悪女繚乱






1・罪深き身よ


        一、毛剃り問答

 

「ねぇ、あなた…」

夕食のテーブルをかたづけながら、加奈子は出来るだけさりげない口調で言った。

娘の友里香は食事を終わると早々に自室に引きこもって携帯のメールに余念がない。

話すなら今だ…、

先刻からずっと狙っていたチャンスである。

「ん? なんだ」

夕刊のスポーツ欄から視線を上げずに、夫の勝彦が答える。

「このところ、毎日蒸し暑いでしょう? 」

「うむ」

「身体にねぇ、汗疹が出来そうで気持ち悪いのよ。それに、臭いも強くなるし…」

それがどうした、といった感じで勝彦は妻の顔を見つめた。

「わたし、前から考えていたんですけど

片頬に媚びた笑いを浮かべながら、加奈子は子供がいたずらを思いついたように

言った。

「毛を剃っちゃって良いかしら? ねぇ、良いでしょう?」

「腋毛、剃ってるんだろう」

「いやだ、恥ずかしい」

さも、鈍感な亭主の感覚を責めるような口ぶりである。

「わかってるくせに、わたし毛深いから毎年悩まされているの」

「へぇぇ」

「思い切ってサッパリと剃ってしまえば楽になると思うんですけど、駄目?」

毎年などと言っているが、結婚して十年近くなるのに話が出たのは初めてである。

「勝手に剃れば良いだろう、俺は知らん」

いまさら詰まらんことを、と勝彦はほとんど関心を示そうとしなかった。

「ウフフ、そうね」

加奈子は自嘲するように笑った。

そう言えば、夫婦の間でセックスの回数が少なくなってからずいぶんになる。

結婚して十年だが、夫の勝彦は有能なサラリーマンでそれだけに仕事一筋の猛烈社員

である。頭のどこかでいつも仕事のことばかり考えているといったタイプで、どちらかと

いえばセックスには淡白なほうだ。

それが、加奈子には物足りない。

結婚して二年ほどは何とか我慢していたのだが、ふとしたことからテレクラで

知り合った大学生と浮気したのがきっかけになって、今日までに七・八人の男と

関係を持った。


いわゆる不倫である。

さすがに良心に咎める部分があるので、夫には絶対に秘密にしているのだが、

今度という今度は騙しようがない。


新しい男の名前は、陣内徹也といった。

変った刺激が欲しくなって、いつものテレクラと違うSMコーナーに電話をかけて

知ったのだが、年は二十八才、加奈子より六才も年下である。

「何だおめぇ、おまんこに毛を生やしているのか」

ラブホテルに連れ込まれていきなり裸にされると、竦んだように立っている加奈子の

陰毛を見て、徹也は鼻の先で笑った。

「奴隷ってやつは、男に会うときにはおまんこの毛を剃ってくるのが常識だぜ」

「えぇえっ、そ、そうなんですか?」

「まぁいいや、どの程度の変態なのか調べてやるよ」

自信たっぷりに宣告されると、気持ちがいっそう硬くなった。

何だこんな女か…、と言われたくない。

どこまでも変態と思われるように振舞わなければ…、

見栄と虚栄心と、年上という意識がそれに輪をかけて、徹也に抱かれると加奈子は

狂ったようになった。

イカされた回数は、はっきりと感じただけでも七・八回、うねるような陶酔が

絶え間なく続く。それはこれまで感じたことのない異常な陶酔であった。

そして終わったあと、嘲るように徹也から言われたひと言がグサリと胸に刺さった。

「おめぇ変態じゃねぇな。ゲロを吐くほどイキやがって、こんなのはただの淫乱だよ」

たしかに、男なしではいられない旺盛な性欲は淫乱といわれても仕方がない。

だが何かが違っていた。徹也とのセックスは、過去の男たちから与えられた

快感とはまったく別のものだったのである。

「お、お願い、わたしを変態にしてぇ」

男の脛にかじりつくように縋って、加奈子は呻き声をあげた。

「毛を剃って下さい。あ、あなたの奴隷にしてぇ…ッ」

これが、その夜夫との間で交わされた会話の本当の意味だったのである。



    二、家畜への出発


徹也の言葉を借りて言えば「ゲロを吐くほど」イカされてきた筈なのに、その夜から、

加奈子はもう次の愛撫が欲しくて堪らなくなった。だからと言って、夫の勝彦に抱かれたい

とは露ほども思わないのだ。


男の体重を身体の上に乗せて、息苦しい圧迫感の中で腰を持ち上げて快感を

受け入れようとする。加奈子には、それがひどく虚しい行為のように思えた。


まだ一度だけだが、徹也とのセックスを思うと、変態ってどんなのだろうという

好奇心がムクムクと頭を持ち上げてくる。SMというものへの幾分の知識はあったが、

そのときは縄も鞭も使われたわけではなかった。


せいぜい指先で悲鳴を上げるほど乳首を抓りあげられたり、髪の毛を鷲づかみにして

咽喉の奥まで徹也の男根を突き刺されたりした程度なのだが、それでも夫とのセックスに

比べたら天と地の違いがあった。


どんなに激しくやったとしても、私は通常のセックスにはもう感じなくなって

しまったのかも知れない、と加奈子は思った。


それ以来、頭に浮かんでくるのは、徹也の目の前で陰毛を剃り取るときのまがまがしい

情景ばかりである。


それは加奈子にとって、夫から他の男へ、肉体の所有権が確実に移動することの

証明であった。

「暇が出来た。三時に来い」

そして昨夜、遅くなって携帯にメールが入った。文面はたったそれだけである。

場所は書いてなくても、初めて逢ったスーパーの屋上にある駐車場に決まっていた。


加奈子は朝から落ち着かなかった。

夫を送り出したあと、風呂に入って念入りに髪を洗い、粘膜の襞を指で分けて

淫滓が残らないように何回もシャワーをかけた。

この前の話では、パンティとブラジャーは初めから許されていない。

素肌にブラウスをつけ、ストッキングをガーターベルトで止めた。車の中で手を伸ばせば

触れるようにパンストも穿くことが出来ないのである。


三時までにはまだ十分に時間があったが、気が落ち着かないまま加奈子は

早めに家を出た。目的のスーパーに着いたのが二時半である。駐車場に止めた車の中で、

加奈子はもう一度服装を点検してみた。


薄いブラウスの下はそのまま乳房で、握ると乳首がツンと立っている。

ノーブラであることがすぐにわかってしまうのは仕方がなかった。スカートを捲って、

自分で指を入れてみる。あれほど洗って流してきたのに、ヌラリとした感触が早くも

滲み出していた。

15分経ったが徹也の車は現れない。本当に来てくれるだろうかという不安と、

今日は何をされるのかという期待で気持ちだけが異常に高ぶってゆく。こうやって

待たされていることも快感の一種だと加奈子は思った。

ようやく、型の古いスカイラインがスーパーの屋上に現れたのは、約束の時間を

二十分以上回ってからである。内側から助手席のドアを開けると、プンと精悍な

男の匂いと一緒に徹也が乗り込んできた。

「寝坊しちゃってさぁ」

それが最初のひと言であった。

「昨夜から琴江に迫られてよ。今日は朝から眠たいんだ」

「お疲れ様でした」

琴江というのは徹也が同棲している女の名前なのだが、何故か嫉妬が

わいてこないのは不思議である。

「ブラ取ってきた?」

 それから思い出したように徹也が言った。

「はい」

無言で手を伸ばすと、プツプツとブラウスのホックを外す。

「でっかいオッパイだな」

「はぁぁッ」

それだけで、加奈子は全身の皮膚が引きつるような痺れを感じた。

車の中で乳房をむき出しにされ、俯いてみると、淡く色づいた小ぶりな乳首が

固くなっている。

「ちょっと、お使いに行ってきな」

「えぇっ」

「下のスーパーに行って、ジュースのビンと洗濯ばさみ、それから腋毛を剃る剃刀…」

「は、はい」

 慌ててボタンをかけ直そうとすると、ビシャンと目の中が赤くなるほど頬を張られた。

「馬鹿! そのままで行くんだよ」

「ヒェッ」

「早く買って来い。時間がねぇんだ」

 いくら掻き合わせようとしても、ボタンの外れたブラウスはダラリと前に垂れ下がる。

 三階の駐車場から売り場に下りる階段で、無防備になった下膨れの乳房がプルプルと

上下に揺れた。



三、不貞の快楽

徹也はケロリとして周囲のことなど気にしていないようだが、加奈子の気持ちは

完全に宙を飛んでいた。

レジを通るときの恥ずかしさは死ぬ思いだった。レジの女はチラリと胸元を見たが、

別に注意する様子もなかった。


助手席に徹也を乗せて、乳房を露出したまま目的のラブホに直行する。途中、

交差点で車がならんで停止したときなど、見知らぬ隣の視線が気になって加奈子は

一刻も早く信号が青になることを祈った。


オートボックスからキーを受け取ってエレベーターに乗る。入れ違いに若いカップルと

行き合って、加奈子は思わず顔を伏せた。

半分露出した乳房に気がついた男が、「おっ」と声を上げて足を止めたが、逃げるように

エレベーターに入る。ホッと一息つく余裕もなくすぐにドアが開いた。

キーと同じ部屋の番号を探してドアの前に行くと、振り向いた徹也が

無造作に言った。

「そこで、脱ぎな」

「えっ?」

 一瞬、意味がわからずキョトンとしていると、徹也は自分でドアを

開けながらこともなげに笑った。

「裸になって入って来いと言っているんだ。そのくらい判ってるだろ」

 呆然となった加奈子の目の前で、冷酷な音を立ててドアが閉まった。

「あ、あ、あわ…」

ノブに手をかけて引いてみたが動かなかった。こんなところでまごまごしていたら、

誰が来るか知れたものではない。加奈子は夢中でブラウスを脱ぎ、スカートの

ファスナーをはずした。

「ぬ、脱ぎました、早くあけて…ッ」

両手にブラウスとスカートを抱えて、ガーターとストッキングだけの全裸である。

鍵穴に口をつけて部屋の中に訴えてみたが、聞こえているのかどうか、徹也からの

反応はなかった。ようやく内側からドアが開いたのは、それから数分経ってからである。

たったそれだけの間に、加奈子は極度の緊張と恐怖でフラフラになっていた。

「どうした、元気がねぇな」

よろめくように室内に入って、入口でへたり込んでしまった加奈子を見下ろしながら、

面白そうに徹也が言った。

「こんな格好になったお前を、愛している旦那に見せてやりてぇよ」

 ゆっくりとズボンのファスナーを下ろして、中から半立ちになった肉の塊を掘り出す。

「舐めろ」

「はいッ」

問答無用、膝で上半身を起こすと、加奈子は突きつけられた男根を何も考えずに

口の中に入れた。 ウグッと咽喉が鳴って、微かに饐えた匂いが口いっぱいに広がる。

それほど大きい感じではないが、加奈子にはこの上なく貴重なものに思えた。

「旦那に許可を取ってきたのかい?」

肉棒を咥えたままコクコクとうなずく。徹也はまた面白そうに笑った。

「女房がおまんこの毛を剃られてくるのを黙って許す旦那様も珍しいな」

私にはもう関心がないんです…、と加奈子は心の中で言った。頭を抑えて

揺すられているので、言葉にならないのである。

「風呂場に行って、自分で剃ってみな」

「ふぇぇ、うぐッ」

すぐ横がバスルームへのドアであった。

もう良いと言わんばかりにつま先で乳房を蹴られて、仰け反りながらドアを開けると、

徹也が蛇口を開いておいたのか浴槽から湯が溢れだしていた。

覚悟を決めて、加奈子はガーターとストッキングのままタイルにしゃがむと、

床に流れる湯を片手で掬ってビチャビチャと陰毛を濡らした。

こんな格好を夫の勝彦が見たら何というだろう。不貞と言えば、これ以上の不貞は

ないのかもしれない。だが加奈子には、それが堪らない快感なのであった。

どうせ裏切るなら地獄の底まで裏切って、背徳の限りを尽くしてみたい。

スーパーで買ってきた腋毛剃り用の剃刀を手に持って、加奈子は蕩然とした

視線で徹也を見上げた。

「剃ります…」

「今日から俺がご主人様だからな、旦那にはしっかり仕えて良い女房になれ」

「はい」

不思議な倒錯した快感の中で、加奈子は自分の下腹に剃刀を当てた。

 ジョリ…

微かな音を立てて、ひと塊りの陰毛が流れる湯と一緒に下水口に吸い込まれていった。

加奈子が、変態になった歓びを全身で感じ取った一瞬である。




 

<つづく> <もどる>