三、 第 四 の 男
電車が走り出すとすぐ、さゆりの言うとうり、ボストンバックの底から弘法大師の本を
ひっぱりだしてひろげた。新書版の簡単な紹介書である。目次を見ると、謎の十三年間の
ことにも触れてあったし、三教指帰については、とくに一章がもうけられていた。空海の
生涯を語るには、これらは、どうしても省くことのできない事柄であるらしい。
謎の十三年間の内容は、清麿の話をかいつまんで、もっと判りにくくしたといったもので
あった。三教指帰の章にくると、早速ながら、例の四六弁麗体や仮名乞児の名前があら
われてくる。
ある屋敷に、蛭牙公子(しつがこうし)という名前の放蕩息子がいた。これがどうしようもない
道楽者で女好きである。ドラマは、この男にむかって、三人の人物がそれぞれの立場から
訓戒を垂れるという筋潜きで展開してゆく。
まず第一に出てくるのがお馴染みの亀毛先生で、モデルはどうやら阿刀大足あたりで
あるらしい。謹厳実直で、大層に頭の良い儒学の大家として描かれている。これを四六弁麗体で
書くと、『天姿弁捷(べんしょう)ニシテ面容魁悟(かいご)タリ 九経三史心蔵二括嚢(かつのう)シ
三墳八素意府ニ暗臆(あんのく)セリ』ということになるのだった。
こういう文章は、頭から苦手である。要するにオーバーな表現法なのだろうと、このへんの
ところはとばして読むことにした。結局、亀毛先生が言っていることは一種の処世術であり、
立身出世のすゝめなのである。
次に現われるのが虚亡隠士で、こちらは道教を代表している。虚亡隠士は、女は生命を
斬る斧であり、セックスなどはもってのほか、世の中に夢も希望もあるものか、すべては
パーだとますます隠亡らしいことを言う。そして最後に登場するのが、若い乞食坊主に身を
やつした仮名乞児なのであった。
彼はニ入の意見を嘲笑し論破したあと、浩然と胸を張って、自分自身の立場を述べる。
『ココニ一沙門アリ 虚空蔵求聞持法ヲ呈示ス』
五十六億七千万年の後に再誕するという弥勒菩薩や兜率天の話も、このあとにあった。
自分が今このような乞食坊主の姿をしているのも、兜率天に上るための仮の姿なのだという。
その意味では、三教指帰はたしかに空海一代の予言書なのであった。
儒教と道教と仏教という東洋の三大思想を対比して、空海は、見事に仏教の優位を論証
したのだと著者は有り難がって、この章を終わらせていた。
だが、これは清麿説のほうが正しいように思える。
儒教や道教にくらべて、仏教のほうがはるかに優れていることは、この頃からすでに
理論的にも確立されていたのではないか。だからこそ、大仏建立のような国家的大事業も
おこったのである。仮名乞児が、いまさら取り上げて得意がるほどのことではなかった。
空海、いや佐伯真魚がわらったのは、むしろ一族の栄達のために、自分を官学の門に
入れようとして踊った阿刀大足や、当時乱脈を極めていた僧侶どもの偽善者ぶりであろう。
そんなものに何か出来る。われは我が道を行く、今に見ていろ! と真魚少年は言いた
かったのに違いない。
直接のきっかけになったのは、もちろん、虚空蔵求聞持法であろう。だが清麿は、その
もうひとつ奥に、若者の恋と野望があったと断定するのだ。
一沙門を女と置きかえることによって、それはより鮮明に、生きた人間の心理として
浮び上がってくるのだった。
頁を開いたまゝ田丸五郎は、漠然とした視線を窓の外に向けた。
たしかに、清麿説はすばらしい大ロマンであり、驚くべき鋭利さを持っていた。しかし、
それが現実の殺人事件にどう絡みあってくるのかということになると、まるで山に登って
星をつかむような気持になってしまうのである。
……さゆりは、どこが気になると言ったのだろう?
電車はいつの間にか単線になって、かなり深い山の中を走っていた。
こんな田舎を私鉄の電車が走って、よく経営が成り立つものだと思うが、それだけ高野山に
行く人の数が多いのだろう。そのためかどうか、沿線には時折複線化の工区を示す看板が
立てられ、実際に工事も進められている様子だった。
そうした工事現場をいくつか通り過ぎて行くうちに、ふと珍しいことに気づいた。
このあたりでは、まだもっこが使われている・・・。
往復する電車のすぐ横で、山を切り崩して線路の幅を作ってゆくので、いきなりブルドー
ザーでガリガリとやることも出来ないのであろう。土は少しづつきり出されて、人夫の肩で
ダンプカーのところまで運ばれていた。 電車がまた同じような工車現場にさしかゝって、
徐行しながら通りすぎようとしたときであった。
・・・・・・あれだ!
ようやく、興平の死体を運んだ方法がわかったのである。
あの日、守作と守安という屈強な親子に前後をはさまれて、おゝいに劣等感を味わされた
ものだが、細い板の道を二〇分もかゝって死体を運ぶためには、一列に並んで歩けるもっ
こしかない。
仮名乞児の人形を地獄谷からかついできた、あのやりかたである。
死体は車に乗って弥陀が原荘の手前まで行き、そこからもっこで餓鬼の田ん圃のド真ん中まで
運ばれたのに違いない。それには、最低二人の男が必要だろうが、これは、考えるまでもなかった。
敬至郎と、富蔵…。
あの家にはもともと男は二人しかいないのである。
ひとつの疑問が解けると、あとは鎖をたぐるように、先に進むことができた。
事件の前に、敬至郎が弥陀が原荘のあたりをうろついていたという証言は、そのまま
敬至郎の役割を暗示していると考えて良かろう。死体の運搬が夜に限られるからには、犯人
にとって最も困るのはヘッドライトの処置であった。立山の暗さと曲がりくねった道は、
ライトなしでは絶対に車を動かすことはできない。だからといってライトを点けたまゝでは、
たちまち怪しまれてしまうのである。
この場合、勾配の強い曲がりくねった道は、同時に犯人にとって格好の盾でもあった。
車をどこに停めれば、弥陀が原荘から気づかれずにすむか、敬至郎は、何回となく事前に
調べにきていたのではないだろうか。全くよくもしらじらしく、自殺を他殺にしてくれ
などと言ったものだ。
ホテルで従業員の尻を追いかけたり、真智子に色目をつかったり、あの放蕩者めが・・・。
立山に戻ったら、思いきりとっちめて泥を吐かせてやろう。
だがまてよ、いましがた似たような話を読んだばかりだ…。
田丸五郎は、あわてゝ膝から落ちそうになっている弘法大師の本をつかむと、頁を反対に
繰った。
『蛭牙公子』…。
そうか…! もう一人こんな奴がいたのか。
この妖怪じみた名前のグループは、三人ではなかったのである。さゆりが気にかかると
言ったのは、まさしくこのことであろう。蛭牙公子の名刺を持った死体がもし現われるのだと
すれば、敬志郎こそ、まさにピッタリではないか。昨夜から三度も電話をかけてきたという
敬至郎のおびえた顔が眼に浮かぶようであった。
それにしても、と田丸五郎は何だかこの男にからかわれているような気がした。
こゝかと思えばまたあちら、犯人側に姿を見せたかと思うと、突如として今度は被害者側の
リストに、何食わぬ顔で並んでいたりする。得体の知れない妖怪変化もいゝところだ。
電車は、駅ごとに肩で息をとゝのえるようにして停る。乗降客があるわけでもなく、単線なので、
反対側からくる電車をやりすごすためであった。そしてまた、びっくりするほどの山の中を
のろのろと這い上ってゆく。終点の駅の名を、極楽橋といった。
コースはこゝから、高野山駅にむかってケーブルカーに乗り換えることになる。
立山のようなぼう大さはないが、山奥といった感じでは、こちらのほうがむしろ上であった。
空海という男は、よくよく山が好きだったんだな、と田丸五郎は思った。
ケーブルカーでは、二三組の団体が一緒になった。ほとんど老人ばかりで、やはり立山とは
雰囲気がまるで違うのである。
「あんたもお大師さんをご信心ですか? お若いのに、結構なこんじゃ」
前の席から、頭を七分刈りにした老人が声をかけてきた。
「はぁ、いや・・・」
「わしもな、八年くらい前からやっているだが、高野参りは今度が初めてでな。ようやっと
連れてきて貰いましただ」
どこか遠い地方の農夫なのであろう。肌の色に合わないまっ白なワイシャツと新しいスーツが、
かえって老人のふだんの暮らしぶりをのぞかせている。
「じゃ、大分御利益があったでしょう?」
「なんの、去年は婆さんに先に逝かれてしまうし、今年は息子が交通事故でやられたでね。
厄払いでもしていただこうと思って・・・」
「それは、大変でしたね」
「こんな年寄りじゃ、ほかに頼るところもにゃあでよ。あんたはお若いからえゝが」
「とんでもない、僕だって、悩みごとで一杯でさぁ」
「まぁ、生きとりゃみんな同じこんだで、一生懸命お大師さんにおすがりしてみるしか
あんめぇに・・・」
「そうしたら、何とか解決して貰えますかね?」
「さぁ、わかんねぇずら・・・」
老人は、たよりなげな顔をしていた。
それはどの確信があるわけではないが、なんとなく救われようとして日本中から集まってくる
善男善女のひとりなのである。
この人たちが、自分の本当の目的を知ったらどう思うだろう。田丸五郎は、多少不安でもあり、
微かな胸騒ぎを感じた。
和気野清麿が何と言おうと、弘法大師はやはり人びとの心のどこかで、眼に見えない突っかい棒と
なっていることは確かである。弘法大師犯人説など、所詮、ドン・キホーテにすぎないのではないか。
……するとおいらは、さしづめサンチョ・パンサかい。
あのずんぐりむっくりした男を連想して、田丸五郎はとたんに顔をしかめた。