風 雪 の 章
一、 高 野 聖
立山警察署は、浩市郎の学校から五分ほど離れたところにある。
旅行者は先を急いで素通りしてしまうが、ここは、地元の人々にとっては重要な生活上の
拠点なのであった。店らしい店が並んでいるのも、ここだけである。
警察署は山岳警備隊の本部を兼ね、事件の捜査本部もここに置かれていた。粗末だが、
ガッチリとした鉄筋の二階建てである。
田丸五郎は、そこに警備係の小見山武松をたずねた。称名の滝で名刺をもらった、髭の
巡査部長である。
東京と違って、顔見知りの刑事など1人もいないせいもあった。突然とび込んで、また
胡散くさい眼で見られるのも嫌だし、警察側の捜査が、どの程度進んでいるのかも知りたい。
恰好はいかめしいが、小見出巡査部長なら何かの役にたってくれそうな気がした。
こちらは、もともと佐伯浩市郎の身辺の安全を保障することが目的である。警察が、
一日も早く犯人を挙げてくれればそれにこしたことはないのだ。
ところが、会ってみると、田丸五郎の考え方と、現実の捜査には大きな食い違いがありそうな
ことがわかった。
警察は、犯人外部説である。
まぁ、犯人が弘法大師というのよりはましかも知れないが、田丸五郎には、少なくとも
これは根本的な誤りであるように思えた。
しかし、それにはそれなりの理由もあったのである。
「そんなこと言ったって、あんた」
四本の脚が、しっかりと床についていない。どちらかゞ肘を乗せると、ガタガタと動く
古い木の机を叩かんばかりに、小見山は言った。
「あの家にゃ、女が二人と養子の亭主と、あとは子供しか居らんじやろうが」
「それはそうですけれどもね」
「三人がどう組んでみたところで、殺されたのはあの人たちにとっては父親と祖母さん
だよ。その上、子供にまで手をかけようとしているなんて、そんな馬鹿なことがあるか!」
常識的には、たしかにその通りなのである。だが、佐伯一族に限って、そんな常識など
通用しないのではないか・・・。
このことを人の良さそうな巡査部長に納得させるためには、かなりの説明が要りそうで
あった。それよりも、こゝは逆らわずにひとまず相手のデーターを聞き出したほうが賢明
であろう。
「はぁ、わかりました。それで、容疑者というか、それに近いものは浮かんでいるんですか?」
「あんた、新開記者じゃあないんだろうな」
「違いますよ。秘密を守ることが職業ですから・・・。僕だって、一日も早く東京に帰りたい
ですからね。いざとなれば、徹底的に協力します」
「ふうむ」
巡査部長は、髭を二三度上下させて田丸五郎を児つめた。それから、少し声を落として
言った。
「まだ容疑者というわけではないが、気をつけていて貰いたいのは、富蔵という使用人
の動きだ」
「なるほど…!」
「まさか子供まではと思うが、あんたが浩市郎の保護を依頼されて来ているんだったら、
十分に注意してほしい。警察としては、推測だけでみだりにあの人たちの行動を制限する
わけにもゆかんのでね」
「富蔵に、何か不審なことでもあったんですか?」
「うむ、興平さんが行方不明になる前後からの動きを、洗ってみたのだがね。あの男も
何回か姿を消していることがわかった」
「捜索願いが出された頃ですか?」
「そうだ。あの頃は上のほうには雪がまだ沢山残っていて、行くとすれば当然、富山方面に
限定されるわけだが・・・」
「室堂には無理ですかね」
「アルペンルートの開通直前で、地元では除雪に多勢の人が出ている時期だ。ここを通れば
必ず目撃者が出る・・・」
季節に慣れているせいか、小見山は確信ありげだった。とすれば、興平が室堂のホテルに
監禁されたのではないかという推理も、この際保留しなければなるまい。
「では、富蔵が出て行くと言うのは、どんな工合に・・・?」
「立山の駅員の話では、以前から富蔵はときどき富山行きの切符を買っていたというが、
その頃になると、月に二三回、それも二日か三日は家をあけているんだ」
「外にいる仲間との連絡か、打ち合わせでしょうか?」
「だいだい、そう考えるのが自然だろうな」
「富蔵は、地元の人間じやないんですか?」
「古くからあの家で働いていたというが、通うようだな」
小児山は、手帳を開いた。
「えゝと、本籍は和歌山県伊都郡高野町ということだが、身寄りもなかったらしい」
「高野町?」
思わず、腰が浮いた。
「そいつは、もしかしたら高野山のことじやありませんか・・・?」
「ふうん、そうかも知れん。何か、心当たりでもあるかね?」
「侍って下さい・富蔵はいつも二日か三日は留守にしていたんでしたね」
「うむ」
「富山に行くだけだったら、日帰りは十分に出来るんでしょう?」
「それはもう、電車に乗ってしまえば一時間ちょっとだ」
「奈良までだったらどうです?」
「無理だろう? わしはそんなに遠くまで行ったことはないが・・・」
小児山は、けげんそうに言った。
「君、それはどういう意味だね?」
「切符は富山までだったとしても、そのあたりで誰かと会っていたとすれば、人間の
心理として、一刻も早く戻ろうと考えるのが普通でしょう? 二三日も家をあけていたと
いうのは、富蔵が、その都度もっとずっと遠いところに行っていたのではないかと・・・」
「それは、東京までだって行ける筈だが…、何故、奈良だと言った?」
「いや、本籍の和歌山の近くだし、どういうわけか僕も奈良が好きだもんで…」
田丸五郎は、大袈裟に頭を掻いた。
富蔵こそ、高野聖ではないだろうか・・・。これは、小百合から貰った知識である。
非事吏(ひじり)は、承仕(しょうじ)とか夏衆(けしゆ)などとも呼ばれた。平安朝末期におこり、
勧進のため高野山から諸国に出向いた半俗の下級憎の称である。彼らは山林を跋扈(ばっこ)し、
民情に明るく、世俗を離れた高野山の貴重な情報源ともなった。やがて戦国時代に入ると、
次第に隠密的な要素を帯びるに至って、織田儒艮は、遂に世に請う高野聖の大虐殺を敢行するのである。
犠牲者は、実に一三八三名に及んだ。
信長は、たゞちに高野山を攻める。
山上の伽藍では、五段構えの大護摩を修し、怨敵調伏の妖煙が全山にたちこめたという。
翌年、信長の高野攻めが最高潮に達したさなかに、不思議や突如として本能寺の変が起った。
偶然かどうか、一五八二年六月二日、織田信長死す。
一万、明智光秀の墓は、今もなお高野山奥の院の墓地に、ひっそりと残されている。
だが非小吏の伝統は、そのことで絶えたわけではなかった。以後は歴史の裏側を這う
ようにして、現在に伝えられている。
田丸五郎には、勿論そこまでの知識はなかったのだが、清度の話から、立山の佐伯家と
高野山との間に、何か強力なパイプがなければならないことは予測することが出来た。
それが、富蔵の存在である。
追善供養の日に、真智子が真言院に呼ばれたというのも、事前に富蔵からの報告が届いて
いたからに違いない。大関良祐は富蔵を通して、佐伯家の動きは掌をさすように知っていたのだ。
あの老僕こそ、佐伯浩市郎の保護を真言院に要請した張本人であろう…。
その理由は何か・・・。佐伯興平が行方不明になった前後、頻繁に高野山または真言院との間を
往復していることと合わせて、やはり重大な意味がある筈であった。
小児山に指摘されるまで、富蔵はたしかにこちらの盲点だったのである。
田丸五郎は、何か新しい事実があれば必ず協力すると約束して、立山署を出た。今はまだ、
とても弘法大師が犯人だなどと放言できるような情況ではない。
警察側の資料として、そのほかに知らされたことは、興平の死因が飢えと寒さによる
衰弱に併発した急性肺炎であること、てうの場合はいわゆる首吊りだが、ザイルの結び方
などから児て、明らかに他殺と断定できる。亀毛先生や虚亡隠士の奇妙な名刺の筆跡は、
まったく不明である、などであった。
未解決の殺人事件の資料を、これだけでも提供してくれたのは、やはり好意的だったと
言わなければなるまい。小見山が捜査係の刑事でなかったことも、この場合幸いしていた。
ホテルに戻ると、田丸五郎はその足ですぐに501号室に行った。
「わたし、一生懸命におとめしたんですけど…」
さゆりは、自分が何か悪いことをしたあとのように、しょんぼりとしていた。
「いゝさ、大先生が勝手なのはいつもの癖だ」
昨夜の窓のところにただずんで、田丸五郎は外を眺めながら言った。
立山が、にぶい銀色に輝いている。陽射しだけはもう夏の明るさであった。
・・・…何故だろう。
口では勝手な奴だと悪態を吐いているが、和気野清磨については、一番よく知っている
つもりだった。決して、事件を途中で投げ出して逃げ帰るような男ではない。
清磨は、何かもっと大きなものを見たのではないだろうか・・・。
きっかけになったのは、言うまでもなく仮名乞児の人形である。常人ばなれした頭脳で、
清磨はすべてを洞察してしまったのではないか…。
いったい、それは何なのだろう?
田丸五郎は、ポケットから例の黒眼鏡を出してかけた。窓の外を、少しでも暗くしてみ
たかったのである。
昨夜見えた灯は、間違いなく地獄谷に下る段々のところだった。今は赤や黄色のヤッケが
点々と動いている。それを追ってゆくと、やはり昨夜の懐中電灯の軌跡と一致していた。
あのスピードをプラスすれば、山歩きに十分馴れた者が、大急ぎで地獄谷から引き返して
きたことがわかるのである。おそらく、仮名乞児の人形が無間地獄の熱湯に放りこまれていた、
人騒がせな事件と無縁ではあるまい。
だが田丸五郎は、反対に下りて行った者のことを考えていた。
地獄谷から雷鳥沢をかすめて血の池に至る、あの急な坂道を登っていたとき、すれ違った
男のことである。
あの時、一瞬揺れた空気のなかに、微かではあったが独特の匂いを臭いだ。今までは
熟練したシェルパではないかと思っていたのだったが、昨夜からの出来ごとを重ね合わせて
みると、高野聖という何とも得体の知れないものゝ影が、漠然とだが浮かぶのである。
田丸五郎は、ゆっくりと窓辺をはなれた。
「大先生は、さゆりちゃんにこの部屋で当分のんびりしていろと、そう言っていたのかい?」
「えゝ」
「それじゃ仰せのとうり、二三日遊んでいて貰うことにしようかな」
「先生、東京に帰るんですか? だったら、私も…」
「違うよ」
笑って、色眼鏡をとった。
「ちょいと高野山まで、これから弘法大師さまにお目にかゝりに行ってこようかと思ってね」
「高野山?」
さゆりは、世にも心細げな顔忖きになった。
「それでは、私だけまたこの部屋でお留守番なの?」
「和気野が当分こゝにいろと言った意味は、事件がまだ続いて起こる可能性があるからだろう。
さゆりちゃん、これは大切な役目なんだよ」
「今までは、ただ言葉の遊びだと思っていたがね。僕もこれからは理屈抜きで、弘法大師が
真犯人だと決めてかゝってみようと思う。そうすれば、何か別のものが見えてくるのかも知れない…」
「それは・・・。えゝきっとそうだわ」
「高野山にいったい何があるのか、とにかく、この眼で確かめてみることにしよう。悪いけど、
昨夜のノートを貸してくれないかな」
「はい、そんなことは構いませんけど…」
「万一のことがあったら、この人に連絡をとれば良い」
田丸五郎は、小見山巡査部長の名刺を渡した。さゆりもようやく納得したようであった。
* さゆりのノート 謎 の 十 三 年 *
年代不詳 まぼろしの白鷹伝説(平安時代・伊呂波字類抄)
七一六年 大伴家持生まる(藤源氏との対立)
七二一年 佐伯今毛人生まる(佐伯家の氏長)
七四七年 立 山 の 賦(家持作)
七五二年 東大寺大仏開眼(今毛人の業績)
七七三年 佐伯真魚生まる(後の空海)
七八五年 大伴家持・没(真魚十三才)
七八七年 真魚都にのぼる(十五才)
七八八年 真魚立山を見る 一沙門との出会い(十六才)
七九〇年 真魚大学に合格(十八才)
七九〇年 真魚大学を去り、室戸崎 大滝岳に登る(十八才)
その後、東大寺で三教指帰の執筆に専念? ここから十三年間の謎
七九六年 三教指帰を完成(二十四才)
真魚立山にこもる?
八〇三年 東大寺で得度、空海と称す(三十一才)ここまで十三年間の謎
八○四年 空海遣唐使船に乗る(三十二才)
八○六年 空海日本に帰る(三十四才)
八一○年 東大寺十四代別当となる(三十八才)
八一六年 高野山をひらく(四十四才)
八三五年 高野山で入定(六十三才)
九○五年 実在の佐伯有頼 白鷹伝説(有若の公文書・空海の孫または曽孫?)
(年齢は数え年)