六、 立 山 の 賦
レストランむろどうは、ラウンジに隣接して、洒落た都会風の調度に山小屋の雰囲気を
ミックスしている。明るい山の色をペースにした感じは悪くなかった。
「さゆり君、何にする?」
和気野清麿は、メニューを眺めまわしながら言った。
「私、先生と同じもので・・・」
「そうか」
清麿はすぐ横に立っているボーイにメニューを戻しながら
「さしみ定食をくれ」
「この山ん中で、刺身を食うんですか?」
「そういちいち山々というな。銀座のド真中で四ッ足の肉を食うのと、そんなに変わらん
じやないか」
「意味が違いまさあ」
清麿は、肉類一切ダメなのである。それを知っているだけに、田丸五郎は意地悪く笑い
ながら言った。
「じやね、こっちは仔牛のステーキにレア・チーズとコーヒー、さゆりは刺身定食でいいのね?」
ボーイが行ってしまうと、ようやくリラックスした気分になれた。
その正体というか、和気野清麿の過去はまったく不明である。若いころ、国連の中枢部で
決して表に出ない部分の仕事をしていたというが、内容がどんなものだったのか、本人も
語ろうとしない。現在では、京都の嵯峨野にある古い家を買って、まるで世捨て人の
ように和服オンリーの暮らしをしていた。年齢は、四〇才をすこし出たくらいの筈だ。
「アメリカに行ってた時は、さぞかし難儀をしたことでしょうね」
コップの水を一息に飲みほすと、田丸五郎は気持ち良さそうに言った。
「それほどでもないさ」
「何しろパンかスパゲティくらいしか食えなかったんでしょうから…、それとも、
どこか違う国にでも行っていたかな?」
「スパゲティを食いにか」
「いや、ラーメンか何かで・・・」
田丸五郎は、それが中国ではなかったのかと睨んでいるのだ。
「そうだ、立山については、面白い話があったな」
チクチクとさぐりを入れてくるのを聞き流して、清麿は、彫りの深い笑いを見せた。
過去にはなるべく触れられたくない、清麿にはいつもそんなかげりのようなものがあった。
全生命を賭して斗った過去が、絶望的な結果に終ってしまった者のみが持つかげりである。
「さゆり君」
「ハイ・・・」
ちょうど運ばれてきた刺身を口に入れようとしていたさゆりが、あわてて姿勢を正した。
「大伴家持を知っているかね?」
今日は受難の日である。さゆりは、さしみ定食を前にして、箸を置いた。
「歌人で、万葉集を編纂した人と言われています。生まれは、あのう・・・」
「七一六年だ。万葉集の編纂については、いろいろな説もあるが、まぁ通説として聞いて
おこう。そして七八五年、中納言持節征東将軍となって没している。この家持だがね・・・」
「はい」
「佐伯有若と同じ、従五位下民部少輔のときに、越中守としてやはりこのあたりに来た
ことがあるのだ。およそ五年ほどだが、この間に有名な歌を詠んでいる」
さゆりは一生懸命に思い出そうとしているのだったが、出てこないようであった。
「海行かば 水浸く屍 山行かば 草むす屍 大君の辺にこそ死なめ 顧みはせじ・・・」
「陰気な歌詞ですな」
ヒレ肉をほほばりながら、田丸五郎は無感動に言った。戦争を知らない世代なのである。
「まったく、いやな目的のために使われた時代もあった。だが本来の意味からすれば、
これはむしろ歓喜の歌だ」
「ははあ・・・」
「東大寺の大仏の完成を前にして、陸奥の国から黄金が出た、その吉瑞を慶祝して詠んだ
長歌の一部なのだよ。そのころ大仏の建立というのは、家持のような男にこんな歌を
詠ませるほど、国家の威信をかけた大事業だった」
大仏という言葉がでたので、ちょっと顔をあげたが、次の肉を刺したフォークが、もう
口もとまできている。
「家持には、もうひとつ、よく知られた長歌があるのだがね」
「よぅ、さゆり知っているかい?」
「わかりません・・・」
「田後の浦に、うち出てみれば…、という山部赤人の『不尽山を望(みさ)くる歌』とならんで
有名な、『立山の賦』だ。さゆり君、すこし長いかも知れんが、書きとっておくと良い」
さゆりは、遂にさしみ定食の膳を横に押しやると、かわりにノートを出して構えた。
「天ざかる ひなに名懸かす 越の中 国中ことごと 山はしも 繁にあれども 川は
しも 多に行けども すめ神の うしはきいます 新川の その立山に 常夏に 雪降り
敷きて 帯ばせる 片貝川の 清き瀬に 朝夕ごとに 立つ霧の 思い過ぎめや ありか
よい いや毎年に よそのみも ふりさけ見つつ 万代の 語らい草と いまだ見ぬ 人
にも告げむ 音のみも 名のみも聞きて 羨しぶるがね」
「まあなんと、たいしたものですな」
字をただしながら、さゆりが書きとっている間に、ひとしきり食べおわって、田丸五郎は
ノートを覗きこみながら言った。
「コロタ丸」
「何だ…?」
「この歌をみると、なかなか面白いことに気づかないかね?」
「残念ながら、こっちはしがない街の探偵屋なんでね。とってもそんな面倒くさい趣味は
ありませんな」
妙に刑事用語や隠語を連発して、いっぱしの私立探偵を気取っている連中は軽蔑するが、
そうかといって、万葉集をスラスラと解読できる教養を持てと言われても困るのである。
清麿は、さゆりのほうを向いた。せっかく、お膳を引き寄せようとしていた手を、さゆりは
また引っ込めてしまった。
・・・はてな?
気がつくと、清麿はさっきからほとんど何も食べようとしないのである。そのせいか、
頬には微かな憔悴の色さえ浮かんでいるように見えた。昨夜から、ただぼんやりと過ごし
ていたような男でないことは、田丸五郎が一番よく知っているのだ。
はじめから雑談のようにして聞いていたが、これは、何か容易ならぬことであるのかも
知れない。
「この歌は、七四七年、家持が都に戻る二年ほど前に詠んだものだ」
田丸五郎が真顔になったのをみて、清麿は、どちらに語りかけるともなく言った。
「いいかね。この時点では、すくなくとも立山はまだ開かれていない。弘法大師の入定が
八三五年だから、それよりも更に八十八年も前のことだ。すめ神のうしはきいます…、
つまり神様の棲んでいるところ、となっていて、よそのみもふりさけ見つつ・…遠くから
ふり仰いで見よう、そして万代の語り草としてまだ見たことのない人々にも伝えてゆこう…、
と如何にも素朴な自然に対する畏怖と、感嘆の気持がこめられているではないか」
「そういえば、弥陀が原だの餓鬼の田ん圃なんて言葉は、出てきませんね」
「家持は、自らも万葉集の編纂にたずさわる程の文化人だし、大伴氏の嫡流で、当時
第一級の歌人の家系でもあった。彼が立山を見てどんなに感動したか、その気持は、いまだ
見ぬ人にも告げむ 音のみも名のみも聞きて…、と歌いあげていることでもわかると思う。
立山の賦は、都でも、大評判になったろうよ」
「たしかに、そのころの情報はそんなかたちで伝えられて行ったんでしょうねぇ」
「家持も、栄華を極める藤原氏の勢いには抗しきれず、やがて失意の人となってゆくの
だが・・・」
清麿は、連い山の彼方を見つめるような眼をした。
「わずかに中納言という地位のままで、家持が六十八才でこの世を去ったとき、空海は、
ちょうど二十三才になっていたのだ・・・」
およそ現実離れした話だったが、年表の上ではたしかにそうなるのだった。
清麿は、ふと我にかえったように言った。
「空海の素性については、まだ話をしてなかったかな?」
「知っていますよ。本名が佐伯真魚でしょう」
腹の虫がおさまったせいか、田丸五郎は、勢いよくのろしを上げた。となりで、さゆりが
ブスッとした顔でにらみつけている。
「でもねぇ、こいつはちょっと、こじつけになりませんかね。いくら同じ佐伯姓だといっても、
立山と四国の佐伯を結びつけることは・・・」
だが清麿は、そのことには構わず話を続けた。
「佐伯という姓は、すこし前までは大伴とならんで藤源氏と対立する一大勢力だった。
もともとは大伴氏が本家で、佐伯はその分流ということになるわけだが、家持の晩年を
見てもわかるように、藤原氏の勢威が圧倒的に強くなってきて独走態勢に入ると、大伴・佐伯の
連合軍は次第に追い詰められて、官位からも脱落してゆくといった時代だ」
「没落貴族ですな」
「大伴氏の長者は家持だったが、佐伯には、氏長に佐伯今毛人(いまえみし)という人物がいて…」
「ずいぶん変わった名前なんだね」
「当時はおゝいにシヤレた名前だったんだろう。そのわりに今毛人は堅実な人で、権謀術数に
明けくれていた貴族社会の渦に巻きこまれることもなく、聖武から桓武まで、つまり奈良朝から
平安のはじめにかけて、六代の天皇につかえた。そしてその半生を『造東大寺長官』として
大仏の鋳造と伽藍の建設にさゝげた人だ。政治家というより、実務型の天才だな」
「大変だ・・・ 東大寺は、それじやあ佐伯家の一番えらい奴が造ったんですか・・・?」
「もちろん国家的な大事業だが、今毛人がいなかったら、とうてい完成はおぼつかなかった
だろう。何しろ、現在でも世界一の木造建築と言われる大伽藍を建て、瓦を焼き、莫大な
量の銅をあつめて大仏を鋳る。そこに集まる人々の食糧から賃金の手当まで一手に引き
受けるとなると、どうやってこれだけの人間を動かすことが出来たか、まったく不思議と
いうほかはないのだ。空海が、のちに東大寺乗っ取りの意欲をもやした裏には、この寺が
同族の長である佐伯今毛人の手になったものだという背景がある…」
「うーむ」
田丸五郎は、うなり声をあげた。いままで飾られた人形のように見えていた一千年も前
の登場人物が、たがいに肩を触れあうようにして動き出したのである。
「ところで、空海が生まれた讃岐の佐伯氏というのは、また別系統でね」
和気野清麿はその一歩先を読むように続けた。
「有史以前に、出雲から北九州地方にかけて漂着した朝鮮半島や大陸系の先住民族が、
集団的に発展した地方の豪族であったらしい。その頃は、もうすっかり大和の中央朝廷に
帰順していて、系図などもうまくつじつまを合わせているがね。中央の大伴・佐伯に対して、
讃岐の佐伯はそのまた支流ということになるわけだな。空海が、こうした環境と社会状況の
なかで生まれたということは、彼の人間形成に重大な影響を及ぼしていると言って良い」
「出世欲ですか?」
「空海のスケールから言えば、それをはるかに上まわるものだったろうよ」
清麿はそう言って、謎めいた微笑を浮かべた。
「空海という男は、極端に自己顕示欲が強い。彼自身の公式文書である筈の御選告(ごゆいごう)の
中でも、その第一条で開ロー番『ワガ父ハ佐伯氏ニシテ讃岐国多度郡ノ人ナリ ムカシ敵毛(あだもの)
ヲ征シ 班土ヲ被リシ』と言って、武勲や家柄を誇っているくらいだ。讃岐の佐伯こそ、
前身は敵毛(あだもの)だったわけだが・・・」
「どうしてそんな見栄を張るんですかね」
「蛮族の出身だなどとは、口が裂けても言えなかったろう。真の聖者であれば、どうで
も良いことの筈だが、空海のプライドがそれを許さなかった。御選告ではさらに続けて
『父母偏二悲(いつく)シミ 字シテ貢物(たうともの)卜号ス』とやっている。つまり、
両親からも高貴な者と呼ばれるくらい尊敬されていたのだぞ、と言うのだ」
空海のイメージが、何か脂ぎってギラギラしたものに変わってくるような気がして、
田丸五郎は、ちょっと眉をひそめた。こういうタイプは、生理的にどうも好きになれない。
「もっとも、幼少の頃から、空海が抜群の素質を持っていたことは事実のようだ。十五才の
とき、叔父にあたる阿刀の大足をたよって、彼は両親や一族の期待を一身に担って都にのぼる。
讃岐にも国学と呼ばれる学問所はあったが、あえて中央の大学をめざしたわけだ。
今で言えば、地方の秀才が大志を抱いて東大を受験したようなものだな。すくなくとも
周囲の人々は、そういう感覚だったろうよ」
「受験地獄は、そのころからあったんですねぇ…」
「身分の制限もあったし、学問の難かしさでは今なんかとは比べものにならない。しかし
佐伯真魚少年は、あっさりとそれに合格するがね」
さゆりが、ため息をついた。
「時に十八才、ここまでは歴史上の事実としてはっきりしている…。その直後、彼は
忽然として消滅するのだ」
「どうかしたんですか?」
「わからない。空海の伝記のなかでも、大きな謎の部分なのだが、足跡は、ここでバッタリと
絶えてしまうのだよ。次に、空海がまるで魔法のように、霧のむこうから歴史の舞台に登場
するのは、それから十三年すぎて、三十一才のときだ。最澄とともに、遣唐使の
船に乗るため、空海はそのときはじめて東大寺で正式に得度を受ける」
これは、驚くべきことであった。
空海ほどの聖僧であれば、生まれながらにして頭を丸め、衣をまとっていたであろうと
いった先人態が強い。三十一才になるまで、空海は佐伯真魚として、いったいどこで何を
やっていたのか…。
田丸五郎は、凝然として宙をにらんだ。