三、白 鷹 伝 説
室堂という地名はあるが、部落ではなかった。標高二五〇〇メートル、日本では最高所に
位置する五階建ての近代設備の行き届いた国際観光ホテルで、アルベンルートの中心的
な基地になっている。名前はホテル「むろどう」と言った。
地下はトンネルバスの発着所で、黒部側から入ってきた乗客を受けいれ、一階が、弥陀が原から
富山方面に下って行く高原バスのターミナルである。二階はショッピングフロアや
ホテルのフロントにになっていて、その上が客室であった。いわば、立山の苛烈な自然の中に、
点のように存在している“文明”なのである。
「あゝ餓鬼の田ん圃ですか」
若いフロントが、使いなれた地図をひろげながら言った。
「ここからバスで、弥陀が原というところまで行ってください。ホラ、これが室堂です。
バスはこの専用道路を下って、天狗平、次が弥陀が原…。ここで降りていたゞいて、あとは
徒歩でニ○分くらいでしょうか」
「なるほど…」
「バスからも見えますからね。皆さんあまりいらっしやらないところですが、道は平坦ですから…」
「ほう、バスからも見えますか」
「えゝ、少し上のほうから見下ろすかたちになるのですが、バスガイドの説明にも入って
いる筈です」
「ホテルなんかも、あるみたいですね」
田丸五郎は、地図の記号を覗きこみながら言った。
「バス停の前に、弥陀が原旅荘というのがあります。まあ、山小屋のようなもので…」
私どもとは格が違います、とフロントは言いたげである。
地図で見ると、高原にはその地にもいくつかの山荘や、何とか小屋といった宿が散在している。
すべて登山客やスキーヤーたちのためのもので、国際的な大観光ルートの施設としては、
やはりこのホテルむろどうか群を抜いているのだった。
餓鬼の田ん圃が、このホテルから三〇分程度の範囲にあったことは、全体のスケールから
見て、まず良かったと言わなければなるまい。
「立山町××、と言うのはどのあたりでしょう?」
「××ですか、それは多分…」
フロントはちょっと考えてから、すこし離れた川に沿った山麓に近いあたりを指した。
「悪城の壁の近くだと思いますよ」
「はゝあ、悪城の壁ですか?」
ずいぶん変った地名の多いところだ、と田丸五郎は妙な顔をした。
「それは、どういう所なんです?」
「つまり、これが称名川で、この川に沿った向う岸です。対岸が絶壁になっていまして、
それを悪城の壁と呼んでいます」
「どの位かゝりますかね?」
「高原バスで終点の美女平まで下がって、そこから乗り換えて桂台まで行き、橋を渡らなければ
なりませんので、ざっと一時間半というところでしょう」
「ずいぶん大廻りなんだな、もっと近いところから渡れないんですかね?」
「とてもとても」
フロントは首を振った。
「地図で見ると何でもないようですがね、称名川はなにしろ百メートル以上の絶壁の下を
流れているんです。橋は、こごだけにしかありません」
見渡すかぎり、波のようにうねる弥陀が原台地は、この称名川の大渓谷で、真っ二つに
裂かれているのだ。
「今からでも、往復して来られるかしら?」
「大丈夫です。バスの最終は5時までですから…」
信濃大町を早朝に発って来たので、いつもより長い午前中であった。時計の針は、正午まで
まだ20分ちかく残している。
「わかりました。じゃ、部屋を頼みます。シングルでいいんだ」
返事がなかったので、田丸五郎は、地図から眼を上げた。
若いフロントが、折り目正しい姿勢になっている。彼の肩ごしに、誰かに黙礼を送って
いるのだった。田丸五郎は、何気なくふり返ってみた。
ラペンダー色の派手なパンタクールの女が、エレベーターのほうに去って行くところだった。
横顔が、チラリと見えた。
裾巾がひろく、靴のかかとまでかくしている。歩くたびに、やわらかい曲線を描いて
ひるがえるのが美しかった。背は高くないが、腰まわりがピチッと締まっていて、広めの
黒い皮ベルトが全体を引きたてている。
田丸五郎は、一瞬信じられないような眼をした。
・・・・・・あの時の女だ!
印象はおぼろだったが、確信があった。
反射的に後を追おうとして、ハッと足をとめた。奈良では、まったく気がつかなかった
ことだが、歩くとき、女の右肩がわずかに落ちるのである。そのたびに、全身が傾くように
見えた。
ほんの一二一秒で、女はすぐエレベーターの中に消えてしまった。
田丸瓦郎はあわてて向きを変えると、カウンターの上に両肘を乗せるようにして
「今の女性は、ここに泊まっているの?」
「はあ…?」
「どういう人なんだろう?」
それまで気軽に応対してくれていたフロントは、たちまち胡散くさそうな顔になった。
「いや、いいんだ。とにかく、すぐに部屋をとってくれ給え。それから、こいつを預かって
部屋にまわしておいてくれ。夕方には戻ってくるから・・・」
胸が、まだ高鳴っている。
横顔は、まぎれもなく奈良の女だったのである。あの時は地味な和服だったが、今日は、
見事な変身と言えるほどの洋装であった。
東京を出るとき、心のどこかでかすかに期待していたことが、早くも現実となったのである。
フロントにせきたてられるようにして予約を済ませ、ボストンバックを預けると、大急ぎで
一階のバスターミナルに出た。 そこは、赤や黄や青の原色でごったがえしている。
すばやく全体を見まわしてみたが、もちろん。女の姿はなかった。
あの服装では、もともと登山者の群れにまざってうろうろしている筈もなかろう。彼女は、
まだホテルの中にいる。おそらくは、滞在者の一人なのであろう。
そう思うと、いくらか気が楽になった。このホテルに泊まっているのだったら、戻ってから
もう一度捜し出すことも可能である。田丸五郎は、焦る気持ちをおさえてバスに乗った。
「皆さま、本日はこの立山にようこそお越しくださいました。ただ今から、バスは室堂を出て、
終点の美女平までおよそ二五キロ、海抜一五〇〇メートルの間を、途中珍しい高山植物や
雄大な高原の眺めを鑑賞しながら、あるいはまた欝蒼と生い茂った原始林の間を縫って
下ってまいります。皆さま、車窓の前方をごらんくださいませ。正面にひろがっております、
この見わたすかぎりの高原は・・・」
バスが走りだすとまもなく、ガイド嬢のものなれた説明がはじまる。
このあたりは、まだ残雪があって、場所によっては、ニメートル以上もつもっていそうな
感じだ。あちこちに見えるスロープには、スキーヤーたちの鮮かな赤や緑が点在していた。
「六月も終わりの声を聞く頃になると、立山にも、ようやく短い春が訪れるのでございます。
まちかねたように、一斉に咲き乱れる可憐な高山植物は、ニッコウキスゲ、チングルマ、
コバイケソウにイワウチワ、クロユリ、ワタスゲ、タテヤマリンドウ…」
歌うようなガイド嬢の声が楽しかった。だが耳の奥では、まったく別の声が鳴りつづけ
ている。
……あの女だ、あの女だ。
奈良で会ったのは、もちろん偶然である。だが、今度は必然であろう。自分がひとつの
目的をもってこゝに来たのと同じように、彼女にも、何かはっきりとした理由があるに
違いない。それにしても、あの華麗な変身ぶりは、いったいどちらが本当の姿なのだろう。
「車窓の右側をごらんくださいませ。眼の下に、ちょうどガラスのかけらをちりばめた
ようにキラキラと光って見えますのは、餓鬼の田ん圃と申します」
その声に、あわててのび上がると、田丸五郎は窓におでこをこすりつけるようにして下を
覗いた。
標高は、すでに七〇〇メートルくらい下がっているので、雪はもうなかった。かわりに、
露出した枯れ葉色の地肌に、小さな鏡を置いたように光るものが、数にして二・三〇個は
見えた。
「この餓鬼の田ん圃と中しますのは、この世では浮ぶことの出来ない欲深い亡者が餓鬼
となり、耕しているのだと言い伝えられております。一年中、水の渇れるということがなく、
高山特有の池塘と呼ばれる湿地帯で、水面には、王のような穂をつけたミヤマホタルイが
立ちならび、ちょうど早苗を植えた水田のように見えるのでございます。バスはまもなく
高原の中央、弥陀が原へと下ってまいります・・・」
バスガイドは、おそらくあの位置から佐伯興平の死体を発見したのだ。バスの高さから
して、きっとタイルに貼りいたクモの死骸のように小さく見えたに違いない。それを人間
と気付くまでには、ある程度時間がかゝった。というより、ふだん見慣れたバスガイドの
眼でなければ無理なのである。新聞の記事が発見は十三日ひる頃となっているのは、その
ためであろう。
道は平坦だが、ハイキングコースとしても、あの湿原を歩くのは容易なことではあるまい。
人があまり行きたがらないわけであった。
弥陀が原旅荘の前で、バスは女ばかり三人のパーティを乗せた。
「さて、バスは弥陀が原をすぎると、やがて高山植物の群落地帯を抜け、さながら太古
そのままの原生林へと入ってまいります。それではこのへんで、皆さまにこの立山開山に
まつわる伝説を御紹介することにいたしましょう」
それから独特の名調子が、延々として続くのである。
田丸五郎は、窓の外をながれてゆく古木の、永年の風雪に耐えて枝のかたちまで太く短く
変わっているさまを眺めながら、頭の半分でその説明を聞いていた。
いまから、およそ千二百五十年ほど昔、越中の国司佐伯有若に、神のお告げで授かった
というひとりの子供があった。名前を、有頼といった。有頼が十六才のとき、父有若の
飼っていた白鷹を使って立山の麓で狩りをしていたところ、どういうわけか鷹は手を離れ空高く
舞い上がったまま戻って来ない。有頼が白鷹を追って山の中に分け入って行くと、たちまち
一匹の熊が現われたので、持っていた弓に矢をつがえて放つと、矢は見事に当たったのだが、
熊はそのまま山の奥へと逃げこんでいった。その血のあとを追って七日七夜、山中を
さまよった有頼は、やがて頂上に近く、ひとつの岩屋にたどりついた。熊の足あとも、その
岩屋の中に消えているので、有頼がのぞくと、不思議にもそこには金色まばゆい神体が立って
いた。驚いてひれ伏す有頼に、『白鷹も大熊も、これみな立山の神の化身なり、汝、僧となって
この立山をひらくべし』と告げ、忽然と消えてしまった。その後、有頼は名も慈興上人となって、
立山開山の祖としてまつられたという。
どこにでもありそうな話なのだが、立山では、これが開山縁起の白鷹伝説として、語り
継がれているのだった。神仏混合の原始的な山岳伝説で、アルペンルートの旅行者が、
一度は聴かされる物語りである。
白鷹伝説に出てくる佐伯有若、有頼父子と、被害者の佐伯興平、そして浩市郎とは同姓
だが、まさか関係があるというわけでもあるまい。奇妙な暗合と言えなくもないが、この
時には、田丸五郎はほとんど注意をはらっていなかったのである。
「皆さま、車窓の右側をごらんくださいませ・・・」
そのとき、バスが急にスピードを落として停った。
見ると、そこだけポヅカリと穴があいように原生林が切れ、広大な弥陀が原のはるか
向こうに見える絶壁から、音もなく、一条の水流が直下の称名川に落下しているのだった。
「正面のやや右寄りに見えますのが、称名の滝でございます。高さはおよそ三五〇メートル、
豪快な四段のくの字を描きながら落ちる称名の滝は、華厳の滝が一〇〇メートル、
那智の滝が一三〇メートルと申しますから、高さではもちろん日本一、その日本一の大滝も、
広大な弥陀が原にスヅポリと包みこまれて、幻想的な姿を望むことが出来ますのは、
わずかにこの滝見台からだけなのでございます・・・」
弥陀が原は、それほど広い。鳴り響く滝の音も、ここまではとどかないのだった。
もうすこし眺めていたいと思ったのだが、説明を終わると、バスはそのまま発車してし
まった。ちょうど展望台のようなかたちになっていて、道がそこだけ崖ぎわまで張り出し、
乗客はバスに乗ったまま滝を眺めることが出来る、ちょっとした観光ポイントである。
バスは再び原生林の中に入り、樹齢千年を超える巨大な立山杉の間を縫って、美女平についた。
ここからケーブルカーに乗り継いで、富山地方鉄道の立山駅に降りるのが、アルベンルートの
最終コースである。
ケーブルの発着所は、室堂ほど大きくはないが、売店もあり、その横に紺地に白ぬきの
のれんで、高原そばの立ち喰いスタンドも出来ている。一段落といった感じで、田丸五郎は
そののれんをくぐった。何しろ、朝から食事らしい食事をしていないのである。
高原そばは、出来上がったそばをさっと湯に通して、山菜を乗せただけのものだが、湯気の
匂いがたまらなかった。山の空気は、やはり腹のすきかたまで違うのだろう。
音を立てて汁をすゝりながら、田丸五郎は、中で働いている赤い前だれの娘に声をかけた。
「立山町××というのは、この近くだと聞いてきたんだけど、あんた、そこにある佐伯さんと
いう家を知らないかしら?」
娘は、びっくりしたように彼を見つめた。
餓鬼の田ん圃の事件は、地元の人間であれば、この娘もとっくに知っている筈であった。
だが、トレンチコートにグレイのフラノといった、みるからに部会風の男が訪ねてきたことが
先ず意外だったらしい。東京の人間は。日に何百人も通るが、この娘にとっては、
彼らはたぐの通行人にすぎないのである。
「どう? 何しろ立山町といっても広すぎるんで、教えてくれないかな」
富山県中新川郡には、町がふたつ、村がひとつしかない。ひとくちに立山町と言っても、
それは広漠たる弥陀が原から、三千十五メートルの山頂までを含むのである。
「ご本家様ですか?」
おづおづとご娘が。ぷった。
「ほう、御本家というの?」
「えぇ、でも私も行ったことはないさかェ」
「だいたいのところで良いんだ」
「この道を、まっすぐと桂台に出て、そのあっちうらです・・・」
旅行案内書の地図では、その桂台で称名川を渡り、対岸に悪城の壁と呼ばれる大絶壁を
見ながら、およそ二時間かゝって称名の滝に至る道がついている。その途中に、佐伯の家が
あるらしいのだった。
「遠いのかな。桂台からどのくらいかかるの?」
「さあ、よくわかりませんけど、歩いて二〇分くらいではないかしら…?」
「そうか、有り難う…」
外に出て見ると、道はたしかにつながっていた。観光ルートとは別に、地元の物資運搬車
などが使う道で、直線にすれば何分の一かの距離を、見ただけでウンザリするほど曲がり
くねって登るのである。
その先が、桂台であった。