四、空 海 と 大 仏
昨夜から眠れないほど張り切って、今日は朝からあの大景観のなかを通ってきたので、
さゆりはいさヽか興奮気味であった。ようやく気持が一段落すると、今度はリュックサックを
ひらいて、持ってきたものをならべはじめた。
「先生の部屋、何かどこにあるのかさっぱりわからないでしょう。困っちやった…。
まわりの人たちに変な眼で見られやしないかと思って、気が気ではなかったわ。でも
あんまり汚れていたから、ついでにお掃除だけはしてきましたけど・・・」
「そいつはどうも…」
「それに洗濯物、あんなにたまっているんですもの…、頭にきちゃった」
どうやら掃除だけでなく、洗濯までやってしまったらしい。
リュックサックの中味は、背広と替えズボン、それにオープンシャツ、新品の下着と靴下、
奥のほうには自分用のがそれと同じくらい詰めこまれているので、パンパンにふくらんでいる。
「それからこれ、頼まれていたもの」
「何だっけ?」
「いやだ。弘法大師の本、頼んだしゃありませんか・・・」
「あこそうだったな」
受け取って、パラパラと開いてみたのだったが、今すぐに読んでみようという意欲も
湧かなかった。
「先生に、急に弘法大師なんて言われたので、はじめよく判らなかったの。でも流石で
すね。読んでみて、びっくりしちゃった」
「どうして…?」
その理由は、こっちが聞きたいくらいだ。
「どうしても気になったものですから、私、あれからすぐ弘法大師と大仏さまの関係を
調べてみたんです」
さゆりは、まだ大仏のほうにこだわっている。が、それは無理もないことであった。
「そうしたら、次々に出てくるんですもの、驚いたわ」
「ほう、どんな…?」
「たとえば、弘法大師がお坊さんになる儀式を受けて、空海と名乗ったのは、東大寺
なんですって…」
「はゝあ…」
「そのころ東大寺といえば一番格式の高いお寺で、ここで得度の儀式を受けなければ、
正式のお坊さんとして認められないんです。東大寺には戒壇院というところがあって、
難しい試験をパスしてこの戒壇で得度を受けると、はじめて国家公認の僧侶になれるんです
って…。一説には、和泉の国の槙尾山寺という説もあるけど、このほうは正式のものでは
ないらしいの」
さゆりは早速ノートを開いて、ひと息にしゃべりはじめた。
「東大寺で得度を受けた空海は、その後、遣唐使の船に乗って中国にわたり、帰ってきて
からわずか三十八才で東大寺の別当になっています」
「別当って何だ」
「東大寺でいちばん上の位らしいわ」
「たいしたものだな。でも、そいつはちょっとおかしいんじゃないの?」
田丸五郎は、自分が東大寺に行ったときのことを思い出しながら、首をひねった。
「たしか、東大寺っていうのは華厳宗だったぜ。よくはわからないが、弘法大師は真言宗
じゃないの?」
「理由は私にもわかりませんけど、これは、『東大寺別当次第』という公式の記録にのって
いる事実なんです。今でも東大寺では空海が定めたお経を続んだりしているんですって・・・」
「だけどさ、いくら何でも自分の一番えらい寺の住職を、他宗の坊主に乗っとられるなんて、
大仏さんも情けないな」
「そればかりじゃないわ」
この意見にはさゆりも同感らしい。いっそう勢いこんで続けた。
「空海は、東大寺のなかに真言院という名前のお堂まで建てているんですもの。大仏さまが
弘法大師にノックアウトされたっていう感じね」
「真言院・・・?」
まてよ、この名前にはたしかに記憶がある。鏡池の前のベンチにすわっていたとき、
足もとの古い石標にあった文字だ。つまり、佐伯真智子と浩市郎が出てきた勧学院の、
古いほうの呼び名ではないのか…。田丸五郎は、はじめて真顔になった。
あのときの真智子は、大仏さまに用があったわけではないのだ。東大寺のなかでも、
直接、空海の流れを汲む真言院に何かの目的があって来ていた・・・?
現金書留の住所と、あの重厚な電話の声の人物は、この線につながらないだろうか。
さらに、あのときの様子からもう一歩考えを進めてみれば、真智子こそ真言院に浩市郎
の危機を訴え、生命の保護を願い出た本人ではないかとさえ思えるのだった。
清麿が言うように、佐伯家の血脈が空海と関係あることが事実だとすれば、真言院には、
弘法大師の名のもとに佐伯浩市郎の生命を絶対に護らなければならない責任と義務がある
筈であった。
高野山との接触も真言院を通して行なわれているのだとすれば、大石良雄という謎の人物が、
その接点に立っていると考えて良いであろう。
しかし、これぱあくまで仮説なのである。
弘法大師が、即、佐伯有頼でなければ、まったく荒唐無稽なお伽話にすぎないのだった。
「先生、まだびっくりしては駄目よ」
桜井さゆりは、持っている本のページをめくりながら言った。
「私、列車のなかでずっとこの弘法大師の本を読んできたんです。一番はじめに書いて
あることだから、新しい発見というわけではないんですけど、先生、弘法大師の本当の
名前を知っていますか?」
「空海だろう・・・」
「それは坊さんになってからの名前ですわ」
「だったら、知らないね」
「讃岐の国というから、今の香川県多度郡の人で幼名は佐伯真魚(まいお)。父はこの地方の
豪族で佐伯直田公(さえきのあたいたきみ)、母は阿刀氏の人で玉寄(たまよろ)御前というの」
「ちょっと待て、すると空海が坊主になる前の名前は、佐伯真魚というのか?」
「そうよ。生まれは宝亀四年つまり西暦七七三年で、八三五年、六二才で亡くなっています」
清麿のやつ、何故はじめにそのことを教えておいてから、話を進めないのだ。
弘法大師、イコール佐伯有頼というのでは、あまりにもかけはなれた発想のようだが、
佐伯真魚との関係として考えると、ある種の可能性というか、距離はかなり近づいてくる
ように感じる。
「だがね・・・」
いつもの癖で、田丸五郎はわざと鼻白んだ声をだした。
「讃岐と言えば四国だろうが、それが何で日本海側の富山県と関係があるんだ?」
「そこまでは、この本にも書いてないから…」
「そうだろう。佐伯なんていうのは、ちょっと珍しい苗字だけれど、広い日本には同姓
だってあちこちにあるさ」
「そうかしらね…」
さゆりは、しばらく考えている様子だったが、やがて、何かを思い出すように言った。
「でも佐伯という姓は、この時代にはそれほど珍しい苗字ではなかったみたいよ」
「どうして?」
「私、あんまり勉強していないから、よくはわからないけど・・・」
一応は謙遜しているが、さゆりは自信ありげだった。
「西暦七七四年というと、奈良時代の終りころで、やがて桓武天皇が即位すると都を
京都に遷して平安時代となるんですけど、ちょうど弓削道鏡が滅び、藤源氏がいよいよ全盛
時代を迎えようとする少し前にあたるわけです。そのころ藤源氏と対立していた勢力が
大伴氏と佐伯氏で、この一族もやはり日本中にひろがっていたと思うの」
「ふうむ道鏡か、あの助平坊主もこの時代だったのかね」
大伴、佐伯などより、このほうがよほど馴染みがふかい。何しろ弘法大師とか道鏡、
桓武天皇などと言われてみても、頭の中でそれぞれバラバラに存在していて、ひとつの時間的な
流れの上に統一されてこないのである。
「佐伯氏というのがいくら盛んだったとしても、だからと言って、立山と讃岐の佐伯が
親戚だという証拠にはならないだろうよ…」
結局、こう結論せざるを得ないのだった。さゆりも、それ以上はどうにもならないらしく、
そうねえとうなずきながら本を閉じてしまった。
だが、これだけのことを知っているだけでも、清麿からカラバカみたいに言われること
はあるまい。田丸五郎にとって、さゆりの知識はおゝいに心強いのである。
リュックサックの荷物を、どうやら置くべきところに置いてしまうと、部屋のなかは、
所帯じみたような、新婚旅行に来たような、奇妙な雰囲気になった。
「先生、私の部屋、どうなるのかしら・・・」
さゆりが丸い身体をすくめて、また心細い声を出した。
「何とかなるさ。部屋がとれないのだったら、いっそここで一緒に寝れば良い。そのほうが
退屈しないよ」
「いやよぅ、私…」
「まあいいじやないか、とにかくコーヒーでも飲みに行こう。こっちのデーターも話して
おきたいことがある」
スリッパをまた靴に履き替えながら、田丸五郎はふと思い付いて言った。
「それはそうと、大仏さまからまたお小遣いを送ってきたんだって?」
「アッ、忘れていた!」
頓狂な声をあげて、さゆりはあわてて赤いアノラックのポケットをさぐった。
渡されたのは、封を切ってないままの現金書留が五通である。さゆりのやつ、これを
アノラックと丸いおっぱいの間に、抱きしめるようにして持ってきたのかと思うと、何だか
変な気がした。
住所も名前も、筆跡も前と同じ。無造作に封を切ってゆくと、ピチッと重ねられた折り目のない
一万円札が、たちまち百五〇枚になった。
「なるほどねぇ」
べつに数えなおすわけでもなく、田丸五郎は、破いた五枚の封筒を見くらべている。
消印は奈良局で、受付時刻も同じだった。奈良市雑司町一番地が大仏さまの住所である
ことは確かなのだが、真言院とまでは書いてなかった。だが、合計百五〇万円の現金を送って
くるのに、住所が真実であれば、名前だけ出鱈目というのもちょっとおかしい。
……大石良雄か。
立山の近くには「内蔵之助平」という地名があって、どうしてもそのほうを連想しがち
なのだが、赤穂浪士の大石内蔵之助とは、この際まったく関係はなさそうであった。相手が
東大寺となれば、考えかたの方向を変えたほうが良さそうである。それよりも、もっと
坊主くさい発想があっても良いのではないか・…
「さゆり・・・!」
思いあたることがあって、田丸五郎は顔を上げた。部屋の隅で、ダブダブのシャツを
セーターに着かえていたさゆりが、びっくりして背中を向けた。
「えっ、何ですか・・・?」
「僕のボストンバックの中に、この間の北日本新聞が入っている筈だが、出してくれないか」
「ちょっと侍って…、先生あっちむいていて・・・!」
ようやく、さゆりが持ってきた北日本新聞の例の死亡広告のところを、もう一度ひろげてみた。
……これだ。何故すぐに気がつかなかったろう。
死亡広告は、佐伯敬至郎が喪主で、あとはただ親族一同となっている。その次に友人代表
として、大関良祐という名前が出ているだけであった。
葬儀を済ませたあとの追善供養などという知らせが、参列者をめあてにしたものではなく、
単に世間態をとゝのえたにすぎないことは明らかである。今となっては、追善供養が
高野山で行なわれた理由のほうが、よほど重大であろう。だが、田丸五郎が考えているのは、
そのことではなかった。
……大石良雄を、おおせきりょうゆう、と読めば良いではないか。
良祐という名前は、よしすけなどと読むより、そのまゝりょうゆうと坊主読みにしたほうが
かえって自然なのである。
友人代表というさりげない表現が、俄かに重量感を増して、死亡広告全体を威圧して
いるように見えた。
この人物こそ、佐伯家と高野山とをつなぐ、いや、さらに一歩すヽめて、佐伯家を保護し、
監視する秘命を帯びた責任者であるとは考えられないだろうか。真言院に住職がいるもの
かどうかわからないが、おそらくは、それに近い役職の人物であろう。
「先生、また何かあったんですか?」
ニヤリと笑いかえすと、田丸五郎は新聞をポンとベッドの上にほうった。
それから、一万円札の束をズボンのポケットにねじりこみながら言った。
「いやね、何となく、大仏さんの本当の名前がわかったような気がして・・・」