序 章
大仏殿の広い屋根の下から、茜色の雲が一筋、中天にかかっていた。あとは、刷いたように
淡い紫色の古都の夕暮れである。
眼の前の石ダタミを、ひっきりなしに往来していた修学旅行のあわただしい流れも、
そろそろ途絶えかけている。あたりが、ようやく落ちつきを取り戻して、大仏殿がひとまわり
大きく見えてくる時刻だった。
石ダタミをちょっと外れて、忘れられたように小さな欅の林がある。古ぼけたベンチが
置いてあったが、もう利用する人はなかった。
田丸五郎は、長い間ボンヤリとそのベンチに腰をおろしていた。
その横に、脱いだままの上着が半分ずり落ちそうになっている。ワイシャツのボタンを
とって、ネクタイをゆるめているのは、スタイリストの彼にしては珍しいことであった。
二十八才、まだ独身である。がっしりとたくましい体つき、ちょっと残念なことには、
平均よりやや身長が低い。それが、この男が服装にうるさい原因でもあった。
奈良は、はじめてである。
べつに、この古い都に興味があったわけでもない。せいぜい鹿と大仏さまといった程度の
知識しかなかったのだが、それでも二。三個所まわって、このベンチの前に来たのは
五時すぎた頃であった。大仏も見たが、大きさよりまわりの修学旅行の数の多さにびっくり
した。何しろ、日本中の修学旅行と名のつく団体の何割かが通りすぎてゆく道なのである。
石ダタミのむこうに、かなり大きな池が風情ありげに松のかげを浮かべてひろがっている。
名前を鏡池ということもはじめて知った。
林の奥は、東京ではほとんど見られないムキ出しの土塀で、観光ルートとは違った眼立たない
くすんだ門があり、「勧学院」という木の札が出ていた。名前からして、おそらく
坊さんたちの学問所なのであろう。気がつくと足もとにも、古くなった石標のようなものが
傾いていて、刻まれている文字は、「真言院」と読めた。あるいは、こちらのほうが
正式な呼び名なのかもしれない。
田丸五郎は、腕時計を見た。
戻るには、まだ一時間以上あまっている。土産ものを買うつもりもないので、このまま
ボンヤリと腰を下ろしていることにきめた。とにかく。楽な気持ちでいたいのである。
ひとつには、和気野清麿という異常な人物とのかかわりから、少しでも離れていたいと
いうこともあった。
事件がようやく解決して、ホッとした気持ちとはうらはらに、清麿との別れ際に、
田丸五郎はそれまでの気持ちの欝憤をぶちまけるように言った。
「ま、お世話にはなりましたがね。出来ることなら、もうこれで当分の間はお合いしたく
ないものですな」
考えてみれば子供みたいなものだが、その時は本気でそう思った。
「またいやな事件でもあって、こう勝手気ままにやられたんじやぁ、かないませんからね」
「こっちも、なるべくならそう願いたいものだな」
清麿は、ニヤニヤと笑っている。これがまた、ひどく勘にさわるのである。
「そうあわてないで、二。三日ゆっくりと遊んで行ったらどうだ?」
「結構なお話ですがね、これでも東京に帰れば仕事が山のようにあるんで…、早くノンビリと
旅行でも出来る身分になりたいですよ」
嵯峨野にある清麿の家をひる前にとび出し、その足で京都駅に行くと、最終のひかり号
の切符を買った。気晴らしに、それまでどこかで時間をつぶして行くつもりである。
ふと思いついて、奈良行きの特急電車の窓口にまわると、うまい工合にすぐ座席がとれた。
奈良までは意外に近い。ノンストップで30分あまりの行程である。
電車がスピードをあげ、身体に軽い横ゆれが伝わってくると、田丸五郎は、ようやく
解放された気分になった。サービスの熱いタオルがうれしかった。ゴシゴシと顔を拭くと、
事件は終わったんだなという実感がはじめてわいた。セブンスターを一本ぬいて、田丸五郎は
ゆっくりと煙を窓に吹いた。
平和な、初夏の大和路である。
見わたす限り、薄緑色の田ん圃で、遠くに低い山なみがかすんでいる。沿線の電柱や
雑木林が、かなりのスピードでうしろに流れていった。
平凡な景色ではあったが、すくなくとも田丸五郎にとっては、この上なく平和な風景に
見えた。
だが、このあとで田丸五郎が巻きこまれていった事件の壮大なルーツは、まさにこの
風土の中で、音もなく息づいていたと言ってよい。そこには、いうに千二百年を超える時間が
堆積していたのだった。
それは物理的な時間ではなく、実は、日本と日本人をつくり育くんできた歴史の量感で
あろう。
万葉のころから、飛鳥。天平。平安にかけて、この時代に生きた人びとは、決して遠い
伝説の世界に置き忘れられてしまったわけではなかったのである。
「・・・・・・・・・?」
そのとき、ベンチのうしろで微かな音が聞こえた。ふりむくと土塀のあたりには、早くも
夕暮れの気配がたちこめている。
子供だった。
10才くらいの男の子が、手に何か抱えてじっとこちらを見つめて立っていた。
「ボク、どこから来たの?」
彼はベンチに片肘をかけて、人なっこく笑った。だが少年は、ニコリともしないのである。
笑顔のもって行き所がなくなってしまったような感じで、彼はその子供を見ていた。
少年は、しばらくそのままでいたが、やがて足音をしのばせるような歩き方で、すこし
離れたベンチのほうに行った。持っていたものを置くと、腰をおろして両足をプラフラ
させている。結局、こちらは完全に無視された格好になった。
もう一度話かけてみるにしても、距離がありすぎた。あるいは、うしろの勧学院から
出てきたのかもしれない…。
ベンチの下で前後に揺れている。無理に盛装させられてきたというのではなく、身について
いるところを見ると、何となく、しつけの良い家庭がうかがえるような気がした。だが、
どこか冷たいよそよそしさを感じさせる子供である。
田丸五郎は、視線をまた鏡池のむこうにある松にもどした。
それからまた五。六分たったろうか、少年が急に走り寄ってくるのに気づいて、オヤ、
と思った。
少年は、眼の前を無遠慮に横切ってベンチの反対側に行った。
「・・・・・・・・・」
いつのまにか、女が立っている。
わずか10メートル程のところだったが、女がいつここに来たのかわからなかった。まだ
二十五・六才を出ていない感じで、古風な、というよりむしろ地味すぎる程の着物が、
暮れなずんだあたりの空気と濃淡の調和を保って、どこか謎めいた美しさがあった。
女のほうでも、田丸五郎を意識したのか、ちょっと会釈するようなしぐさを見せたが、
そのまま腰をかがめて、子供から包みを受けとっている。それが不思議なほど鮮烈な印象
になった。
女は包みを受けとると、すぐに歩きはじめた。もちろん、声をかけてみる隙などはなかった。
・・・母子なのかしら?
だが何となく違うように思えた。これは直感である。
ニ人が勧学院から出て来たことは、ほぼ間違いなかった。おそらく、彼女が残りの話を
している間に、少年のほうが先に門を出て侍っていたのであろう。
夕闇が濃くなってきた。
いまの女に出会ったことで、ようやく、奈良に触れたような気がした。彼は、立ち上がって
ワイシャツのボタンをはめ、ネクタイをなおした。
脱いでいた上着に腕を通して、何気なく、少年のいたベンチのほうを振りかえって見た。
何か、白いものが乗っている。あの子供が駆け出したとき、持ち忘れて行ったものに
違いなかった。予期しなかったことだが、あの女との間に、突然、見えない糸が張られた
ような期待が、彼を逆戻りさせた。
近寄ってみると、新聞紙である。軽い失望を感じて、彼はそれを拾った。まだ真新しい、
キチンと折り畳まれたままの新聞紙であった。
もう大きい活字しか読めない。引き返そうとして、田丸五郎はふと意外そうな眼をした。
北日本新聞…。
それは彼自身はじめて知る紙名だったのである。地方紙であろうが、紙名からして、
もちろんこのあたりで売られている新聞である筈はなかった。
田丸五郎は、それを筒のようにして握ると、大股に歩きはじめた。
東京行きの新幹線、ぴかり号の最終列車は京都を20時53分に発つ。
窓の外はくらく、線路のひびきが単調なリズムを伝えてくるだけで、それはどの
スピード感はなかった。車内はすいていて、乗客のほとんどは眼を閉じている。
京都を出るとすぐに、田丸五郎は北日本新聞をひろげた。
中央紙にくらべて、多少インクや紙の質も落ちるのだろう。全体にやや白っぼい感じで、
記事や広告にもローカル色がにじみ出ている。北日本新聞は、富山市で発行されているの
だった。地元では名の通った新聞なのだろう。日付をみると、五月十八日、つまり今日から
四日前になっている。新聞は一度も読まれた形跡がなく、キチンと折り畳まれたままであった。
四日も前の新聞を大切に持っていたというのは、読むためより保存しておきたかったの
であろう。その意味で、五月十八日付の北日本新聞に、何かあの女性に関係ありそうな
記事が出ているのかもしれないというのは、決して確率の低い推理ではなかった。
糸は、まだ完全に切れてしまったわけでもあるまい…。
女の秘密を覗き込むような興味もあった。田丸五郎にとって、これはビジネスとは全く
別の、ひそかなゲームだったのである。
すくなくとも四日まえまでは、女は富山県のどこかにいた。何かの理由があって、奈良に
出てきたのだろうが、わざわざ北日本新聞を持ってきたのは、やはり記事と無関係では
あるまいと思う。それが二十頁だての新聞のどこにのっているのか…。だが写真はおろか、
具体的なキーが何ひとつわかっていないことには、漠然として掴みどころがなかった。
パズルとしても、それ以上どうにも駒を動かすことが出来ないのである。
列車は名古屋を過ぎて、もう浜名湖のあたりを走っている筈であった。
そのころ、田丸五郎はまだ紙面に眼をおとしていた。しかし、もう活字を追っているわ
けではなかった。
広告から映画案内から、古い天気予報まで読んでしまって、あとはながめているだけ、
といった心境である。視線は無意識に、最後に読んだ死亡広告の上にのっていた。そのとき、
ふと妙なことに気がついたのである。
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父 興平儀 今般五月十三日死亡いたしました。
生前の御厚情を謝し、ここに謹んでお知らせ申し上げます。
なお、葬儀は内々にて相済ませましたので、左記のとうり
故人の追善供養を営みます。
一、日時 五月二十二日 午前十時
一、場所 高野山正覚院
昭和××年 五月十八日
富山県中新川郡立山町××
喪 主 佐伯敬至郎
親族 一同
友人代表 大関 良祐
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これだけでは、単なる地方名士の逝去を知らせる広告である。だが、田丸五郎にはこの
人物の名前に記憶があった。
父興平と言う以上は、喪主の姓からして、これは佐伯興平氏であろう。
一面識もないが、この名前はたしかに十日ほど前、東京新聞の社会面にも出ていた。
しかもそれは、ある殺人事件の被害者としてだったのである。
注意して読めば、文中に天寿を全うしとも薬石効なくとも書いてないのは、やはり、
それだけ気を使っていることがわかる。葬儀は内々に済ませたので、追善供養を営みたいと
いうのも、普通の死亡広告とは違っていた。ニュースの裏側にいる肉親の困惑が、眼に
見えるような気がする。 田丸五郎は、ようやく、ある納得にたどりついた。
新聞は五月十八日のものだが、高野山の正覚院というところで、殺された佐伯興平氏の
追善供養が営まれたのは、まさしく四日後の今日なのである。新聞は、まだ生きていたのだ。
あの女性が富山から出てきた理由は、これ以外にはないのではないか…。
法要が予定どうりはじまったとして、終わるのはおそらく十二時前後になるだろう。
高野山から奈良までは、そう違い道のりではあるまい。
田丸五郎は、鞄から時刻表を出して、大急ぎでページを繰った。ルートは大阪を迂回して
くる私鉄コースと、橋本から、関西本線か桜井線経由で奈良に入る国鉄コースの二通りあって、
どちらも所要時間は三時間たらずである。彼女がベンチの横に立ったのが六時すぎ
だったから、これはたしかな可能性であると言って良かった。
時刻表を伏せ、眼をとじてシートにもたれると、夕暮れの中に消えて行った女の後ろ姿が、
あざやかによみがえってきた。
あの鮮烈な第一印象は、いったい何だったろう。たとえ、彼女が古い都に住む人では
なかったとしても、謎めいた幻想的な雰囲気を漂わせていたことに変わりなかった。あれは、
彼女だけが持っている独特のムードだったのだろうか…。
見えない糸をたぐってみたら、間違いなく手応えがあったのである。
佐伯興平氏が殺された事件を追ってゆけば、「奈良の女」との再会は、案外簡単に実現
出来そうであった。
新横浜を過ぎて、窓の外に、そろそろ街の灯がふえはじめている。
田丸五郎は、東京についたら、もう一度佐伯興平氏の記事を読み直してみようと思った。
だがこの時点では、彼はまだ事件の対岸にいたのである。