第 三 章 十七歳のブルース (4)
俺はこのチャンスに、赤べこと久野久雄をつかまえて、一挙に事件を解決してやろうと
考又ていた。あいつらは、必らずゴ一ストタウンのどこかに、ひそんでいる筈だ。
どちらかと言えば、老人は因縁ばなしのほうに重点をおいていたが、俺はあくまで
現実を追求する途をえらぶつもりだった。ここは、何しろ床も張ってない、しめったところに
枯れ葉を敷いてあるだけなので゛ずかり冷えてしまった。夏だというのにさむざむと
して、枯れ葉の下には、霜かおりている。このへんが切りあげどきだど思って、俺は腰を
上げた。
「先生…」
老人は俺を見上げて、鼻水をすすりながら言った。
「わしが、いくつに見えるね?」
「さぁ…」
「死んだとき、62才だったよ」
すこし老けて見えるが、まぁ、そんなものかな。
「今から、七年前の話だ。ちょうどあと一週間で、無事に停年というとき…」
「………」
「思いがなく、阿佐ケ谷の駅で、若い男の飛びこみ自殺があった。23時57分の、
あの電車を運転していたのは、実は、わしだよ」
「国電の運転手だったのか!」
「しかも、三十二年間無事故表彰つきのな…」
老人は、淋しく笑った。
それは、決して爺さんの罪ではなかった。まして、七年後の自動車事故に結びつけて考えることは
出来まい。だが人間には、運命というものの奥に、もうひとつ、何か大きな力が働らいて
いるのではないだろうか。老人は、それを因縁と呼んでいるのであろう。
俺自身にも、それと同じようなものが、どっしりと重くのしかかっているのではないか
と思うと、おそろしかった。俺はその不安をふリ切るように、急いで丘の坂道を登った。
棲み家に戻ると、サトミは言っておいたたとうり、どこにも行かずに待っていた。
気持も少しは明るさをとり戻したのであろう。珍らしく、入り口の処まで来て俺を迎えた。
灯りひとつない棲み家だったが、サトミがいるだけで、俺は満たされていた。ここには
床もあれば寝台もある。老人の暮らしにくらべれば、天国であった。しかもサトミは、
以前のように、一日に二度、どこかに出かけることも、ぴったりとやめてしまった。毎日、
俺に仕えることだけしか、考えていないようであった。それは、まったく献身的と言って
良かった。
目的が、たとえ俺の力を借りるためであったとしても、必死でそれに報いようとする
心はいじらしくもあり、あわれだった。翠にくらべたら、あまりにも幸不幸の差別が、あり
すぎるのである。もともと、自分の娘と同じ17才の少女なのだが、そんなことは、すこ
しも気にはならなかった。
ある時は、母親のように見えたし、ある時は恋人であり、妻であり、そして貴婦人の
ようでもあった。時としては、奴隷のように虐めてみたい衝動に馳られることさえあった。
年令を超え、サトミは女性としてのすべての魅力と、能力を俺一人のために傾けつくしたの
である。その根底をなしたのは、類い稀れな美貌と、宿無しの忍従であろう。
サトミは、あの素晴らしい成熟をなし遂げてからというもの、ほとんど言葉を使わなく
なっていた。あの日かぎり、歌さえ一度も聞いていない。多少のもの足りなさはあったが、
それ以上に、心と心はしっかりと結ばれあっているのだった。
俺は、サトミにもシャバの話を聞かせてやりたいと思った。内心では、どれほど恋いこ
がれていることであろう。
外には、相変らずゴーストタウンのうなり声が吹き荒れている。だが、俺の棲み家は
安穏であった。サトミを寝台に呼んで、俺は銀座の夜を歩いたときのことを話した。靴や
ハンドバッグや、流行のファッションの話を、サトミは全身に吸いこむような感じで聞いて
いた。やはり、若い娘なのである。
ショーウインドの前で、女房がテレビに現われ、腰を抜かしたところは、いくら何でも
省略しておいた。
「河井みゆきという歌手を、知っているかね?」
と、俺は聞いた。
「私はそれほど上手いとは思わながたが、最近、17才のプル一スという歌がヒット
しているらしい」
それは、夕子からのうけうりであった。夕子のアパートでテレビを見たとき、俺はこの
歌をサトミにうたわせたら最高だろう、と思ったものだ。
「お前がもし知っているのなら、歌ってごらん?」
だがサトミは、小さく首を振った。
「そうか、残念だな…」
あるいはサトミが死んでから、ヒットしたのかも知れない。やはり、サトミにはあの
悲しいゴーストタウンのメロディが、ふさわしいのであろうか。
翠のことも、話したものかどうか、俺は迷ったのだが、ふたりとも、同じ17才である。
それなりの考え方もあるのではないかと・・・、思いきって話してみることにした。
サトミは一生懸命に聞いていたが、意見らしいことは、何も言わなかった。処女のまま
死んでしまったサトミには、翠のような性格は、理解できなかったのかも知れない。
とりとめもなく、そんな話をしているうちに、俺は眠ってしまったようだ。久しぶりの
安息で、気がゆるんでいたせいもあった。ふと、夢を見ていた。
車の中で、俺は寝ている。となりに、誰かすわっている。河井みゆきのようでもあったし、
美歌のようでも、玉石寿々子のようでもあった。誰だろう、と考えているうちに、
それがサトミになった。
俺は、とうとうサトミと一緒に、シャバに出られたのだな…。
サトミは、ぴったりと俺に寄りそっていた。やがて、ためらいがちに、手を俺のベルト
レスのズボンにのばした。そして、ファスナーを引いた。冷い感触が、俺を握った…!
ぎやっ、と声を出して、俺は飛び上った。
もちろん、そこは堅い一枚板の寝台の上であった。サトミが、吃驚したように俺を見て
いた。俺は、夢中でサトミを押し倒して、その上に覆いかぶさっていった。
サトミは何回も反転し、まるで夜光虫の海でもがく人魚のように、青い飛沫を俺に浴び
せた。
これまでにない荒々しさで、俺はサトミを責め、犯しつづけた。そしてどのくらい
たってからか、ようやく、自分をとり戻すことが出来た。
「サトミ、顔を見せごらん」
最後に、俺は言った。まだ波間を漂っているようなサトミは、ホッと息をついて、俺を
見上げた。うらめしそうな、それでいて、満たされた眼が濡れていた。サトミがいちばん
美しくなった時の顔であった。