第 五 章 精霊流しの夜に(3)
「あの、わ、わ、わたし…」
「ほれ、しっかりしなよ!」
瀬川が尻を叩くと、とたんにみゆきはシャンとなって言った。
「九時半頃、ま、正子から電話がかかってきたんです。明日の打ち合わせとか、いろいろ話をしているうちに、
正子が、何だか、ガ、ガスの匂いがするって・・・」
「そのとき、正子はまだ元気だったんだろ?」
「そうなんです。だから、あんまり気にしてなかったんですけど・・・」
「正子は、ちゃんと気がついていた。はじめから過失なんかじゃないよ」
あの夜、正子がみゆきに電話していたというのは、寿々子はもちろん、俺にも初耳である。
目撃者とまでは言えないまでも、いままで、密室のなかの事故死だと思っていた事件が、
すくなくとも外部との連絡があったというのは、重大なことであった。
「電話を切ってから、正子は聞違いなくガス栓をしらべた筈だ。だが、長話のあとで、
もう大分ガスを吸いこんでいたために間にあわなかったか、ガス栓が眼立だない場所にあった
ので見落したか、そのどちらかだろう」
瀬川にしては、鮮やかな推理だった。俺は、精一杯の拍手を送った。
「ああ、おかしい…!」
突然、寿々子が笑い出した。それから、今度は急に真顔になって言った。
「だからと言って、やっぱり私がガス栓を開けたことにはならないでしょう? おかしな
言いがかりはやめて頂戴!」
「まあ、いいさ。言いがかりかどうか、それでは次のカードをお見せしょう」
瀬川は、えものを追いつめた猫の心境であるらしい。ゆっくりと、ソフアから立ち上り
ながら言葉をつづけた。
「僕は、四人殺したと言った筈だぜ…」
「あら、まだあったの? 誰だったかしら…」
ふてくされて、寿々子は唇をゆがめた。指先が、小刻みにふるえている。反対に、瀬川は
余猶しゃくしゃくといったところで、例のシャーロックホームズばりのポーズをとった。
河井みゆきが、感歎した顔で見つめているので、ますます快調である。
「正子と利恵、これだけでは、やっと二人だ。今年になって、遂に三人めの被害者が出
た。つまり、角田という、小説ホリデーの編集長だよ!」
おい待て…、と俺はあわてて瀬川をこづいた。だが瀬川は、大きなくしゃみをしただけで、
全然感じなかったようだ。
順序から言って、それでは俺が抜けてしまうではないか。ガス事故の次には、当然俺が
殺されなければならない。せっかく拍手してやったのに、このヘボ探偵が…!
「面白いじゃない。さあ、もっと話して頂戴」
「あのモーテルを調らべてみたんだがね、経営者はあのへんの地主の親父で、部屋を
予約したのは、小柄な若い男だと言っていたよ。三日ばかり前に、ドライブ仲間のグループ
が泊るからと言って、六部屋分の宿泊料金を前払いしていったそうだ」
それは、赤べこが寿々子に取材を申しこんだ直後である。指を折るまでもなく、寿々子
が“きゃら"で取材に応じたのは、このモーテルを予約した当日であった。
「若い男は、黒い帽子をかぶって、眼鏡をかけていたんで、人相は良くわからないと言
っていたがね、僕にはそれが玉石寿々子の変装だということが、すぐによめたさ。何しろ
役者だもんな。思い帽子は、女の髪の毛を眼立たないようにかくすためだ」
瀬川の推理は、全く正しいと言えた。もちろん、“きやら”の前で赤べこを乗せた運転手と
同じ服装である。
「それからあんたは、大急ぎで会員集めにかかった。僕は、あの晩乱交パーティに出ていた
女優から聞いてみたがね。紹介者はみんな玉石寿々子だ。だったら信用しただろうさ。
結果はどうあれ、ことを表面化できるような連中じゃない。あんたはそこかつけめだった」
フン、と寿々子は、形のよい鼻を上に向けた。
「会費まで取りやがって、まったく、ガメツイったらないよ。あの金は、返えしていた
だきますよ。しかも二人分だ・・・」
そこで瀬川は、ぼんやりと立っているオナベット歌手をふりかえって言った。
「今度はみゆきちゃんも、連れてってやろうな。もっと良い乱交パーティに行こうぜ」
「ええ、ぜひ・・・」
オナペット歌手は、あいまいな顔で笑った。17才のくせに、この娘も、どこかちょっぴり
おかしいんじゃないかな。
「門を入れば、あのモーテルは、どこに駐車しても自由だからね」
瀬川は、再びホームズのポーズに戻って言った。
「パーティは、深夜の一時からだ。その間に、如何にも心臓マヒに見える方法を使って
編集長を殺し、死体をモーテルに運んだ。やがて時間がきて、一同が指定された部屋に
入ったのを見すまして、いきなり、警察だ、という声をかけた。あのときは、さすがの僕も
吃驚しましたよ。命ばかりか、息子までちぢんじゃった」
どうも、このホームズは、話がおちるので困る。だが俺には、この夜の寿々子の行動が、
手にとるようにわかるのである。取材を早めにきりあげ、レヂに十万もおいたのは、赤べこ
を“きゃら"に足止めしておくためであった。赤べこは、意地きたない酒呑みの心理を
巧みに衝かれたのである。その間に、寿々子は変装してゆっくりと準備をととのえること
が出来た。そして十一時半に“きゃら"の前で赤べこを殺し、死体をモーテルに放置する
まで、時間的にもぴったりと符合している。簡単に取材に応じたというのも、はじめから
殺すつもりだったのであれば、結局、赤べこが正直すぎたのである。
「あんたはそれで、うまく行ったと思っただろうがね、どっこい、そうは行かねえ。
あんた、モーテルでやったことを、美歌に見られていだてこと、気がついていたかね?」
「うそ…!」
「いや本当だよ。美歌はね、僕ちゃんの車の中にいたのよ。全員が部屋に入ったと思っていたのが
大間違い。美歌は、あんたのやっていることを、みんな見てしまったというわけ・・・」
寿々子の唇が、わなわなとふるえた。瀬川がカマをかけだのはわかっていたが、寿々子の
反応を見ると、やはり、的を射ていたと言わざるを得ない。
「続いて、第三の犯罪にうつる。すなわち、四人めの被害者の話だ」
宣告を下すように、瀬川は言った。さぞかし良い気持だろうな。
「それからわずか一週間の後、つまり、久留鳥加奈子女史とテレビで対談した夜のことだ。
玉石寿々子は、その後で、久野久雄を六郷の河原におびき出して殺した。そうそう、
あのテレビは、みゆきちゃんも一緒だったな?」
ひぇっと、河井みゆきが奇妙な声を上げた。
「あんた、リハーサルのときから、いやに落ち着かない様子で、何回も電話をかけに行ったり、
みゆきちゃんに当たったりしていたようだったな。あれは、久野をおびき出すための電話
だったんじやないかな? 番組が終ったあと、僕たちはバラバラになったわけだが、その後の
あんたの行動は、まったく不明だ」 、
「ちがうわ! あの晩は六本木のスナックで…」
「僕ちゃんのところにかけてきた、深夜の怪電話のことかい?」
瀬川は、せせら笑った。
「あの程度のディスコだったら、近くの蒲田あたりにだっていくらでもあらあ。チャチな
アリパイづくりよ。それよりも問題なのは、あんたが、どうしてあんな淋しい河原の
ド真ん中をえらんだのかということだな」
瀬川は、ゆっくりと、新らしい家具でうまった応接間のなかを歩きはじめた。
「玉石寿々子と言ったのでは、久野は警戒して出てこないだろう。あんた、もしかしたら、
ここでも誰かに化けていたんじゃないの?」
頭の中だけで組みたてた推理にしては、相当なものだ。商売柄、テレビドラマでも作って
いるような感覚なのだろう。
「あそこは、美歌のアパートに近い。おそらくは美歌に…、そうすれば、久野も乗って
きただろう。場所から考えただけでも、それがいちばん自然じゃないか」
なるほど、久野は、美歌が足のほうからスルリとすべりこんできたと言った。要するに、
はっきりと顔を見せていないのである。
「王石寿々子くらいの女優になれば、電話の声くらい変えるのはお手のものだろうさ。
しかし、いくらプロだとは言っても、眼の前で顔を見られたのではまづい。犯人がほしかったのは、
あの暗闇なんだ。東京中さがしたって、いまどき街灯がついていないのは、六郷河原の
真ん中くらいなものだからね」
「何だって、私がその人たちを殺さなければならない理由があるの?」 一
寿々子は、上眼づかいに瀬川をにらみつけながら言った。その眼に、ちゃんとまた涙が
たまっているから美事なものだ。
「さあ早く、私にもわかるようにそのわけを聞かせて頂戴!」
「ポルノ小説殺人事件・・・!」
待っていた、と瀬川は半身に構えた得意のポーズで、さっと腕をのばした。指先が、また
俺のほうを指している。俺はあわてて場所をかえた。
「九月に起こったガス中毒事件の真相を、久留島満は見破っていた。彼はそれを
ポルノ小説殺人事件というストーリーにまと書き残しておいた。彼が死んだあと、こいつに
眼をつけたのが、弟子の久野久雄さ。久野は小説ホリデーに売りこみ、編集長が
乗り気になった。さあ、そのことを知って、玉石寿々子がどんな気持になったか・・・。 それなりの
真実性を持っているから、もし発表されれば、女優としての生命はそれで終りだ。何とかして
くいとめなければ、ロス疑惑どころの騒ぎではなぃよ。連続殺人事件の動機として、
これ以上のものはなかろう。そこでまず編集長を殺し、六郷の河原で久野を惨殺して、
ポルノ小説殺人事件のストーリーを奪い返えしたんだ。そして如何にも久留島の幽霊の
仕業だと言わんばかりに、表紙の一枚を、芝居気たっぷりに久野の顔に貼りつけておいた。
急いで自分の車に戻ると、闇にまぎれて血にまみれた洋服を取リかえ、近くのディスコに
とびこんで、一応、電話でアリバイを作っておぃたと言うわけだ。テレビで実演すれば
馬鹿ウケだろうよ。つまり、犯人は主演女優の玉石寿々子、あんただ…!」
瀬川は、今度は正確に寿々子を指した。
俺は、快哉を叫んだ。こころの中で、ざまを見ろ、ざまを見ろ…! と何かが踊りを
踊っていた。それはまさに、俺が殺された日に、赤べこに半分だけ話しておいた、
ポルノ小説殺人事件のストーリーそのものだったのである。
ところが、予期していたことだが、寿々子はたちまち気が狂ったように笑ぃはじめた。
「上出来だわ! それで一千万? あぁおかしい。久留島満が真相を見破ってぃたなんて
とんでもない買かぶりよ。滑稽よ!」
呆気にとられている瀬川と、河井みゆきを見比べながら、寿々子はヒステリックに笑い続けた。
いつづけた。そして、突然真顔になって言った。
「ポルノ小説殺人事件を、見せて上げようか?」
寿々子は立ち上がると、カタリと、すぐ横にあるピアノの蓋を開けた。白い鍵盤の上に、
見覚えのある数枚の原稿用紙がのっていた。
「ホラ、読んでごらん」
寿々子は、無雑作に原稿用紙の束を瀬川の足もとにほうった
「すごく面白いわよ、最高の傑作だわ!」
拾い上げて、瀬川は狐につままれたような顔になった。そこには、わずかな登場人物の名前と、
年齢や性格などのごく簡単な但し書き、それに各章のタイトルなどが、乱雑に書きなぐって
あるだけだったからである。
だから俺は言ったろう、これは架空の、しかも書かれていない小説の覚書きだと・・・。
いやしくも俺はプロだ。いちいち細かいトリックや、犯人の行動まで書き留めておかなければ、
小説が書けないほどお粗末ではないよ。
だが事件は、俺が考えていた通りのストーリーで独り歩きを始めた。たとえ、裏で加奈子が
糸を引いていたとしても、俺には、何故そういうことになるのか、それがどうしても判らないのだ。
買いかぶりだという寿々子の言葉も、その意味では実は正しいのである。
同じようなことは、加奈子のほうにも言えた。久野をそそのかして 覚え童きを盗み
出させたのは、やはり、そこに真相が書きとめてあると、買いかぶったからであろう。
こんなメモみたいな覚え書きを、いくらひっくり返えしてみたって、何の役にも立ちは
しないのだよ。
玉石寿々子と瀬川の対決は、こうして、結局もの別れに終ってしまった。瀬川にしてみれば、
下手に表面化すると、自分のほうにも火がまわりかねないという恐れもあった。それよりも、
寿々子を脅迫して一千万せしめたいというのが本音なのだろう。
「いつかは、主演をやっていただきますよ。タイトルは、“ポルノ女優殺人事件"と
変えたほうが良いんじゃないかな」
瀬川は捨てゼリフを吐いて、眼がおでみゆきに帰ることを告げた。
「結構だわ、ギャラはうんとはづんで頂戴。まさか一千万とは言いませんから…」
覚え書きを細かく引き裂きながら、寿々子は相手の弱味を見すかすように言った。
「美歌が見ていたなんて、どうせ山カンでしょ。証人もいないし、証拠になるような
ものは何もないのよ」
「女狐め…!」
三人が玄関に出ると、何を思ったのか、寿々子はいきなり河井みゆきの顎をつかんで、
ぐいと自分のほうに向けた。
「みゆきちゃん、必らず乱交パーティをやろうね。今度はあなたも御招待するわよ」
「あわ…!」
オナペット歌手は眼を白黒させて、ガタガタとふるえ出してしまった。
ここまでくれば、赤べこと久野久雄を殺害した犯人が、玉石寿々子であることは、ほぼ
問違いないであろう。だが問題は俺自身なのである。シャーロッグホームズと違って、
瀬川名探偵は、いともあっさりと俺の部分をとばしてしまっていた。
しかし、俺には確信ができた。寿々子は車を持っていたのだ。まったく気がつかなかったが、
とにかくペーパードライバーではなかった。老人をはねたのも、おそらく、この車だった
のであろう。俺は、マンションの裏にある、小さな駐車場を思い出していた。昨日、
三人で話しあったところである。何故もっと早くあそこを調らべておかなかったのか、
たかが交通事故だと思って軽視していたことを悔やんだ。
「人をひき殺ろすような奴は、どっちみち運転技術が未熟なんじゃ!」
老人の口惜しそうな叫び声が、まざまざとよみがえってきた。ふりむくと、車庫はこの
家にもあった。が、車はもう処分してしまったあとであろう。
瀬川とみゆきを送り出したあと、ドアの内側から鍵をかける音がして、なかはそれきリ
ひっそりとなった。いまごろは、何を考えているのだろうか・・・。寿々子には、もう二度と
シャバで会うこともあるまい。俺はこの白い家をはなれて、また、歩きはじめた。
いよいよ、阿佐ケ谷の家に行く時が来た・・・。それは、俺が最後に辿リつかなければならない、
終着駅のようなものであった。俺は、ほぞをかためた。
なるべく賑やかなほうに向かって行くと、やがて商店街に出た。その向うに、小さな
私鉄の駅が見えた。電車を乗りついで、ようやく阿佐ケ谷の駅についたのは、もう午後の
三時すぎであった。残暑はまだまだ続いいる。ともすれば挫けそうになる気持をはげまし
ながら、俺は道を急いだ。それでも家に近づくにつれて緊張が増し、心臓が痛いほど鳴った。
自分の女房に会いに行くのに、どうしてこうビクビクしなければならんのだろう。
まったく不甲斐ない話だ。
何しろ、はじめてシャバに出た時、まっ先にとびこんでコリゴリして以来、一度も寄り
ついていない。玄関の前に立って、俺は呼吸をととのえ、二階を見上げて暫らく様子を
うかがっていた。なかなか勇気が出ないのである。およそ五分闇くらい、そうやって
いたであろうか。そのとき人の気配がして、玄関がなかから開いた。
ハッとして見ると、あらわれたのは、アルバイトの夕子だった。白いブラウスに、短い
スカートの学生スタイルをしている。何故、こんなところから出てきたのか、急なことで
よくのみこめなかった。夕子は頭を下げ、それから、こちらを向いた。とたんに、その顔に
激しい驚きの色が浮かび、小さな悲鳴を上げて、まじまじと俺を見つめた。俺は、泡を
喰った。まさか、この姿が見えたのではないだろうな。
「美歌さん…!」
とび上ったのは、俺のほうであった。ふリ向くと、ちょうど俺のまうしろに、まるで
ゴーストのように、音もなく美歌が立っていた。
「ごめんくださいませ…」
玄関にいる加奈子に向かって、美歌は真正面から視線を合わせたまま言った。
「いろいろとお世話になりましたので、先生に、お線香だけでも上げさせていただき
たいと思って、うかがいました」
それから固い表情のまま、夕子をふリ返えって
「夕子ちゃん、どうしてこんなところにいるの? ここは、あなたみたいな人が来ると
ころではないのよ」
「美歌さん、私・・・」
泣きそうな顔で、夕子がもの言いたげな様子を見せたが、美歌はかたくなに首を振った。
「それじゃお元気でね、さようなら・・・」
加奈子の前では、二人はただそれだけしか、言葉を交わすことが出来なかったようだ。