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十一、路傍の花


足早に夜がやってくる。

あたりはもうとっぷりと暮れかけていた。海鳴りの音が聞こえないのが

少し寂しい。お多福楼に来て二日目の夜であった。

「牡丹、支度は良いか」

「ハァイ」

志乃は元気の良い返事を返した。

つい先刻、お客さまらしい人の気配があった。いよいよあたいが

呼ばれる番だと、心の中で神様を祈りながら控えの部屋で息を

殺していたところである。

「お客さまは萩の間だ。しくじらんようにな」

おとうさんに小さな紙の袋を渡されて、志乃はますます緊張した。

これを男の人のものに被せて中に入れてもらうのだと昨夜遅くまで

かかってハメ方を教えられたゴムのサックである。紙袋を見ると

「突撃一番」というおどろしい文字が読めた。

何故突撃一番なのか理由はわからないが、当時の日本軍が満州や

中国で専用に使用していた衛生用品である。数百万人の中国人の娘や

人妻が、このサックのおかげでいとも簡単に犯され、傷つけなれて

いったのだった。

ぬるくて色の薄いお茶と切干芋を三枚乗せたお盆を持って、志乃は

二階への階段を登った。

萩の間というのは奥の部屋で、その手前に紅葉の間、菖蒲の間と

花札のような名前の部屋が並んでいる。襖の前まで来て、志乃は

廊下に膝をついて部屋の中に声をかけた。

「お晩でございます」

緊張して、ちょっと声が震えた。だがすぐに中から横柄な野太い声が

返ってきた。

「早く入れっ、そんなところで何をやっているんだ」

教えられたとうり、膝を突いたまま両手で襖を開ける。上眼使いに

部屋の中を見て、志乃はギクッと息を呑んだ。

たぶんおギン婆さんが整えてくれたのだろう。隅のほうに今どき珍しく

派手な夜具が一組敷いてある。燈火管制というのでわざと暗くした

部屋の正面の床の間に立てかけるように置いてあるのは、これはまた

場違いな、ものものしい軍刀である。その前にドンとあぐらをかいて、

こちらを睨みつけているのが今夜のお客さま、いかめしい軍服姿の

将校であった。

「い、いらっしゃいまし」

遠くからしか見たことのない偉そうな軍服姿に、身体が固くなるほど

緊張して、志乃は頭を下げた。

「ふむ、貴様かっ。新しく来た遊び女というのは」

「ハ、ハイ」

「グズグスしておらんと、こっちに来て早くそこを閉めい」

「あぁ、はい」

あわてて襖を閉めて、持ってきた盆を差し出す。将校は無言で腕を

伸ばすと、茶碗を鷲掴みにしてひと息にぬるい茶を飲んだ。

それからまるで威嚇するような視線で志乃を睨みつけながら言った。

「貴様、今夜が初めての商売だと言うのは本当だろうな。嘘ついたら

承知せんぞ」

「ほ、ほんとです。おっとい来たばっかりだから」

「ふん、この重大事局に、ようもこんなふしだらな商売をする気になったものだ」

口髭をムクムクと動かしながら、男は叱りつけるように言った。

「幾つじゃ、正直に言ってみい」

「え、えっと…、十、八才です」

「お国の大事なときに勤労奉仕にも行かんで、こんなところで享楽を

貪っておるとは、ええっ、けしからんではないか」

「あの、あたい、おっとい雄ちゃんとこのおばさんに…」

「何だっ、帝国の軍人に向かってその言葉は」

「すッ、すいません、許して下さいまし」

どうして謝らなければならないのかよく判らないのだが、しくじっては

いけないと言い含められたおとうさんの言葉だけが志乃の頭の中に

こびりついていた。

「傍に来い。貴様のその堕落した精神を入れなおしてやる」

男はぐいとあぐらをかきなおして、居丈高に言った。

「良いか、これから素直に言うことを聞かんと叩っ斬るぞ」

「は、はいッ」

「よし、それでは命令する。ベベを脱いで、わしの前で裸になれ」

「へぇ?」

志乃はキョトンとして男の顔を見上げた。いきなり裸になれと

言われても、いま会ったばかりでどうしたら好いのか、戸惑いと言うより

一種の困惑である。

「帝国軍人に身も心も捧げるのだ。着物も脱げんのかっ」

「脱ぎますッ」

反射的に叫んだのだが、どうしてよいか判らず、志乃はオロオロと

腰を浮かした。

帯に手をかけて、ぐるぐると廻す。せっかく着せられてきた振袖だが、

要領がまだわかっていないのである。モタモタしていると、その様子を

横目で見ていた将校が探るような陰険な声を出した。

「ふむ貴様、口先だけだな。わしを嫌っておるのか」

「いえ好きです、ほんとに好き…」

「ほう、好きと言ったな。それなら裸を見せるのも嫌じゃなかろう」

「は、はい」

早く脱がなければと慌てるので、モタついてますます時間がかかる。

ようやく帯が足元にとぐろを巻いて落ち、絡み付く袖を肩から抜くと、

タタミの上に極彩色の小さな山ができた。薄暗い電灯の下に

浮き上がったのは、女になったばかりの蝋人形のように滑らかな

少女の姿態である。

「好きなら態度で示せ。そこに正座しろ」

それを待ちかねたように、将校が言った。

「タタミに両手を突いて、頭を下げるんじゃっ」

「はい」

着馴れない着物の裾を気にしているより、そのほうがよほど楽だ。

ためらいもなく、志乃は素裸のままタタミに膝をそろえた。

「いらっしゃいまし」

「いらっしゃいましではないっ。どうかよろしくお願いしますと言え」

「よ、よろしくお願いします」

「貴様、まだ心がこもっておらんな」

男はちょっと考えていたが、やがて勝ち誇ったように言った。

「わたしは淫乱な女でございます。あなた様のお好きなようになさって

下さいましと言ってみろ」

「え………」

気持ちが上ずっているせいか、男の言葉はほとんど耳に残っていなかった。

志乃が口ごもっていると、男はかさにかかって追い討ちをかける。

「わたしは身分の低い淫乱な淫売でございます、だ」

「わ、わたしは、淫売で…」

「何でも、あなた様の言われるとうりにしますから、どうか可愛がってくださいと

お願いしろ。心をこめて頼まないと斬り捨てるぞ」

「かッ可愛がってください。お願いしますッ」

脱ぎ散らした着物の前のタタミに頭をすりつけて、志乃は夢中で言った。ここで

この人に断られたら、この家を追い出されてしまうかも知れないという

恐怖のほうが先であった。

「そうか、本気でわしを好きになったか」

「好きになりました」

「好きになっただけでは判らん。それではどうすれば良いのじゃ」

また、次の難問である。志乃は途方にくれて唇を歪めた。

「態度で示せと言ったじゃろうが。近くによってちんぼを舐めい」

軍人の威光をかさにきて、結局はそれをやらせたかった為の手の込んだ

脅しである。

だが志乃には、そんなところまで理解する必要もなかった。

男に気に入ってもらいたい一心で、軍服のズボンに手をかけてボタンを

外そうとするのだが、固くてなかなか前を開けることが出来ない。

「淫らな女だのう。若いのに、そんなことをするのが好きなのか」

自分が望んだ事は棚に上げて、男が少し腰を突き出す。内側が

膨らんでいるので、ボタンを外す作業はいっそうやりにくかった。

「痛いっ、もっと丁重に扱わんかっ」

「あッごめんなさい」

それでもようやく固いズボンの布地の下から弾力のある肉塊を

掘り起こすと、赤黒く色づいたのが脈動して跳ねるように天井を向いた。

「貴様のような淫売は人間じゃない。犬のように這いつくばって

舐めろ」

床柱に寄りかかって股を広げた男がうそぶく。

正座したまま、つんのめるような姿勢で足の間に顔を寄せると、とたんに

ツンと饐えたような男の性臭が鼻をついた。かまわず口に含むと、

ヌラヌラと先走った淫液の味が咽喉のほうまで広がって、志乃は

思わず軽く咳き込むようにむせた。

「どうだ、美味いか」

「は、ふぁい」

「恥かしげも無く、やっぱり畜生の女だけのことはあるのう」

温かい口の粘膜に包まれて、男は満足そうに言った。舌の動きに

感じるらしく、ときどきピクピクと太腿の筋肉を痙攣させる。

「貴様、若いのになかなか素質があるぞ。ははは、犬じゃ、メス犬じゃ」

正座したままなので、この姿勢では息が苦しくてならない。

背中を丸めて懸命に耐えようとするのだが、ときおりゲクゲクと

咽喉が鳴った。

「うむ快い。もっとせぇ、奥まで呑め」

男の亀頭が二度三度、丸い肉の玉のような感触で声帯のあたりを突いた。

勃起した男根が、これ以上太くならないところまで硬直している。

「田舎女郎にしてはようできとる。けしからん、どこで覚えてきた」

どこで覚えたもなにも、志乃はまだ、それまで男と女のまともな交合を

したことがなかった。父親の辰蔵とは何回も関係を持ったが、いつも酒の

勢いにまかせた獣欲のハケ口だったし、浜辺の輪姦では射精していった

男の数さえわからない。お多福楼にきた晩にすぐ、おとうさんに試されたのも

商品としての値踏みと嫌がらずに客を取れるかどうか確認されただけ、

いわば玩具のように弄ばれるために生まれてきたような過去であった。

女郎として、客と名がつく男に遊んでもらうのは今夜が初めてだが、

遊ばれ方もまだ良く分かっていないのである。

息苦しいのをこらえて、それでも10分近く舐めていたのだろうか、男は

髭の唇を曲げて快感をこらえている様子だったが、そろそろ射精しそうに

なってきたのか、いきなり爪先で志乃の横腹を蹴った。

「こら、いいかげんで離せ。シツコイ女だ」

「はぁぁ…ッ」

肉塊が口から抜けると、ホッとして顔を上げる。ベタベタになった唇のまわりを

二の腕でこすって、志乃は大きなタメ息を吐いた。

「股を広げてみい、身体を偵察してやる」

ヒクヒクと男根に脈を打たせながら、威厳を作って将校が言った。

「帝国軍人をもてなす道具に病気などがあってはならん」

「はい」

「早く、横になれっ」

あわててあたりを見まわしたが、おギン婆さんが敷いてくれたのは、志乃が

はじめて見る、分厚くて派手な模様の夜具であった。こんなもったいない蒲団には

まだ寝たことがない。

仕方なく、志乃は直接タタミの上に、裸のまま仰向けになった。

シビレをかいた足を伸ばすと、ようやく身体は楽になったが、これからお勤めを

しなければならないと思うと自然に気持ちが固くなる。息を殺して、志乃は

次に来る奉仕の命令を待った。

「もっと、股をあけいっ」

言葉より早く、乱暴に膝に手がかかってぐいと左右に開く。まだ幼くて脂肪が

のっていない陰裂が無残に口をあけた。

「ふむ、病気には罹っていないようだな」

男が指先で肉片をまさぐりながら、したり顔に言った。

「さすが、お多福のおやじが推薦するだけのことはある。鄙に似合わぬ上玉じゃ」

たしかに、クリトリスは同じ年頃の女の子に比べて大きくなっていたが、両側の

肉ベラは小さくて薄い。陰毛が細く、土手の周辺に柔らかく密生して、娼婦特有の

踏み荒らされたような粗さがなかった。

「花一輪、お国のために身を捧げる事の出来る光栄に感謝せい」

ウッ…、と息が詰まるような重さを感じて眼を開けると、のしかかってきた

将校の髭が、志乃の顔の真上にあった。

柔らかい襞を押し分けて、身体の中に男の肉塊が無造作に侵入する。

志乃は僅かに仰け反るようなしぐさを見せたが、それほどの衝撃があった

わけではなかった。初めて父親に犯されたとき、おおぜいの若者たちに

無二無三踏み躙られたときにくらべたら、人形のように身体を貸している

と言った感じである。

男が腰を揺すると、そのたびにハッハッと息が荒くなったが、別に苦痛では

なかった。ただ困った事は、いつのまにか穴の中がグチュグチュになって

嫌な音を立てはじめたことだ。それが恥かしくて、志乃は下から男の背中に

しがみつき、自然に腰を持ち上げて男の動きに合わせようとした。

「うむっ、貴、貴様…」

はじめに舐めさせていたのがいけなかったのか、ガラにもなく将校はたちまち

咽喉で呻き声を上げた。

「この…、女狐。くっ、くそぅ…」

身体を二つに折り曲げられ、男が上から肉塊を捻じ込むような動作を見せると、

ビクンと筋肉が震えて、何か熱いものが体内に噴き出してきたのがわかった。

「はふゥ、はぁぁッ」

志乃は思わず息を引いた。二・三度脈動を感じると、男の身体が急に重くなる。

あぁ、いけない…

そのとき、志乃はぼんやりとした意識のどこかで、おとうさんの言い付けを

忘れていたことを思い出した。お客さんに使ってもらうのだと言われて

渡されていた「突撃一番」をかぶせるのを忘れて、まだ手の中に握った

ままなのである。それがもう手遅れであることは、穴の周りにドロドロした

気味悪い感覚が溢れていることで、自分で察しがついた。

仕方がない、おとうさんに叱られないように拭いておかなければ…

時間にすればほんの短い間だったが、志乃がそんなことを考えているうちに、

男が急に憑き物が落ちたような顔で身体を起こした。




十二、業火


「帰る。支度せぇ」

「あッはい…」

慌てて着物を着ようとしたのだが、これがまた上手くゆかない。襟の合わせ方も

帯の結び方もしどろもどろで、立ちあがった男の後について部屋を出たが、

まるで振袖狂女といった恰好である。

吐き出されたものを始末している余裕もなかったので、内股を伝わって

膝の下まで落ちてきた雫くが着物を汚さないかとそればかりが心配だった。

ようやく将校を玄関から送り出すと、志乃はそのまま厠に駆け込んで新聞紙を

切ったチリ紙でゴシゴシと股の間を拭いた。いくら拭いても、あとからあとから

生暖かいものがワレメの奥からおりてくる。娼婦という名の職業が負った言葉の

意味を、志乃はそのとき初めて実感することが出来たと言えよう。

それは、みずからの肉を相手に任せて、深い穴の中に痰壷のように性欲を

排泄させる人間便器そのものである。

だが志乃はそのことを哀しいとも惨めだとも思わなかった。

あたいなんかで、あの人はほんとに満足してくれたんだろうか…

ただそれだけが不安だった。悪いことでもしたように顔を見られるのを避けて

闇に消えていった将校が、ひどく憐れな人のようにさえ思えた。

ウ、ウ、ウゥゥ・・・

そのとき突然、厠の中でゴソゴソやっている志乃の耳に腹の底を揺り動かす

ようなサイレンの音が響いた。志乃が初めて聞いた空襲警報である。

ウ、ウ、ウゥゥ・・・

けたたましく、重苦しく、無気味な音が断続的に夜空を覆って充満する。

恐怖に引きつった顔で厠を飛び出すと、志乃は夢中でおとうさんの部屋の

襖を開けた。

「おとうさんッ、ど、どうしよう」

「バカ慌てるんじゃねぇ。何も来やしねぇよ」

「だってッ、爆弾が…」

「落ち着け、どっか街のほうがやられているんだろ」

サイレンを聞いても動ずる様子もなく、太助はどてらをはだけてあぐらを掻いたまま

煙草に火をつけながら言った。

「工場地帯はかなりやられているらしいが、こんな田舎は敵機も素通りだろう。

すぐ解除になるから、そこらの電気を消しとけ」

漁師の部落ではこんな事はなかったのだが、近ごろはB-29の空襲が激しく

なって、東京や大阪が焼夷弾で焼かれたと言う。

新聞もラジオも知らぬが、そのころになると、志乃もさすがに戦争の気配を身近に

感じないではいられなくなっていた。着崩れた着物の裾を踏んで転びそうに

なりながら広い家中の電気を消してまわると、頼りになるのはやはりおとうさんの

傍である。

「臆病な奴ちゃな。兵隊さんは命がけだぞ」

笑いながら、擦り寄ってくる少女の肩を引き寄せて股ぐらに腕を伸ばす。

「どうした。大尉とは、上手くお勤めが出来たんか」

「え、えぇ…」

「そりゃ良かった。いまどき内地にいるようじゃロクな軍隊じゃないが、何しろ

部隊長だからな。しくじるとあとがウルサイ」

それから、おヤ…、と気がついたように太助が眉をひそめた。

「こりゃなんだ。お前ナマでイカされてきたんと違うか?」

「えッ、うん。つい、わ、忘れて…」

「けっ、仕様がねぇな」

グリグリと濡れたクリトリスをこじりながら、太助は舌を鳴らした。

「このご時世に、もし孕みでもしたらどうする。あれほどサックを嵌めろと

言ったろう」

「はい」

「大尉も大尉だ。軍服をかさに着やがって、ふん、面白くもねぇ」

「ご、ごめん…。これからは、忘れないようにしますから」

大尉かどうか知らぬが、お客さんでは感じなかったクリトリスが、おとうさんに

指で捏ねられるとビンビンとひびく。志乃は喘ぎながら太助に身体を摺り寄せる

より他になかった。

「あッ、ふぅ…」

「感じるか。ほらどうだ、ここをこうされると堪らんじゃろう」

「むむぅ、はッ恥かしい」

暗い部屋の中で、太助の指先の罠に落ちて志乃は身をよじった。

「ヒッ…、ヒッ…」

ピクンピクンと、全身が不規則に波を打つ。何故こうなるのか、自分でも

わからないのだ。滲み出してきた快感が血の中に入って、頭の芯が真っ赤に

なった。

「いいィッ、クぇぇ…」

「フフフ、イキおったか。もっとイケ、たっぷりと仕込んでやるでぇ」

満足そうに頷きながら、太助はまだ指の動きを止めようとしない。あぐらの上に

少女を乗せて、可愛がっていると言うより商売用の品物に丹念に磨きを

掛けているといった感じである。

「イッ、イッちゃうッ、あァァ」

おとうさんの手にかかると、どうしてこんなに感覚をもみくちゃにされるのか

分からないが、志乃が少しずつ娘から女になっていることは確かだった。

空襲警報の恐怖もいつのまにか頭から消えて、志乃はぐったりと太助の

膝にもたれたまま眼をつぶった。

強制的にイカされるほど恥かしいことはないが、恥かしさが甘えた気持ちと

重なって、何故かおとうさんの女になったような気がする。怖い人だが、

その反面、おとうさんのためならどんな事でもやらなければという気持ちに

なるのだった。

それが、オモチャとして生まれついた女の宿命だったのであろう。

次の日も、また次の日も志乃は客を取った。

あるときは軍需工場のエラい人であったり、あるときは町の郵便局の

局長さんであったりする。いわば町の有力者に女を抱かせて、戦時下の

商売をたもとうとする太助の作戦であった。

だが志乃には、まだそこまでは理解することが出来ない。ただひたすら、

おとうさんに言われるままに男に仕え、自然に男をもてなす技術を身につけて

いった。空襲警報のサイレンにもいつしか馴れて、暗くなった部屋で

手探りのように客と交わることも平気になった。

ただひとつ、太助にはまだ打ち明けていないが、気がかりなことがあった。

部落にいたときには規則正しくあったメンスが、お多福楼に来てから

パッタリと来ないのである。

赤ん坊が出来たのかもしれない…

と思うと、志乃はゾッと全身に鳥肌が立つような気がした。

心当たりと言えば、複数の若者に犯されたこと、そしてお多福楼での

初めての晩、うっかりしてサックをつけるのを忘れたあの軍人さんである。

きっと、あの人だわ…

それは女としての志乃の本能がささやく、父親のまぼろしであった。

「牡丹、おまえ、月経がねぇようだな」

3ヶ月ほど経って、さすがに気がついた様子で太助が怪訝そうに聞いた。

「まさか、孕んでいるんじゃねぇだろうな。腹を出してみろ」

「う、うぅん、この前ちょっとあったから…。私、軽いんです」

「ほうか、そんなら良いが、サックを嵌めるのを忘れるんじゃねぇぞ」

「はい、大丈夫、忘れていません」

太助にしてみれば、少しでも多く稼がせたほうが良いのである。

その場はそれで済んだが、その月もやはり生理はなかった。

思いなしか、下腹が少し膨らんできたような気がする。

どうしよう、おとうさんにバレたら…

孕んでいることがもしおとうさんにバレたら、お多福楼を追い出されてしまう。

無知といえば無知だが、志乃にはどうしても腹の子が愛しいとは思えなかった。

お腹の中に何か恐ろしいものが入って不気味に蠢いているようで、

不安だった。母親が自分を産むのと引き換えに命を落としたと聞かされたことが、

記憶にこびりついているせいもあった。

そしてまた、ひと月が過ぎる。

そのころになると、日本の敗色はもうすでに覆うべくもなかった。

サイレンは毎日のように鳴ったし、広島が何か得体の知れない大きな爆弾で

やられたと言う噂をその晩の客の噂で聞いたりもした。

「こんな戦争はやっても無駄よ。いまに米英が上陸して、お前らみたいな

女は片っ端から強姦されちまうことになるんだ」

「えッこわい」

「だからよ、今のうちにいい思いをしておけ。おまんこがあったけぇうちによ」

相変わらずの警報で電灯を消した布団の中で、上下に重なったまま、

男が投げやりに言った。ここ何回か通ってくる初老の馴染み客である。

「おめぇ、近ごろ太ってきたんじゃねぇのかい」

少し固くなった腹の上に体重を乗せて、男がゆっくりと腰を使う。

「いいもの食ってるんだな。この食糧難によ」

ギョッとしたが、返事をする代わりに、志乃はヒクヒクと二・三度穴の筋肉を

絞めた。最近、おとうさんの指に教えられて覚えたテクニックである。入り口を

ヒクヒクとやると、たいていのお客さんが喜んでくれることが嬉しかった。

「おっいいな、もっと絞めてみな」

とたんに男の動きが速くなる。それを身体全体で受け入れるような気持ちで、

志乃は脚をいっぱいに広げ、腰を浮かして小刻みに振った。

「えぇ道具、してやがんな。おめぇも気持ちええのか」

「うん、いいよ」

だが口で言うほど感じているわけではなかった。

肉の奥に突き刺さってくる男の刺激は嫌いではないが、性器を弄ばれるのは

平気でも快感を相手に見られることが何よりも恥かしい志乃の性癖は、

いつのまにか、お客さんと交合していても乱れない程度の冷静さを身につけていた。

おとうさんに指で試されるときには、何もかも忘れて続けざまにイカされて

しまうのだが、考えてみれば、それだけが志乃と太助の唯一の絆だったと言えよう。

「そろそろイクぜ、しっかりと絞めてくんな」

「あい」

志乃が思いきり足を広げて、穴の入り口を上に向けたときのことであった。

ザ、ザ、ザザァ…ッ

いきなり、全身を揺り動かされるような凄まじい音が、天井のはるか上のほうで

鳴った。アッと思うまもなく

ゴ、ゴゴゴォ・・・ンッ

家全体が捻じ曲がったような振動と衝撃がいっぺんにきた。

「爆弾だっ」

男が跳ねあがったのが、ほとんど同時である。

ザザァッ、ザ、ザ、ザ・・・、ドォォンッ・・・

天地がひっくり返ったようにタタミが揺れ、バリバリッと窓のガラスが割れた。

歪んだ窓の隙間から、眼が眩むような火柱がゴォッと噴き上がるのが見えた。

素っ裸の男が、志乃を突き飛ばして転がるように二階の階段を駆け下りて行く。

その後を追おうとしたが、腰が抜けたようになって這うことも出来ない。

「うわ、わァァッ」

無意識に意味のない叫び声を上げたが、次の瞬間、グワラグワラと二階が

崩れて、夢中で床柱にしがみつく。その目の前で、再び凄まじい火柱が

地獄の業火の勢いで立ちあがった。

このままでは、炎に巻かれて焼け死ぬより他に道はない。着るものを探している

余裕もなかった。素裸のまま、歪んだ階段を転がるように下りると、グニャッと

したものに躓いてよろめく。見ると、一足先に志乃を突き飛ばして逃げた男が、

倒れてきた柱の下敷きになって動かなくなっていた。

「おとうさんッ、わぁッ、おとうさんよゥ・・・ッ」

だが、太助の姿はどこにもなかった。いつも太助がいる筈の部屋からも、真っ赤な

炎が噴き出している。

ゴウゥゥンッ・・・

地鳴りのような音がして、また近くに爆弾が落ちた。

もう太助の安否など気づかっている場合ではなかった。ようやく崩れかけた

家の外に出ると、燃え盛る炎のあかりに照らされて、裸の身体が赤く染まった

ように見えた。

どこをどう走ったのか、わずかに残っていた野生の本能に命じられるままに

爆弾と焼夷弾の雨の中をさまよって、たどり着いたのは、おその後家に連れられて

通ったことのある神社の境内である。

そこにはおおぜいの人がどこからともなく逃げ集まっていたが、みなどこか

怪我をしていたり、全身火ぶくれになったりして、呻き、泣き叫び、理性を失って

右往左往していた。

轟ッ、轟ッ、と音はそれから夜明け近くまで、3時間以上も続いた。

この日、空襲警報のサイレンに馴れて、住民たちもまさかこんな田舎の街まではと

タカをくくっていたのだったが、ただひとつ街のはずれにある軍需品の集積工場を

狙って、200機のB−29による100キロ爆弾と焼夷弾のじゅうたん爆撃である。

駅近くにあったお多福楼が、最初に焼夷弾の洗礼を受けたのは自然の成り行き

である。

みるみるうちに火炎に包まれて、建物全体が真っ赤な塊となって燃え上がった

のだが、もちろん、炎上したのはお多福楼ばかりでなく、街中が火の海であった。

明け方になって敵機が去った後も、悪夢のような炎と、脂臭い煙があたりに

充満して、人々は生きた心地もなかった。

その中で、志乃は年老いた杉の木の根方に蹲って身動きすることが出来なく

なっていた。怪我はしていないのだが、先刻から子宮の奥がねじ切れるように

痛むのである。それは定期的に一定のリズムでだんだん激しくなってくる。

身体を丸めて股間に手をやってみると、火傷して剥け落ちた皮膚のような感じで、

穴の入り口にコンドームがぶら下がっていた。

直前まで上に乗っていた男が残していったのだろうが、どうしてあの瞬間

コンドームだけが外れることになったのか分からない。ズルッと引き出してみると、

射精しかけていたところだったのか、先端の袋の部分に少しだけ精液らしい

ものが溜まっていた。

「うぅ、うぅぅむ」

また、せき込むような痛みに襲われて、志乃は呻き声を上げた。

すぐ横に若い女がへたり込んでいたが、怪我をしているのか、志乃が苦悶の

声を上げても見向きもしない。

流産、子供が堕ちてくる…

湿った地面に直接身体を伏せて、志乃は心のどこかで何かがささやく声を聞いた。

助かった、これで良かった…




<つづく>もどる