二、秘   境



 翌日、つまり五月二十六日…。

 田丸五郎は、朝から駆けまわるようにして仕事をかたずけ、夜、新宿の駅に行った。

 時間には、まだ多少の余猶がある。気まぐれと言えばそれまでだったが、何となく、

和気野清麿に連絡しておこうと思った。

 あの男の異常な性格や、眼のなかにもうひとつ眼がついているような視線は、どうしても

好きになれない。だがどういうわけなのか、こんなとき不思議に意識のなかに浮かぶの

である。煙草のみが煙草をやめられないようなものかな・・・、といまいましかった。

 電話ボックスの前に立ってポケットをさぐると、四・五枚の百円玉が残っていた。

 どうせ、あとは夜行列車だ…。

 まとめてそれを放り込んでしまうと、ダイヤルをまわした。

 「何んだ、コロタ丸か?」

 くそ・・・!

 百円玉をまとめて入れてしまったことを後悔した。

 「何んだつてことはないでしょう」

 「今ごろ、まだ働いているのかい? 可哀想に、すこしは休んだらどうだ」

 「へっへっへ…」

 田丸五郎は、唇をゆがめた。

 「ちょっくら、これから旅に出てこようと思いましてね。この間お話した夢が、早くも

実現したというわけで・:」

 「ふむ、コロタ丸にしては珍しいな」

 ゴロー・タマルのもぢりなのである。とにかく、豆タンクとか小型ブルドーザーなどと

呼ばれることは大嫌いだった。そのなかでも、コロタ丸はタブーである。

 「旅って、何処へ行くんだ?」

 「立山ですよ!」

 「ほう、そんなに急いでか? よっぽど良いところらしいな」

 「決まつてまさぁ、北アルプス立山連峰の主峰、標高三千十五メートル、途中に有名な

黒四ダムなんかがあって…」

 「黄金でも出るのかい?」

 「そいつはどうかわかりませんがね。そこに、餓鬼の田ん圃というおかしな名前の土地があって、

出てきたのは、餓死同然の死体がひとつ・:」

 「おい! 友人でも遭難したのか」

 「いや他殺で…、縁もゆかりもない他人様ですがね。何しろ場所は富山県側の日本海に

面した中腹で、弥陀が原という、海抜二千五百メートルくらいの大高原地帯なんです」

 「面白いな」

 「面白いでしょう。そこに本物の餓鬼が出たということになっては、行ってみたくもなる

じやありませんか」

 「おちつかん奴だ・・・」

 「まあね、でも実を言うと、こいつはまだフロクでしてね」

 田丸五郎は、それから手短かに昨日からの電話のことを話した。

 「一種のボディガー
ドみたいな仕事ですから、和気野先生にとつてはどうということないでしょうがね。

こっ
ちはメシの種ですから、いやいやながら行って来ますよ」

 「おい、コロタ丸…!」

 続けて何か言おうとしたとき、電話の百円玉が切れてしまった。

 ざまみろ…。

 田丸五郎はちょっぴり溜飲をさげた。きわどいところで、あの男は異常な興味を持った

らしいのである。もう一度かけてやりたくても、百円玉がおしまいだ。

 田丸五郎は、茶色のボストンバックを持つと、肩をそびやかすようにして、改札口の

ほうに向かった。

 アルプス7号は、新宿を2320分にでる。

 これだと、早朝信濃大町について、そこからいわゆる「立山黒部アルペンルート」を通って、

直接、山頂に近い室堂にぬけるのである。旅行案内書を見ると、室堂は事件のあった

弥陀が原高原の中心で、スキーや登山者の基地になっているらしい。餓鬼の田ん圃は、

室堂からすこし下がったところに、たしかに存在していた。

 はたして、歩いて行けるのだろうか…。

 観光旅行ならともかく、田丸五郎は、いささか身のすくむ思いだった。こんなところで

殺人事件がおこることさえ、ちょっと信じられなかつたのである。

 五月も終わりだというのに、車内には、山仕度で着ぶくれた若者たちが何人もいた。

網棚にはスキーものっている。アルプスには、まだ冬が残っているのであろう・・・。

 いつのまにかウトウトとしたのだつたが、松本を過ぎる頃には、もう眼が覚めてしまった。

 朝の気配と一緒に、どこからともなく山の匂いがただよってくる。

 信濃大町に着いたのは、明け方の5時23分である。

 ここから、白馬、つが池、ハ方尾根と、中部山岳国立公園へのさまざまなルートがのびている。

 駅前には、同じ頃の列車で着いた若いアルピニストたちが、そこここに屯ろしていた。

 やがてバスがきて、彼は山男のザックにはさまれるようにして、一番うしろの席に

腰をおろした。トレンチコートに皮のボストンバヅグといったスタイルは、この場合ひどく

都会的であり、それだけに周囲の雰囲気に馴染まないような気がして肩身がせまい。

 アルぺンルートは、ここから大町有料道路を経て扇沢に行き、トロリーバスに乗り継いで、

海抜二千六百七十八メートルの赤沢岳と鳴沢岳の中間、通称「関電トンネル」を抜けて

黒部湖に至る。

 トンネルは、昭和31年、関西電力がダム建設の資材を搬入するため、膨大な予算と人力を

投入して完成させた、世界でも稀にみる産業山岳道路の後身である。凄まじい断層破砕帯に

悩まされながら、科学と人間の総力を結集した難工事だったというが、この間の事情については、

すでに映画や、いくつかの書物によって詳しい。

 黒部湖駅は、山の中にあった。と言うより、山の底なのである。うんざりするほどの階段を

のぼって、突然、ぽっかりと地上に出た。

 眼の前に、豪快な大スクリーンがひろがる。

 正面には、紺碧の空に主峰立山がほとんど視界いっぱいの高さでそびえ、右手に荒々しく

雪をかぶった黒部別山が、そそり立っていた。

 左側には、四囲の山々から解け落ちた雪で満々と水をたたえた黒部湖が、ダムとなって

轟々と地を揺
るがしている。見おろすと、高さ百八ト七八メートルの堰堤から噴き出す水流が

扇型の霧と
なって、足もとに壮麗な虹の弧を懸けているのだった。

 あまりにも美事な、自然と人工美の交錯である。

 人跡未踏の峻険のなかに、これだけの景観を創造した人間の知恵に、彼は感動した。

 十分に四車線の幅はありそうなダムの堰堤の上を歩きながら、田丸五郎は、トレンチコートの

襟を立てた。見上げると、立山は今にものしかかりそうな位置に屹立している。頂きの白銀が

眩しく、そのために空がいっそう青く、高く見えた。

 行く先に、ひとつの殺人事件が持っている…。だが、どんなに正義感をかきたててみても、

この巨大な自然のメカニズムにくらべたら、まるで、ちっぽけな墓標のようなものではないか…。


 その墓の下を、これからあばきに行こうとしている自分が、ひどくわびしかった。

 堰堤を越えると、ルートはさらに地下ケーブルに接続している。

 ケーブルカーは、標高差およそ四百メートルのトンネルを爪を立てるようにして登る。

 そこから今度は空中を、全長千七百メートルに及ぶローブウェイが、蟻のような人間を

一挙に立山の山腹に運ぶのである。

 彼は、圧側されてしまった。何の労力も使わず、自分がこの場所に立っていられることが

不思議だった。それは、まったく駆け土がってきたという感じだ。

 人間が自然に勝ったとまで思ったダムの堰堤は、眼下に白い石ころのようになって、

ようやく存在している。かわりに、重畳と波打つ山々は、大天井、不動岳、燕、針の木、爺が岳、

鹿島槍・・・。いづれも三千メートルに近い、後立山連峰の波涛である。彼は、粛然と

した気持ちになった。

 ダムは小さく、ルートは太平洋を丸木橋で越えてきたようなものであった。一歩踏みはずせば、

そこは苛酷な大自然のまっただなかなのである。

 何回も、大きな息を吸った。そのたびに、身体中の血液が入れかわってゆくような気がする。

眺めても眺めても、飽きることのないパノラマであったが、いつまでもそうやっているわけには

ゆかなかった。目的地の室堂は、ちょうどこの反対側にあたる。つまり、長野県側の大観峰から、

巨峰立山の直下を貫通する三五六〇メートルのトンネルをくぐって、日本海側に抜けるのである。

 立山は、数百億トンの岩石の塊りであろう。そのどこかに穴があいているなどとは、ちょっと

信じられなかった。

 トンネルバスというのにも、初めて乗った。室堂に着くと、そこも地下駅であった。まさに

乗り物のオンパレードだったが、中部山岳国立公園のなかでも、特別保護地区に指定されて

いるので、ほとんどが地下を通る。だがこれは素晴らしいことであった。自然と人間とは、

闘うのではなく、あくまで調和しなければなるまい。

 田丸五郎は、革のボストンバックを左手に持ちかえて、駅の外に出た。

かたく冷たい空気が頬にふれた。眼の前に、鷲くほどの近さで立山がそびえたっている。

 彼は、ぼう然とその頂きを見上げた。

 山の姿があまりにも違うのである。これが、同じ日のほとんど同じ時刻に見る、同じ山の

姿なのだろうか。

 長野県側から見上げる立山は、碧空に白銀をいただき、ぎらぎらと輝くような峻険であった。

黒部湖と黒部渓谷をはさんで、北アルプスの峨々たる山なみと対持してすこしもひけを

とらない。雪をはらったあとの山肌は、あくまでも緑で、欝蒼たる森林に覆われ、頂上に

近づくにつれて、鋭い牙のような断崖を露出している。男なら壮年であり、ライオンの

ようなたけだけしさをみなぎらせていた。

 それが、室堂の立山は違うのである。

 どことなく円味を帯びた稜線をもち、山肌は、長い歳月の風雪にさらされて白茶けて見えた。

空の青いのに変りはないが、頂上の雪は、にぶく分厚い感じの灰色である。正面は

遠く日本海で、周囲に比肩する山もないので、むしろ孤峰と言えた。

 年ごとに北の海から吹きつける荒んだ風や、猛吹雪をまともに受けて、それでもなお、

ごう然として立ちつづけている。倒れることを知らない巨人の、凄絶な闘争の果てなので

ある。

 室堂は、巨人の肩から首筋に至る稜線をのぞむ、ちょうど盛りあがった胸の部分にあたって

いた。その下はなだらかな起伏を見せて、左右に大日岳、浄土山を抱え込むようなかたちで、

広大な高原台地がひろがっている。これが、弥陀が原であった。

 この、茫々たる大高原のどこかで、奇怪な殺人事件が起こった…。

 あらためてそのことに思いをめぐらしたとき、田丸五郎は、自分がいま、遥遠の時間の

なかで瓦礫のように風化した大地に、ただひとり立っていることを感じた。




つづく もどる