のように四ツ足で這ってテーブルの上に上ると、
背を丸めてもう一度深々と頭を下げた。
女は加奈である。それまで無言だった客の間から、疎らな拍手が起こった。
「どなたか、タバコを一本、いただけませんか」
加奈が抑揚のない声で言った。
すぐに客の一人が洋モクのキャメルの箱を投げると、テーブルの上に
脚を開いた姿勢で、加奈はその中から一本抜いた。
「あの、ライターを…」
「おいよ、これを使え」
当時、まだ簡便なガス式のライターはなかった。投げ込まれたのは
進駐軍のゴツい注油式で、加奈が火を点けるとボゥッと5センチほども
ガソリンの炎があがる。
二、三度ふかして点火したことを確認すると、加奈はゆっくりと
自分の股間に当てた。
一斉に客が動いて、女の正面から股の間を覗きこもうとする。こうなると
8人でも押し合いへしあいである。
「ウゥゥム、フゥゥッ」
下腹の筋肉をヒクッヒクッと痙攣させて、加奈はしばらく呼吸を止めた。
それから、タバコを挟んだ指を離すと、足を一杯に広げてウムッと
いきみをかけた。
「おおっ、出た出た」
「本当に吸っとる。見事なもんだ」
ひらいた陰裂の奥から、モワッと煙が立ち昇ったのを見て客がざわめく。
実際、これはかなり体力の要る仕事なのである。
「ハッ、ウゥッ」
息を止めて下腹を凹ませると、反対に穴の中が広がるのか、先端の火の色が
僅かに赤くなる。他愛もない芸だが、それを見ようとして客の頭が幾重にも
積み重なった。
「タバコ、お吸いになりたい方、どうぞ」
続けざまに三・四回煙を吐いて、肉ベラに刺したタバコを抜くと、八方から
手が伸びて奪い合いになる。
「うひょ、こりゃ濡れとるわい」
口に咥えた男が頓狂な声を上げると、ヒッヒッヒと客たちの淫らな笑い声。
それに構わず、加奈は次の芸に取りかかった。
「綾ちゃん、ローソク持ってきて」
少し間を置いて、奥から綾乃が火の点いた蝋燭を持ってくる。
テーブルに蝋を垂らして蝋燭を固定すると、それを跨ぐように
加奈が腰を構えた。
「電気を消してください」すかさず誰かがスイッチを切る。真っ暗な部屋の中に、
ほの暗い蝋燭の火と、異様に白い女の下半身が浮かび上がった。
「危ないですから、側に寄らないで」
白い太腿の内側にある赤黒い女陰と炎の間隔は十センチくらいである。
加奈はかなり濃い陰毛を持っていたが、蝋燭の光が揺らめくたびに
複雑な陰影が下腹に映ってユラユラと揺れた。
中腰のまま、ヂリヂリと今にも陰毛に火がつくのではないかと思えるほど
近づくと、ハッと声をかけて女が腰を振った。
とたんに、メロメロと炎が揺れて、火がクリトリスから少し垂れ下がった
肉ベラの周辺を舐める。
「おぉっ」
客の一人が、思わず声を上げた。
「おまんこの焼き鳥か、こいつぁ美味そうじゃねぇか」
パチパチと拍手が鳴った。
二度、三度、その度にユラユラと炎が揺れる。陰毛を焼かずに蝋燭の火を
当てるのは、なかなかのテクニックである。
「エェッ」
頃合いを見て加奈が気合をかけると、その瞬間、フッと炎が消えた。
「お見事…」
穴の中に空気を自在に吸い込むことが出来る年増なればこそ、若い娘では
実現できない秘技である。
暗くなった部屋に、また盛んな拍手が起こった。芸が進むにつれて、
江理子の出番が近づいてくる。手にカミソリとぬるま湯を入れた洗面器を
持って、江理子は襖の陰に息を殺して佇んでいた。