第 四 章 ゴーストのカーニバル(3)






 「美歌は、ずっと僕の車の中にいたんですから、もしそのあたりで変ったことが起れば、

いやでも目撃している筈です。まして、犯人が外から屍体を運び込んだなどと言うこと

があれば…。犯人のほうでも、まさか、車の中に一人残っているなんて、思わないで

しょうからね」

 「美歌は、それらしいことは何も言わなかったの?」

 「何しろ、脱出することで精一杯だったもんで、そんなこと聞くゆとりもながたんです」

 「もしそうだとすると、美歌は犯人を知っていて、どうして姿をかくしたのかしら?」

 「おそらく、誰にも言えない人物だったからではないでしょうか」

 「たとえば愛人とか・・・? 良く出来たストーリーだけど、そうすると、第三の場合だっ

てあり得るわけね」

 加奈子は、例のニヤニヤッという笑いを浮かべた。

 「その犯人というのは、実は美歌自身だったって言う」

 「し、しかし、美歌は、あのパーティを…」

 「知らなかったなんて、そんなこと、わかるもんですか! 美歌だって、うちの亭主を

通して、玉石寿々子をよく知っているのよ。うまくデートに誘われたふりをして、坊やが

まんまと美歌のお芝居に引っかかったっていうことも、あるじゃない?」

 「信じられませんね」

 ホームズは、おおいにプライドを傷つけられたような顔をしていた。

 「女は怖いのよ。死んだうちの亭主なんか、美歌にかかったら、まるで馬鹿みたいに、

手玉にとられていたんだから…」

 「僕アね、そんな阿呆じゃありませんよ」

 「三ヶ月もかかって探しまわったりするところなんか、相当イカレてるわよ。坊やは知らない

でしょうけど、あれは大変な女よ…」

 「そうかなぁ」

 「うちの亭主と、ちゃんと関係があったくせに、みんな玉石寿々子のせいにしちゃって、

平気で阿佐ケ谷に電話をかけて来たりするのよ。どう思う?」

 それは、違う!

 思わず立ち上ろうとして、老人に引き戻され、俺はぶざまに尻餅をついた。肩で息を

しながら、加奈子をにらみつけているよりほかになかった。

 「そんなこと、べつに気にしているわけじゃないけど…、坊や、これからどこかに行くの?」

 「局ですよ」

 「じゃ、車で送ってあげる。そうそう、その前にお部屋代…」

 白い封筒を受けとると、加奈子はまた、ニヤニヤッと笑った。

 「どうせ、今夜は蒲田の安キャバレーに、美歌を口説きに行くつもりなんでしょう?

バカされないように、うまくおやんなさいよ」

 ぽんと背中を叩かれて、瀬川はイヤな顔をしていた。加奈子は、男をうながして部屋の

ドアを開けた。このまま見送ってしまうわにはゆかない。ひと言も聞きもらすまいと、

俺は急いで二人のあとに続いた。老人も同じ考えだったのだろう。結局、エレベーターは

四人になった。

 「久野久雄のことですがね」

 エレベーターの中で、瀬川はひとつ大きなくしゃみをしたあと、さりげない調子で聞いた。

 「あの男が殺されたとき、顔に貼リつけてあ!)たという、“ポルノ小説殺人事件"て、

ありや何です?」

 「玉石寿々子をモデルにして、うちの亭主が書くつもりだった小説の覚え書きよ」

 何故か、加奈子はそれが自分のアイデアだとは言わなかった。

 「お葬式のどさくさに、久野が盗み出して持っていたらしいの。あとで自分が書くつもり

だったんじやない?」

 「へぇ、そんなに面白いホンだったんですか?」

 「さあ、ねえ…」

 それだけで、エレベーターは一階におりてしまった。

 もちろん、俺は久野ごときに、覚え書きのことなど一度だって言ったおぼえはないのだ。

とすれば、盗み出すことをそそのかしたのは、ほかならぬ加奈子白身ではないか…! 

俺の不信感は、ますますつのるばかりだった。やぱり、ついてきて良かった。

マンションの前に、見おぽえのある車がおいてあった。老人が駆け寄って、まるで匂い

でもかぐように、車の周囲を調べまわった。が、すぐ悲しそうに首を振った。つまり、

爺さんをひき殺したのは、加奈子の車ではなかったようだ。

 加奈子が運転席に乗り、瀬川は、半対側にまわってドアを開けた。

  「………!」

 俺は呆然として、立ちすくんでしまった。頭の中で、エンジンの音と一緒に、何かが回

転している。車は小気味よい音を残して走り去って行った。

 あの夜…。

 “翁”の前で美歌と夕子をタクシーに乗せ、俺は一人ぼっちになった。その直後、スルスルと

近寄ってきた車のドアを開けて…、俺はたしかにあの時、自分の手で、車のドアを

開けたのだった。あれは、タクシーではなかった! どこかで車を乗リかえたのだろうと、

いくら思い出そうとしても記憶がない筈であった。俺ははじめから、あの車に乗っていた

のだ。犯人は、簡違いなぐ翁”の前で俺を待っていたのである。

 突然耳の奥で、ゴーストタウンの夜のうなり声のような、幾重にも折りかさなった声が

響いた。

 「先生、私、いいことをしておいて上げたから、あと三十分くらいしたら、このお店を

出なくては駄目よ・・・」

 「その人は、自分が久留鳥先生を殺したと言うのよ。でも私、信じられないわ!」

 それは美歌の声であり、アルバイトのタ子の声であった。

 この二人の他に、俺が“翁”にいることを知っていたのは誰か…。俺は、何故あの時

三十分待たなければならなかったのか・・・。そして美歌は、どうして・・・?

 「先生、ごらんあれを、あの男を!」

 その時、老人が急に俺をつついた。はっとして見ると、曲り角のむこうから、キョロ

キョロと落ちつかない様子で、あたりを見まむしながらやってくるのは、まぎれもなく

赤べこであった。なつかしい、赤べこであった。

 老人が、大股に歩き出した。俺もあわてて、その後を追った。赤べこがこちらを向いた。

その顔に、激しい驚きの色が走り、次の瞬間、さと逃げ腰になった。すかさず、俺は

叫んだ。

 「待て、角田!」

 赤べこは、そのままの姿勢で動かなくなってしまった。眼を丸くして、口だけポカンと

開いたままになっている。

 「編集長、おい、私だよ!」

 近づくと、敵意のないことを示すために、俺は両腕をさしのべ、赤べこの肩に置いた。

死んでから、初めての再会である。期待していたことだが、こうして顔を合わせてみると、

何とも言いようのない気持だった。赤べこも、思いは同じなのであろう。驚きが去ると、

不細工な顔に、感情を抑さえたホロ苦い笑いが浮かんだ。

 「久留さん…、まったく妙なところで出合うものだな」

 「いや、私は“祭り"には必らず会えると思っていたよ。ほら、私の仕事場はこの

マンションの五階なんだ」

 「ほう、そうかね?」

 赤べこは、あいまいな顔でマンションを見上げた。先程の驚きかたからしても、赤べこ

が俺を訪ねてきたのではないことは、明瞭であった。このあたりに、何かべつの用件が

あったに違いない。

 「とにかく話そう。話は山のようにあるんだ」

 と、俺は言った。赤べこはうなづいて、チラリと老人のほうを見た。お互いにゴースト

である。警戒心が起るのも無理はなかった。俺は、あらためて爺さんを紹介した。老人の

ほうでは、およその事情はわかっているので、すぐ、人なつこそうに笑った。赤べこも、

ようやく安心したようであった。

 俺は501号室に行きたかったが、老人が、外のほうが良いと言うので、三人は肩を

ならべて爺さんの事故現場の方向に歩いた。曲り角の奥に小さな駐車場があって、ひっそり

としていた。いつか、俺も一度だけ来たことがある、マンションの裏側である。ここなら、

邪魔も入らずに、じっくりと話が出来そうであった。陽ざしはもう大分かたむいている。

車が出はらったあとの、ザラザラしたコンクリートの上に、俺たちは腰を下ろした。

 老人があらましを説明するのを、赤べこは、全身を耳にして聞いていた。それが一段落

したところで、俺は赤べこに向かった。

「要するに、事件は、すべてがひとつの流れのなかにある・・・。だから、どうしても会い

たかったのだよ」

「うむ、言われてみればそうだな」

「“祭り”の前に、青梅街道のモーテルも、ずいぶん探したのだが、わからなかった。

何か、わけがあるのではないかね?」

「あたり前だ…!」

 赤べこは、渋面をつくった。乱交パーティで死んだと思われているのが、よほどこたえ

ているのであろう。

 「俺が殺されたところは、そんな安っぽい場所ではない」

 「どこだね?」

 と老人が身をのり出して聞いた。赤べこは、肩をそびやかして言った。

 「銀座だ。“きやら"の前だよ」

 「何だって…?」

 今度は、俺が吃驚して声を上げた。

 「それじゃあんた、銀座のド真ん中で殺ろされたって言うのかい? まさか夢を…」

 「まあ、聞け」

 赤べこは、昔とすこしも変らない横柄な態度で、俺をおさえた。

 「俺ぱ“きやら"で飲んでいたんだ。ちょっとした取材があってね。それが早く終った

ものだから、あとは気楽な気分で…」

 セックスのほうは駄目だが、赤べこは俺に輸をかけたウィスキー党である。どの位飲んだか、

それだけでおよその見当がついた。

 「取材が終ったのが八時前で、それから十一時半ころまで、まあ、かなり良い気持になって、

俺は外に出た。そうしたら眼の前に車が停ったんだ。若い男がドアを開けたものだから、

俺は何の気なしに乗ってしまった…」

 「どうして、そんな車に乗ったんだね?」

 「白タクだと思ったんだよ」

 赤べこは、いまいましそうに言った。

 「俺か乗ると、そいつは運転席からひょいと振り返って、妙な針金みたいなものを

こっちに向けた。何だろうと思って、俺はうっかリ握ってしまったんだ。とたんにガクンときて、

一巻の終りさ…」

 「わからんね、さっぱり・・・」

話の要領が悪いせいか、俺にはどうもよく理解出来なかった。それにしても えらく簡単に

殺ろされてしまったものだな。

 「車のバッテリーだよ、それは・・・」

 老人が、合点した様子で言った。

 「ひとつでは、どうということもないがね、四個か五個、並列にしてつなげば十分に

人が殺せる。酒でも飲んでいたんじや、ひととたまりもないな」

 流石に、もと電車の運転手だけあって、老人は確信ありげだった。

 「俺だって、まさか車のなかに、あんなに強い電気があるなんて、夢にも思わなかった

ものな・・・」

 赤べこは、白嘲めいた笑いを浮かべた。

 「車からほっぽり出されて、やっと気がついた時には、俺の肉体だけがどこかに行って

しまって、あたりを一生懸命にさがしたんだがないんだ。いや、まいったよ。おかげで

ゴーストタウンに一直線だ」

「とすると、シャバヘの出入口は“きやら”の前かい?」

「そうさ、シャバに出ると、いきなり眼の前が“きやら”だ。はじめのうちは、辛らかったの

何のって…」

 俺はふと、“きやら”が地下であったことを思い出した。

「もしかすると、今の棲み家は、穴ぐらじやないのか?」

 「実は、そうだ。俺も落ちぶれたものさ。だからモーテルなんか探したって、みつかる

ものか…!」

 赤べこは、すっかりふてくされている。思わず笑いがこみ上げてきた。如何にも、赤べこ

らしい棲み家である。俺は吹き出しそうになるのを抑えて言った。

 「どうやって、自分の屍体をさがしたんだね?」

 「そんなこと、編集部に行けばすぐにわかるさ。ちょうど、葬式の真っ際中だったからね、

俺は、頭にきたな」

 「ではやっぱり、死んでからすぐにシャバに出たのか?」

 「うむ、あの時はひどいめに合った」

 赤べこはうつむいている。おそらく俺と同じように、深刻な人間不信の現実に、打ちのめ

されたのであろう。まして、乱交パーティで死んでいたということになれば、尚更である。

 「結局、犯人はその若い男なんだが…」

 と、老人が□を出した。

 「編集長さん、こころあたりは、全然ないのかね?」

 「わからん…。何しろこっちも酔っていたし、そいつは、黒い帽子をかぶって、眼鏡を

かけていたんで…」

「身体の特徴は、どうだね?」

「そう、まぁ小柄だったな」

 老人は、俺を見た。しかし俺にもこころあたりはなかった。あるいは、意外な共犯者が

いるのかもしれない。

 赤べこが“きやら”の前でゴーストになってしまったのでは、モーテルに運ばれてきたのは

まさに空っぽの肉体である。パーティは、おそらく深夜の一時ころから始ったので

あろう。その間に若い男は、赤べこの屍体を銀座から青梅街道のモーテルに運んだ。そして

パーティが始って間もなく、どこからともなく警察という声がかかって、一同が逃げ出して

しまったあとで、犯人は悠々と屍体を部屋に入れたのである。その後で、今度は本当に

警察に電話したのだ。

 感電死とは言え、情況はあくまで心臓マヒによるショック死である。ちょうどはめ絵の

ように、はじめに現場を作っておいて、あとから被害者を置くという、奸智にたけたトリック

であった。

 その作業の一部を目撃したものがあったとすれば、それは美歌しかなかった。何しろ

屍体が迷い子になってしまったのだから、殺された本人では話にならない。

 「ところで、美歌はその晩“きやら”に出ていたかね?」

 「うん、何か約束があるとか言っていたな。カンバンになると、すぐ帰ったようだ」

 「瀬川と約束していたんだ。どこかで待ち合わせをして、実を言うとな、美歌も、あの

モーテルに行っていたんだよ」

 「何だと・・・!」

 「ひょっとすると、あんたが素ッ裸でころがされているところを、美歌に見られてしまったかも

知れんな」

 赤べこは、みるみる真ッ赤になった。

「そんな、馬鹿な・・・。ちくしよう・・・!」

 爺さんが笑いながら、それをなだめた。

 「まぁまぁ、これで大体のことは判った。ところで編集長さん、今日はこっちの先生に

会いに来たのではないとすると、一体何の用事で、こんなところを歩いていなさったのかね?」

 「車をさがしていたんだ」

 まだ、憤懣やるかたないといった様子で、赤べこは言った。

 「俺のほうで調べたところでは、どうもこのあたりがくさい」

 「ふむふむ・・・」

老人は、しきりに相槌を打って、

 「それで車のナンバーは、おぽえているかね?」

 「そんなもの、いちいち確かめてから乗るものか」

 「ではせめて、車種とか排気量とか・・・」

「何だ、その排気量というのは・・・?」

「じやあ色は・・・、色はどうだね?」

「ええと、たしか黒だったと思うが・・・、違う、赤だったかな」

あきらめて、老人は黙ってしまった。

とにかく、車に関して赤べこの知識は、ほとんどゼロに近い。銀座から四谷まで、

トコトコと歩いてきたのだろうが、ゴーストの執念とは言え、これでよく自分の屍体を

運んだ車を探し出そうという気持ちになったものだ。

 資料もわれわれのほうが、はるかに豊富たった。穴ぐらの棲み家にこもって、ひとりで

四苦八苦している赤べこの姿を想像すると、おかしくもあり、可哀想でもあった。

 コンクリートの上は、まだジリジリと熱いが、日ざしは、もうかなり傾いてきていた。

俺は、ゆっくりと立ち上りながら言った。

 「“祭り”のときに、こうして三人が出会ったのは、決してただの偶然ではあるまい。

どうだね、これからしばらく、三人でー緒に動いてみないか?」

 「で、何をするんだ・・・」

 赤べこが、少し不安そうな顔で俺を見上げた。

 「悪いけど、あんただけでは、これから先、何も出来まい。それにもう一人、どうしても

捕まえておきたい奴がいるんだ。行き先はもちろん六郷の河原さ!」

 「久野久雄か・・・!」

 「それが良い。わしも行こう」

 老人も、勢いよく腰を上げた。

 駐車場を出ると、俺たちは、四谷の駅に向った。シャバの人間には見えないだろうが、

三人のゴーストが、老人を真ン中にして肩をいからせて歩く姿は、異様なものであった。

とある店先から出て来た坊主が、とたんにひっくり返って、もらってきたばかりの万頭を

道におんまけてしまった。俺たちは、それを思うさま踏んづけて通った。犬が吠え、車が

急プレーキをかけた。信号なんかくそ喰らえだ。耳もとで、勇ましい行進曲でも鳴って

いるような気持である。

 改札口を抜け、電車に乗ると、眼の前にまた坊主が腰掛けて居眠りをしていた。次の駅

であわてておりて行ったが、その時、ころもの裾から財布を落としたことに気がつかなかった。

                                     っ

 中年の女がそれを拾って、何喰わぬ顔で、買物袋の中に入れてしまった。

 「なあ、編集長。じつは、私も前々から気になっていたことなんだが…」

 俺は、両腕で吊り革にぶら下りながら言った。

 「ポルノ小説殺人事件だがね。誰か他の人間に、しやべったおぼえはないかね?」

 「いや、それは…」

 赤べこは、ひどくばつの悪るそうな顔になった。ちょうど“きやら"で、若い連中と

飲んでいるところに、俺が入っていった時のような表情である。

 「もちろん、そんな仁義にはづれるようなことはせん。俺は誰にもしやべらなかったさ。

だがよ、向こうから、同じような話を持ちこんできた…」

  「誰だ。そいつは…!」








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