第 五 章 精霊流しの夜に(2)
「まだ、しなけれぱならないことが残っているんだ」
赤べこも同意見だった。乱交パーティで死んだという汚名をはらすためには、彼なりに、
やりとげたいことがあったのだろう。久野に聞いてみると、この男は、ようやく今日にな
って、引越したあとの美歌のアパートをつきとめることが出来ただけなのだと言う。それ
だけで、もう疲労困敗してしまっているのだった。なさけない男だ。
「では、こういうことにしよう」
先輩らしく、老人は、一同を見まわして言った。
「この人は、わしが預る。わしはただ車さえ見つければそれで良いのだ。先生とは因縁
が深くて、こうして一緒にやってきたが、もともと闇違てひき殺されただけなのだからな」
真意は、久野がその車を目撃している以上、やはり手もとに置きたいからであろう。た
しかに、赤べこの智識などより、はるかに正確である。俺は、妥当な配分だと思った。こ
んな弱々しいゴーストを連れて歩いたのでは、足手まといになって仕様がない。久野にし
てみれば、赤べこに怒鳴られ、慨に皮肉られるより、爺さんと一緒のほうが有難いと思っ
たのだろう。それぞれ異議のないことを知ると、老人はうなづいて、言葉をついだ。
「よし、決まった。明日の夜、十二時から一時までの聞に、もう一度、集ることにしょ
う。場所は…?」
「“きやら"の前だ」
「いや、あそこは事件の中心ではあるまい」
老人は、赤べこの意見を一蹴した。そして俺を見た。俺は、すべてを賭ける気持で言っ
た。
「マンションの、501号室はどうだ」
「先生の、仕事場だった部屋かね?」
老人の眼が光った。それは、結果的に、事件の中心はあの部屋だと認めることになるの
だった。だが、どうしても一度は通らなければならない関門であった。俺は、勇気をふる
い起して言った。
「あそこなら、みんな良く知っているし、私がポルノ小説殺人事件の覚え書きを書いた
ところだ。今は、瀬川和彦が借りているがね。鍵なら、この通り持っているよ…」
明日は精霊流しである。夜の十二時といえば、ゴーストタウンが“祭り"を終って、ち
ょうど時計の針が進むように、シャバから錐れはじめる時刻だった。その時に、いったい
何か起るのか、まったく予測がつかない。六郷の河原いっぱいにひろがる、ゴーストの雄
叫びを背に、俺は緊張して、一同の反応を待った。
「良いだろう。そこに決めよう!」
赤べこが、沈黙を破った。
「結局俺たちは、何かのはづみでついでに殺されてしまったようなものだな。まぁ、そ
れも因縁だと言われれば、仕方あるまい」
俺は恐縮して、頭を下げた。赤べこは、ただ苦が笑いしただけであった。
よし、と老人が腰を上げた。俺は、その手に鍵を渡しながら言った。
「先に入っていてくれないか、一時までには、私も必ず帰るつもりたが…」
「何か、わけがあるのかね?」
「いや、この際だから、最後にあの23時57分の電車に乗ってみようかと思って…」
なるほど、と老人は納得した様子だった。うなずいて鍵を受けとると、まだフラフラ
している久野の肩を支えてやりながらゴーストの群れの中に消えて行った。
「済まなかったな…」
「お互いさまよ」
赤べことは、手を握りあって別れた。ひとりになると、俺は土手の上を足早やに歩いた。
胸には灼けつくような焦りが渦巻いている。
サトミのことが、まだそっくりそのまま残っているのだった。誰にも話していないが、
これを解決しないかぎり、俺はシャバに戻るつもりはなかった。サトミの献身を裏切る
ことは、絶対に出来ない。それは、同時に私たちの愛のきずなでもあった。ではどうしたら
良いのか、ということになると、手がかりは、まったく掴めていないのである。
その時、月が雲間にかくれた。ゴーストの影が、いっそう黒く、鮮明になった。どこから
ともなく、どっと声のない喚声が上った。俺はただ夢中で土手を馳けおり、その方向に
むかって突っこんで行った。
ひしめきあう黒い気配をかきわけながら、俺は走りまわった。これまで、抑えに抑えて
きたきたものが、いっぺんに噴き出したような感じである。走りながら、何回も何十回も、
サトミの名前を呼んだ。
阿鼻叫喚が、ゴーストタウンの歌に聞こえた。青白い月の光が、再び燦々と降りそそぎ、
それがサトミの衣装に見えた。だが、わめいても叫んでも、まるで鏡の壁を登ろうとして
いるのと同じで、手がかりはおろか、それに似たゴーストの影にさえ、めぐり逢うことが
出来なかった。疲れはて、声もかれて、我にかえった時には、東の空から鴇色の鮮やかな
光がひろがりはじめていた。
俺はそのまま力つきて、盆踊りの櫓の下に、気を失ったようになって眠りこんでしまった。
眼がさめた時には、陽はすでに高く、残暑のかげろうが河原にたちこめていた。“祭り"の
最後の一日である。痛む足を引きずって、櫓の下から這い出してあたりを見まわす。
老人や赤べこや久野の姿は、もちろんなかった。それぞれ死にもの狂いで、何かをさがし
まわっているのであろう。八月の終りとは言え、炎天下のシャバを歩くことは、ゴーストに
とって、かなり苛酷な条件である。俺は蹌踉として、見えない糸に引かれるような気持で
歩きはじめた。
いつの間にか、閑静な住宅街に出ていた。
俺はよろめきながら、急いでその一角を通り抜けようとした。アスファルトの熱気で
足がしびれ、思わずつんのめりそうになって、あわてて電柱で身体を支えた。その時、一台の
黒い車が、向こうから近づいてきて、電柱の横に停まった。小さな三角旗を立てている。それは、日東テレビの
旗であった。
電柱のかげから、俺は、息を殺して凝視していた。うしろのドアが開いて、姿を見せたのはプロデューサーの
瀬川和彦である。座席には、もう一人若い女が乗っていた。横顔をのぞくと、中で身を縮めているのは、
オナペット歌手の河井みゆきだった。
運転手に何かいうと、瀬川は、みゆきを残して車から隆り、眼の前の家のブザーを押した。
それほど大きくはないが、車庫つきで、白い壁の文化住宅である。「玉井」という、
ま新らしい標札を見て、俺は、−瞬息をのんだ。
こんなところに、玉石寿々子の新居があり、たまたま俺が通りかかると同時に、日東テレビの
車が停まった。“祭り”の日でなければ、とうてい考えられないめく陶合わせの妙であった。
やがてドアが開き、すこしこわばった表情の、玉石寿々子の顔がのぞいた。
瀬川が、ニヤリと笑った。加奈子の前では坊やあつかいだが、こんなときの瀬川には、
やはり、いっぱしの精悍さと、一筋縄ではゆかない面がまえのようなものがあった。
「あら、まぁ先生・・・!」
寿々子は、とたんに表情を変えると、とぼけた嬌声を上げた。
「まあようこそ、わざわざ来て下さったの? 嬉しいわ」
よくもまあ、こうしらじらしいことが言えたものだ。瀬川がなかに入ったので、俺も
遠慮なくあとに続いた。昨日、引っこしたばかりで、内部はまだ落ついていない様子だった。
それでも応接間にあたる部屋には、新品のソファやピアノなど、30ユ号室にはなかった
豪華な家具がすえられていた。前もって運ばせておいたのか、あの生活臭ふんぷんとしていた
子持ち女優の寿々子とは、とても思えないような暮らしである。全体が、まだしっくりと
なじんでいないだけに、いっそう、その印象が強いのだった。
瀬川は無遠慮に、新品の革張リソファのいちばん良さそうなところを選らんで、ドカリ
と腰を下ろした。
「ちょっと待ってね。今日はまだ、お手伝いの子が来ないのよ」
そう言って、応接間のドアを閉めると、寿々子は、いきなり顔をしかめて、ペッと唾を
吐くしぐさをした。それからキッチンに入って、洗い場から、まだ洗ってないコーヒーカップを
取ると、外側をチョコチョコッと拭いた。インスタントコーヒーをぶちこみ、ポットから
お湯をさした。キッチンを出るとき、電気掃除機の柄を逆さまに立てかけたのは、箒のつもり
なのか、おかしかった。
瀬川は、部屋中をキョロキョロと見まわしていたが、寿々子が戻ると、再び悠然とソファに
もたれて足を組んだ。
「良い家だねえ、場所も適当だし…」
「頭金が一千万で、あとのローンが大変なのよ。これから稼がなくっちゃ・・・」
「これから? そうだねぇ、うまく行きや良いが・・・」
コーヒーをひと口飲んで、瀬川はすぐカップを横に置いてしまった。
「頭金一千万か・・・、誰のおかげでそうなったのか知らないが、えらいご出世で・・・」
「ううん、みんな先生のおかげ、でも私だって、それなりにずいぶん厭な思いもさせられ
ましたから・・・」
「そりゃあお互いさまでしょう。利用されたのはどっちだったか、ギブアンドテイク
というやつで…。でも、今では僕ちゃんなんか、鼻もひっかけてもらえない大女優だよ」
「まあ、嫌な言いかた…。白分から勝手に、若い女に乗りかえておいて…」
「そら僕だって、いつまでも久留島なんかのあと釜じゃたまりませんからね」
寿々子の眉が、ピクピクとふるえた。だが瀬川は平然としている。
「今となっては、僕ちゃんみたいな安プロデューサーが、玉石寿々子のような大スターに
手も足も出せるなんて思っちゃいませんよ。昔の事は黙っておくから、御心配にゃ及び
ませんがね。それはまぁ、それとして…」
奥歯にもののはさまったような、嫌味タップリな調子で瀬川は言った。
「それはまぁ、それとして…。頭金一千万なんて、そんなお金があるんだったら、
僕ちゃんがこの間から頼んでおいたこと、どうしちゃったの?」
「馬鹿にしないでよ!」
寿々子はとうとう腹にすえかねたように叫んだ。
「何で、私がそんな大金をあなたなんかに出す理由があるの? まるで強請りじゃない」
「挨拶もなしに出て行ったところを見ると、どうせそう言うだろうと思った」
「リベートを一千万も出さなければ、ホシてやるとでも言うの? 自惚れないでよ。
もう昔の玉石寿々子じゃないわ!」
「僕アね、そんな公私混同はしていませんよ。それどころか、玉石寿々子を今度こそ最高の
人気スターにしてあげようと思っているんだ。もちろん、特ダネは日東テレビでいただきますがね」
「ほんと? まあすてきなお話だこと…」
寿々子は、ひき吊ったように笑った。
「それで、私に下さるのは、どんな役なのかしら…?」
「スターになるために、人間を四人も殺ろした女優の役さ。こりやぁウケますよ、何しろ
本人が出演するんですから…」
「何ですって…!」
「まあまあ、おちつきなさいよ。そんなにあわてたんじやみっともない」
話の本題はこれだったのか、俺は早鐘を打つような胸を押さえてふたりを観察していた。
「ほう、そんな顔しているところを見ると、もっと詳しい説明を聞きたそうだね」
「ええ、そうしてほしいわ…」
頭の中で、突然何かが切り替わったらしい。寿々子は眼にいっぱい涙をためて言った。どうして
こう上手く涙が出るのか、これは女優として、一種の特殊才能なんだろうな。
「そんなひどいこと言って、女の気持ちを踏みにじって・・・」
「関係ないでしょう、それとこれとは・・・」
瀬川は一笑に付した。
俺は、事件が遂に崩れ始めたことを感じた。久野が美歌を真犯人だと名指したときには、
どうしても納得することが出来なかったが、今度は何故か、雪崩れの前触れのような、
地響きに似た音が聞こえる。
「僕は、はじめから、あのガス事故と言うやつには疑問を持っていたんだ。ちょっぴり、
様子がおかしいと思って・・・」
瀬川は、楽しそうに口をひらいた。
「あんたには、立派なアリバイがある。何しろ、あの流行おくれの作家先生のところで、
さんざんお楽しみだったんだもんね。警察には、仕事で外出していたと言ったらしいが、
そんなこと、とっくにバレているさ。だがどっちみち部屋にいなかったことだけは、間違い
じゃない」
「何処にいようと、私の勝手じやありませんか」
「それは御自由ですがね。でもガス事故に限って、そんなアリバイなんて、どうだって
良いのよ。むしろ、アリバイがあるほうが、自然じやないかな。あんた、ガス栓は、半分
ひらいていたと言ったろう?」
「ええ、そのとうりですもの」
「全部ひらいてしまったのでは、すぐに気づかれてしまう。一時間か二時間かかって
少しづつ少しづつ溜っていったほうが、第一かっこうがいいやな。部屋には空気抜けの穴
といっても、小さいのがひとつあるだけだし、九月の夜で、窓も閉めてある。それで十分
だと思ったんだろ?」
「だからそれは、利恵か正子が…」
「そこなのよ」
瀬川は手をあげて、寿々子を制した。
「あの子供がいたずらしたんだとすれば、もっと前に、ひとりで留守番させられている時
にでも、とっくに事故を起していらあな。あんた、いつも安心して仕事に出るためにも、
子供には、ちゃんとそのことを教えこんであったんだろ?」
「一応の注意くらいは、しておくのがあたり前でしょう」
「でもね、もともとガス栓なんてものは、そう簡単には開かないのよ。大人が開くつもりで
開かなければね。だから大人、つまり正子が必要だったんだ!」
瀬川の眼が、突然するどくなった。 、
「動機は、言わなくてもわかっているだろ。あんた、あの子供がいたのでは、一生うだつが
あがらないんで、悩んでいた筈だ。何とかなければと思っていたところに、丁度良く正子が出てきた。
うまく過失と言うことにして、責任を押し付けてしまうことが出来れば、これは絶好のチャンスだった。
あんたは、自分でガス栓を細くあけて、久留島の部屋に行き、じっとガスの溜まるのをまっていたんだ
「利恵は、私の子供よ。私は母親よ!」
寿々子はヒステリックに叫んだ。みるみるうちに、特殊才能の涙が溢れ出してきた。
「どうして母親が、そんなにむごいことをするの。どんなに困ったって、わが子を殺す
なんてことが出来るもんですか! 利恵、可哀想な利恵…!」
「およしよ…」
瀬川は、鼻白んで言った。
「僕には、そんな見えすいたお芝居なんか通じないんだ」
「お芝居じゃないわよ!」
ピタリと、寿々子の涙がとまった。まことに見事なものだ。
「何よ、全部想像じゃないの。証拠がないわ」
瀬川は、例のキザなポーズで肩をすくめた。
「証拠? お見せしましょうか…」
「さあどうぞ、そんなものあるのだったら今すぐ見せてほしいわ」
売り言葉に買い言葉で、瀬川は立ちあがって門の外に出た。そして持たせてあった車の
なかから、尻込みする河井みゆきの腕を引きずるようにして戻ってきた。
「なあに、この子…」
眉を上げて、寿々子はジロリとみゆきをにらんだ。それだけで、オナペット歌手は
ちぢみ上ってしまったようだ。
「あんたは知らないだろうがね、みゆきは、死んだ正子という娘とは同級生だったんだ。
な、そうだろ?」
「は、はい」
「あの日は、オーディションの前日で、一緒に出てきた二人は、それぞれ正子はあんたの
部屋に、みゆきはやはり親類の家に泊ったんだな。そうだろ?」
「え、えぇ・・・」
「あんたは計算外だったろうが、久留島のところに出て行ったあとで、正子は、みゆきに
電話をかけているんだ。さあ、みゆきちゃん、その時の話をもう一度詳しく話してみな」