六、コウボウノイセキ





 「おう、コロタ丸か。早いな、事件はもう解決したのか…?」

 ……この野郎!

 カッとくる気持ちを抑えながら、田丸五郎はワザと落ち着きはらった声を出した。

 「あんまり甘く見ないで下さいよ」

 「コロタ丸をか?」

 「事件のほうをですよ」

 「うん、そうだろうと思った」

 「和気野先生、あんた、佐伯有頼という人物を知っていますか?」

 「知らんね、どういう人だ?」

 「やっぱり知らないでしょう。延喜五年、つまり西暦九〇五年ですから、もう一千年以上も

昔の話ですがね・・・」

 それから、田丸五郎は手早くメモをびっくり返しながら、如何にももったいぶった調子で、

白鷹伝説を一席、悠々とやってのけたのである。

 「何だい? それは・・・」

 「いいですか、殺された佐伯興平というのは、千年続いた佐伯家の当主で、息子の浩市郎さまが、

これまた大変…」

 「ボディガードを頼まれたという子供のことか?」

 「そのとうり、興平のほうは養子でしてね。直接血はつながっていないんですが、浩市郎は、

母親からモロに佐伯有頼の血脈を受けついでいるというんで・・・」

 「母系家族か?」

 「そういうわけでもないんですが、佐伯家には代々厳しいおきてのようなものがあって、

これがまた、何とも狂気の沙汰で…」

 「ははあ…」

 聞き終ると、和気野清麿も流石にびっくりしたようであった。

 「いったい、何のためのおきてなのかね?」

 「理由は、たったひとつしかありませんね。つまり、佐伯有頼の血を純粋に伝えてゆく

こと、身体の中に、有頼の生命を預かっているという考え方です」

 「なるほど…」

 「兄弟が出来れば、当然家督争いも起こるだろうし、長い間には、血脈も乱れてバラバラに

なってしまうでしょうから、彼らにとっては子孫の繁栄なんか問題じゃないんで、ただただ、

一途に純血を保ってゆくことだけが使命なんです」

 「すると、浩市郎は有頼の生まれかわりだとでも言うのかい?」

 「それどころか、佐伯有頼そのものと考えても良いくらいですよ。オリンピックの聖火みたいな

もので、肉体は交代しても、その血、イコール生命は脈々としてつながって行く。

浩市郎はその最終ランナーにあたるわけです」

 たしかに、あの祭壇の部屋には、何か大きな精神的なものが実在していた。田丸五郎は、

昼間の出来ごとを思い出して、ぞくっと首をすくめた。

 「ところが、真理子、真智子という双生児の姉妹が生まれたことから、情況が変わってきた。

子供は一人に限るという厳しいおきてが、不可抗力で破られてしまったわけですからね。

興平が殺された事件も、このへんのところがあやになっているような気がしてならないんです。

まあ、これからゆっくりと調べてみますよ」

 「一人でか?」

 「勿論でさ。明日は早速、餓鬼の田ん圃まで行ってみようと思って…、何しろ今日は朝から

動きづめで、いささかグロッキーですからね」

 「いま、どこに泊まっているんだ?」

 「立山の山の上です。ホテルむろどうって言うんですが、なかなか良いホテルで…。

どうです、来てみますか?」

 ニヤリと、受話器にウインクしながら言った。

 「うんまあ、やめておこう」

 「そうですか、残念ですな。へっへっへ」

 朝からの疲れが、スーツと消えてゆくような気分だった。

 「なあ、コロタ丸」

 「何ですえ?」

 「聞きなおすようで悪いが、佐伯有頼というのは、いったいどういう人物だったかな」

 「ですから、立山開山の祖で・・・」

 「それはわかってる。ほかに?」

 田丸五郎は、キョトンとした顔になった。いくらメモをびっくり返してみても、それ以上の

資料が出てくる筈もなかったのである。実在の人物かどうかさえ疑わしいというのに、

そんなに詳しいことがわかるものか・…

 電話を切ってベッドに入ってからも、田丸五郎はそのことで何となく落ちつかなかった。

白鷹伝説によれば、神のお告げで生まれたという。一千年の間、ただ脈々として一人から

一人への血の中に生き続けてきた佐伯有頼とは何だ。その正体は田丸五郎にとってまだ

深い謎であった。

 しかも、この現実ばなれした佐伯の家系を、何かもっと大きなものが保護しているらしい

気配が、感じられるのである。それが、あの時の電話の声であった。声は重々しくも

『高貴なお方』と言ったのである。

 立山開山にどれだけの役割りを果たしたか知らぬが、いまとなれば、浩市郎はせいぜい

地方の一名家の跡取りにすぎない。それを高貴なお方と呼ぶのは、いくら何でもちとオーバー

ではないか・・・。

 表現として、由緒正しいといった程度のほうが、はるかに適切である。

 もしかしたら、和気野消磨はあの常人ばなれした頭脳で、これまでの話の中から何か

特別なことに気がついているのではないだろうか…。

 餓鬼の田ん圃の餓死死体と、それはどう符合するのか。

 もうひとつ、なぜか気にかかることがあった。

 敬至郎の眼の奥にあった熱いものは、明らかに真智子に向けられていた。セックスを抑圧された

男と女がひとつ屋根の下で暮らしていれば、成り行きとして考えられないことではあるまい。

むしろ、爆発しないほうが不思議なのかもしれない。

 立山の第一夜は、穏やかであった。

 田丸五郎は、いつのまにか真智子の面影を追っていた。

 このホテルで会った時には、後ろ姿しか見ていないわけだし、真智子とは、ほとんど

話らしい話もかわさなかった。奈良の女との再会は、決して、胸に描いていたような

ロマンチックな出会いではなかったのである。

 翌朝……。

 起きてカーテンをひらくと、窓の向こうに立山が見えた。

 昨日あんなによく晴れていたのに、今朝は山頂に厚い雲がかゝっている。

 部屋はこじんまりとしたシングルルームで、東京のホテルにくらべてそれほど変わった

ところもなかった。田丸五郎は、茶色のボストンバックから下着を引っぱり出してとりかえ、

セーターに着かえた。

 それからフロントを呼んで、電話を東京につないだ。

 まもなくベルが鳴って、とびこんできたのは、桜井さゆりの弾んだ声である。

 「先生、昨日から待っていたのよウ」

 「なんだ、変わったことでも起こったのかい?」

 「そういうわけじゃないけど、あのお金の送り主がわかったんです」

  「えっ、百五〇万円の?」

 思わず胸のボケヅトを押さえた。中身はもう大分減っている。

 「どうやって調べたんだ」

 「私考えて、昨日、奈良の郵便局に電話してみたんです」

 さゆりは、いっそう弾んだ声で言った。アルバイトで勤めはじめた頃とちがって、すっかり

助手らしくなっている。

 「先生、今度のスポンサーは、いったい誰だったと思います?」

 「さあ、誰だろう…?」

 「奈良の大仏さまよ…!」

 「バカ…」

 「本当なんです!」

 さゆりは、ムキになって言った。

 「地図だけでは番地まではっきりしないから、私、直接郵便局に間いてみたんです。

そうしたら奈良市雑司町一番地は、大仏さまの住所なんですって・・・」

 「じゃあ、東大寺のことか…?」

 「その通りです」

 瞬間、あの日の鏡池の前での出来ごとが、よみがえってきた。

 「だけど、住所は出鱈目かもしれないんだぜ」

 「私はそんなことないと思うわ。だって現金書留ですもの、名前まではどうかわからないけど、

百五〇万円の現金をおくるのに、全然架空の住所を書くというのもおかしいと思うの。

東大寺だったから、郵便局でも簡単に教えてくれたんでしょうけど・・・」

 「大石良雄なんて、まさか大仏さんの名前じゃあるまいがね」

 「あら、大仏さまの本名はルシャナ仏っていうんだわ。でも東大寺なら、お坊さんも

たくさんいる筈だから、大石という苗字の人もいるかもしれないでしょう?」

 あの住所がたしかに東大寺であったとすれば、電話の声の重量感、年齢、そして達筆な

封筒の文字…、ごく自然な連想として、そこにはかなり地位の高い坊さんの影が浮かぶ

のである。

 が、田丸五郎は、まったく別のことを考えていた。

 「さゆりちゃん、大学はたしか文学部だったね?」

 「えゝ史学科です」

 「じゃ歴史のことは、いろいろと勉強しているんだろ?」

 「そんな、好きなだけで、やってるっていう程じゃないけど・・・」

 「佐伯有頼という人物を知っているかい?」

 「さあ…、いつ頃の人ですか?」

 「今から一千年くらい前だそうだが・・・」

 「じゃ、平安時代のなかば頃ね」

 さゆりは、記憶の糸をたどっているようであった。だがやがて、口惜しそうに言った。

 「わかりません。どういう人なの?」

 「いやまあ、わからなければそれで良いんだが・・・」

 電話はそれから事務的な打ち合わせを簡単に済ませて、切れた。

 桜井さゆりが、現金書留の住所をたしかめてくれたことは嬉しかった。東大寺だったとは

意外な感じもするが、これまでのいきさつからして、何となく納得出来るのである。

 奈良の女、つまり佐伯真智子と浩市郎が、勧学院から出てきたことにも、あるいは無関係では

ないのかも知れない。

 住所は、おそらく真実であろう。

 奥にどんな背景があるのか、まだわからないが、すくなくとも東大寺の相当な位置にある

人物からの依頼であったとすれば、容易ならぬことだ。勘ぐれば東大寺そのものが、殺人事件に

関与しているとも思えるのである。

 そのとき、また電話のベルが鳴った。

 「モシモシ・・・」

 「田丸様でございますね。電報がとどいております」

 「電報?」

 「はい、フロントでお預かりしておりますので、お早めにお受け取り下さいませ」

 「わかった。すぐに行くよ」

 セーターからのぞいている派手なオーブンシャツの襟元を手早くとゝのえ、ブレザーを

ひっかけると、そのまま部屋を出ようとした。ドァのところで立ち止まると、ちょっと考え

たが、思い切って、かかとのパットをはずした。それをベッドの下に放りこんで、ドァを

あけた。

 今日の予定は餓鬼の田ん圃なのだが、昨日のような山道は懲りごりである。

 フロントでキーをわたすと、交代していた若い女の子が、一枚の紙片をくれた。

 ファックスがあるのに、わざわざ片仮名の電報である。その神経に思わず笑いがこみあげて

きそうになるのをこらえて、田丸五郎は、次に小首をかしげた。

 『タテヤマニコウボ ウノイセキアリヤナシヤワケノ』

 立山に、はわかる。

 有りや無しや、も良い。

 だが、『コウボ ウノイセキ』とは何だ・・・?

 すばやく頭の中でいろいろな漢字を組み合わせて、言葉を作ってみたのたったが、うまく

ゆかないのである。

 弘法の遺跡…、結局、そうとしか読めないのだった。

 「立山に、弘法の遺跡有りや無しや、和気野」

 弘法とは、弘法大師のことか・・・?

 田丸五郎は、舌打ちしたいような気持ちになった。昨夜は、ひと言だってそんな話は

していないのである。いったいあの男は、何を考えているんだ…。

 紙片を丸めてズボンのポケットに突っこみ、もう一度女の子を呼んだ。

 「仕事がふえてね。もう二、三日、いや一週間くらい泊まりたいんだか」

 「それはあのう…、次の御予約の方がございますので」

 「ほかに、空いた部屋はないの?」

 「はい、すべて御予約でお願いしておりますから…」

 田丸五郎は、ニヤニヤと笑った。

 「あのね、言わなかったが、実は僕、佐伯の身内なんだ」

 「佐伯様?」

 「ホラ、本家の佐伯だよ。うそだと思ったら、敬至郎君に問い合わせてもらっても良い」

 「ちょっと、お待ち下さいませ」

 ドギマギして、彼女はあわてて奥に駆けこんでいった。

 本当に問い合わせたとしても、昨日の様子だったら、悪い答え方はされないだろう…。

 商売柄こういうことにかけては、和気野清麿など及びもつかないくらい上手いのである。

 「失礼いたしました」

 すぐ、主任らしい黒い服を着た男が戻ってきて、丁重に頭を下げた。

 「予約の御客様のほうは、私どもで何とかいたしますので、お部屋はどうぞそのまま

お使いいただいて結構でございます」

 「そう・‐・ 悪いね」

 田丸五郎は、女の子にかるいウインクを送ると、フロントを離れ
た。

 




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